第百十六話【不越】
ミラの妙に自信ありげな態度に、ヘカーテさんもキルケーさんも期待を込めた眼差しをその小さな勇者に向ける。
私なら倒せる……か。
根拠が何処にあるのかは知らないけど、倒せるとしたらミラだろう。
少なくとも、ミラの助力が無ければ話にならない筈。
さっき見た紅蓮の魔女の力は、それだけ強大で圧倒的なものだったのだから。
「……ミラちゃん。その……言わんとすることは分かるけど、倒すのは無理だと思う。マーリンさんの弱点って、大体はその性格が原因と言うか……」
マーリンさんの弱点。それは、女の子に対して免疫が無いこと。うっかりが多いこと。切羽詰まるとポンコツ化すること。
或いは、力の無いもの——敵と断じきれないものに対して、無慈悲になりきれないこと。
要約すれば、あの人の優しさ…………甘さが、唯一の付け入る隙となるだろう。だけど……っ。
「見た感じ、性格はまるで違った。初対面の、それも友好的な態度の相手にも容赦無く攻撃してきた。
言うなれば、あれは甘さを全部抜いたマーリンさんだよ。
魔の王を相手に、魔の力を相殺し続けたあの大魔導士の……その、力だけがうろついてるようなものだ。あんなのに弱点なんて……」
「いえ……あります。そして、私ならそれを突けます。
任せてください、アギトさん。相手はマーリン様の偽物……それも、同等の力を持った傑物です。
ですが……今回の私は、ちょっとだけ違いますから」
ちょっとだけ違う……? それは……ええと?
体調が戻るまでの間にマグルさんから何か仕込まれたのだろうか。或いはマーリンさんからか。
しかし、どっちにせよ、そのマーリンさんの弱点というのに思い当たる節が無い。
ミラは間違いなくマーリンさんの弱点だが、それはあくまでも性格の……失われてしまっているらしい人格部分に依るものだ。
ただでさえインチキくさいマーリンさんから、ポンコツ要素を抜いたビターな魔女。苦いと言うか……苦しい相手だと思うんだけど……
「——それに——そこを論じている余裕も無さそうですから——」
「……? それって——」
——バサッ——と、すぐ近くに何かが降り立った音がした。まさか……っ。
ヘカーテさんもキルケーさんも、当然ミラも。全員が臨戦態勢で洞窟の外を睨む。
間違いない、来てる。
ただならぬ緊張感に、あの紅蓮の魔女がすぐそこにやって来ていることを僕でも察知出来た。
「こ——このまま隠れてやり過ごせば……」
「ダメよ。見つかってないなんて甘い考えは捨てなさい。
アレは異常なのよ。間違いなく私達のことを見つけ出す……いいえ、もう見つけたからここへ来たのかもしれない。
ここに留まれば、狭い穴の中で蒸し焼きにされておしまい。
キルケー、またふたりのことお願い。私が囮になるから、次のポイントで合流しましょう」
分かった。と、キルケーさんは頷いて、そしてミラと僕の手を引いて…………?
逃げる。そう聞かされて、そして手も握られたのに、ミラはその場から動こうとしなかった。
それどころか、なんだか凄く集中している様子で……っ。
本気で…………ミラは本気で、あのマーリンさんと戦うつもりなのか……っ。
「……ミラ? 早く逃げて、このままじゃ——」
「————揺蕩う雷霆————っ」
その言霊を耳にするのは——その決意を耳にするのは、随分久しぶりのことだった。
それこそ最後の最後、魔王を目の前にした時以来か。
壊でも改でもない、全開出力の強化魔術。
だけど……それが意味するものは……っ。
パリ——ッ。と、髪を小さくスパークさせて、ミラは更に大きく息を吸い込んだ。
紅蓮の魔女を——マーリンさんの魔術を受け止める為の秘策を——弱点を突くと言っていたその力を手に入れる為に。
「————っ——ぁァ————Ahaaaa——ッッ‼︎ 赫ケルハ憤怒ノ竜人————ッ‼︎」
「——っ。ミラ——お前——っ」
青白い稲光は悍ましい程赫い炎に包み込まれ、少女は悪鬼のような姿に成り代わって洞窟から飛び出して行った。
呆気にとられるふたりを他所に急いで追い掛けると、薄暗い空の下でミラは炎の翼を広げた。
「——そうかよ——お前——そんなことも——っ」
そんなことも忘れちまってるのかよ——っ。
その魔術はまだ未完成だ、それにはまだ先があった筈だ。なのに……っ。
いいや、問題はそこじゃない。
アレは——可変術式を用いない強化と、かの錬金術師を想起させる炎の翼は、今のアイツの力だけじゃ引き出せない筈だ。
苦しいから、つらいから。思い出したくないから封印していたハークスの力を——レヴの力を——っ。
「————a——Gyahaaa————ッ!」
竜人は咆哮を上げながら一点に向けて突進して行く。
その先には——やはり、銀の翼があった。
まだ、さっきと同じ。会ったばかりの時と同じ、どこにも焦点の合ってないような目をしている。
確かに先制攻撃のチャンスかもしれない……けど……っ。
「…………無理だよ……お前じゃ……っ」
——バァウ——ッ。と、炎はその魔女を飲み込んだ。
かつて見たミラの最高火力に程近い、全くブレーキなんて効かせる気の無い一撃に見えた。
けれど……それは全て、より強い炎に燃やし尽くされた。
炎が燃やされるなんて言い方は不自然極まりないけど、僕にはそうとしか見えなかった。
ミラの撃ち放った赫く炎は、より純度の高い真紅の炎に飲み込まれて消えた。
「——ミラちゃん——っ! ヘカーテ、まずいよ! このままじゃミラちゃんが……」
