第百十四話【女の子、そして野郎】
「痛み、おさまった? ごめんなさい」
「い、いえ……元はと言えば俺が…………」
やっとのことで回復した僕に、ヘカーテさんは少しだけ申し訳無さそうな顔を向ける。
や、やめて…………っ。そんな顔されたら、さっきの僕の醜態が尚更際立ってしまう。
あまりにも無様、あまりにも空気の読めていない性欲の獣のような扱いになってしまう。
もう大丈夫。と、ゆっくり体を起こして態度で示すと、ヘカーテさんはまた子供っぽい笑顔を浮かべてくれた。
かわ…………かわわ…………っ。
「……アギトは治らないのね、怪我。人間みんなに与えられた力ってわけじゃなかったのね。それにしても……また大変なとこが腫れちゃったわね」
「あ、あはは……あははは……」
大変なとこ。ええ、大変なトコロです。
いかん、興奮してしまった。変態なオトコです、ええ。
しかし…………うん? どうにも様子が変だぞ?
なんと言うか…………マーリンさんとは違う、分かった上でからかってる様子じゃない。
ええっと……あれ? その…………男の子の…………男の子……っ。その……息子を…………ご存知でない……?
「そ、それにしても……なんだかスキンシップが過激ですね、キルケーさんは。いえその……ミラちゃんが元気になってくれそうなんで、ありがたい限りなんですけど……」
「ん、えへへ。こうやってギュってすると元気になるんだよ、ヘカーテも。だから、ミラちゃんにも泣き止んで貰おうと思って」
キルケーっ! と、慌てて大声を出したのは、なんだかちょっと……むふ……ちょっと百合の気配を感じさせたヘカーテさんだった。
むふ……そうかそうか、澄ました顔していつもそうやって……むにゅむにゅと甘えておるわけだな……?
よきかなよきかな……はあ、尊い。銀髪金眼の魔女っ子CP。
うふふ、この様子だとキルケー×ヘカーテかな? 主導権握ってる風で、実はべったりなツンデレさんなのかな?
うふふ……うふ……でゅふふ……じゅる。
「あっ。アギトもさ、怪我が痛いならやってあげようか? 別に治りはしないけど……いつもつらいことがあったら、ヘカーテも……」
「——だから——っ! ああもう……ちょっと静かにしなさい、バカ!」
大声出してるのはヘカーテだよ。と、ニコニコ笑ってキルケーさんは彼女の手を握った。
はあぁん…………もうあかん、この空間ヤバイ。
こう……今すぐ立ち去りたい。立ち去って、少し遠くに身を隠して観察したい。
当然録画もする、4Kだ4K、当然だろぉん⁈
HD保存は当然、クラウドにもUSBにも保存するし、DVD とBlu-rayの両方でダビングして置いておく。
三本ずつ。保存用、観賞用、そして鑑賞(意味深)用だ。
さて、ひとしきり興奮したところで……………………キルケーさんがなんだかにこにこ笑って僕を見てる。
え、その…………なんでしょう…………か…………
「ほら、アギトも。よしよーし……」
「——っっ⁈ の——わぁあ——っ⁉︎」
ぽんと頭を撫でられて、そしてミラを抱きかかえたまま、器用にも僕まで抱き締めようと腕を伸ばし………………どえぇえああああっ⁈
ダメだって! 倫理観! 貞操観念! 諸々どうなってんだ!
大急ぎで後退りすると、キルケーさんは不思議そうな顔で僕を見つめ出した。
な、なんて綺麗な眼をしてるんだ…………っ。
「えー、嫌? おっかしいなぁ。ミラちゃんはこうだし、ヘカーテだって……」
「だか——っ。ごほん。キルケー、あんまりはしゃがないの。もう、そんな観念もロクに残ってないけど。私達はまだ初対面なのよ。気安く距離を詰め過ぎるのは、昔からの悪い癖よ」
ちぇっ。と、キルケーさんは渋々腕を引っ込めて…………あっ、ああっ…………っ。
恥ずかしいから、倫理観的にヤバイからダメとは拒んだものの…………っ。いざやめられてみると…………そ、喪失感が凄い……っ。
せ、せっかくなら軽くギュってされてから拒めば良かった…………じゃなくて。
「そうですよ。その……若い男女があんまりベタベタとくっつくのは……そのー……」
「えー。ミラちゃんは良いのに、なんで?」
いや、だから……ミラちゃんはちいちゃい女の子でしょうがよ!
僕は! 男の子! 大体十六、七歳くらいの! 外見の! 三十路の男の子! って……うん?
