第七十四話
「それじゃおやすみ。明日も早いし夜更かししない事」
まったく、誰の所為で。僕らは結局、路銀を稼ぐ手段の一つも思いつかぬまま夜を迎えた。どこか人手が足りていないところで働く、というにも就労経験一日の僕と擬似市長をしていただけのミラでは果たして雇って貰えるのだろうか。それに、僕らは余所者だ。アーヴィンが難民に優しい、という事はつまり逆も然り。この疲弊した村で僕らに働き口などあるだろうか。いかん……悪いイメージばかりが浮かんで……
「……っ⁈︎ なっ……ミラっ⁉︎」
余計な考え事に没頭していると、布団の中に少女が潜り込んできた。なんだこれは、恒例行事化させるつもりか? 別に僕は構わないが、やはり彼女も年頃の娘なわけだし、ここは心を鬼にして……僕は一向に構わないがっ!
「……んん……んー…………」
「ミラ……? おーい、ミラさーん? 寝ぼけてらっしゃる?」
寝ぼけてるか、そうか。じゃあしょうがないな。とは問屋がおろさない。普段より幾分か振りほどきやすい力無くしがみつく腕を引き剥がして、僕は紳士的に彼女をもう一方の布団に運ぶ。ほらもう……お腹出てるから。ちゃんとしなさい、女の子でしょう。もう。
「……妹っていうよりもう娘だな。ほら、ちゃんと布団被って」
優しくてスタイルの良い歳上のお姉さん(歳下)なお嫁さん募集。今なら元気な魔術師系ひとり娘も付いてます、なんて。余計な事を考えるのはよそう。今は明日のために体を休めて……
鳥の鳴く声では無く、勿論電子音でも無く人の声に目を覚ました。そう言えば下はお役所だったっけ。起こされなかったという事は、彼女はまだ夢の中なのだろう。そろそろ起きて貰わなければ。僕は背中に感じる子供の体温にそう決心した。もしかしてそこ、定位置になってます……?
「ほら、ミラ。起きて……くそ……手が……手が届かん……」
なんでも良いから彼女を起こそうと、唯一手で触れられる少女の腕を叩いた。後頭部の辺りでもぞもぞと動く感じはあるのだが、一向に起きる気配は無い。一昨日もそうだったが、ちょっと朝に弱過ぎやしないだろうか。モーニングコールも遠い昔のことの様だ。
「起きて……ちょっ! 苦しい苦しい! ほら起きてってば」
「……うん分かってる…………もう起きた…………から……」
半分寝言の様に彼女はそう答えた。ダメだ、これはしばらく起きない。だが部屋のチェックアウトもある。と、思う。朝ごはんも食べなくちゃ……ああ、これからのご飯を食べる為のお金も稼がなくっちゃ。仕方ない…………多少の恥は忍んで……
「よっ……ほっ…………よし、いけそうだな」
ミラは幸いがっしり掴まっている。この際起きて貰う方が楽だから別に気にする必要も無いのだが、変に起こして機嫌を損ねるのも事だ。ゆっくり慎重に、彼女をおぶったまま立ち上がる。多分、この先も何度かこういう機会はあるだろうし……
「さて、荷物はこれで全部かな。しかし本当に荷物少ないな……こんな小さいバッグに何入れてんだ……」
いつも腰に着けている小さなポーチの中身が気になったが、流石に女の子の私物を漁る勇気は無い。とりあえず朝ごはんを食べようと、忘れ物の確認をしっかりして僕は部屋を後にした。出来ればそろそろ起きて欲しい。
「すいません。すいませーん」
僕はフロント……もとい役所の受付で教えて貰った飯屋に来ていた。少し早かっただろうか。そして手持ちは足りるだろうか。不安は募る一方だが今日一日の活力の為だ。昨日のように豪華絢爛ご馳走食べ放題とはいかなくとも、朝食はしっかりと摂ろう。彼女の魔力体力の為にも。
「はいはい、いらっしゃい。どうぞ中へ、お一人……いや、お二人さんごあんなーい」
中から顔を出したのは、元気と恰幅の良い女性だった。案内された席に座り、匂いでも嗅げば起きるだろうととりあえず二人分のパンとシチューを注文する。シチューは安い。アーヴィンで得た知識の一つだ。
「…………ん……? アギト……?」
少し待つと料理より先にミラが目を覚ました。もぞもぞと起き上がって不思議そうに辺りを見回して……ああ、説明しなくちゃいけない。えっと……と、声をかけようとした時、さっきのおばちゃんとは別のこれまた元気のいい若いお兄さんが、クリーム……? シチューと大きなパンを四つ運んで来た。
「……おはよう、ミラ。とりあえず朝ごは…………ミラ?」
振り返ると顔を青くしたミラがテーブルを……いや、シチューをじっと見ていた。なんだろう……あ、もしかして人参が苦手とか? それともブロッコリー?
