第百話【熟れる】
木箱を持って部屋に飛び込むと、ふたりは目を丸くして首を傾げた。
けれど、そこは流石の天才術師。ミラはすぐに僕の意図を汲み取ってくれて、目をキラキラ輝かせながらパタパタと尻尾を振って箱の中身をひっくり返す。
いえ、生えたのは耳だけです。尻尾……無い筈なんです……
「おいおい、んなとこで広げんなよ。埃が立——ぶえっ! げっほげっほ! ちび! 外でやれ! てかアギトも、こんなもんどうしたんだよ」
「あー、いや。おじいさんの押入れの片付けを手伝ってたら……」
くれるって言うから、ありがたく全部持って帰って来たんだ。素直にそう伝えると、エヴァンスさんは頭を抱えてため息をついた。
そういう話をしてんじゃねえよ……とのことだが……まあ、言わんとすることは分かってるとも。
「すみません、エヴァンスさん。どうしても……どうしても知らなくちゃいけないことがいっぱいあって。ちょっとでもこの世界……えっと……この街について知らないと……」
「……はあ。まあ、そういう話は聞いてるしな。事情は知らねえが、付いてくって決めたのは俺だし……はあぁ……手伝ってやるから、さっさと片付けろよな……うえっ……埃くせえ……」
エヴァンスさん…………っ。本当に……本当にありがとう。そして……それ以上にごめんなさい……っ。
いえ、確かにエヴァンスさんの言う通り、外で確かめた方が良かった気がする。
って言うか床がみるみるうちに埃で真っ白に…………どっひぇぇ……
「んで、何探してんだ? あ、おいちび! だから散らかすなって……ぶわっ⁉︎ おいアギト! どうなってんだこのちびは!」
小さくありませんとすらつっこむこともせず、ミラは真剣な表情で箱の中身をひとつひとつ丁寧に吟味していた。
いや、鑑定と表すべきか。
それがなんであるのか、何を意味するのか、何を引き起こしかねないのか。
ただの本一冊、それも埃と湿気でページの半分近くがくっ付いてしまっているような状態の悪い物からでも、ミラは必死になって手掛かりを探そうとしている。
してくれているが…………悪い癖だ。
夢中になって周りが見えていない、身勝手の代名詞である術師としての特性が強く出てしまっている。
「す、すみません……この箱はミラちゃんに任せて、俺達は別の箱を調べましょう。目当ては……えーっと……」
「うえぇ……他のも開けんのかよ……あんま汚したくねえんだけど……」
意外と綺麗好きなのね。
いや、流石に普通はこんな埃だらけの箱を、それも生活する部屋のど真ん中では開けたくないか。
探し物は、この街——延いては、この国や世界の歴史を知れるものだ。
それこそ、ただの日記でも構わない。
あのおじいさんのものでも、それよりも前の代に書かれたものでも。
なんでも良い、とにかく成り立ちを知れるもの。
それと……僕やミラから見て、使い道の分からないもの。僕達の知る常識とズレた部分。でも……こればっかりはな……
「歴史を……ねえ。んなもん調べて、どうするってんだよ。ちびはなんか……ムカつくけど、ちょっと頭良さそうだよな。何企んでんのか知れたもんじゃねえ」
「そうですね………………? あれ? 今、遠回しに俺は賢くなさそうって言いませんでした⁇」
そこが疑問系の時点で賢かねえだろ。と、無情にも切り捨てられた。
ふぐぅ……ど、どうしてみんな僕のことを気軽にバカにするんだよぅ、ぐすん。なんて、ヘソを曲げてる暇は無い。
早速恐る恐る箱を開けたエヴァンスさんに続いて、僕もその埃だらけのパンドラの箱に手を突っ込…………ひぎぃやぁああっ⁉︎
虫っ! 虫の死骸がっ! 小さいのがいっぱい死んでる——っ!
