第百十一話【邂逅】
夜になると、ミラはマグルさんと一緒にまた王宮へと戻って行った。
どうやら、前回同様こっちとあっちで別々に召喚術式を起動するらしい。
まあ……マグルさんの腕は間違いないし、それに王宮にはマーリンさんが準備した工房や陣が存在する。
今回は更に補助術式も組み込んで、より安定した魔力の供給を…………とかなんとか、難しい話をしていたし。不安らしい不安は無い、一応。
「…………うん、術式完了。行ってらっしゃい」
「相変わらず…………はあ。もう突っ込むだけ無駄だな……これ……」
そうやって色々と状況が変わったにも関わらず、マーリンさんはいつも通りインチキくさい無詠唱の術式展開を披露してみせる。
いえ、披露もクソも気付いたら終わってたんですが。
でも……うん、その意味不明さ、理解し難さが頼もしい。
前回はそれで三十日以上もの猶予を貰ったんだ。今回はちょっとだけ短くなるかもとは言ってたけど、何か不具合が起きたりするって不安はこれっぽっちも湧いてこない。
なんたって、マーリンさんに召喚して貰うのはこれで五回目だ。
アイリーンの所へ行った時、それにアーヴィンへの再召喚。ミラと共に旅をしたふたつの世界。
そのどれにおいても、身体や心に不調をきたしたことは無い。
それどころか、適応の為のバフすら掛けて貰ってるくらいで……
「……眠れそうにないかい? 子守唄でも歌ってあげようか」
「いやいや、いったい幾つだと思ってるんですか……」
僕からしたら可愛い子供みたいなものだよ。と、マーリンさんが優しく笑うもんだから…………ママ…………マーリンママ…………はっ⁉︎ 殺気っ⁈ なんでよ! 自分で子供とか言ったくせに!
お姉さんであることへのこだわりはなんなんだ、ママの何が悪いんだ。最高じゃないか、銀髪青眼ロリ巨乳ボクっ娘ママ。
「……おやすみ。君達の旅路に、きっと多くの幸あらんことを」
何それ、初めてそんなの言われた。
そんな優しい祈りはまるで関係無く、ぽんぽんとお腹を優しく撫でられて…………僕のまぶたは…………意識は…………急速に————
————また、沈んでいく————
深い深い、暗い海の底。
泳ぐことなんて出来ない魔力に満ちた水底に、また僕はやって来た。
ゆっくりゆっくりと身体は進み、そして片翼の大魔導士が僕の進む先を示してくれる。
大丈夫、もうすっかり慣れたことだ。
「————今度こそ——っ。必ず、やり遂げてみせますから——っ!」
顔も見えない女性の姿が、優しく微笑んだ気がした。
僕はそれに拳を突き出して、必ず成果を持ち帰るのだと約束する。
それが本人に届くものかは分からなくても、僕の心はそうすることで高いモチベーションを保てる気がするから。
「————そうだ——今度こそ————今度こそ——っ!」
——やるぞ——バカアギト————っ! そう呟いて、そしていつも通り光の射す水面へと顔を向ける。
身体が浮いていく感覚が——浮力が、引力が強くなっていくのが分かる。
このまま流れに任せて浮き上がり、そしてその先でミラと合流する。
どんな世界であろうとも、僕達ふたりに出来ないことは無い。
信じろ、マーリンさんを。
信じろ——かつて世界を救った仲間達の背中を————っ。
「————待ってろ——ミラ——っ!」
——ぐんっ——と、身体は重りを外されたみたいに急浮上し始める。
そしてまた、いつものように水面に————その向こうの世界へと精神を——————
————契約————
「————っ!」
それは、顔がまだ水の中に沈んでいる——浮かび上がる直前のことだった。
聞こえて来たのは、どこか覚えのある言霊だった。
そして————
「————マーリン——さん——」
僕の身体は——いいや、僕はしっかり水面近くにいる、とっくに浮上し切ってしまえる。
けれど——周りの景色は、まるで水底の更に底————光の届かぬ深海へと引き摺り込まれたかのように暗くなって——————
——びくん——っ。と、身体が小さく跳ねて、そして僕の意識は覚醒した。
身体は…………無事……本当に無事か⁉︎
手を見ても、足を見ても、シャツをめくってお腹を見ても、パンツを引っ張って………………これさ、もしかして……サイズとか全部マーリンさんに知られてんのかな……? じゃなくて!
