第百九話【此処に残るもの・後】
ひとしきり泣いた僕に、マーリンさんはもっとお話を聞かせておくれとせがんだ。
報告ではない、僕達の歩いた道程の、その思い出を聞かせて欲しい、と。
嫌なこと、つらいことも沢山あったかもしれない。
とても、良い最期だったとは言い難いかもしれない。
けれど、その中にもあった筈の美しい物語を聞かせて欲しい。
マーリンさんはニコニコ笑ってそう言った。
「……楽しかったこと……はい、いっぱいありました。この間とは違って、いろんな街でいろんな人と仲良くなりましたから」
「うん、そういう話をしておくれよ。君を泣かせることばかりじゃ、僕だって疲れ損だろう? 報われる話をして欲しいんだ」
報われる……か。
それは……マーリンさんが? それとも……と、そんな無粋なことは問うまい。
言われるがままに、僕はその旅路の思い出を語る。
いつもよりずっと強くなった肉体の、その実用度の高さの話。
強化魔術を掛けて貰ってもすんなり動けたって喜びの話。
魔獣なんていない平和な山の話。
それに……大切な友達の話。
「報告でもあげたんですけど、彼は泥棒をしたって勘違いされてしまって。それで、街から出て行くハメになったところを……ミラが……半ば脅しみたいな形でひき込みまして……」
「あはは……脅しか。らしくないと言うべきか……はたまた……」
ある意味では、最もミラらしい選択肢を取った気もする。
行くアテが無いのだから、自分達と行動を共にせざるを得ない。
故に、断られる心配を無視して事情を打ち明けてしまう。
打ち明けたか打ち明けてないかの大き過ぎる差はあれど、僕がアーヴィンで拾われた時とやり口は全く同じだ。
覚えてなくても、行動は似通ってくるもんなんだね。
「どの街も、この世界とそう変わらない……いえ、王都は別ですけど。アーヴィンやフルトみたいな田舎町……特に農業が主体の街とは大体一緒でしたね。
ボルツやキリエみたいな大きな街と比べると……行った中でも一番大きな街でならなんとか、って感じで」
「ふーむ……なんとなく予想してたことだけどさ、あんまり文明レベルの掛け離れたところへは飛ばないのかもね。
ああ、いや。ひとつ目は古代……原初に等しい程だったから、掛け離れて進んだ世界へ……が、より正しい表現だろうか」
あ、それはミラも予想してました。そう言うとマーリンさんは、あの子は流石だよねぇ。なんて、ほんわかした顔で目を細めた。
うん、流石。大体同じ結論に至るあたり、僕がいなくなった後どれだけふたりが一緒に過ごしていたのかよく分かる。
「……三つ目の街……ここも、凄く良い場所でした。温泉の匂いがしたんで、お風呂に入れるかな……なんて思ってたんですけど、無くって。その所為で……ミラの機嫌を損ねちゃって……」
「温泉……そんなのも君は知ってるんだね。いや、元の世界では結構普通のものだったってことかな? この国じゃ殆ど存在しないし……あっても入浴目的になんて使えないからさ」
魔獣だって寒いより暖かい方が好きだからね。と、納得の理由を添えて、この国の温泉……事情?
