第百十三話【魔女、そして魔女】
キルケー。と、その魔女は控えめな声でもうひとりの魔女を呼んだ。
呼んだ。しかし呼びつけたわけではない。
再会を祝しているのか、無事の帰還を喜んでいるのか。とにかく、どこか嬉しそうな表情で彼女の名を呼んだ。
そして……僕達を見て、ひどく重苦しい、悼むような表情に変わる。
「……っ。ごめんなさい、私がもう少し早く着いていれば……っ」
ヘカーテと呼ばれた魔女は——キルケーさんと同じ金の瞳を持つ魔女は、ミラの前に膝を突いてこうべを垂れた。
ごめんなさい。間に合わなかった。そう繰り返す姿は、どこかミラのそれにも似ている。
もうひとりの魔女とは違う、切れ長で大人びた眼。
けれど、小さな鼻や薄い唇、それに少し丸っこい頰。全体的に幼い印象を受ける彼女の顔の中で、その眼だけがチグハグなものに見える。
そして…………銀色の長い髪を首の辺りでふたつ縛りにして、大きな銀色の翼が動く度にサラサラと靡かせていた。
「……? あの……っ⁉︎ この子——」
そんなヘカーテさんが顔色を変えたのは、真っ赤に焼け爛れていたミラの顔が、綺麗な薄ピンク色に戻っていくのを目にした時だった。
信じ難いものを見ている——と言うよりも、理解し難い、理解してはならないものを————或いは脅威であるかもしれないものを前にして、危機感を覚えているって顔だ。
それはつまり……
「ま——待ってください! 俺達は怪しいものじゃ…………いや、怪しいものか……。で、でも! そうじゃなくて!」
ええい、この口下手め!
いかん、美女ふたりを前に…………き、緊張が凄い……っ。
興味津々って顔で覗き込んで…………その…………大きなものを顔の横でプルプルさせてるキルケーさんと、それからまだ懐疑の目を…………ちょっとだけ冷たい、睨むような目付きで見つめてくるヘカーテさんに囲まれて…………ご、ご褒美です……じゃなくて! し、心臓が…………っ。
「————ぅ——あぅ……」
「——っ! ミラちゃん! しっかりして! ミラちゃん!」
そんな中、ミラはまだ完全に治癒しきっていない体で目を覚ました。
まだ焦げ付いて動かす度に裂けて血が滲む唇を、ゆっくりゆっくりと動かして……
「————あ——ぎと——さん————」
「——っ。うん、俺だよ。ちゃんとここにいるよ。ちゃんと……ちゃんと無事に……っ」
くっ着いていた瞼が治癒して、そしてその綺麗な翡翠色の瞳を僕に向ける。
切れていた唇も綺麗になって、ミラの体はやがて完全治癒を迎えた。
相変わらずのトンデモ能力だし、苦しそうなところを見てると吐きそうなくらいつらいけど…………でも、やっぱり無事に治ってくれるのは凄く嬉しい。
まだどこか意識が朦朧としているミラの頬を撫で、気付くと僕は涙を流していた。
「…………トンデモない人間がいたものだね。ねえ、ヘカーテ。もしかしたらさ、アイツの所為で変な進化を遂げた……ってことは無いかな?」
「……考えたくないわね。だとしたら……なんなの。アレは——アレが、人間をより高い次元に進化させる為の試練だったとでも言うの……っ」
そうは言わないけど……と、なんだかちょっとだけ揉めてる様子なのは、まだ僕達を怪しんでいるヘカーテさんと、そしてそんな彼女を宥めようとするキルケーさんだった。
ふぐっ……ど、どっちもマジもんで美人だ。涙で霞んだ視界の中でも、キラキラ超えてギラギラ輝いて見える。
「……一応、自己紹介のようなことをして貰っても良いかしら。助けられなかった立場で…………助けられなかったと思っていた立場でこんなことを言うのもなんだけど。貴方達、ちょっと不審過ぎるわ」
「ちょ、ちょっとヘカーテっ! まあ……怪しいのは怪しいけどさぁ……」
自己紹介……ですか。
ある意味当たり前の要求に、なんだか今更になって自分達の置かれた状況を理解する。
僕達は全く知らない場所——まるで違う異世界にやってきている。
今までの世界だと……割と……ミラの愛嬌と人懐っこさで簡単に取り入って来たけど、ここへ来て初めて不審であるとツッコミを受けてしまった。
いや、エヴァンスさんにもかなり疑われてた気がするけどもだ。
でも……ある意味では初めての経験だろうか。こう、異世界からやって来たものとして、世界から浮いていると見られたというのは。