「……とりあえず……普通の人間の……アギトのままやってきたな……」
身体に異常は無し。
顔面がめちゃめちゃ変わってた……とかなら、ちょっと鏡見ないと分からない。
でも、とりあえず動くのには不都合しなさそうだ。
ダブルアクセルは…………うん、しっかり無理。
そこらに落ちていた石を拾い上げてぎゅっぎゅっと握り込んでも、それがぐしゃっと砕けるようなことはない。
力の入り具合にも変化は無し、本当にニュートラルな感じでやって来たんだな、今回は。
「っとと、ミラはどこだ。またちょっと時差があったりするのかな……」
とりあえずは最強の仲間を探さないと。
RPGにおいて、まさか初期に仲間になるキャラが最強の一角だなんて、ゲームバランスもクソも無いよな。
しかもちっちゃくて可愛い、おまけに人懐っこくて戦闘以外でも役に立つスキルをたくさん備えている。
人権キャラである、完全に。
「——アギトさんっ! 今回はワンちゃんになってませんね、えへへ」
「あはは……うん、ミラちゃんも。耳を気にせず魔術が使えそうだね」
キョロキョロと辺りを窺うよりも前に、元気一杯な妹の声が聞こえた。
振り向けば、そこには僕同様普通の人間の姿のままのミラがいた。
どうしよう、猫耳ミラちゃん略してネコミミラがちょっとだけ恋しい。
けど、それは寧ろミラの方が強く思っていることだろう。
もふもふ犬ベッドがどれだけ恋しいのだろうな、露骨に寂しそうな顔でしょんぼりされてしまっているよ。泣くぞ、こら。
「とりあえず、人里を探すところからですね。前回の反省を活かして、今回は手際よく調べていきましょう」
「うん、そうだね。とりあえずは……人里…………」
自分の状態を確認、ヨシ。ミラと合流、ヨシ。じゃあ次は状況の確認だ。
やっとのことで目を向けた自分の周囲は、残念ながら気分の良い草原の真っ只中という感じではなかった。
なんだか気分も落ち込んでしまう、枯れ木だらけのくらーい山中に召喚されたらしい。
しかも空はじっとりと曇っていて、太陽の光は殆ど射し込んでいない。
くらーい、くらーい…………どんよりってそこら中に書いてありそうな程薄暗くて、気味が悪い場所だ。
「…………っ。アギトさん、気を付けてください。いいえ……気を付け続けてください。この林……変です」
「変…………変? まあ確かに……薄暗いと言うか……変に重苦しい雰囲気と言うか……」
おや、睨まれてしまった。何が変なんだよぅ、僕にも分かる様に説明しておくれよぅ。
キョロキョロと周囲を見回すミラにせがむと、なんだか険しい表情で袖を引っ張られた。
もっと近付いて、周囲に気を配って。と、そう言いたいらしい。
「……魔力痕です。この林——いえ、ここら一帯を満たす空気にすら、幾重にも重ね塗りされた魔力痕が見られます。
クリフィアのそれと比べても、量も密度も……それに、精度も強度もケタ違いです。恐らくですが、この世界は……」
「…………魔術の発展した世界……ってこと……?」
ミラはこくんと頷くと、すぐに僕から離れてナイフに手を掛けた。
いつどこから襲われるか分からない。小さな背中の張り詰めた緊張感は、僕にそう強く訴えかけているみたいだった。
しかし……魔術の発展した世界……か……
「…………揺蕩う雷霆! えーと……燃え盛る紫陽花! うーん…………無理か……」
「……? ああ、成る程。この世界なら……魔術の発展した世界であれば、適応によってアギトさんにも魔術が使えるようになってるかもしれませんね」
ワンチャン! って、思ったんだけど……はあ。
残念ながら、言霊を唱えても魔術は発動してくれない。と言うか、そういうものじゃないんだっけ。
魔力を練り上げる、必要な属性に変換する、それを術式に組み込み、言霊や陣を介して発動する。
まず、魔力の練り方を知らない。
属性に変換って言われても……変電器的なもの、あるんですか?
