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異世界転々  作者: 赤井天狐
第三章【魔女】
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第百二十九話【堕】


——嘘だ——

 嘘だ嘘だ——嘘だって言ってくれ——っ。

 握った手が、いつも励ましてくれた小さな手が、どんどん冷たくなっていく。

 紅蓮の魔女——この世界のマーリンさんは——ここで——っ。

「————っ——なんで——なんで——っ。何が——どうすれば良かった——」

 僕もミラも泣き喚くばかりで、これからのことなんて何も考えられなかった。

 違うんだ。目の前で目を瞑っている人は、僕達の知るマーリンさんじゃない。

 あの人じゃない、どれだけそっくりでもあの優しいマーリンさんじゃないんだ。

 何回言い聞かせても涙は止まらない、それどころかどんどん溢れて……っ。


 何が——何をどうすれば、この結末を回避出来た。


 どうしたらこんなものを結末だなんて呼ばずに済んだ。

 静かに目を閉じて、穏やかな顔で横たわる姿は——どこからどう見てもあの人と変わらなくて……っ。

 頭がおかしくなりそうだった。

 この人は……このマーリンさんは、いったいどうしたら…………

「————ねえ。なんで——なんで、泣いてるの——?」

 耳に飛び込んできたのは、ごく当たり前の疑問だった。

 それの主はキルケーさんで、その顔には困惑と——そして、強い猜疑心が窺えた。

「……ごめんね。うん……聞いてるよ、忘れてないよ。そっくりな知り合いがいる……んだよね。でも——」

「————っ。違う——っ! 確かにこの人は俺達の知ってるあの人じゃないかもしれない————だけど——」

——それは——あたし達の敵なんだよ——。キルケーさんはそう言って、そしてまた嫌悪感のこもった目を僕達に向ける。

 違う——違うんだ——っ。

 この人は……マーリンさんは、僕達の敵じゃ…………敵なわけが……無くて…………

「——喜ぶ……のはさ。そりゃあ……知ってる人に似てるなら、難しいかもしれない。だけど……っ。だけど——これでやっと——やっと安全になったのに——っ! どうして……どうしてふたりとも……っ」

 青白かったキルケーさんの顔はだんだん赤くなっていって、そして遂にボロボロと涙をこぼし始めてしまった。

 どうして——そんな奴の為に泣くの——。その疑問はすごく冷酷で、けれど……僕達のこの涙も…………彼女にとってはとても残酷なもので……

「————ソイツの所為でみんな————っ。みんなが……いなくなって……っ。ヘカーテだって——っ!」

 彼女の怒鳴り声に、僕達の周りにいた動物達もみんな逃げ出してしまった。

 ずんずんと歩み寄ってくるその姿は、どこか痛ましいものにも見えた。

 小さな肩を震わせて、それにあわせて銀色の羽根がさらさらと擦れ合って。

 キラキラ光って綺麗なのに、すごく……すごく、儚い幻みたいに見えてしまって……

「——ソイツがいなかったら——もっとヘカーテと一緒に居られたのに——っ! ソレが——あの子を——ヘカーテを殺したのに————っ! どうしてふたりは——そんな奴の為に————っ‼︎」

 キルケーさんの剣幕に、僕の涙はちょっとだけ引っ込んでしまった。

 もともと出所の曖昧な悲しさだ、目の前で打ち拉がれる彼女の姿を目の当たりにすれば、当然優先順位が下げられる。

 別に、それを僕が意図してやったわけじゃない。

 本能的に……この人の悲しさも、僕の中に無遠慮に流れ込んでくるから……っ。

「…………ごめん、キルケーさん……動揺しちゃって、何が何だか分かんなくなっちゃって。そう……なんだよ。この人は、俺達の知り合いじゃない。ごめん……分かってるのに、どうしても————」

 そうだ。今手を取るべきは、この紅蓮の魔女ではない。

 マーリンさんじゃないんだ——この人はマーリンさんじゃない。

 そうだ、手を取るべきは……っ。

 ぎゅっと握っていた手を離そうとして——キルケーさんの手を取ろうとして、そして…………僕の手は——マーリンさんの手を握ったままの僕の手は、開かないように——離れないように、もっと強い力で上から握り締められた。

 もっともっと小さな手に、震えるばかりの熱い手に。

「……ミラちゃん……っ。気持ちは分かるよ、俺だって……っ。だけど、キルケーさんの言う通りだよ。この人はマーリンさんじゃ————」

「————私は——私は、あの方を裏切れません————」

 キュッと結んだ唇から、真っ赤な血と一緒にその言葉は溢れ出した。

 ミラの方へと視線を向けると、そこには恨みの篭った目でキルケーさんを睨み付ける少女の姿があった。

「——取り消して——っ。マーリン様はそんな奴じゃない——そんな奴だなんて呼んで良い方じゃない——っ。取り消せ————ッ!」

 ぎゅうと握り締められた手が痛んだ。

 小さな手、幼い体からは想像出来ない程の力で、今にも握り潰されてしまいそうだった。

 ミラは……混乱している……訳じゃない。

 至って正気、理性的に物事を考えられている。

 目の前の出来事にパニックになっているのでも、ヒステリーを起こしているのでもない。

 それは、ずっと側で見ていたから分かる。

 ミラは——それがどんな形であれ、この人を——この在り方を、マーリンさんだと認めてしまった。

 コイツにとって、今目の前で倒れ伏しているのは————帰らぬ人となってしまったのは、紛れもなくマーリンさんその人なんだ。

「——っ。ミラちゃん、一度落ち着こう。確かに……確かに、この人もマーリンさんだ。傷付けるなんて……ましてや敵と呼ぶなんて、君には出来ない。分かる、その気持ちは痛い程分かる。だけど——」