「え、えっと……俺はアギトって言います。ええっと…………えーと………………こ、こっちはミラちゃん! 小さくて可愛らしい、俺の妹……妹弟子です」
なんの自己紹介も出来ていない。なんの自己紹介にもなってないですよ。
さっきまで友好的な態度だったキルケーさんまで不信感を募らせ始めて、ちょっとだけ…………いえ、かなり。かなり……やばい雰囲気になってしまった……っ。
で、でも……異世界から来た。なんて……どう説明したら……
「————マーリン——さま————」
「——ミラちゃん……?」
しどろもどろになった僕を、意図せず——それも、随分無理矢理な形で救ったのはミラだった。ミラであってしまった。
マーリン様——と、うわごとのように繰り返すと、すぐに大きな目一杯に涙を浮かべて……
「————ぅえ——っ——ひっぐ————」
何度も何度も肩を震わせて、子供みたいに泣き出してしまった。
何かに憤り、正義感から流した涙ではない。いつも見せる、優しい心が故の涙ではなかった。
嫌だ——。と、大き過ぎる感情に振り回されて、心の制御がまるで効かなくなってしまったみたいだ。
ぼろぼろと止め処なく溢れる涙を拭いもせず、ミラはわんわん泣き続けた。
僕がどれだけ宥めても、その傷は癒えることなどない。
当然だ、だって…………っ。
「…………ミラ……ちゃん……っ」
ミラにとってその人は、他の誰よりも強い憧れの対象だった。
他の誰よりも尊敬し、敬愛し、そして親愛を向けた相手だった。
物語の登場人物として、権力者として、指導者として、師として。
道連れとして、引率者として、仲間として、友として。
あらゆる間柄を————ずっと求めていた他人との繋がりの、その殆どを埋めてくれたかけがえのない人として。
マーリンさんは、どんな時でもミラの心を支えていてくれた。
僕との思い出が無いのだから、あの頃以上に欠かせない繋がりなのだ。それが…………っ。
「…………っ。やめよう、ヘカーテ。こんなの……こんな子供に……っ」
「あっ、ちょっとキルケーっ!」
もう……おしまいかもしれない。
今回の旅——召喚は、ここで道が潰えてしまったかもしれない。
本気でそう思ったし、正直僕の方も心が折れそうだった。
ミラも、今度ばかりは流石に立ち直れないだろう……って。
そんな時、またふたりの魔女の会話が耳に入った。
ふと顔を上げると、とても切なげな顔でミラを見ているキルケーさんの姿が目に入った。
そして、彼女はそのまま腕を伸ばし——
「……よしよし。怖かったね、つらかったね。ごめんね、遅くなって。大丈夫だからね」
「…………はあ。しょうがないわね、本当に」
ミラをぎゅっと抱き締め……………………むぎゅっと………………もにゅっと………………ッッッ‼︎
愛おしげに頭を撫でて、そして…………その……頭が…………っ。
ミラの頭より大きいとまでは言わないけどさ…………その…………で、でけぇ…………っ!
とんでもない質量の…………こう…………円周率…………っ。
やわやわなもちもちに、ミラの顔を押し込んで包み込んだ。
包み込まれて…………すっぽりと包み込まれてしまった…………っ。
「……威嚇してごめんなさい。私はヘカーテ。そっちはキルケー。お互いロクに紹介する自己も無い……って、そういうことで手を打ちましょう。今は何より、生存を喜ぶべきだわ」
「は、はい。ええと……よろしくおねがいします……?」
うん、よろしく。と、ヘカーテさんは目をキュッと細めて、さっき感じた大人びた印象を全部取っ払って無邪気な笑顔を見せた。
あ、あかん。落ちた。かんっぜんにオチました。かわええ…………天使や…………っ。
「そっちってなんだよー、もう。ごほん。こっちのあたしはキルケーだよ、よろしくね。えーと……アギト? 変わった名前だね。この子がミラちゃん……だったよね。よろしくねー、ミラちゃん」
よ、よろしくおねが…………きゅんっ。
い、いかん……こっちも…………こっちもかわええ…………っ。
ボーイッシュな顔、ボーイッシュさなんて軽々蹴散らす豊満な…………その…………ね。
そして、ヘカーテさんとはまた違った、天真爛漫な笑顔が…………ま、まぶしいいっ!
