第百二十話【魔女だって夜は眠る】
ぐうぅ。と、祠に身を隠して早々、なんとも気の抜けた……そして空気の読めてない危険極まりない音が響いた。
犯人は僕のお腹。バカタレ……今音立てるのは……っ。
「お腹、空くよね。うん……人間……だもんね」
「人間……だから……? あの、魔女は……」
あたし達はそんなに食べなくても平気。と、けろっととんでもないことを言われてしまった。
そんなところから違うんだ、人間と魔女は。いや、その……
「……あの……紅蓮の魔女は……どうなんでしょうか。その……」
「……知り合いに似てる……んだっけ。その人は……」
毎日三食食べるし、それに夜はぐっすり……もうミノムシみたいになって寝てます。そう答えると、キルケーさんはちょっとだけ笑って頷いた。
なんだか可愛い人みたいだね。と、ミラのことを撫でながら…………はい、大体それと同じようなものをイメージしてください。
見た目は……あの魔女と同じですけど。
「……眠りはする……と、思う。あたし達は眠る、少なくとも。どうなんだろう、何かを食べるところなんて見たこと無いから。アイツと目が合えば、必ず攻撃されちゃうし」
「そんなに好戦的なんですね……っ。眠ると思う理由とか、根拠はあるんですか? 休んでるところを見かけた……とか」
ううん。と、キルケーさんは小さく首を振った。
それに合わせて揺れる…………その……ね。ミラはそのふたつの存在感溢れる……それに、嬉しそうに飛び込んで行った。この子……
「よしよし。えっと、今まで襲われたことが無いから……夜にアイツが村や町、それからあたし達の隠れ家に近付いてきたことが無いから、かな。
そもそもどこかに住んでるのか、それともずっと飛び回ってるのかも分からないんだけど。
取り敢えず、夜は大人しくしてるみたいなんだ」
「魔力を回復してるのかもしれませんね。マナを操るとは言え、魔術式の起動には必ず自前の魔力が必要になりますから。いえ、私達の知るマーリン様と同じであるなら……という前提ですが」
無限魔力も実は無限じゃない……って、そういえば最近聞かされましたね。
少なくとも、アレが生き物である以上、睡眠は欠かせないだろう。
キルケーさんやヘカーテさんが眠るってことは、魔女だからって寝ずに暴れ続けられるわけでもなさそうだし。
アレがそもそもの魔女という括りすら飛び越えた、もっと別の何かであるなら……話は変わるけど……
「……紅蓮の魔女……って、そう呼んだのはいつから……どんな人が最初だったんですか?
その……あの人の生まれというか、どうしてあんなことになってるのかとか。
誰か……事情を知ってる人とか、魔女とか。いなかったんですか……?」
そんなことはあり得ない、あり得てはいけない。
もしそうだとするなら、それはいなかったんじゃなくていなくなってしまったんだ。
身近な人、魔女達から手に掛けた。
手の届く範囲を片っ端から、ひとつ残さず潰し尽くした。
そうして誰も彼女を知らない世界が出来てから……今のようにあっちこっちへと侵攻を始めた。
そんな夥しい罪を背負っている……だなんてことになる。そんなのは……っ。
「……あたしが育った場所は、本当に静かなところだった。でも、気付いた時にはアイツもいて……逃げるのが当たり前で。
だから……うーん。ヘカーテなら……ううん、知ってたら何か教えてくれてたと思うし。うぅーん……」
「そう……ですか……」
落ち込む僕に声を掛けたのは、意外なことにミラだった。
まだその……ぎゅうって抱き着いたまま、目だけこっちを向いて…………ごめん、なんか励まそうとしてる風なのは分かったけど……出てきて?
ごめんね。でも……人とお話しする時はおっぱいから出よう?
