第百二十一話【かつて勇者だった僕の——】
結局、不安と葛藤の中で、眠ってるのか眠ってないのか分からないような夜を過ごした。
一時的に意識が途切れた気もするし、なんだかんだでずっと二人の息遣いに耳を傾けていた気もする。
違うよ、変質者じゃないよ。
新手の変態じゃないよ、そんな性癖…………無しじゃないな、意外と。ではなくて。
「……僕がしっかりしないとな」
少し離れたところでくっ付いて眠っているふたりの姿が、なんだか昨日よりも随分小さく見えてしまう。
実際、くっ付いて丸くなってるから、小さくなってるってのでも間違いないんだけど。
少しだけ……弱々しいものに見えた。
そりゃあ、ふたりとも女の子だからね。
ミラなんてチビだし、キルケーさんも……その……大きいけど……っ。華奢と言うか、か細いから。
背は僕と変わらないくらいなのに、流石に性差ってのはあるものだな。
一番へなちょこで弱っちい僕が、この中だと一番立派な体をしているよ。
「んん……ふわぁ。もぞもぞ……」
「ん……ふふ……なでなで……」
きっとふたりとも、大きな不安と恐怖を抱いたまま眠ったことだろう。
マーリンさんとよく似た敵の出現は、目で見て分かるだけの動揺をミラに与えた。
必ず戻って来ると信じていたヘカーテさんの離脱は、キルケーさんの中に暗い影を落としているだろう。
けれど……そんなふたりも、すっかり眠ってしまっている。眠れてしまっている。
これはきっと、凄く喜ばしいことだ。
ミラの不眠のこともそうだけど、ふたりはもう既にお互いを頼って良い相手として認識出来ている。
ミラの甘えん坊か、それともキルケーさんの人懐っこさか。
どちらでも構わないけど、嫌な出来事続きの中でも、光はまだ途切れてないように思えた。
「んー……んんー……ふわ。おはよう、アギト。えへへぃ、ミラちゃんはまだおねむだ」
「おはようございます、キルケーさん。その……よく眠れたみたいで良かったです」
あたしはいつもぐっすりだよ。と、なんだか分からないけど、随分自慢げにキルケーさんは答える。
どんな時でも快眠、いついかなる時も体を労わる自己管理のしっかりした人……ああ、えっと。しっかりした魔女。
うーん……その……やっぱり、なんかちょっと嫌だな。
魔女って、あんまり良いイメージの言葉じゃないし……
「んむ……ん……ふぁーあ。おはよう、キルケー……むにゃ……」
「おはよう、ミラちゃん。えへへ、あったかいね」
あったかいねじゃない、寝かしつけないで。
今から急いで魔具……結界陣作って貰わなくちゃいけないんだから。
いけないのに……っ。ちくしょう……可愛いのが……可愛いのがくっ付いてて……五倍可愛い……っ。
でもね、違うんだよ。
キルケーさんはヘカーテさんとカプってるわけだから、そこにいくら可愛いと言っても、ミラをねじ込むのは…………ヘカーテさん総受けという選択肢は無いだろうか。じゃなくて!
