第百十五話【マーリンさん】
ようやくキルケーさんから離れたミラは、なんだか気合い十分って顔をしていた。
さっきまでの凹みようは何処へやら。
ただ、今はこの勇者の帰還が頼もしい。
紅蓮の魔女、ドロシー。
ヘカーテさんとキルケーさんの言う、この世界から人間を滅ぼしてしまった魔女。
マーリンさんと瓜ふたつの、あまりにも強大過ぎる脅威だ。
「アギトさん。こうなっては緊急事態です。もう、正体を隠すとかパニックを避けるなんて言ってられません。目的を……この世界に訪れるであろう結末を説明して、助力をお願いしましょう」
「……そう……だね」
いや、それ僕が反対する余地無いよね? それをふたりの前で高らかに宣言しちゃった時点で、もう隠すもクソも無いよね?
確信犯なのか、それとも天然ボケなのか。或いはそれだけ切羽詰まった状況だと感じているのか。
どれでも良いけど、選ぶべき答えはひとつしかない。
僕もミラと同じことを考えていた。考え…………そして、迷っていた。
「……でも、また巻き込むことになる。ミラちゃんはそれでも……」
「はい。後悔に尻込みするつもりはありません。糧にして進まなければ、エヴァンスさんにも申し訳が立ちませんから」
強い子だな、ホント。
その強いミラが、ついさっきあんなにボロボロに泣いてたんだから……まだ僕の心の整理がついてないのは、仕方無いこと……だよね。
紅蓮の魔女だのと呼ばれてはいるものの、その外見は完全にマーリンさんそのものだった。
もし……もしも、アレが召喚に失敗したと言うことだったならば……っ。
肉体を作り上げ、しかし精神の定着に失敗した……と。
マーリンさんの人格のほとんどが壊れてしまって、それで異様に高い攻撃性だけを残していて…………
「…………あ、あれ? あのマーリ……ドロシーって魔女以外にはいないんですか? その……人間を……っ」
「ええ、アイツだけよ。アイツだけが特別……特別おかしいの」
ということは……ふむ?
キルケーさんが言うには、少なくとも人間の男がいなくなったのはかなり昔の話らしい。
それは……いくらなんでも時間差があり過ぎるのではないだろうか。
いや、いいや。そうだ、そういう事例もある。
と言うか僕自身のことだ。
僕は、召喚術式から六年を経てからアーヴィンへとやってきた。
だから、つまり……この世界にはあまりにも危険が多くて、それをマーリンさんが術式の時点で認知していて。
先回りをしてある程度解決しておこう……みたいな。
黙って先回りしてたら驚くかなぁ……みたいな、いつものサプライズ精神も込み込みで、僕らよりもずっと早くに——僕らの召喚を、マーリンさんが到着するずっと後に設定していたとしたら。
そんなの出来るか、めちゃくちゃだ。と、前に言っていたけど……出来ると知ればやってみようとする。術師という生き物はそういうものだし。
「…………ホントに偶然……偶然、あんなにも似た姿になるもんなのか……?」
僕が疑っているのは、アレを一目でマーリンさんだと思ってしまったからだ。
僕だけじゃない、ミラだって。
外見が似てるからってのも当然として、その佇まいがそっくりだったんだ。
ずっとずっと一緒にいた大切な仲間を、そのあり方から本能的に察知した。
だめだ、どうしようもないくらい混乱してる。
本当に……本当にアレは偽物なのか……?
「……ごほん。アギトさんはまだ混乱してるみたいなので、私から少し説明させて頂きます。
私達は、別の世界からやってきました。召喚術式という魔術を行使して、こことはまるで違う世界から。その目的は……」
この世界の終焉を——人類の滅亡を防ぐ為——
包み隠すどころかいきなり本題をぶち込んで、ミラはその場の空気を凍りつかせる……筈だった。
意外だったのは、ふたりの魔女がそれを聞いても驚いた顔ひとつしなかったことだ。
もしかして……あるのか? この世界にも、召喚術式に似た何かが。
「……そっか……はあ、そっかぁ。そうだよね……生き残ってるわけ……ないよね……」
「……あんまり驚かないんですね。俺達はこれでもう三回目の召喚ですけど、どこへ行ってもとても信じて貰えそうな感じじゃなかったんだけど……」
がっくりと肩を落としたのはキルケーさんだった。
凄く……凄く寂しそうな顔で、またミラのことをぎゅうと抱き締める。
やめてあげて、折角真面目スイッチ入ってるんだから。ああ……またデレデレしだした……
「その方がまだ信じられる……って、それだけよ。
アイツの攻撃から逃げ延びた人間がいる、無事だった集落がある。
そう考えるより、まるで違うところから飛び出してきたって考える方が……そういうくだらない妄想の方がよっぽど現実味がある。それだけ……アイツの力は強大なのよ」
「……ヘカーテさん」
ぎゅっと拳を握り、ヘカーテさんは悔しそうにそう吐き捨てた。
異世界からの使者の方が生き残りよりも現実的だ……なんて、いったいその紅蓮の魔女はどれだけ強力で…………どれだけ無慈悲なんだろうか……っ。
マーリンさんとはやっぱり真逆の性質を持っている。
あの人は人間が好きで、人々に降り掛かるあらゆる不幸を——災厄を嫌った。
かつては迫害されたというのに、そんな人間を守る為に不慣れな政治にも携わった。
そこでどれだけ不当な扱いを受けようとも、必死に食らい付いていた。
全部、王都の——国中の人々を守る為だった。
最後の戦いの時、あの人は言ったのだ。
人間に憧れた、人間を愛した。だから、人間でありながらその可能性を否定した魔王を、真っ向から否定して立ち向かった。
それが……っ。
