第百五話【変わりゆく世界】
——それが答えだった。
散々探し回っていたものの答えが、よもやこんな所で見つかるなんて。
けれど——それは————
ありがとう。何度も何度もそう言って頭を下げるテムさんに別れを告げ、僕達はその村には“留まらず”先へと進み始めた。
理由は…………分からない。
ただ……そう、背中を押された気がするから。
決してポジティブな意味合いとは限らないその勢いに、僕達はただ無心で前に進むことを選んだ。
「…………どういうことなんだろうな。うん……なんとなく、分かったのは分かったんだけど」
僕の疑問はたったひとつ。
これはかつて、クレッグさんとおばあちゃんとの間柄にも抱いた疑念だ。
どうして、狐と狐の間から猫が生まれたのだろう。
そこだけには、納得のいく理由が思い付かなかった。
「……混じっていた……のでしょう。恐らくですが、この世界の人の在り方は、百年以内に出来上がったものではないのだと思います。
何百年と世代を重ね、そうしているうちに血統が混ざってしまった……と。
今は狐の姿でも、四代前は猫と狐の——さらに前に遡れば、また別の動物の特色を持ち合わせていたのかもしれません」
「……じゃあ……じゃあさ……どうして、ああも猫の特性だけが……」
混血であれば、確かに様々な特性を発露し得るだろう。
けれど、取り上げられた赤ん坊は、猫以外の特徴をほとんど見つけられなかった。
狐も、イノシシも、狼も、羊も。何も混ざっていない、本当にただの子猫に見えた。
代を経れば経るだけ純度は下がる筈なのに、ただの突然変異なんて言葉では片付け難いものだった。
「…………難しいですね。それを証明するのにも、調査するのにも、何をするのにも時間が足りません。ですから……きっと、アギトさんもそれが分かっているから……」
「……うん。ごめん、そうだよね。はあ……そっか……」
三十日以上掛けても過去のひとつすら見つけられなかった僕達に、果たしてこの世界の未来のことをどれだけ予想出来るだろうか。
たったひとつだけ、答えを貰ったから理解したつもりになってる未来を除いて、僕達にはきっと何も予想出来ないのだろう。
この冒険を振り返れば、自ずとそう自信の無い答えを出さざるを得ない。
僕達は結局何も出来なかった。
この世界の終焉を食い止める為、様々な対策を講じる必要があった。
けれど、その第一歩——世界の理解という段階で躓き、僕達はそこで足を止めた。
また——また、失敗に終わる——筈だった。
「……棚ぼたと言うか……はあ。前もそうだった。最後の最後、手遅れになってから答えの方からやって来てくれる。
何も分からなかったって、抱え込んでモヤモヤする羽目になるよりは良いけど……凹むね、これもこれで」
「あはは……そうですね。でも……良いじゃないですか。それでも、こうしてちゃんと立って歩いていられる最期を迎えられただけで」
それはそう、本当に。前回を思えば、確かに随分と前進した。
けれど……はあ。
僕の目的には時間制限がある。お前の記憶がいつ消費されてしまうかも分からないんだ。
だったら…………この瞬間に、ミラを裏切ってでもこの世界を救うべきだろうか。
僕ひとりじゃ届かない、馬鹿げた企みになってしまうけど。
それでも……アテが無いわけでもないんだし。
「…………楽しかった……ですね。いろんな嫌なこともありましたけど……でも、楽しかったですよね……? この世界は、凄く楽しい——居心地の良い場所でしたね」
「……そうだね。この寂しさも、苦しさも。全部、楽しかったから生まれたものだ」
示し合わせたわけでもないのに、僕達は全く同じタイミングで足を止めた。
そしてくるりと振り返って、彼と出会った方角を向く。
本当にそっちかは分からないけど、でも……三人で歩いた道を、遠くからずっとなぞってみる。
そして……彼が眠った場所に向かって、深々と頭を下げた。
「……ごめんなさい。約束、結局ひとつも守れなかったです。あんなに良くして貰ったのに、何も恩を返せなかった。ただ……それでも……」
貴方と過ごせて、本当に楽しかったです。僕もミラも、声を揃えてそう言った。
届かない言葉は儚く消えるだけだけど、この思い出はきっといつまでも残り続けるから。
いつまでもいつまでも——強い後悔として、弱い心を戒め続けてくれるだろうから。
「……アギトさんっ! 行きましょう! こうなったら、どこまで行けるかトコトン歩きましょう!」
「あはは……うん、そうしよう。まだきっと……ちょっとだけ時間もあるから」
