第百三十三話【銀の翼・前】
僕達は比較的綺麗に残された村の跡地に降り立ち、そしてすぐに建物や畑の柵——人が作ったものを調べ始めた。
ミラの言う通り、ヘカーテさんが何かを残しているかもしれない。
彼女が無事で、そして僕達との合流を図っていて。けれど、空を飛んで探し回るって目立つ手段を取れないでいるのならば、すれ違い対策にメッセージを残すことは十分に考えられる。
「けど……それってさ、紅蓮の魔女にも自分の向かう先がバレるってことじゃないのか? そんな危険なこと……」
いいえ。と、ううん。と、ふたりの否定がほぼ同時に重なった。息ぴったりね、さっき喧嘩してたとは思えないくらい。
ミラはすごく真剣な表情で、キルケーさんはなんだか誇らしげに。二者二様の理由で、僕の疑問……懸念を否定しているようだ。
「魔力痕を——マナを読んでこちらを追跡していたのならば、どうあっても居場所はバレてしまいます。
けれどそれは、遅かれ早かれ……というだけの問題ではありません。
探す手立てを持っている——それも、確固たる自信を持つ、確実な手段を持っているわけですから。
わざわざフェイクかもしれないメッセージを鵜呑みにする必要は無いでしょう。ヘカーテがそのことに気付かない筈もありません」
「えへへー……? よく分からないけど、ヘカーテは凄いからね。それに、たとえ居場所がバレても逃げられる。あの子ひとりなら、紅蓮の魔女相手でもささっと逃げ切っちゃうよ」
二者二様とは言ったものの、こうも対局的な答えが出てくるとはなぁ。
ミラは何よりもマーリンさんへの——紅蓮の魔女の能力への信頼でそう答えた。
キルケーさんはヘカーテさんへの信用でそう答えた。
成る程、喧嘩になるわけだ。
ふたりは似た者同士というか……別の推しを持った上に、推し至上主義者なのだ。
作品の垣根を超えた最強キャラ議論はいっつも荒れるからね。しょうがないしょうがない。
「……となると……うーん。もしそれが見つからなかったら……」
「いえ、そう短絡的に考える必要は無いでしょう。残す必要を感じなかった——自ら追い付く自信があったとするなら、当然その手間を掛ける間にもこちらへ向かってくるでしょうから。
或いは、既にこちらを捕捉していながら、マーリン様の行方が分からないので様子を見ている……とか。用心深い性格のようですから」
成る程。
しかし……ミラちゃん、知らない間にヘカーテさんのことも詳しくなってるわね。
それは……あれだな……? 結界陣を作ってる時にキルケーさんから聞かされたんだな。
自慢話長そうだもんなぁ、キルケーさん。凄く嬉しそうに語るんだ、それも。
聞いててこっちがニヤけてしまうよ。でへ……でへへ……魔女っ子百合尊い……
「……ですので。こうして何も見つからないということは……」
「ヘカーテはまだここには来てないんだと思う。なんとなく……だけど。こんなに近くに居たなら、どこかで合流しようとした筈だし」
村の中を歩き回って得られた情報は、かつてここでは穀物の栽培が盛んだったであろうことだけだった。
今必要な情報とはまるで違う——遠過ぎるデータではあるものの、なんとなくその人の営みの形跡にホッとした自分がいた。
「……? また……何か飛んで来ますね。いえ……んー……あれは、さっきの鳥……でしょうか」
ヘカーテかも! と、ミラの結論を聞くよりも前に、キルケーさんはミラが睨んでいた方角へと走り出した。
けど……僕には何も見えない、きっとキルケーさんもそうだろう。
ぴょこぴょこ跳ねて遠くを見ようとする姿に、飛べば良いのでは……? とも思ったが、クッソ可愛かったので黙っていることにした。
ミラの仕草が良い具合に感染ってきてるな、むふふ……
「…………鳥……ですね。そこそこ大きいですが、魔女のそれとは比較になりません。真っ直ぐこちらへ…………」
「……こちら……へ……? ミラちゃん、どうかしたの?」
こちらへ飛んで来ます。と、それだけのことを言いそびれて、ミラはフリーズしてしまった。
目をまん丸にして、じーっと遠くを見ている。
なんのこっちゃと僕もその先を睨んでいると、しばらくしてやっとその影が見えてきた。
大きな翼に小さな体。成る程、魔女のものとは比率が違う。
人間の長い手足なんてどこにも無くて、ちょっとずんぐりむっくりな愛らしい体型と呼べるだろうか。
ちがうよ。別に太ってた頃の自分を擁護する意図は無いよ。
ど、動物って基本的には丸っこい方が可愛いだろ! 女の子ももちもちしてるくらいの方が…………じゃなくて。
「…………あれ…………フクロウ…………っ⁈」
————フィーネ————っ! と、僕とミラが声を揃えて驚いたもんだから、まだヘカーテさんだと疑わないキルケーさんもびっくりしてこちらを振り返ってしまった。
ああっ、ごめん。翼が……羽根がぶわって逆立って物凄いサイズになって……モコモコで気持ち良さそう……じゃなくて!
