第百二十五話【離脱】
「————ゎぁぁああ————イタぁ——いっ⁉︎」
「————ぉおおお——ぶえ——っ⁈」
ハイパワーなジェットエンジンもやがて推進力を失い、慣性だけで滑空を続けていた僕達は、残念ながらそこからの立て直しに失敗して、祠からは随分と離れた山奥に墜落した。
キルケーさんは上手に翼を畳んで木々の間を縫って地面に転がり、僕は投げ出されて顔面から不時着した。
そんな中ミラだけがころんと受け身をとって、僕達ふたりが木や岩にぶつからないように受け止めてくれて…………うごご……ぼ、僕だけダメージデケェ……っ。
と言うか……こういうのって、こう…………イテテ……うーん? なんだか凄く柔らかいクッションみたいなものが…………わぁああっ⁉︎
的な。そういうラッキースケベイベントが起きるところじゃないんですか、なんの為の無防備系巨乳ヒロインだ。
訴訟も辞さない、徹底抗戦の構えだ。
「いててて……で、でも……取り敢えずこれで……」
「…………はい。流石にこの距離では、今現在の様子は窺えませんが……」
少なくとも、追い掛けて飛んでくる姿は見ていません。と、ミラはなんだか不服そうにそう言った。
な、なんでそんなに不機嫌なのさ。不服と言うか……悔しがってる? あ、ははーん……
「……実は、こういう結界を使うのは初めてじゃないからさ。あはは……もっと先に言っておくべきだったね。得意なんだ、意外と」
「…………むすっ」
おおかた、出来ないと思ってたことが——自分ですら難しいと思ってたことがあまりにもあっさりとクリアされてしまったから、嬉しさや安心半分、悔しさや敗北感みたいなものがもう半分なんだろう。
相変わらず負けず嫌いだなぁ、お前は。でも……うん。
「…………ありがとう、ミラちゃん、キルケーさん。お願い通りと言うか、最早イメージ通り。
完璧も完璧、寸分違わず頭の中で浮かべてたのと同じものだった。お陰で俺でもなんとか出来たよ」
「いたた……えへへ。こんなので良かったらいくらでも作るよ! もう覚えたから、材料さえあればいつでも!」
もう覚えたんですか。そこは流石に魔女と言うべきか、恐ろしい飲み込みの早さだ。
どっちかって言うとのんびり屋さんな、まったりした雰囲気なんだけどな、キルケーさん。
それでも、いつかはカマイタチみたいな魔術で紅蓮の魔女を攻撃していたっけ。
さっきの今だって、木にぶつかって大怪我しててもおかしくなかった。
それを上手に避けて不時着したんだから、見かけ以上に運動神経も良いんだろうな。
「……不本意ですが、これでしばらく…………いえ。あと一度か二度の緊急離脱は可能そうですね。もう少しだけ堂々と行動出来そうです」
「そうだね…………? 一度か二度……って? あっ、あんまりやると魔力が…………ってことは無いよな、キルケーさんだって魔女なわけだし……」
結界を作る分には問題ありませんが……と、ミラはちょっとだけ言葉を濁して、そしてすぐに真面目な顔でさっきまでいた筈の山の方を睨む。
ええと……マーリンさんがどうかしたの……?
「……恐らく、すぐに適応されます。その……魔術の発動タイミングをズラす、意図的にフェイントを入れてくる。そういった事態にアギトさんが対処出来る前提での話なのですが…………
そういった細工を施して尚、私達が逃げ果せられたとすれば……まず間違いなく、結界に無力化されない式を組み上げる筈です。いえ、今この時にでも」
「無力化されない…………いや、ちょっと待ってその前⁉︎ と、とんでもないこと言われてる気が……」
出来ませんか? と、ミラは挑発するでも落胆するでもなく、真面目な顔で僕に問う。
い、幾らなんでもフェイク入れられたら……
「…………キツイ……と、思う。けど、絶対無理とは思わない。あの人……マーリンさん、素直だから。面と向かって立ち合ったなら、なんとなくだけど……」
「……そうですね。あの方はそもそも戦うのに向いていません。優しくて、甘い方です。
戦うなんて……誰かを傷付けるなんて、ましてやその為に策を講じるだなんて……」
そう、結局はそこに至る。
いえいえ、僕が結界を上手いこと使えた理由。
そして……ミラがあんまり自信無さげな理由。
僕は最期のあの戦いの最中、ずっとずっと隣で見ていたんだ。
ミラとフリードさんの二歩後ろで、ふたりを守る為に魔術を行使し続けていたその姿を。
言霊無しであったとしても、なんとなくの癖……魔術を発動するタイミングと言うか、間合いと言うか。呼吸のようなものが理解出来ている。
そして……それを隠すだけの狡賢さを、あの紅蓮の魔女は持ち合わせていない。
だから、発生のタイミングをバッチリ合わせられたってわけだ。さて……だけど……
「……でも、何度も何度も無効化されてたら、術師の本能として必ず打開策を見つけるだろう……と。そういうわけだね?」
「はい。紅蓮の魔女がどの程度の知力……ええと、マーリン様の人格や性格を持っているのかは不明です。ですが、根本的なところに……その……っ。攻撃されたら反撃をする、条件反射にも似た性質は持っているようですから……」
さっきキルケーさんから聞いた話か。
そもそも、紅蓮の魔女は自ら攻撃を仕掛けていたわけではない……かもしれない。
そういう話なら、当然こちらの出方次第でやり方を変える可能性だってある。
しかし……それにしたって、結界で無力化されない術式ってのはどういう……
「いえ、単純な話なんです。その……私よりもマーリン様の方が魔術に対する造詣が深い——識っている術式が多いですから。私では対処出来ない術式をそのうちに引き当てられてしまうだろう……と、それだけの話で……」
「うーん……あっ。だったらさ、キルケーさんにも色々教えて貰えば……」
それが……と、ミラはちょっとだけ寂しそうな顔でキルケーさんの方を見た。
すると、キルケーさんもなんだか申し訳無さそうな顔で…………?