「アレはマーリン様ではありません。確かに……確かに、その魔力や外見……それに、雰囲気や匂いまでそっくりですが、肝心要の精神が——人格が違い過ぎます。それに……恐らくですが、あの方が自らもこの世界に召喚したというのはあり得ないかと」
「あり得ない……ってことは無いんじゃないの? だって、前に似たようなことして貰ったんだ。
その時はまるで別人みたいな格好になってたけど……ちゃんと記憶もあって、魔術も多少使えて……」
そう。かつてアイリーンと共に化け物退治に向かった山で、占い師として彼女は僕を導いてくれた。
なんだか不具合があるとか、危険な賭けだとか言ってた気もするけど……出来ないわけじゃない。
つまり、事情があればやるってことだ。
その……そういう時、何も相談してくれないのが本当に問題なんだけど……
「いえ、あり得ません。冷静になって考えてみれば、当たり前のことでした」
当たり前……って、何さ。
皆目見当もつかないミラの言葉に、どうにも懐疑の目を向けざるを得ない。
別に、こんなこと疑いたくないと言うか……そうであって欲しいもんだけどさ。
さっきはそれで暴走してるし、無理矢理納得しようとしてるかもしれないから。
そういうの、放置すると良くないこと起きるんだよ。
解決の先送りは、絶対にストレスになるんだから。
「簡単なことなんです。私達がこうして活動出来ているということは、マーリン様からの魔力の供給と術式の維持が滞りなく行われているということ。
あの紅蓮の魔女がマーリン様だとしたら——もう、術式を維持出来る状態でないのだとしたら——」
私達は既に崩壊している筈なんです。と、なんだかとっても恐ろしいことを言われてしまった。
ほ、崩壊……ですか……っ。で、でも……
「でも……あれだけ凄い力があるんだし、暴れながらでもなんとか頑張って……とか。ほ、ほら! 人格の殆どが失われて暴走状態に入ってるけど、それでも僅かに残ったマーリンさんの理性が、僕達を繋ぎとめてくれてる……とか……」
ミラは黙って首を振った。
だ、だめ……かな? え、映画とかだとよくあるじゃない? その……悪い力に飲み込まれつつも、正義の心がちょびっとだけ残ってて……みたいな……
「もしそうなら、私達ごとこの世界から引き上げてしまった方が早いでしょう。そうすれば、暴れ回る紅蓮の魔女も消えますから。
それが出来ない程逼迫した状況……というのも、また考え難いです。マーリン様が聡明で優秀な方であるというのもそうですが……」
そんな状況の中で維持出来る程、簡単な術式ではありませんから。と、ミラはそう言ってまたキルケーさんの胸の中へと格納されてしまった。
なんなの、そこ定位置なの。僕のお腹の上は……? 僕のお腹の上で寝なよ、前回はそうしてたでしょ……? ねえ、ミラってば……
「ええっと……よく分からないけど、アイツは知り合いじゃなさそう……って、こと? ええと……でも、そっくりなのはそっくりなんだよね?」
「は、はい……うーん……」
ミラの願望……だと、そう言ってしまえなくもない。
でも、キチンと筋も通ってる。
その……消去法と言うか、背理法と言うか……確証があってのことではないから、ちょっとだけモヤモヤするけど。
アレがもしマーリンさんなら、僕達はとっくに無事で済んでないだろう。
僕達が無事であってかつ、アレがマーリンさんである可能性は、少なくともマーリンさんの意思によって終わらせられる——無理矢理にでも解決出来るものであろう。
そういう……まあ、納得出来なくないけど……ほんとかなぁ……? と、疑いたくなる証明なのだ、コレは。
「とりあえず……食べるもの、探して来るね。そうしたら……ええっと……まぐ……? ってやつを……あたしが作る……んだよね?」
「は、はい……お願いします……色々……」
任せて。と、ふんふん鼻を鳴らして、キルケーさんはミラを僕に預けて祠から出て行った。
慎重に慎重に周囲を見回して……どうやら歩いて探しに行ったみたいだ。
ってか食べ物探しなら僕達が——っ!
慌てて出て行こうとすると、まだものすっごく不服そうな顔で床に転がっているミラに手を引かれた。
なんなのよ……おっぱいが無くなったからって不貞腐れないの、まったくもう。
「私達は出歩かない方が良い……ということです。土地勘も無い、いざという時抵抗も出来ない。それと……キルケーもひとりになる時間が欲しい筈です」
「ひとりに……っ。そう……だよね……」
ああ……そうか。本当に気の利かない男だ、このバカアギト。
キルケーさん……つらいだろうな。
ヘカーテさんのこと、凄く信じてた。
信頼も信用もあって、あの場所に現れたのがあの紅蓮の魔女だった今でもそれは変わってないように見える。
変わらないのだ、実際に。
信頼も信用も、そもそも不安の上に無理矢理乗っけてあるだけ。
心の一番深いところで、ヘカーテさんの死を恐れている。
恐れた上で、彼女への信頼を塗り固めているから……大丈夫だ……って、そう言えてしまう。
そう言うしか……無くなってしまっているのかもしれない。
「……アギトさん。その……ヘカーテのこと……」
「うん……探してあげたいね……なんとかして……」
僕達が探して見つかるのならば、きっと向こうから合流出来てしまうだろう。
でも……もし、動けなくなってしまっていたら。
紅蓮の魔女と睨み合った状態になってて、迂闊にこちらへと近付けないのだとしたら。
やはり、あの人をうまく躱さなくちゃならない。その為にも……っ。
少しして戻ってきたキルケーさんに果物と焼き魚をご馳走して貰って、僕達はそのまま眠りに就いた。
魔具作りは明日、日が昇ってから。
もし紅蓮の魔女が夜も活動してるのならば、見つかると今夜は眠れなくなっちゃうからね。
せめて最低限の休眠は確保しようということで、今日はもうおやすみ。
おやすみ……おや……ね、寝れねえ……っ。
不安とか恐怖とか色々あるんだけど…………っ。
すぐ側で無防備に眠ってるキルケーさんが気になりすぎて…………ね、寝れる気がしねえ…………っ。