「……私は、一度も人間なんて見たことがなかった。私が生まれ育った場所には、もうそんなのいなかったから。
だけど……キルケーは違う。あの子は……人間に育てられた。だから……」
僕達を見て、まだどこかに生き残りがいるかもしれないって喜んだ。凄く凄く、心の底からの希望を抱いたのだ。と、ヘカーテさんはそう言って、困った顔で笑って僕に頭を下げる。
勝手に期待しておいて落胆するなんて、凄く失礼なことをしました。ごめんなさい。けれど、許してあげてください。
そう言って、彼女はキルケーさんの寂しそうな横顔を見つめる。
「さて……こほん。アギト、それにミラ。ふたりのことはなんとなく分かったわ。
ここの事情を知らない、アイツの脅威を知らない。けれど、どういうわけかこの世界の異常を感知してここに来た。
別の世界だなんてまだピンと来ないけど、ともかくこれは意味のある出会いなのかもしれないわね」
「……そうですね。ヘカーテさんとキルケーさんが来なかったら、俺達は何も出来ないまま死んでいたかもしれない。これも、もしかしたら計算尽くだったのかもしれませんし」
計算? と、ヘカーテさんは首を傾げた。
ああ……そうだ、これも説明しなくっちゃ。
ミラが散々泣いた理由、そして今張り切りまくってる理由。
別世界への召喚だなんてふざけた妄想を現実にしてくれている、最愛の仲間……名義上の師匠のことを。
「……実は、あの魔女によく似た人を知ってるんです。外見の話だけじゃなく、魔術の腕前も。それに……魔女であること、翼を持っていることまで。
その人の名前はマーリン。そして……その人の本当の——魔女としての名前も、ドロシーだった」
「……その人とふたりは……」
一緒に旅をした仲間、強大な敵を前に協力した戦友。家族同然の親愛なる人。そして……心の拠り所。
マーリンさんの話を始めると、ミラはなんだか寂しそうな顔でキルケーさんに抱き着いた。
一番キツイのは間違いなくコイツ。
僕の記憶は無い。家族も……いない。
かつての旅で得た安らぐ場所は、もうマーリンさんの隣にしか残ってない。
そんな相手の変わり果てた姿を前にしたんだ、偽物だって信じ込むしか平静を保つ術は無かったのだろう。
「……俺は……その……っ。アレが……あの魔女が、もしかしたら本当にその人なんじゃないか……って、まだちょっと思ってます。
俺達よりも先に此処へ来て、けれど何かトラブルがあって。人格を——優しくて、時に厳しくて。いつだって誰かの為に頑張っていた気高い精神を失ってしまった……って」
「……そう……だったのね。成る程、ちょっとだけ納得したわ。
知らないから迂闊に近付いた……というだけならまだしも、どういうわけか逃げるそぶりも見せなかったんだもの。
怪しいと疑うことに躊躇は無かった、その決定打のおかげで。このふたりは、アイツのことを何か知っている可能性が高い……って」
でも、蓋を開けてみたら何も知らないんだけどさ。
ミラの言う通り、アイツはマーリンさんの偽物であるという可能性だってある、むしろそっちの方が高いだろう。
星見の巫女と魔術翁のふたり掛かりの召喚だ、そうそう失敗なんてしやしない。
僕達だってこれまで一度も不具合無く送り出して貰ってるわけだし。
そう考えれば……やはり、他人の空似……なのかなぁ。
「それじゃあ、目的は決まったわね。アギト、ミラ。力を貸して。ううん……力を貸すから、アイツをなんとかしましょう」
「……やっぱり、そうなりますよね……」
世界を救う。その終焉を食い止める。
もう……手遅れなのかもしれない。しれないけど、立ち向かわなかったらなんにもならない。
もし、ふたりが行けないような遠い地にまだ人々が暮らしていて。そして……僕達が逃げ隠れている間にも、紅蓮の魔女がそれを見つけ出したりなんかしたら……っ。
今いるこの地に起きているのが、分かりやすい世界の終焉の形——その縮図なのだとすれば、ここは今までに比べたら圧倒的に理解しやすい世界だということにもなるだろう。
やることはひとつ。人々を襲うあの魔女を食い止める。
「そうと決まれば……ふたりとも、その……ええと、マーリンという人の弱点とか知らないの?
アイツがそれにそっくりだっていうなら……見た目の話だけじゃないのなら。特徴が合致するなら、当然弱点だって……」
「え……ええっと……」
マーリン様に欠点なんてありません! と、そう力強く言い放ったのは、やっぱりキルケーさんの胸の中で蕩けているミラだった。
それじゃあ話が進まないんだよ、まったく。
ええっと……マーリンさんの弱点は…………お、女の人に耐性が無い…………ポンコツ…………意外と子供…………
「……思い当たる弱点は、どれも共有されてないのかもしれません。その……一応、女の人に耐性が無かったのと、男嫌いを自称してたんで……」
「……とっくに過ぎ去ったことだけど、先に男ばかりが殺された理由は判明した……ってことね」
弱点……最大の弱点であるミラを、何の容赦も無く焼き払ったんだ。
となったら……っ。弱点なんて、そんなものあるわけがない。
ただの間抜けなポンコツ魔導士じゃない、魔女ドロシーの力を最大解放している状態だ。
それは、魔王すらも押し留める程の力だったのだから……戦って倒す程の弱点なんて……
「——ひとつだけ——無くもないです——」
「……? ミラちゃん?」
さっき無いと言い切ったその口から、ミラは意外な程あっさりとそう言った。
そして、ミラは名残惜しそうにキルケーさんから離れ……歯を食い縛り、ナイフを抜いて真剣な顔でそれを告げる。
————私なら——倒せます————と。




