第百六話【人の群れと獣の矜持】
一時間もしないうちに、マーリンさんは目を覚ました。
そして……ごめんね。と、そう謝って僕の頭を撫でる。
ごめんねなもんか。マーリンさんのおかげで、いったいどれだけ救われてると思ってるんだ。
「……ふーっ。じゃあ、報告を……」
「うん。強くなったね、本当に。ううん、強くなっていく。僕にとってのこのひと晩に、君はどれだけ成長したのだろう」
んふっ……ちょっ……でへ。
なんだかちょっとだけ褒められながら頬を撫でられると……でゅふっ……す、好きになっちゃうからやめ…………やめ…………やめないでよぅ。っとと、ふざけてる場合じゃない。
とりあえず、今回の召喚もひと晩の間に圧縮されていたらしい。
だったら……いや、それでも丸々ひと晩寝ずに術式を維持し続けてくれていたんだ。
疲労も溜まってるだろうし、精神的にもキツイ筈だ。
早く終わらせて、今度は一時間と言わずぐっすり眠らせてあげないと。
「……俺達が召喚されたのは、この世界とそう変わらないか、少しだけ劣る文明レベルの——人の在り方に大きな差のある世界でした。俺とミラも例外無く、その世界の人間は皆————」
獣の特性を持つ人々。
まず、僕達が最初に抱いた違和感……と言うよりも、世界の表面的な違い。
結論を急ぎ過ぎると話がごちゃごちゃになるから、ひとつずついこうかな。
幸いと言うか……マーリンさんの顔色はちょっとだけ良くなってる。
それに、どこか楽しそうに耳を傾けてくれるから。
「俺はマグルさんのような狼男に。ミラは……耳だけ追加された、なんちゃってケモっ子…………ごほん。深度の浅い獣人になっていました。
俺達はそれを、世界への順応の為の違い——どれだけ獣に近付かなければならなかったかの違いだと考えました。多分……そこは合ってたと思います」
「ケモ……? ふむ……不思議な世界があったもんだね。
しかし、その推理は中々的確なものに思える。どちらかと言えば、ミラちゃんの方が獣性の強い子だからね。
単にその性質を反映したわけではないと読むのは正しい。
僕が特別何かをしたわけでもないし、世界側から付け加えられた補正なのかもね」
ほっ……なんだろう、割とどうでも良い…………どうでもは良くなかったけど。結末には直接関係しない謎だったけど、それでも推測が合ってたっぽいとお墨付きを貰うと……えへ、ちょっとだけ達成感。
まあ……その達成感も、この一回きりでおしまいだけど。
「ひとつ目の街で、その世界の自然を調査しました。いえ、気付いたのはミラなんですけど。
レストランで出されていたメニューの中に、獣の肉を使った料理……獣から採れる食材を使った料理がひとつも無かったんです。
そういう違和感がいくつもあったんで、まずは動物の——人間と一緒になってしまっている、元の動物の確認を行いました。
そしてそれは……結局、最後の最後まで見つかりませんでした」
「…………鳥は? 鳥もいなかったの?」
いえ、鳥はいました。鶏肉料理もちゃんとあって……と、そう説明すると、マーリンさんはちょっとだけ嬉しそうな顔で自分の翼を撫でた。
ふむ…………そうか、そんなに鳥好きなんだ。
ザックもフィーネもチビザック達も、本当に大切にしてるもんね。
てことは…………鶏肉料理の部分は余分だったね。それでちょっと目を背けてるのね、ごめんね。
「……その街には、厳しい掟がありました。夜間に出歩いてはいけない。罪を犯したものは家に入れて貰えず、夜を外で過ごす羽目になる、というものです。
このふたつは相反しているようにも思えますが、結論はひとつ。夜になると、罪人を連れ去る為に仮面の怪物が出てくるから。
何もやましいことが無いのならば、それに関わってはいけない……と、そういう教えが根付いていました」
「またおっかない街だね、そりゃ。でも……そういう文化はどこにでもある。縛ってしまった方が楽な時もある、縛られた方が安心する人もいる。
もっとも……外に目を向ければ、それに意味が無いと気付くものだけどね」
答えを先に言わないで……っ。
ネタバレされちゃったから、もうここで言っちゃおう。と、僕はマーリンさんの言葉に便乗して説明を追加する。
その世界で訪れた街の全ては、もれなく内向的で閉鎖的なものであった、と。
「そこでエヴァンスさんという気の良い男性と出会い、現地の協力者として…………俺は最初反対したんですけど……っ。全部打ち明けた上で、一緒に旅をすることになりました。