い、いかん……美少女が……美少女がこんなに…………っ。
「それにしても不思議だね、ミラちゃんは。あんな火傷、助かりっこないのに。なのに…………わわっ。えへへ、くすぐったいぞ。ふふ……こんなに元気になって」
「元気…………ッッッ⁉︎ ちょ——ミラちゃんっ!」
元気も元気……っ。
ミラは…………その、マーリンさんよりも大きくてたわわで…………多分、重さも段違いな…………それを…………っ。
全力で堪能すべく、両手で鷲掴みにして下から上へ、外から内——自分の顔へと押し付けるように揉みしだいていた。
コイツ…………っ。さっきまであんなに泣いてたくせに、おっぱいひとつ…………あ、いや。ふたつでけろっと立ち直りやがった……っ。
まさかとは思うけど、マーリンさんの代わりを見つけたからヨシ……だなんて腹じゃないだろうな……?
「そ、それにしても…………ごくり…………っ」
「ふふふ……あははっ、くすぐったいって! えへへ……ん、うん? どうかしたの、アギト?」
で…………でけえってもんじゃねえな……ごくっ。
どうかしたの? なんて不思議そうな顔を向けられても、全く目を逸らせられない。
引力が……質量に比例して引力が大きくなってしまっている……っ。
僕まで釘付けになって……その…………キルケーさんの…………を、ガン見していると、ヘカーテさんが不思議そうな顔で僕のことをジロジロ見始めたのが分かった。
視界の端で動いてるなー……くらいに。
だ、だって……っ。ピントは今もなお揉まれ続けている……その…………それらに…………っ!
「…………? アギト、貴方変よ? なんだか……」
「…………へぇっ⁈ へ、へへへへへ変じゃないですよっ⁉︎ む、むしろこうなるのは普通と言うか…………」
お、おおおおお男の子だったら当然こうなるでしょうがっっ!
と言うか……おや? 普通、これだけ…………その…………一部を……あんまり見ちゃいけない気がする一部分をガン見してたら、ドン引きされて嫌われそうなものだけど……?
何故だかふたりにそんな気配は無い。
全然気にしてない様子で、むしろ揉まれてるのすらじゃれあいとして認識してそうなキルケーさん。
それに……あんまり見えないけど、不思議そうに僕を観察しているヘカーテさん。
こ、これはもしや…………もしや、この世界ではおっぱいを揉むのが当たり前のスキンシップなのでは————ッッッッ‼︎
な、なんて羨まし…………けしからん! そ、そんな破廉恥な理想郷があってたまるか! ここはまるで楽園じゃないか!
なんとかして取り入…………取り締まらなければ! このままでは風紀が、世界の風紀が乱れてしまう!
さあ、その為にはまず潜乳……ごほん。潜入捜査からだろう。
てなわけで……ぼ、ぼぼぼ僕もその大きなもちもちに…………ッッッ‼︎
「…………? なにこれ?」
「ゑ——————ッッッッ⁈」
ぺちん。と、それは決して攻撃の意図があったわけではなかった。
なかったが…………それでも、意図されていない強い攻撃性を孕んでしまっていた。
ヘカーテさんの無邪気で無垢で、そして無遠慮で無配慮なデコピンが…………っ。
無様にも…………そう…………こう……大きいのを見て…………張り合って大きくなってしまっていた……うん。襲い掛かって…………っっ。
恥ずかしさと、そして焼けるような痛みに、僕は美女ふたりの前でこうべを垂れてうずくまる羽目になった。
くっ…………ご、ご褒美で…………は、ないです……っ。