「…………だんじょ……だん…………おとこ……? えっ、ええっ⁉︎」
「へ……? あ、はい……え? も、もしかして……俺のこと女の子だと……いやいや、まさかそんな……」
——男ぉお——っ⁈ と、ふたりして大きな声で驚いてしまった。驚かれて……しまった……っ。ぐすん。
そりゃ……まあ背はそう高くない。一応この中では一番大きいが、ヘカーテさんもキルケーさんも、僕とそう変わらないくらいだ。
だから、大体百六十と数センチって感じ。でへ……キルケーさんの方がちょっとだけ背低いんだね、ヘカーテさんより。
うふふ……小柄で巨乳な美少女に甘えるクール系ツンデレ美少女…………でゅふ……でゅふふ……コポォ。
「…………お——っ! お、おおおおおおと…………っ。おとこ…………男の子……っ⁈」
「は、はい……なんで、あんまり近付かれると……」
すごーい! と、また大きな声ではしゃいだのは、もうすっかりゲル状になったミラを更にその谷底へとねじ込んだキルケーさんだった。
おお……もう、ひとりでには帰ってこられぬ程深いところまで…………ではなく。
はい、何が凄いのでしょうか。
「凄い! 凄いね! ヘカーテ! 今日はきっと、失われた夜会の一日なんだよ! アイツに焼かれても無事な女の子、それに元気な男の子! 凄い凄い!」
「ま…………ま、まま待ちなさい、キルケーっ! ま、まままだ男と決まったわけじゃないわ。覚えてるでしょう、そういう人間もいた、って。
男だって言えば優遇して貰える、特別に扱って貰えると知って嘘をついた人間も」
え、こわ。何、この世界ってそんなに男尊女卑なの? はー、昨今の世界情勢からは考えられませんなぁ。
ジェンダー問題は…………アレだぞ? 下手なこと言うと…………もう、通知がえらいこっちゃの火の粉祭り超えて真冬の山火事みたいになるぞ?
なので……で、出来ればこの話題は早めにスルーな方向で……
「凄いね! アギト! どうやって今まで“生き残った”の⁉︎」
「…………ま、待ちなさいってば。いえ……その、別に男に限らず、まだ“人間が生きていた”ってだけで驚くことなんだけど……」
ふふふ、それはだなぁ………………はい? うん、ちょっとリピートして貰って良い?
ええと……どうやって今まで……生き残った……の?
まだ……人間が生きていただけで……驚………………えっ?
「え、ええっと……その、話が見えないんですけど……? な、なんだかおっかない話……して…………いやいや、してませんよねぇ⁈
そ、そんな……お、おおおお俺の勘違いですよね! すみません!
いやぁ、なんだかもう人間なんてみんな滅んじゃったみたいな言い方だから……」
「……? うん、そうだよ? もう、ここら一帯には人間なんていない…………筈だったんだけど。ねえ、本当にどこから来たの? ねえねえ、本当に男の子なの?」
ここら一帯に…………っ⁈
ちょ——ちょっと待った! それは……それはマズイ!
と言うか、それじゃあもう事後じゃないか!
僕達はその人間の滅びを回避する為に来てるのに——これじゃあ——っ!
「…………男の子には……ええっと…………」
「………………股に…………」
うん? はい? なんだろう、今凄く真剣な考えごとしたいんだけど。
したいんだけど…………とてつもないギャグ時空の匂いがする。
おかしい、どうしてだ。僕じゃシリアスムードは出せないってことか?
どういうわけか、目の前の美少女ふたりが僕のことを……僕の股間を凝視して……
「…………さっきの……っ! アギト! 見せなさい! ほら! 早く脱いで!」
「脱——っ⁈ ま——待って! そういうのはもっと段階を…………っ!」
キルケーさんはどうやら可動範囲の限界らしい。ミラの胴体を引きずるわけにはいかないから、大人しく引き下がってくれた。
のに! な、なんだ……この展開は……っ。
どういうわけか、僕はヘカーテさんにズボンを狙われているらしい……っ。
待って欲しい……それは……それはあんまり嬉しくない展開だぞ……?
痴女も好きです。でも……百合に竿役は要らねえんだわ。
「えっと……そうだよね。アギトもミラちゃんも、きっとアイツの目に付かない……それこそ、他に人なんていない場所で過ごしてたんだよね。だったら、いろいろ説明してあげなくっちゃ」
はい、説明下さい! ほら、説明タイム。説明タイムだから!
キルケーさんはミラをよしよしと撫でながら、なんだかのんびりした笑みを浮かべて僕達の行方を見守ろうとしている。
止めて。お願い、止めて。
この……っ。この、男の子の股間を睨み付けて突進を繰り返す美少女なんて地獄みたいな図式をなんとか壊して!
いや! やめて! らめぇ!