街の掟なんて知らずにいた俺達と、誤解で裁かれそうになっていたその人とは、なんと言うか……都合が良かったんです、お互いに」
「あはは、全部打ち明けた、か。そっかそっか…………良い結果は得られなかったんじゃないかな……?」
いえす。と、言葉にはせずに頷いて、そして苦笑いのマーリンさんにちょっとした愚痴をこぼしてみる。
随分素直で良い子になったと思ってのに、ここぞという時の思い切りの良過ぎるトコと聞かん坊は変わってなかったです。
そんな僕の嘆きに、マーリンさんもしきりに頷いていた。
「そういうわけで、仲間を増やして街から追い出されたんですが……山を越えた先で、ひとつ目の街とそっくりな街を見つけました。
けれど、そこにはあのヘンテコな風習も無くて……
ミラが言うには、源流を同じくしているだけの、全く別の発展を遂げた街なのだろう……と。
あれ、ちょっと違う気がする。えーっと……」
「ふむ……源流は同じ、文化も同じ。けれど……その一点においてのみ違う。
それは……そうだね。ならば、その掟が政治によるもの——統治に必要だと、後付けで足されたものだ……と、あの子なら考えたんじゃないかな?」
あっ、凄い。正解です。
ふふんと嬉しそうに、誇らしげに胸を張るマーリンさんに、この師弟はやはり似た者同士なんだなと勝手な解釈を加えた。
思考回路もそっくりなんだろう。ま、ミラのことなんてお見通しだってのもあるだろうけどさ。
「その街では何も無くて……平和な場所だって認識だけを持って、調べ物の為に更に先へと進みました。
人も多くなかったんで、世界の核心には近付けそうもなかったんですよ。時間もどれだけあるか分からなかったんで……」
「あはは……何に言い訳してるんだよ、君は。その考えは間違ってない。
勿論、正しいわけでもなかったかもしれない。でも、そこには意味が無い。
見えないもの、それも知らないものを探し求めてるんだからさ。すれ違いや見落としは、どうやったって避けられないさ」
そう……だよね。
うん……結果としては、このふたつの街をしっかり調べておけば、もっと早い段階であの異質に気付けた筈だったのに……と、そう思ってしまったら、なんだか勝手に言い訳がつらつらと……いかんいかん。
「その次は、今回で一番大きな街に着きました。そこでまたしばらく過ごして…………っ。えっと……一回纏めますね。俺達が考えた、その世界の終焉の形について」
まず、獣——哺乳類の喪失に伴って、生態系の崩壊と食糧危機が世界を滅ぼすと睨んだ。
けれど、その世界は既にそのバランスの上で成り立っている可能性も浮かんできた。
それでもその可能性がゼロになるわけもなくて、ずっとずっと候補には残り続けていた。そういう前提の上で……
「……あの世界の終わりに、終焉に手が届くのかも……って、一番思わせたのはここでした。
この街から少し離れた場所に、集落のようなものを見つけたんです。
けれど、そこは人が住む為のものではなく、儀式めいたことの為に使われる隠れ家だったんです。
俺達はそこで……人間を食らう人間を見てしまいました」
「…………まあ、獣の特性を持つのなら、それは何も不思議なものではないのだろうがね。
けれど……それはあくまで、その場に行かなかった僕の——この世界の常識の中での話だ。
その世界の人から——世界を肌で感じた君達からすれば、相当な大ごとだっただろう」
結局、コレの所為で最後まで嫌な思いしたからな。
それから逃げる為に、ひとつ前の安全だと思っていた街へと逃げ込んだ。
その時拠点にしていた大きな街とその集落とが、もしかしたら無関係ではないかもしれないから……と、そう危惧したから。
そして……逃げ込んだ街で——安全だった筈の場所で……
「…………ひとつ目の街で出くわした化け物が、いない筈のソレがまた俺達の前に現れました。
街に被害を出さないように外へ誘導して、仮面を剥いで正体を突き止めた……んですけど。そいつがまた……集落で人を食ってたやつだったから…………っ」
「……なるほど。ひとつ目の街で行われていた奇行は、生贄か何か……いいや、もっと原始的なものだろう。
食っても良い獲物を確保する為の、いわば収穫のようなものだったんだね」
狩りでも罠でもなく、あえて収穫という言葉を選んだところに、マーリンさんの機嫌の悪さを感じた。当然、気分の良い話じゃないよね。
