第七十六話
ナイフを咥え、パンパンと両手の砂を払うミラの姿に、ランバさんも馬車の馭者も僕も唖然としていた。だが、それぞれ理由は違う。彼らはこの少女の強さに、そして僕は彼女のその戦闘スタイルの引き出しの多さに、だ。
「はー……嬢ちゃん強えなぁ。それに……うん、こりゃ大荷物になるど! 三台連れてこい!」
ランバさんにそう言われると馭者はすぐに馬に鞭を入れ、ガラガラと乾いた地面に轍を刻みながら来た道を帰っていった。大荷物とは……? と、僕は彼に問う。
「あの嬢ちゃん、さてはボーナス狙いだな。アレだけ綺麗に仕留めてくれれば、研究機関やら食肉加工屋がたっかく買ってくれんべ。小せえのに大した度胸もあるなぁ」
「……綺麗に仕留めて……ってまさか……」
ふとミラの方へ目をやると、随分としたり顔でこちらを窺っていた。そう言うことなら事前に相談して欲しい、と言うかしろ。彼女が今まで通りに戦えば、こんな小さな魔獣などそれこそ跡形も無く吹き飛んでしまっただろう。だから彼女は魔術を使わず、出来るだけ綺麗な形を残したまま仕留めたのだ。そう、その死骸を売って少しでもお金を稼ぐ為に。なんて逞しく、そして恐ろしい少女か。
「……それもあるんだけどね。一番は節約のためよ」
「節約?」
彼女は駆け寄った僕に顔を寄せてそう囁いた。おそらくランバさんには聞かれたく無いのだろう。それがどういう意図であるかは分からないが、彼女が自分の事を隠すのは今に始まった事でも無し。
「魔力回復にはよく食べてよく眠るのが一番って、覚えてる? 魔術を使えば使うだけ、ご飯もそれ相応に食べなくちゃならなくなる。そうなれば……ほら、足が出るでしょ?」
なるほど。と、僕は苦笑いして頷いた。男の合流を待ち、彼女はまた張り切って次の住処……最早狩場と呼ぶ方が相応しいのかもしれない、魔獣の集まる場所へと突き進んだ。
「……次は…………ここら辺の筈だで」
「ここら辺って……さっきみたいに隠れる岩場すら見当たらないけど……」
キョロキョロと辺りを見回しても、遠くに山がある事くらいしか……と、呑気に進んでいると、グイとミラに手を引かれた。立ち止まれ。と、彼女は視線を僕が行こうとしていた先に向ける。
「……ミラ?」
「…………アンタは……はあ。ジッとしてなさいって、もう」
グイッと後ろに引かれて僕は三歩後退した。そして彼女は足元に落ちていた石を蹴っ飛ばして……
「っ⁉︎ なっ⁉︎」
「これは……ナイフも通りそうに無いわね」
バチッ! バキバキッ! と、小石は地に落ちる前に砕かれた。太く尖った二本の角の様な物に砕けた石の欠けらを浴びながら、それは地面から顔を覗かせる。カチカチと乾いた硬い音からその殻の硬さを窺える、まるで蟹の様な——しかし蟹と呼ぶには大き過ぎる、ミラの身体など簡単に挟み砕いてしまえそうな程大きな鋏を二つ構えた魔獣が、砂を掻き分けて現れた。
「……揺蕩う雷霆」
一瞬だけミラの身体が光る。小さく唱えられた言霊に、彼女の髪が呼応するようにバチバチとスパークし——それでもいつもの疾さには程遠い、随分と手加減された高速の膝蹴りが魔獣の甲殻を叩き割った。
「……っ‼︎ ミラっ‼︎」
数メートルは吹き飛ばされた魔獣の落ちた先と、彼女が着地した足元から同じ様にまた鋏が顔を覗かせる。木っ端微塵に挟み砕かれた魔獣の体を見て僕が叫んだのと、彼女がひらりと体を翻して僕の目の前に降り立ったのは殆ど同時だったかも知れない。つまり僕が声を上げた意味は……
「頼りねえ兄貴だな」
「うっ……」
まったく面目無い。ミラが暴走した時はなんとか抑えてやれる……と思うが、いかんせん彼女に比べて僕は貧弱すぎる。兄貴分としての立場が無い。しかし、今はそんな事を気にする余裕も無く……
「はぁぁあっ‼︎」
見慣れた彼女の殺人蹴りが魔獣を吹き飛ばす。戦闘の衝撃に、辺りに隠れていた個体がぞろぞろと顔を出した。その数は、今蹴倒されたのを除いて六頭。彼女を囲む様に現れ、かちかちと爪を鳴らしているのは……威嚇か、それとも降参か。そんなことを尋ねる間も無く、哀れにも魔獣達は片っ端から彼女の暴力に叩き附されてしまっ…………っ⁉︎