とにかく、この国にお風呂という意味での温泉文化が存在しない理由を知らされる。
そうか……日本じゃ温泉とは猿がセットだったが、こっちじゃ魔獣がセットなのか…………入れねえわ、それは……
「そこで出会ったクレッグさんという方に、レンガの作り方を教わりました。
たまたま泊まり込みで働ける場所がそこだった……というだけの縁でしたけど、中々…………重労働だったし、熱かったし、重かったので……またやりたいとかはないですけど…………良い経験でした」
「あはは……元々の君が何して生きてるのか気になるね、その発言は。意外と良いとこのお坊ちゃんだったりするのかな? それならそのへなちょこ具合にもちょっとだけ納得だけど」
ぐふ…………っ。お、思ってもみないところから斬り付けられた気分だ。
何して生きてる……か。何もせずに生きてたからね……っ。
良いとこのお坊ちゃんというのも、まあこの世界の文明レベルを思えば遠からずと言ったところだ。
はあ……い、今はちゃんと働いてるし……
「……どの街も、基本的には平和だったんです。はあ……そういうとこ、今思うとアイツらそっくりです。みんなの幸せに水を差すばっかりで、いい迷惑と言うかなんと言うか……」
「こらこら、楽しい話をしたまえよ。でも……どこにでもいるもんだよ、そういうのは。
人が増えて、トラブルが増えて、それを減らす為にルールが設けられる。
当然、それが面白くないって人も出るし、それを掻い潜ろうとする輩も出てくる。ただ……その世界での一件は……」
それとは少し違う、抗えない力の結果だったのかもしれないね。と、マーリンさんは僕のことを慰めるみたいに、頭を撫でながらそう言った。
アイツら……魔人の集い。あの獅子頭や仮面の化け物連中と、僕達の旅を散々邪魔した厄介者連中とがどうにも被ってしまう。
いや……これはあくまでも僕の主観での話なんだけどさ。
ゴートマンに比べたら、あの獅子頭だってそう強くもなければ、被害レベルも小規模だった。
でも、どっちも僕のメンタルに著しいダメージを負わせたので……どっちも嫌い、ぷんすこ。という話。
「……って、こういう話だったらミラも一緒の方が良いじゃないですか。アイツ、王宮にいるんですよね? ちょっと呼んできますから、それから話の続きを……」
「こらこら、どうやって入るつもりだ。いいから続けたまえ。それと…………今の僕をひとりにするんじゃない、本当にどうなっても知らないぞ」
どういう脅しだそれは。
でも……うん、それはうっかり。僕には通行証が無い。
マーリンさんも、マグルさんに貸しちゃってて入れない。
だからこんなとこで遊んで……ごほん。使い慣れた工房を諦めて、ここで召喚術式を執り行ったんだ。
だったらマグルさんから返して貰えば……いや、そもそも話をするだけなら……
「はあ、せっかちだなぁ君は。当然、マグルには帰って来いって連絡を入れてある。今の僕には、フィーネに加えてザック達が沢山いるからね。ふふん、連絡手段にはこと欠かないのさ」
「はあ……それは良いですけど。ってか、それなら最初からミラを呼び出せば……」
いいからいいから。と、マーリンさんはまた僕を急かした。
なんなんだよぅ、こういう楽しい話はアイツと一緒にしたいのに。
記憶が無い、僕を家族とは呼んでくれない。
だから……僕は今のミラを家族だと、以前同様の仲だとは思い切れていない。
でも、それはそれ。世界一可愛い妹なのだから、楽しいことは一緒にしたいのだ。
記憶があろうと無かろうと関係無い。だって、一緒にケモミミ生やして旅した仲なんだからさ。
それからしばらく旅の思い出話を続けていると、どたばたとエルゥさんが飛び込んできた。
そして…………マーリンさんの寝っ転がってるベッドに座って話をする僕を見て、それはまあ鬱陶しいことこの上無いテンションで……ごほん、失敬。
随分と嬉しそうな顔で、抱きかかえていた一羽のフクロウを差し出した。
おや、フィーネじゃないか。ということは……
「相変わらずあの偏屈……はあ。ありがとう、エルゥ。ほら、アギト。ちゃんと手は回してあっただろう? ふふーん」
「なん……はあ、はいはい凄い凄い。先読みは流石ですねー、相変わらず未来も見通しちゃってますねー」
こいつ! と、ちょっとだけ怒ったらしいのだが……やっぱり力は本当に入らないみたいで、のすんと体重を掛けるばかりで、攻撃らしい攻撃はされなかった。
されなかったが…………エルゥさんの前でそれやるのはやめておくれよ。
こう……色々と…………色々とマズイんだよ、そんなに密着されるとさ。色々……
「それじゃあ私はお仕事に戻りますね。でへ……ごゆっくりー……でへへ」
「ああっ、ちょっと! 違う! 違わないで欲しかったけど、残念ながら違うんだ! 違…………ちくしょう……なんで違うんだよ……っ」
ちくしょう……なんで……なんでそういう関係にはなれないんだよ……っ。
ええ、分かっております。マーリンさんからしたら、僕は頼りない子供でしかないので。
あと…………うん。マーリンさんにも、そういう想いを向けた相手はちゃんと居るって分かってるから。
どっちも寂しい別れになっちゃってるけど、あのふたりと同じくらい大切な人が出来るとしたら——うん。あとひとりだけしかいない気がする。
ええ、こう見えても誇り高い厄介カプ厨ですので。ハンパは許さない。
「…………さて……と。フィーネも帰って来て、通行証も戻って来たことだし。はあ……」
「ため息なんて、どうしたんですか? ミラに会えるのに」
もっと喜びなさいよ、我が愛しのマイシスターと一日ぶりに会えるんだぞ?