「そういうわけで……ここまでの三つの街全部、もう立ち寄れない場所になっちゃったんで。次の街を探して、とにかく遠くへと向かったんです。
そうして……やっと着いた村で、今度は……っ。一緒に旅をしていたエヴァンスさんが……人を……襲ってしまって……っ」
それは、抑圧された本能が解放されたからだったのかもしれない。
獣の特性が混じっているのだから、当然そういう欲——肉を食いたいという欲もあって然るべきだ。
だから、それがあるのだと知ってしまったから……エヴァンスさんは、内の獣性に飲まれてしまったのかもしれない。
ここには、結局結論を出さなかった。
出しても……出したとしても、またエヴァンスさんと旅が出来るわけじゃなかったから。
もう……思い出したくもなかったんだ。
「……だから、俺もミラも殆ど確信したんです。これがこの世界の終わりの形だ……って。
人が人を食って、殺して。手を取り合うべき仲間の筈が、誰もが他人を認められなくなって、終わってしまう。
そういう悲しい終わりなんだ……って、思ってました」
「その口ぶりだと……また、別の答えを見つけたんだね」
はい。と、小さく頷いた僕を、マーリンさんは優しく抱き締めてくれた。
またつらい別れを経験しちゃったんだね。と、何度も何度も慰めるように僕の頭を撫でて、どこか後悔を滲ませた目で僕を見つめた。
さあ、その最後を——辿り着いた答えを教えておくれ。そう言われているようだった。
「最後に辿り着いた村……本当に小さな、集落みたいな場所でした。そこで……俺達は出産に立ち会ったんです。
と言っても、医者もいなけりゃ知識のある人もいない。妊婦と、旦那さんと、それから俺達だけ。
ミラの器用さと度胸で、赤ん坊を取り上げることはなんとかしたんですけど……」
「…………したんだっ⁈ 出来ちゃったんだ⁉︎ 凄い子だね……相変わらず……」
うちの妹はすごいんだ。えへん。
話は逸れてないけど、本筋をしっかり捉えられてないな。
えっと、ごほん。大切なのは、その取り上げられた赤ん坊で……
「……両親は、どちらも狐の性質が混じった人でした。けれど、生まれたのは本当にただの子猫でした。
いえ……そこから成長して、人の要素を手に入れるのかもしれませんが…………俺達には、とてもそういう風には見えませんでした。
あれは、紛れもなくただの子猫です。獣人ではなく、完全なる獣でした」
狐と狐の間から猫。この不可思議については、どうやっても結論が出ないってミラと一緒に諦めた。
だけど…………世界の終わりは、間違いなくここでハッキリとした。
食い合うのでも、反発し合うのでもない。あの世界は……あの世界の終焉は……
「……俺達が出した結論は、ひどく単純なものでした。
世界の終焉——人類の終わり。
つまり、人間が全て獣になってしまう……比喩ではなく、現実に。
地上から人間の特性が失われてしまうことこそが、あの世界の終焉だったんです」
「…………それで、それを食い止める方法は……?」
僕がこくんと頷くと、マーリンさんは凄く嫌そうな顔で頭を掻いた。
そうだ、そうするしかない。
けれど……そんなことをしてしまったら、僕もミラも……もう二度と、勇者として立ち上がることは出来そうになかったから……
「…………人の特性が薄い人物を排斥する。人間の特性をひたすらに強めて、無理矢理にでもそれを維持する。
方法は……俺ひとりでは無理でしたが、幸いにも……っ」
「……幸いなんて言葉、使うなよ。ガラでもない、無理しなくて良いよ」
————獣の特性を強く持つ人物を、全員食わせて仕舞えば良い——
そういう風に仕組めば良い。ひとつ目の街がそうだったように、特定の人達を排除して仕舞えば良い。
人間を繋ぎ止める為の方法を考えてたのに、こんな非人道的なものしか浮かばなかったなんて。我ながら情けない話だ。
「……ごめんなさい、マーリンさん。俺はまた……失敗しました……っ。世界を……ミラを、救えませんでした……っ」
「…………お疲れ様。報告は確かに受け取ったよ、ありがとう」
ぽんと頭を撫でられると、僕はひどい虚脱感に見舞われた。
ああ——また、あの日常が遠のいてしまった。
戻りたい、何に代えても取り戻したいと願ったミラとの生活が——っ。
ボロボロと涙が溢れ始めた僕を、マーリンさんはずっと側にいて慰め続けてくれた。