な、なんだなんだ……? 僕がおしっこしてる間に……ふたりで結界を作ってる間に、いったいどんな話をしたんだ……?
「ええっと……ね。あたしにはその……魔術……式? っていうのがよく分からなくって……」
「…………え、ええ……? だ、だって、魔術って式を組み立てて使うものでしょ? それを言霊なり陣なり……ええと、マーリンさんだって無詠唱で魔術を使ってはいたけど……」
術式は組み上げてた……筈。細かいことはよく分かんないけど。
でも、見覚えのある魔術や、それに詠唱付きの魔術も使ってた。
てことは、完全に式を破棄した魔術というのはあり得ない筈だ。
少なくとも、召喚術式なんてものをまだ使ってるわけだし……
「……それについては、そういうものなのだと割り切っています。
この世界においての魔術とは、術式をわざわざ構築する必要の無いもの——息をする方法を習わないのと同じ、出来て当たり前のことなのだと考えるべきでしょう」
「…………ず、ずるい……っ。ただでさえインチキくさいのに……っ」
ってことは、ミラもそういうの出来たりするんだろうか。今、この世界に限定すれば。
これまでの適応の具合を考えると、そういうバージョンアップもされてておかしくない。
おかしくないのだが……ミラのリアクションは、残念ながらそういうわけにもいかなかったって顔だ。
「……私には染み付いた習性と数多く学んだ術式があります。たとえそれらが無くとも発動出来ると言われたとして、残念ながらすぐに切り替えられるわけではないでしょう。
これもまた変な例えになってしまいますが……逆の手でも字が書けるようになったからといって、咄嗟にペンを持つのは必ず利き手の方でしょうから」
むう……納得。
そうだね、僕だってそうだった。
違うよ、魔術が使えるとか言ってないよ、見栄張ったわけじゃないよ。文字の話だ。
僕はレアさんに適応させて貰って、文字が読めるようになっていた。
けれど、読めたからと言っても、頭の中で連想する字は決まって秋人に馴染みのある日本語——ひらがな、カタカナ、漢字。それと、いくらかの簡単な英単語やアルファベットだった。
まあ……読めても書けないって事情があったから、ここと完全に同じとは思わないけど……似たようなもんだろう。
「ですので、正直……その……あと二度はなんとかなると思います。
二度という数字の根拠は、まだこれが初披露だから……ということ。まだ、マーリン様にはアレがなんだったのか分かっていないと思います。
なので、それを理解するのにもう一度。そして……その次には、きっと出力を跳ね上げてくるかと。
それでも貫けない——根本的に魔術というものの性質を利用した結界なのだと理解するのにもう一度。それからは……」
マーリン様が試すであろう魔術特性の変更を、私がどれだけ予測して対策出来るか。ミラは凄く申し訳無さそうな顔でそう言う。
成る程……つまりは完全なるバクチ、互いに振ったサイコロの目が一緒ならば生き残れるという、分かりやすい無理ゲーの図式だ。
「……それまた……いやいや。あと二回もある、そう考えよう。
これからはひたすらあの人の動向に気を払いながら、それでも大胆にヘカーテさんとの合流を目指す。
兎にも角にも頭数を確保しないと。現状…………まるで敵う見込みは無いんだし……っ」
そうですね。と、ミラがため息をつくと、キルケーさんもしょんぼりした顔でミラを抱き締めた。
ごめんね。と、自分の無力を嘆いている様子だが……違うんです、逆なんです。
僕達が無力過ぎて、いざ戦闘になったら貴女ひとりに負担を掛けてしまうので……
「キルケー、近くにまた休める場所はある? そこでまた結界を作って、少し作戦を練りましょう。
このままヘカーテと合流しても、結局押されてることには変わりないんだし。
さっきも話をした、あの人から失われてるかもしれないもの……それを探し出せば……」
「うん、分かった。案内するね、ふたりともついて来て」
はーい。って、流石にそんな間抜けな返事は出来ない。
自分で言ったことだけど、本当に力の差が大き過ぎる。
ヘカーテさんと合流して、そしてさっさと…………多分居るであろうザックを探し出す。
それをあの人に還せば、或いは僕達のよく知るふにゃふにゃマーリンさんみたいになるかもしれないんだし。
そんな淡い期待を込めてキョロキョロと周囲を窺いつつ、僕達は山の麓の小さな廃村に腰を下ろした。
ここは……比較的形を保ったままで、それがかえって残酷さを見せつけられてるみたいだった。