「おはよう、ミラちゃん。まだ眠たいだろうけど、頑張って起きて。昨日の話、忘れてないよね。マーリンさんが行動を始める前に、早く手を打たないと」
「んんぅ……むにゃ。おはようございます……アギトさん……」
はい、おはよう。挨拶出来て良い子だね。
でも……露骨に不服そうな顔するのやめなさい。お兄ちゃん泣くよ。
て言うかそんな子に育てた覚えはありませんよ、しっかりしなさい。
まだどこか夢の中に半分浸ったままのミラをキルケーさんから引き剥がして、随分と恨めしそうな目で睨まれながらも、その起床を促すことに成功した。
こいつ……段々僕に対する敬意みたいなのが無くなってきてるな……
「ええと……結界……でしたよね。その……ですが、本当に通用するかどうか。
マーリン様……紅蓮の魔女は、恐らくですがマナを読んで周囲を把握している筈です。
もしそうなると、身隠しの結界を使っても、その魔力の流れから察知されてしまいます」
「ああ、えっと……そういう結界じゃなくてね。俺が作って欲しいのは……」
僕が提案するのは、かつての旅の間にマーリンさんに作って貰った結界陣のうちのひとつ——魔術を取り込んでしまう結界だ。
僕の言葉に、ミラはことさら目を丸くして首を傾げる。
姿を隠す結界でやり過ごすつもりではない。
彼女が僕に抱いたのはきっと、それはそれは大きな不安と不信感だろう。
この無力な男は、どういうわけかあの強大過ぎる相手を前に盾を構えようとしているらしいぞ……と。
「……すみません、アギトさん。それは了承致しかねます。
不可能です、そんなもので生き残るのは。いくらアギトさんが魔術に精通していようとも、仮にフリード様のような強靭な肉体を持っていたとしても。
物理的な障壁ならいざ知らず、魔力による防御では、術は防げてもそれに付随する現象は防げません。
魔力による燃料の供給——延焼を防げたとしても、既に燃えている炎はそのまま容赦無く襲ってきます」
幾らなんでも規模が違い過ぎます。と、ミラはちょっと怖い顔で僕を咎めた。
そ、そんな顔しないで……ってか、お前そんな顔も出来たのな。
ふーん……なんだかちょっとだけ……ふふん。真面目な顔したミラと魔術の話が出来るなんて、前の僕じゃ考えられなかったからなぁ。
本人は至って真面目でも、いっつも嬉しそうにニコニコ笑っちゃってた。
楽しいこと、好きなことを人に語るって体でしか僕には魔術を教えてくれなかった。
いやいや、そうじゃないそうじゃない。何をこんなとこで達成感なんて。
「ええっと……うん、それでも良い。多分……だけど……うん、ごめんなさい。先に謝っておくね、もう一回。ごめんなさい。本当に多分、素人考えなんだけどさ……」
僕はミラに、ある提案をする。
それは、この状況を——あの紅蓮の魔女に追い付かれたらおしまい、逃げ切る手段も無くなぶり殺しにされるだけという現状を打開する、数少ない可能性のひとつだろう…………と、僕は勝手に思ってる。
でも、それはそう的外れってわけじゃない筈だ。
ミラはまた困った顔で首を振った。
危険過ぎます、そんなことさせられません。と、とにかく過保護な昔の姿をちょっとだけ見せてくれる。でも……
「お願い、ミラちゃん。多分…………ううん、ほぼ間違いなく。こうでもしなきゃ戦況は良くならない。
博打を打つなら、まだ取り返しのつく段階で打ちたい。それこそ、キルケーさんやミラちゃんに何かあって、もう魔具なんて言ってられなくなる前に」
「ですが…………っ。いいですか、アギトさん。今貴方がやろうとしているのは、ただ真正面からマーリン様相手に挑んでいくというだけのことではありません。
よりにもよって、その攻撃の前に自ら飛び出していくということです。
失敗すれば必ず死にます。そんな危険な状況で——恐ろしい場面で冷静に物事を対処することは、とても並の人間に出来ることではありません」
……言ったね。ふふふ……言ってくれたね……しれっと……僕がヘタレチキンだと……っ。
そ、そういうことではなくて! と、ミラは大慌てでフォローを入れてくれた。
でも……実際そうだろ……? お前……もう、内心ではこのクソヘタレ野郎が何バカなこと言ってんだって思ってるんだろ……?