「————裏切るんですか——っ。貴方まで——弟子である貴方まで、あの方を————っ!」

 ビリ——ッ。と、手に強い痺れが走って、僕は思わず体を仰け反らせた。

 でも、手はまだ強く握られたままで、驚いて尻餅をついてもそれは変わらないままで…………変わらないって……思って……

「…………ミラちゃん……? ミラちゃん、どうしたの……?」

「…………もう……貴方達とは一緒に居られません。私はあの方と——このマーリン様と共に——」

 手はあっさりと——あまりにも無感情に、無感動に自由になった。

 共にって……でも、もうその人は————っ。

 また近付こうとする僕を睨んで、追い払って。ミラは、マーリンさんの手をもう一度優しく握り直す。そして……っ。

「————自己治癒————っ! ミラちゃん——っ! ダメだよ——っ! それは——それだけは————っっ!」

 小さな体に、ふわふわと緑色の淡い輝きが浮かび始めた。

 ダメだ——それだけはダメなのに——っ。

 かつて頭の中に容赦無く流れ込んできたビジョンが——僕の知らない、あの戦いの後の出来事が——ミラが————壊れていくさまがフラッシュバックする——

 かつて、同じことが行われた——

 その少女の中の、凄く大きな存在。家族と呼べる間柄の、半身にまでなったもうひとりの勇者。

 その少年との死別——そして————

「——————ッッ——ぁぁ————マーリン——さ——ま————ッ」

————ぁあああ————ッ‼︎ と、ミラは断末魔のような叫びをあげ、そして……治癒もままならぬうちに意識を失った。

 どうやら、最悪の展開になってしまったみたいだ。

 ミラにはもう、あの時の記憶なんて無い。

 なのにも関わらず、それと——自己治癒による蘇生と紐付けられている強いトラウマだけが、ミラの精神を蝕んでしまった。

 出来る筈が無い、叶う筈の無い望みが、またしてもこの小さな少女の心を…………っ。

「…………ミラ……っ。ごめん……ごめんな……ミラ……っ」

 唇にはまだ噛み切った傷が残っていたみたいで、ゆっくりと抱き上げると一筋の赤い跡を頰に残してしまった。

 どれだけ強く、躊躇無く噛んだらこんなに血が出るんだ。

 ぐったりと動かなくなってしまったミラの、そのあまりにも切なげな表情にまた涙が出そうになった。

 だけど……頑張って飲み込んだ。

 その涙は、今流しちゃいけないものな気がしたから。

「…………キルケーさん。正直……腹に据えかねる、許せないって気持ちがあると思います。ミラは……俺達は、貴女にとって敵であるこの紅蓮の魔女に肩入れする発言を——行動を取ってしまいました。けれど……」

 もう少しだけ、力を貸して下さいませんか。僕はそう言って、両膝を突いて頭を下げた。

 頼る相手が他にいないから……じゃない。

 僕達は、この人と——この人達と一緒に何かを成さなくちゃならないんだ。

 もしも……もしもこの世界がまだ救いの余地を残しているのならば、それは必ずこのふたりの魔女に関係している筈だから。

 なんて……クレバーな考えが真っ先に浮かんだわけじゃない。

 ただ単に、このまま喧嘩別れなんて寂しい結末が嫌だっただけ。

 もう……ミラにこれ以上寂しい思いをさせたくなかっただけなんだ。

「…………でも……でも、また喧嘩する……っ。ミラちゃんは、絶対に本心からああ言った。それを曲げてまで、嘘をついてまで一緒にいるなんて……っ。

 出来ないよ、出来っこない。あたしも、ミラちゃんも。絶対に譲れないし、譲りたくない。だって……っ。だって……あたしは…………」

「……まだ……まだ、やるべきことが残ってる。俺は……俺も、この人をまだ……偽物だって思い切れてない。だからこそ——」

——この人が暴れていた理由——人々を滅ぼした理由を、知らなくちゃならない。

 このもうひとりのマーリンさんの犯した罪を、僕達が償わなくちゃならない。

 償い切れない、とても個人で背負えるものじゃないなら、せめて弔いをしなくちゃならない。

 その咎を受け止めて、悔いて生きて行かなくちゃならない。

 大仰な言葉を使ったかもしれないけど、でも……罪の一端はきっと僕達にもある。

 もっともっと早くに止めていれば、少なくともヘカーテさんのことでキルケーさんに心配を掛ける必要は無かったんだから。

「……それと、大丈夫じゃなかったんですか。ヘカーテさん、探しに行きましょう。きっと……はい。俺は、キルケーさん程あの人を知りませんから。だから……きっと、ですけど。きっと大丈夫、逃げ延びた筈です」

「——っ。うん…………うん! 大丈夫——絶対大丈夫だよ!」

 ああ——僕はまた、こんな弱い人に無理させてしまうのか——っ。

 僕の言葉に、キルケーさんはにこにこ笑顔を取り戻してガッツポーズをしてみせた。

 なんて……なんて痛々しい姿だろうか。

 その強さに、優しさに。僕は彼女の気高さに付け入って、もう一度だけ力を利用しようとしているんだ。

 でも……っ。

 それがどれだけ非道なことかなんて、選びたくない手段かなんて関係ない。

 もう一度……もう一度だけ、チャンスが欲しい。

 どんな手段を使ってでも——それが、ミラの記憶を取り戻す為ならば————


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