「うんと……まず、ここら一帯……飛んで行ける範囲には、もう人間はいない。いない筈だった。
そして……その中でも特に、人間の男は早い段階でアイツに殺されてる。
あたし達も話に聞いたことがあるってだけ、そのくらい昔の出来事だった……らしい」
「ほぉっ⁈ え、えっと……ひいっ⁉︎ ふ、ふたりが飛んで行ける範囲に……どえぇえっ⁈ もう……アイツが……やめてぇえっ⁉︎ 昔の…………お助けぇぇえっ⁉︎」
ちょっと——ッッッ‼︎ 話が入ってこないッッッ‼︎
キルケーさんが今すっげえ大事っぽい話してくれてるから! ステイ! ステイだヘカーテさん!
お願いだから、折角の百合ップルを破壊しないで!
折角の——折角のスーパー美少女同士の百合百合空間に野郎を引き込まないで!
美少女が野郎の股間めがけてタックルするなんて、そんな誰も得しないニッチな需要を満たしにいかないで‼︎
「ヘカーテってば、もう。これじゃあ話が出来ないよ。アギトには後で見せて貰うとして、ちゃんと説明してあげないと。
多分、アイツのこともちゃんと知らなかったんだと思うよ? それって……凄く危ないことだよ」
「っ。ご、ごほん。そうね、折角生き残ってくれていたのだから、これからも長く生き残って貰わないといけないものね」
よ、良かった……やっと追い掛けるのをやめ…………生き残った……?
え、ええっと……やっぱり話が見えない。
キルケーさんの話を纏めても、さっきと今のふたりの会話を照らし合わせてみても……
「……ええと……なんだか、既に人類滅亡した後……って感じに聞こえるけど……」
「ええ、その通りよ。さっきキルケーが言った通り。もう、人間なんていない。みんな、アイツに殺されたわ。あの、忌々しい紅蓮の魔女に……っ」
——紅蓮の魔女——ドロシーに——
ヘカーテさんは、さっきまでふざけていたとは思えない程険しい表情でその名を吐き捨てた。
どろ……しー……? そ、それは……その名前は……マーリンさんの……っ。
じゃ、じゃあ……さっきから言ってるアイツとか、紅蓮の魔女とか——人間を殺してたってのは————
「————あれは——マーリン様じゃない——っ!」
「うわわっ! ミラちゃん……?」
声高らかに、けれどこもった声で叫んだのは、未だに谷底でゲル状になっているミラだった。
元気に……なった……?
どうやら、その……キルケーさんの……谷底で頭を冷やしたらしく、さっきまで泣いていたのとは違う、勇者としての——星見の巫女に見出されたものとしての、威厳ある声…………を、出そうとしてたことは分かった。
ごめん、ミラ。真面目な話がしたいなら、まずはおっぱいから出てきてくれ。
「……話はなんとなく掴めました。アギトさん、決まりです。私達がここですべきことは、あの偽物を打倒すること——マーリン様の名前と顔と体と……もう、そこら中に泥を塗る不届きものを倒すことです!」
「…………ミラちゃん…………」
ごめん、マーリンさんに泥塗ってるのはお前も一緒なんだ。
仮にも星見の巫女に見出された天の勇者が、女の子の胸に挟まってデレデレになりながら演説してたんじゃ…………浮かばれねえよ……っ。
でも、ミラの言うことには得心がいった。言うことだけには。
アレは——ドロシーと呼ばれたあの魔女は、確かにマーリンさんを冒涜している。
あの破壊的なまでの魔術を、あの人は無辜の民に向けたりなんてしない。
たまに……ちょっと、加減を間違えて被害が出ることはあるけど。
にこにこ笑って抱き付いてきた子供を、容赦無く焼き払うなんて以ての外だ。
盟友フリードに痛いところを突かれて、完全詠唱の魔術で焼き滅ぼそうとしたことはあったけど。
あれ……? もしかして…………
「——やりましょう! アギトさん——っ! なんとしても、あの偽物を退治してこの世界を救うんです! マーリン様の名誉を守る為、マーリン様の信頼に応える為に——っっ!」
「お、おおー…………」
天の勇者、ミラ=ハークスはそう高らかに宣言した。キルケーさんのおっぱいに挟まれたまま。
誰よりも愛すべき仲間を、師を、その尊厳と名誉を守るのだと。
尊厳も名誉もクソも無い、だらしない格好でそう言った。
世界を救って来いというあの人の信頼に応えなければならないと、僕からの信頼を考え得る最高速度で失いながらそう言った。
ごめん、ミラ。頼むから、おっぱいから出てきてくれ。真面目な話をしてるんだよ、俺達は。