もう四六時中一緒にいないと気が済まない、見るだけで元気になるちょっとしたエナドリ。それと会えるってのに……
「…………うん、ちょっとね。行っておいで、そして見ておいで。今のミラちゃんがどういう状況にあるのかを。僕は……はあ。君が戻るまでは強化魔術でやり過ごすから」
「状況……ですか。えっと……それは……」
どゆこと? と、首を傾げても、マーリンさんは自分の目で見るべきだとしか答えてくれない。
なるべく早めに帰って来るんだよ。帰ったらまた色々聞かせておくれ。そんなことを言って、僕をさっさと追い出そうとしているようにさえ見えて……
「……? じゃあ……えっと……都合が悪く無ければ、連れて来ても良いんですよね?」
「うん……そうだね、都合が悪く無ければ」
じゃあ。と、僕は部屋を後にして、まだごった返している受付を抜けて王宮へと向かった。
おっとと。通行証、絶対無くさないようにしなきゃ。
腕に嵌めた上から手でぎゅっと押さえ付けて、そしてマーリンさんのあの妙な態度について無い頭を絞ってみる。
「…………あっ。そう言えば……アイツ、言ってたな……」
初めて訪れた世界、初めて訪れた街。
当然、見たこと無いものだらけなわけだから、ミラのテンションは予想通りマックスになっていた。
だけど……それにしても、ちょっとだけ雰囲気が違ったから。
鬱憤と言うか……そのワクワクを懐かしんでるようにさえ見えたから、聞いたんだ。王宮で忙しくしてるのか……って。
そしたら……
「……てことは。羽を伸ばし切った後に待ち構えている大量のお仕事…………いやいや、マーリンさんじゃないんだから」
ミラは真面目だし仕事も早いから…………早いからこそ、余計にいっぱい仕事を押し付けられてる……とか……?
マグルさんがすぐに戻って来なかったのは、その手伝いをしていたから……とか。うーん、ありえる。
「だとしたら……はあ。絶対マーリンさんのやり残した仕事とかも押し付けられてるよ。アイツもアイツで断らないからなぁ」
しょうがない、手伝ってやらないと。って……今の僕に手伝えるのか……?