術式ってのは……ねえ。
言霊は知ってますぅー、よく聞くし使ったこともありますぅー。はい。
「……落ち着いたらちょっとだけレクチャーして欲しいな。使えたらいくらか楽になるだろうし」
「はいっ。マーリン様に教えを頂いているわけですし、式や用法には造詣が深いですもんね。私で良ければ、いくらでも」
うん、実戦での使用法は飽きる程目に焼き付けてるからね。
まあ…………それと使いこなせるかは話も変わってくるんだろうけど。
それにしたって、到着早々ちょっとだけポジティブなイベント来たな。
良い流れだ、このままのペースでチェックポイントまで……
「…………っ! 誰か——いえ、何か来ます。アギトさん、下がって」
「っ! ごめん、いつもいつも」
任せて下さい。と、そう言ってナイフを構えたミラの背中に隠れ、僕は彼女の睨む先をジッと見つめる。
うう……やっぱり犬枕に戻りたい、全部頼りっきりなのは苦しいよ。だけど……っ。
今は泣き言よりも安全優先だ。僕が気を抜いてピンチになれば、それはイコールでミラにも危険が襲い掛かるって意味でもある。
しっかり気を張って……その上で、ミラが意識を向けていない方向をケアしてやるんだ。
「…………人…………? いえ……この匂い……どこかで…………っ!」
「匂い……? ああもう……しっかりへなちょこに戻ってる……っ」
鼻もやっぱりダメだ、全然強化されてない。
がっくり肩を落とす僕を他所に、ミラは構えを解いてナイフをしまい込んだ。
ってことは……危険は去った? それとも……
「————マーリン様——」
「——え——っ?」
マーリン……さま…………?
ミラは確かにそう言った。
そして、嬉しそうに頬を緩ませて、睨んでいた方向へと走り出す。
僕が遅れない程度に、それでもその中で出せる最高速で。
マーリンさん……っ⁈ いや、だって……だってマーリンさんは…………
「——マーリン様——っ!」
「待ってミラちゃ————っ!」
ミラの後を追い掛けて行くと、確かにそこには人影が見えた。
だんだん近付くにつれて、それはハッキリとした形になっていって…………っ。
銀色の髪。それに、瑠璃色の綺麗な瞳。
見間違える筈の無い、儚げで綺麗な顔。
白く細い腕に、女性的で柔らかそうな身体。
そして————銀色の双翼————
「——ホントに——マーリンさん————っ! マーリンさんっ!」
そこにいたのは、紛れもなくマーリンさんだった。
まだどこかぽけっと意識が抜けているような雰囲気で、僕達のことには気付いていなさそうだ。だけど…………
「——マーリン様! えへへ、一緒にいらっしゃるならそうと言って頂ければ……えへへ」
ミラが嬉しそうな顔で抱き着くと、ようやくこちらに顔を向けて…………?
まだ、ぼうっと……どこも見ていないような目で、こっちの方を向いている。
まだどこにも焦点が合わさっていないみたいで…………ああ、成る程。
前回のミラがそうだったみたいに、まだ召喚が完了してないんだ。
でも、それもすぐに済む。
ちょっとすると、ぎゅうぅっと抱き着いているミラに意識を向けて…………
「————っ! ミラ————ッッ‼︎」
————轟——ッ。と、真紅の炎がミラの体を包み込んだ。
焼かれ、そして爆発によって吹き飛ばされて——っ。
今——何が——何が起きている——
僕の目の前で————何が起こったってんだ————っ!
「——ミラぁあ——っ!」
どすんと墜落して、そしてそのまま転げて木にぶつかると、火だるまはそこで轟々と燃え盛り続けた。
何が————っ。
何がなんでも良い! ミラがやばい!
攻撃された………? いったいどこから、誰に——っ⁈
とにかく火を消さないと——と、僕は大慌てでシャツを脱いでバタバタとミラの体を叩き始める。
ダメだ……こんなんじゃ消えない……っ。
「——マーリンさん! 早く起きて! ミラが——このままじゃミラが————? マーリン——さん————?」
——助けて————っ! ただその一心で縋るようにその人の方を振り向けば、もうとっくに焦点をこちらへと合わせているのが分かった。
ただ——分からないこともあった。
その髪も、瞳も。鼻も、唇も——胸も、足も——こちらに向けている手のひらさえも——全部、紛れもなくマーリンさんのものなのに————っ!
その意識だけが——その意識と——“魔女であると見せつけるような一対の大翼”だけが——まるであの人じゃないみたいで——————
「————っ」
————やられる————っ。
マーリンさんという親しんだ相手への安堵と、そしてそれが変貌してしまったことへの恐怖に、僕の体は指一本動かなくなってしまっていた。
動かなくなっていた僕に向けて、再び何か————良くない感情が向けられたのが分かった瞬間、マーリンさんの足下から植物のツルがその喉を目掛けて襲い掛かった。
「——マーリンさん——っ!」
すると、マーリンさんは表情ひとつ変えずにそれを焼き払い——そして、僕達には一瞥もくれず、はるか上空を睨み付ける。
その視線の先には————僕達の前に降り立ったのは、銀の髪と翼を持った、別なる魔女だった。