ミラは本当に楽しそうに——名残惜しそうに笑った。
そして僕の前をぴょこぴょこと跳ねるように走り回って、オレンジ色の髪を風になびかせる。
トコトン行こう、行けるところまで。
眠る場所も、食べるものも。もう、何にも気を使う必要は無い。
僕達の役目は終わった。
後はただ……この美しい世界を目に焼き付けるだけだ。
大切な友達と歩んだこの世界を、少しでも良い思い出として残す為に————
「————ぅ——んん……」
目が醒めると、とても懐かしい匂いがした。
甘くて優しい匂いだ。
だけど……どうしてだろう、昨日までよりもずっとずっと遠い——弱い、薄いものに感じる。
視界の真ん中にあった鼻はもう見えない。
遠くの景色はボヤけ、部屋の外の音だってあまり分からない。
毛むくじゃらじゃなくなってぺたぺたした感触に戻った手に、きゅっと優しく包み込む暖かなものが触れた。
「……お帰り、アギト。お疲れ様」
「…………マーリンさん……」
赤子を取り上げてからおよそ三日、ひたすら歩き続けた末に僕達は帰ってきた。
行き倒れたわけではなかったから、単に時間切れだったんだろう。
そっか……帰ってきた……か……
「…………ごめんなさい、マーリンさん。そんなになるまで……っ」
暗幕みたいな分厚いカーテンの隙間から、真っ白な光が床を照らしている。
そうか……日もすっかり昇ってしまってるんだな。
これは……一晩の出来事なのかな。それとも……っ。
僕の手をぎゅうっと握ったマーリンさんは、目元だけを真っ赤に腫らして、今にも倒れそうな程青白い顔で笑っていた。
「……ふふ、何を謝ってるんだか。僕が言い始めたこと、僕がやらせてることじゃないか。
でも……ああ、そうだね。ちょっとばかし眠らせておくれ。報告は目が覚めてから、ゆっくり聞かせて貰おうかな。その代わり……うん」
僕のこと、ぎゅーってしてても良いよ。と、マーリンさんはそう言って、そして僕に抱き着いて目を瞑った。
おかえり。無事に戻ってきてくれてありがとう。何度も何度もそう囁いて…………そして、すぐに眠りに就いた。
「……はあ。ぎゅーってしてて良い……ねえ。まったく……」
どこまで……どこまでがお見通しなんだろうか。
自分が疲れて、ずっとずっと不安だったから安心したくて。そういう理由で抱き着いた、抱き締めて欲しい……って、そんな風に僕を納得させようとしてるようにさえ見える。
でも……まあ、この人も寂しがりだからな。本当に抱き締めて欲しいってのもあるんだろう。だけど……
「————っ————ぁぁ————っ」
————これが——これがお前の————っ。
涙がボロボロと溢れだした。
吐き気もしたけど、そればかりは流石に全力で飲み込んだ。
細くて小さなマーリさんを抱き締めると、心臓まで凍り付いてるんじゃないかってくらい身体が震え始めた。
そうかよ————あんなものが————っ!
「————間に合わなかった————っ————っぅぁあ————ッ!」
ミラ——お前はいつもこんな——っ。
間に合わなかった——。お前はいつも——いつもこんな苦いものを飲み込んでたのかよ——っ。
僕には無理だ……こんなの…………あんな…………っ。
「……エヴァンスさん…………っ……ごめんなさい…………ごめんなさい…………っ」
抱き締めて良いよ……なんて、きっと言われなくったってそうしてしまっていただろう。
ああ——胸が——心が壊れそうだ——っ。
必死に我慢してきた分が、ここへきて一気に溢れ出してしまった。
一度死んだから——最低の別れを経験したから、心が壊れてても動けるようになった?
バカ——大馬鹿アギトだ——っ。
そんなわけない——そんな強い心なわけがない——っ。
間抜けが過ぎる、どうして気付かなかった。
ミラが居たから——ミラが居なかったから、僕はそれに気付かなかった。
僕の隣に、あの頃のミラが居なかったから——心がひとりぼっちだったから、僕はそっちを我慢するのにいっぱいいっぱいだったんだ。
「…………どこまで……っ。ああ……もう……っ。実は……全部見てたんじゃないだろうな…………っ」
マーリンさんが居て、犬の特徴なんて持ってないアギトの身体があって。全部が元に戻って、心に余裕が出来て。
その隙間に——張り詰めた緊張の上に積もっていた悲しみが、今になって一気に襲い掛かる。
「——エヴァンスさん————っ————」
僕は声を圧し殺して泣いた。
大切な人を守れなかった。
お前は——っ。
ミラ……僕はお前に、こんな苦しみを————