「——ミラッ‼︎」
彼女の反応が遅れたのは、全滅させたという安心感からか。それとも他に、例えば疲れや緊張と言った要因があったのか。答えは分からないが、彼女は足元から伸びてきた鋏への反応が遅れ、僕の言葉よりも後になってようやくそれに気付いた——
「…………なによ」
「……いえ……お見事でございます」
——と言うのは、どうやら僕の勘違いだったらしい。トントンとつま先で地面を二回叩くと、鋏は数度痙攣して動かなくなった。そして彼女は植わったままの鋏を掴み、ずずずっと砂の中からまだピクピク動いている魔獣を引きずり出して…………やめろ、舌なめずりをするんじゃ無い‼︎
「ミラ! ポイしなさい! こら! それポイして……ミラ!」
「…………だって……」
気持ちはわかる。わかるとも。彼女はさっき、電撃を流してソレを仕留めたのだろう。電流に身を灼かれ……焼かれ…………くっ! この匂い……まごう事なく焼いた蟹の香ばしい匂いだ……ダメだダメだ! 僕まで虜になってどうする! どう見ても蟹だが、こんな砂漠一歩手前の乾燥地帯にいるって事は十中八九サソリだろう。食べて毒でもあったら……っていうか女の子がそんな、ついさっきまで生きてた…………今なおピクピクしてるゲテモノを前に、美味しそうとか考えてる顔するんじゃありませんっ!
「そいつぁ毒持っとるで、そのままじゃ食えんよ。ちゃんと調理せんと……」
「…………火が通ってれば問題無いわよね」
随分と血走った目で彼女はそう言った。そういう問題じゃない。落ち着けミラ。それは女の子としてあまりに大切なものを犠牲にしすぎているし、火を通してもダメな毒だったらどうするつもりだ。
「ポイしなさい、良い子だから。晩御飯、俺の分もちょっと分けてあげるから」
「…………い、言ってみただけよ」
不服そうに彼女は蟹を叩き捨てた。食べられないと分かった途端この扱い……それでも形を保つ様に倒している辺り、抜け目は無いと言えるのだが。
「…………大変な妹だなあ」
「ううぅ……本当に……」
その後も順調に僕らは……彼女は魔獣を討伐し続けた。先の半魚型は大きい銀貨三枚、蟹型も同じく三枚。続いて大きめのトカゲ型を、随分恨みのこもった一撃で蹴倒して、これは金貨一枚。小型の魔植物の群生を焼き払って小さい銀貨七枚。一緒に焼き払われた虫の様な魔獣の巣の殲滅で金貨一枚。それに加えてボーナスが大きい銀貨七枚分は見込めるそうで……
「稼ぐなあお前さんとこの嬢ちゃん。で、お前さんは何もしなくて良いだか?」
「ううッ‼︎」
一緒になって金勘定をしていたランバさんに、思いもよらぬところで胸を抉られた。ち、違うんです……僕も何かしたいんですけど……出来ないっていうか……
「ほら、何遊んでんの⁉︎ 次で最後よ!」
そう言って彼女は、どう見たって洞窟にしか見えない大穴の前に向かった。はて、何の依頼を受けていたのだろう。洞窟の中と言うと……蛇の魔女を思い出してしまって良い気分がしないのだ……が…………
「……アギト! 構えてなさい! 警戒したままそこで待ってて‼︎」
それは……なんだ。なんだそれは……っ! なんなんだその大きさはッ⁉︎ 彼女が立っていたのはソレの鼻の穴の前。洞窟などでは無い、ソレは…………
「…………ば、古代蛇⁉︎ ちょ、ちょっと待つだ! 依頼は魔蛇の討伐、ソレの子供を追っ払うだけでいいんだよ⁉︎」
「そんな面倒な事やってらんないわよ! 親玉を叩く! 蛇とか蜥蜴とか……纏めてブッ潰す——ッ‼︎」
なんて物騒なセリフを吐くんだ⁉︎ そして落ち着け! 爬虫類に対する恨みは理解するがそのサイズはどう考えても……
「待てミラっ! どう見ても蛇の魔女よりヤバい‼︎ どう考えても無謀だ‼︎」
ソレはゆっくりとその鎌首を擡げた。そして自分で吐いた台詞の、いかに馬鹿馬鹿しいことを言っていたかというのを痛感する。規格が違う。ミラの足元から大地が割れる。それだけじゃない。辺りにあった盛り上がった砂や岩といったものが全て持ち上がっていく。僕らは既にコレに包囲されている。バグンと開いたその大口は僕らから空を奪い、そしてたった一人の少女を飲み込もうと天より降り注いだ。