因みに僕はそう思ってます。我ながら頭のおかしいこと言ってるなぁ……と。ええ。
「……不可能です。そもそも、相手はマーリン様なんです。誰も敵わない、無敵の大魔導士。
かつて一度だけ窮地に立たされたこともありましたが、それでもあの方はそれを覆しました。
完全と思われた対策を打ち破り、ほとんど相討ちという形でしたが……それでも、勝ち残りました」
おい。こら。捏造するな。知らないと思って捏造するんじゃない。
負けました、あの時はしっかりきっかり負けてました。
あれは……ユーリさんが守ってくれたから、マーリンさんも命が繋がってたってだけだろ。
贔屓する気持ちはよぉーく分かるけど、ちょっとだけ客観的に見ておくれよ。
「……マーリンさんには弱点がある。ミラちゃんが昨日突いてみせたように、ほんの僅かだけど隙がある。
あの人は魔術に拠らない攻撃を持たない。いや……割と運動神経も良かったけど、戦士と呼べるレベルにはない。
魔術さえ無効化出来れば——それが一瞬のものであっても、遮ることが出来るなら。必ず突破口は開ける。
これは逃げる為だけの手段じゃない。いつか来る反撃のターンに備えての準備でもあるんだよ」
「反撃……ですか……? アギトさん、それは本気で……」
本気で、そんな方法でやり返せると思ってるんですか。と、ミラは割と容赦無くぶった切ってくれた。
ぐ……お、お前……相変わらず歯に衣着せぬと言うか……っ。
僕の提案したアイデアは、あくまでも逃げる為のもの。現状では。
だが、少しでも状況が変われば——ヘカーテさんと合流出来たり、他の魔女や魔術師と出会えたり、僕に特別な力が芽生えたり、僕の中のスーパーアーヴィン人の力が覚醒したり、僕の……え? それは無い……? 無い……よなぁ。じゃなくて。
「ほぼ無理だとしても、やる。いい加減勝って帰らないと、あのポンコツの方のマーリンさんに合わせる顔が無いよ。
それも、よりにもよってマーリンさんのそっくりさんを相手にして負けた……だなんて。絶対拗ねるし、怒る。晩御飯のおかず横取りされる」
「それは…………それは、そうかもしれませんが。で、でも……マーリン様は寛容な方ですから……」
あ、そこに食い付かなくても大丈夫ですよ……?
出来れば本題の方にリアクションして頂けると……ええ、はい。
そう、やらなくちゃならない。
最悪…………本当に最悪の考え方だし、出来ればそんな結末は避けたいし、というかマジでトラウマだから嫌で嫌で仕方ないけど……
「——最悪、俺ひとり死んで解決するなら幾らでも死んでやる。
そういう責任を負うだけの義務がある。
と言っても、やっぱり死にたくなんてないから……だから、お願い。
ミラちゃんに作れる最高の結界陣を作って、俺に託して欲しい」
「っ。そこまで……言うのなら……」
ほんっっっっとうに、全く良くない考え方だけど。
この僕は——この世界では、最悪死んでも平気だから。
死んだら死んだで、王都のアギトに凄いストレスが掛かるだけ。
マーリンさんは……それで最悪精神が崩壊するかも……とか言ってたけど。
二回目だ。
一回目をなんとかしたんだから、多分なんとかなる。
八割くらいなんともならない気がしてるけど…………っ。
だ、大丈夫。もう、ひとりじゃない。
たとえぐちゃぐちゃになって帰っても、すっごく優しく慰めてくれるマーリンさんがいる。本物のマーリンさんが。
この考え方……流石に今回だけにしておこう。いつか倫理観がぶっ壊れる気がする……っ。
「…………キルケー。今から言うものを一緒に準備して欲しい。そして……お願い、手を貸して。私の魔術じゃ凌ぎ切れない。どうか、貴女の力でアギトさんを護って」
「……うん! 任せて、ミラちゃん!」
説得……よりも、脅迫に近かったかな……? ごめん……なんとかなったら全部謝るから。
ミラは、最後の最後——首を縦に振った時にも、随分嫌そうな顔をしていた。
不服ってよりも、許せないって顔だ。
けれど……それでも、それが今打てる最速最良の手だと判断してくれたみたいで、渋々ながらも陣を作り始めてくれた。
ミラの知識、知恵、そして経験。それにキルケーさんの魔力と魔術の腕前。
出来上がる結界は、まず間違いなく僕の想定をはるかに超えるスーパーつよつよ結界になるだろう。
あとは……僕がヘタれないこと。
僕がしっかりすれば、きっとなんとかなる。
忙しなく準備を始めたふたりを尻目に、僕は…………手伝えることが無いので、仕方なく瞑想でもしていることにした。
うう……無力……そりゃこんなのに任せたくないよな…………っ。