「…………お、起こしてよ……そして相談してよ……」
「起こしたよ、何回も。相談って……やっぱり人参嫌いだった?」
彼女は首を横に振って、僕から降りて向かい側に座りなおした。そして覚悟を決めたようにシチューをひと睨みしてブロッコリーを頬張った。やはりブロッコリーか?
「……アギト、ごめん。アンタなりに考えての事だったのよね、色々」
「え……うん。色々」
食べ始めれば何のことは無い。ブロッコリーは食べず嫌いだったのか、それから一度として嫌そうな顔は見せずにシチューを平らげて彼女は口を開いた。
「…………頑張りましょう。生きて王都へ。いえ、アーヴィンへ帰るのよ」
「……うん。うん? ミラ……?」
もしかして牛乳? 好き嫌いしてると背も胸も小さいままだぞ? おや? どうしたんだい、お財布なんて気にして。お金ならまだそこそこ……
「…………多分、今日のお昼は抜きね」
「……え?」
お会計後、ミラの薄い財布はすっかりからっけつになってしまった。残りは銀貨三枚。アーヴィン価格でパン三つ。いつもの店が安すぎて、僕の感覚が間違ったまま育ってしまっていたのだろうか。大きい銀貨二枚を持っていかれて……
「……アギト。牛乳って、牛って草を食べるのよ」
「…………気が回りませんでした」
アーヴィンにはいくらでもあった農場も牛舎も、辺りには見当たらない。枯れた地に根差す植物が無いのだ。牛乳も野菜も、パンを作る小麦粉すらもこの村では貴重品。シチューを注文した僕は、きっと金持ちのボンボンに映っていた事だろう。
「いいわ、いっそ気が引き締まった。さあ、行くわよ。今日の目標は、お昼ご飯ともう一宿泊まれるだけのお金を稼ぐ事!」
「お、おーっ!」
なんて悲しい、ひもじい決意だろう。僕らはそれを胸に抱いて、村を歩き回って働き口がないかと聞いて回った。しかし……というか、やはり。余所者に与える仕事も金も無いのだろう。どこに行ってもいい返事は貰えず……くっ、兄さん! 助けて兄さん! 僕に……僕にアルバイト先を‼︎
「……こうなったら…………やるしか無いわね」
「……ミラ? やるって何を?」
はあ。と、ため息ひとつに腹を括って、ミラは僕の手を引いてまた役所へと戻って行った。まさか強盗……? ミラ! それはマズイ! ここへ来て本当に投獄ルートはマズイ‼︎
「はい……おや、昨日の。どうなさいました?」
随分怖い顔をした少女にも丁寧な対応をしてくれる役員さんに心が痛む。お願いだミラ、気をしっかり持って! そんなのダメだよ!
「…………依頼の受注って、ここで大丈夫ですか?」
「……へ? クエスト? ミラさん?」
聴き慣れてはいけないであろう言葉を耳にした。クエスト、というとゲームなんかでよく見るあの……?
「はい、ここで受け付けてますが……その。ここは土地柄もあって遠征の、それも危険な依頼ばかり舞い込んで来ます。それでも大丈夫ですか……?」
「はい、大丈夫です。わた…………コイツ、強いんで」
ミラはそう言って僕の胸を拳で軽く叩いた。え……? 僕……? っていうか危険なって…………?
「…………分かりました。では掲示板を見て用紙に記入をお願いします。くれぐれもご無理はなさらない様に」
そう言って不安げな目で僕を見ながら、受付のお役人はヨレた紙を一枚ミラに渡した。掲示板……? 危険とか無理とか……一体僕は何をさせられるんです……?
「あの……ミラ…………?」
「……いい? これからの私達の職業は、市長でも秘書でも無い。二人組の“冒険者”よ!」
冒険者。なんだったか、聞いた事がある様な無い様な。いや、聞いた事はある。うん、つまり……?
「やるわよ! 魔獣退治!」
「……マジっすか…………?」
アギトは無職から冒険者へジョブチェンジした。俺達の冒険はこれからだ——