「分かってる——っ! でも、ミラを巻き込まずにアイツを退けるなんて芸当、私達には出来ない。隙を窺うしか……っ」
ヘカーテさんもキルケーさんも、当然ミラが勝つなんて思ってなかった。
と言うよりも……いいや、当然。
その力に、これっぽっちも驚いてなんていなかった。
さっき面食らっていたのは、予想外の行動を取ったから。
敵う筈の無い相手に無謀にも突進して行くのが、あまりにも不思議で仕方無かったから。
ああ、そうだ。ミラの力は、このふたりの魔女の足元にも及ばないんだ。
ふたりには、あの紅蓮の魔女から逃げ果せるだけの能力がある。
けれど、ミラには多分出来ない。
魔女としての力——マナを利用する無限魔力も、無詠唱術式も。
唯一張り合えるかもしれない出力だって、久しぶりのぶっつけ本番で出せるわけがない。
ここにいる四人の魔術師の中で、ミラだけが明らかに格下なのだ。
そんなの……アイツだって分かってる筈なのに……っ。
「——ahaaa————Ahaaa————ッ!」
それでもミラは食い下がった。
そうだ、それくらいは出来るだろう。
僕はお前をよく知っている、お前ならどれだけ頑張れるかという限界を理解している。
その竜人の魔術は、その為に作られたものだったんだから。
キルケーさんが目を覆ってしまう程の大爆発が起きた。
それは、全く容赦の無い紅蓮の魔女からの反撃——完全なる覚醒の合図だった。
けれど——ミラはそれを全て飲み込んで、その炎の翼をより大きくして飛翔する。
魔王の蒼炎を相殺する為に作られた魔術式が、まさかこんな形で活きてくるなんて。
「——っ」
もっと近くに……もっとアイツの側にいないと……っ。そう思った時には、もう駆け出していた。
アギト——と、後ろから名前を呼ぶふたりの声がした。
うん、分かってる。
近付けば巻き込まれるかもしれないし、そうとなったらミラは僕を庇ってロクに戦えなくなるかもしれない。
でも、今はそれは関係無い。
行かなくちゃならない。
アイツがその力を使うなら——忘れてしまった勇者の力の、足りない部分を補ってやらなくちゃならない。
ミラも、多分僕が来たことになんて気付かない。
気を回す余裕なんて無い。
全神経を、いつどこで起こるか分からない爆発に向け続けなくちゃ、あっさり撃ち落とされてそのまま……なんて羽目になってしまうだろう。
だから……
「…………っ」
戦況は…………ミラが押しているようにも見えた。
ああ、理解した。
ミラの言っていた弱点ってそれか。
悔しいけど……確かに、そのやり方なら届き得るかもしれない。
ミラの翼はどんどん……どんどん大きくなっていく。
でも、その翼がマーリンさんを打倒し得る切り札なわけではない。
その翼の大きさこそが、ミラの秘策が有効に作用している証拠なんだ。
真紅の炎を飲み込み、そして更に加速して距離を詰める。
追い払わんと放たれた炎を避け、そして次の攻撃を待つ。
マーリンさんの攻撃は、ミラには一切届かない。
「——っ。凄い……すごいすごい! ヘカーテ、これなら……っ!」
「……これなら……アイツを……っ!」
かつてユーリさんがやってみせた戦略だ。
マーリンさんの魔術は、その攻撃範囲も威力も桁外れのチート技に近い。
けれど、穴が無いわけではない。
無効化出来たならば——無効化する技を持っているミラならば——
無効化して、そして懐に潜り込めたならば——あの人はそれを対処する手段を持っていない——っ。
「————でも——っ」
断末魔のような咆哮が轟いた。
どうやら、あと一手でミラは射程圏まで接近出来るらしい。
とっくに目で終える速度じゃなくなってるミラは、炎の軌跡だけを残して紅蓮の魔女の周囲を回る。
次の一撃で決着する。
もう……マーリンさんはミラを捉えられていない。
どこから攻撃が来るのか分かってない、全く身構えられない——反撃なんて不可能な状態だ。
ヘカーテさんは、まだどこか不安そうな顔だった。
けれど、その目には希望の光が灯って見えた。
キルケーさんは、凄く嬉しそうな顔をしている。
紅蓮の魔女を倒せるかもしれないことが……じゃないんだろうな。
きっと、ミラの強さ、珍しさにワクワクしてるんだ。
ワクワク出来るくらい、状況が有利だって理解してるんだ。
だけど……ああ、そうだ——
「——無理なんだよ——お前じゃ——っ」
大爆発が起きて、そして赫く炎も真紅の炎も消え失せた。
完全に死角に入った状態から、急旋回、急加速して突進したのだ。
魔術によるカウンターは不可能、そもそもとして反応すら出来ないだろう。
ミラは……勝利し得た。
あまりにも強大なその相手に、誰がどう見ても格下なその少女は、金星を挙げられたかもしれなかった。
けれど……っ。
「————っ——ぅぁ————ぁぐ……っ」
煙が晴れて現れたのは、無傷の魔女と——そして、頭を抱えて震える少女の姿だった。
竜の翼などどこにも無く、ただ恐怖に震える弱いもの。
ぐしゃりと膝から崩れ落ちて、ミラはそのまま小さく蹲った。
そうだ——お前にその人は傷付けられない。
お前は、その恐怖に耐えられない。
マーリンさんも、ミラ=ハークスという名前も、そのどちらをも同時に失う恐怖に——っ。
まだ混乱している三人の魔女を尻目に、僕は大急ぎでミラの元へと駆け寄った。
逃げる為、生き残る為に。
僕に託された勇者としての使命を全うする為に——