「——間違いありません! 銀色の翼……アレはまさしくフィーネです!
似たフクロウというのではなく、まるっきり同じ——マーリン様と紅蓮の魔女がそうだったように、やはりこの世界にはフィーネも……」
「そ、そんなにはっきり見えるの……? 相変わらず凄い目…………じゃなくて。だとしたら……」
やっぱり、僕達の考えは間違ってなかったんだ。
キルケーさんはまだ羽根をもこもこにさせたままこっちへ戻って来て、そして僕らの隣で一緒になってそのフクロウが飛来する姿を見届ける。
次第に近付いてくるその姿が、確かに見覚えのあるものだと——フィーネそのものであると確信すると、ミラはまたぶつぶつと何か考えごとを始めた。
「…………追い掛けましょう。私達が睨んだ通り、あのフィーネの中にマーリン様の人格が入っているのならば……」
「もう……肉体は無いけど、放っておくわけにはいかないよね」
けど……ふむ。どうしてフィーネなのだろうか。
いや、別に文句があるわけじゃない。ただ、ちょっとだけズレてるな……と。
マーリンさんの力——魔女の力は、ザックという形で切り分けられた。
フィーネはあくまでも普通のフクロウ、彼女が飼っている愛玩動物兼伝書鳩みたいなものだ。
姿が似ているからという理由で街で買ったと言っていたから、そこはほぼ間違いないだろう。
いや……実は。という話で、そしていつものうっかりポンコツで説明されてなかった……とかかもしれないけど。
「ねえねえ、どうしたの? あの鳥が何かあるの?」
「……俺達の知り合い——紅蓮の魔女とそっくりなマーリンさんって人は、何かとフクロウに縁がある人だったんだ。
そして……あの人が飼っていたフクロウと、今飛んで行ったフクロウはあり得ない程似ていた。
となると……やっぱり、紅蓮の魔女と無関係とは思えない。もしかしたら、あの人の秘密が分かるかもしれない」
そうしたら、きっとこの世界に起きる終焉の、そのきっかけくらいは分かるかもしれない。
僕の言葉に、キルケーさんは首を傾げながらも頷いた。そして、じゃあ追い掛けよう! と…………
「…………や、やっぱりこうな——むぐっ…………むふぅ」
「キルケー、あんまり刺激しないようにしてあげて。あの子は無害な……ううん。無力な普通のフクロウだった。驚かしたら、もしかしたら進路を変えちゃうかも」
任せて。と、キルケーさんは僕達のことをまたより一層強く抱き締め……だ、だから…………はふぅ。
僕とミラは随分乱雑に束ねられたから、不幸中の幸いと言うか…………ミラからは僕の顔は見えなさそうだ! それだけは本当に朗報。
僕は…………僕は、キルケーさんの二の腕に顔を締め付けられて、おそらく…………妹にはとても見せちゃいけないだらしない顔をしている気がする。むふ……むふふ……
「——じゃあ——行くよ——っ!」
行くよ。と、気合い十分なキルケーさんは、ミラの注意を聞いていたのか聞いていなかったのかも分からないくらい勢い良く飛び上がっ————ふがっ⁉︎
く——首——っ⁈ 首が変な方に曲がる⁉︎ 捻れる! 千切れる! そして体だけが落っこちる!
「もが——っ。きる——きるけ——っ——さん——っ。死————」
「もう、暴れないでってば! 落ちちゃうよ!」
いえ……もう、落ちます。意識が……意識が遠く……じゃない!
確かに死にそうなくらい苦しかったけど、そんなこと言ってる場合ではない。
ちょっとシャレにならないくらい不安定な姿勢に、僕の恐怖心が痛みやら苦しみやらを平気で飲み込んで意識をはっきりさせ続ける。
死にたくない——。その一心でキルケーさんに抱き着くと、なんだか冷たい目をしたミラと目が合った。
おま——っ⁉︎ お前にだけはそんな顔されたくないけど⁉︎ と言うか今回はマジで緊急事態だっただろうが!
「——ってか——こんなに速いと————」
「ううん——追い付けない——っ。速いよあの子! あんなに速いなんて思わなかった!」
ふふふ、そうだろうそうだろう。フィーネは速いし賢いのだ、マーリンさんが自慢してたから知ってる。じゃなくて。
凄い! 全然追い付けない! と、そう言うキルケーさんの目は…………子供のようにキラキラ光ってて………………
「——もっと急ぐねっ! ふたりとも、しっかり掴まってるんだよ!」
「——————ひえっ」
おもちゃを追い掛ける猫や犬のようにマックスまで上がりきったテンションで、キルケーさんはまた一段と力強く羽ばたいた。
それがどれだけ速度を上げるものだったのかは、同時に連動した筋肉の動きになんとなく察せられて…………ごめん、マーリンさん。僕……死んだわ……っ。また世界を救えなかった……ごめん…………