だってもう勇者じゃないし、完全に無関係の一般人…………いやいやいや。
マーリンさんに手伝って来いって言われた……とか誤魔化せば……と、ひとりで考えながら歩いていれば、王宮にはすぐに着いた。
この道はちょっとだけ慣れてるからね、ぼーっとしてても迷わないもんだ。さてと……
「はい、通行証を確認しました。それと、巫女様より連絡も頂いております。お疲れ様です、アギト様」
「さ、さま…………あはは、お疲れ様です」
アギト様とな。アギト様…………様…………うううっ、ぶるぶる。
無理、無理無理。一瞬だけ優越感に浸れそうだったけど、流石に無理、ビビる。
王宮の門番から様を付けられるってことは、つまり王宮内でもそれなりの立場にならなければいけないということ。
無理、そんなん重圧に耐えきれない。
他所から来たお子ちゃま勇者見習いとしてでも、割といっぱいいっぱいだったのに。
王宮に入れば、そこには懐かしい顔が——ロダさんが待っていてくれた。
何も勝手を知らないものだと思われているのだから当たり前だけど、また彼が案内してくれるそうだ。
想定外だけど、嬉しい再会だ。
僕は随分久しぶりな王宮の中を、彼の案内の元突き進む。勿論目指すのは……
「……では、ここから先が巫女様の工房でございます。申し訳ございません、私はここから先に立ち入れないもので……」
「あ、ああ……そうだった。ありがとうございます、ロダさん」
まだそのシステムなんだ……もう巫女様じゃないって話なのにな。
もしかして、そう思ってるのって本人だけ……? っと、それは後でマーリンさんに聞くとして、だ。
いるとしたら……仕事部屋だよな。
相変わらず人気なんてこれっぽっちも無い廊下を進んで、いつかもお邪魔したマーリンさんの仕事部屋のドアを開けた。開けたんだけど……
「…………アレ、居ないや。んー……? じゃあ……」
どこよ。
くそぅ、もう匂いじゃ探せねえからなぁ。
仕方ない、片っ端から探すか。
うん、仕方ない。仕方ないことだから…………う、うっかりその…………ね。タンスとか……開けちゃっても…………っ。
違う違う、それは犯罪。気をしっかり持て、バカアギト。
たとえミラにだとしても、見つかったら…………完全にアウツ、投獄もんだ。
「おーい、ミラちゃーん。あれ、ここでもない」
次に向かった厨房にも居なくて、となると……ほ、本当にもう寝所しか無いんだけど……っ?
だ、大丈夫かな……女の人のベッドルームに入り込むって……色々と……っ。
いや、前にも一回入ってるけど……それはそれで別だし……っ。
「……ええい、南無三。お、お邪魔しまーす……」
そういうわけだから……こ、これは不可抗力なんだからねっ!
恐る恐る寝室のドアを開けて……そして、真っ暗な部屋の中で小さな寝息を耳にした。ほ、本当にいた。
くっ……こっそり枕の匂いとか嗅ごうと……げふんげふん。じゃなくって。
「いや、寝てんのかよ。はあ……呑気な奴だなぁ、相変わらず。もしかして……全然起きないから連れて来るのは無理……って話か? それなら……」
納得。納得です。
でも……ううむ、ちょっとジェラシー。
僕と一緒じゃなくっても、マーリンさんの匂いでも安心して眠れるんじゃないか。
なんだよぅ……ぐすん。
いいや、せめて間抜けな寝顔だけでも拝んで行こう。
ここ最近ずっと見てた気もするけど、何回見たって可愛いもんは可愛い————
「————なんだ——これ——っ」
真っ暗になってる原因、暗幕みたいに分厚いカーテンを勢い良く開けると、僕の目には信じたくない光景が飛び込んで来た。
そこに居たのは、眠りこけてるミラ……だけど……っ。
腕には点滴が繋がってて、身体は布団ごとベルトで固定されていて。
そして……可哀想なくらい痩せ細った、真っ青な顔のミラがそこには横たわっていた。
「…………なんだよ……それ……っ。お前…………お前……そんなのひと言も……っ」
違ったんだ。
嬉しかったのは、自分の足で歩き回れることだったんだ。
自己治癒の呪いを以ってしても取り除けない心の病が、ただの日常をも恋しいものにしてしまっていたなんて。
膝を突いて、僕は祈るようにミラの手を握り締めた。
それで何が出来るわけでもない自分の無力を呪いながら、小さくて冷たい手をぎゅっと——ぎゅっと握ることしかしてやれなかった————