え……? ってことは、ミラがひっくり返した箱も…………っっっ⁉︎
「————ちびぃぃいいっ⁉︎ その箱一回外出せ! 頼む! 頼むからそれ以上散らかすな! 外でやろう! な⁉︎」
「——ミラちゃんっ! ほら、ここ借りてる部屋だし! あんまり汚すのはマズイって! お願いだから! ミラちゃん! ミラちゃん——っ!」
現実とは、時に惨たらしい程に想像通りの結末を引き起こすものだ。
ミラは動かない。いいや、そもそも僕達のことなんて視界にも入れてない。
目の前にあるくっそ汚ねえ箱と、その中のめっちゃ汚ねえゴミみたいなものに全神経を集中させている。
そして…………恐らく——いいや、間違いなく。邪魔をすれば——噛まれる————っ。
僕はそれをよく知っている。
ミラは——こういう時の没頭している時のミラは、邪魔をするものに一切容赦しない。
噛み付いて、噛み付いたまま……また、作業へと戻るだろう。つまり……詰み、ゲームセットだ。
「————ちび……な、なあ……頼むって…………っ。そ、その……箱の下……いったいどうなって…………っ」
「ミラ……ちゃん…………っ! エヴァンスさん……こうなったら…………もう……っ」
諦めて……諦めて、あとで全力で掃除しよう……っ。
なんか…………もう、見えてんだよ。箱に潰されてる、なんと言うか…………こう……インセクトライクな脚と言うか……細い…………っ。
ミラのことは諦めるとして…………まず、これ以上被害を広げないようにしよう。
僕達はミラがひっくり返した小さいひとつ以外の木箱を、もれなく外まで運び出した。
よ、よし……いや、もうちょっと人の通らないとこでやろう。裏手に回って……一応ミラに声掛け…………どうせ聞こえないか。
「…………よ、よし。覚悟は良いか、アギト」
「は、はい…………いや、ちょっと待ってください。すー……はー…………よし! いつでも大丈…………も、もうちょっと待ってくださいっ! すーっ……はーっ……」
俺はいつでも良いぜ。なんて言いながら、エヴァンスさんも箱をひっくり返すのに躊躇しまくっていた。
まあ……そりゃね。でも……やらなきゃ…………やられる…………っ!
もー、こんなとこにいたんですね。風で飛んでいっちゃいますよ、ちゃんと中でやりましょう。とか、真面目な顔で地獄みたいなことを言い出す鬼がやってきてしまう…………っ。
それから五回程躊躇ってから、僕達は遂に意を決して箱の中身を地面にぶちまけた。
うわぁ…………うわぁぁあ………………っ。うえっ……ば、晩御飯……今日はいいや…………
「……やるぞ。ってか、やんなきゃいけねえんだろ。いや、なんで俺が仕切ってんだよ、俺はやんなくても良いのに。そうだよ! なんで俺が箱ひっくり返す役やんなきゃいけなかったんだよ!」
「い、今になってそんなことで怒らないで下さいよ……じゃなくて。そうです、やらなくちゃいけないんです。ふう…………いざ……尋常に……」
ふえぇん……尋常じゃない汚さ、触れたくなさだよぉぅ…………ふぇぇ……っ。
だが、ょぅじょになってもことは解決しない。
僕もエヴァンスさんも、それはもう汚物を触るような手付きでひとつひとつを確認し始める。
いや、実際汚いものなんで汚物みたいなものですけど。
「日記日記……昔のことが書いてあれば、なんでも良いんだよな?」
「はい。と言うか、この際なんだって欲しいです。個人の日記から、畑の観察日誌から、それこそ料理のレシピまで。誰かが残したものなら、なんでも」
そりゃまた範囲が広いな。と、エヴァンスさんは疲れ切った顔を浮かべた。
そして、壊れた農具の持ち手や藁細工のゴミなんかを退けながら、綴じ紐も千切れかけているくらいボロボロの紙束に手を付けた。
うん、そういう奴をお願いしたいです。
それ以外のガラクタは…………僕がパッと見で判断して弾いて行くから…………本当にガラクタ、ゴミばっかりだな……
「…………これが…………いや、もう字なんて読めねえな。劣化が酷過ぎて……このページはなんとか…………あー……? こりゃ……手紙…………か?」
「手紙…………いや、近況報告なんかが書かれてれば……」
時代を特定出来れば、そこからその時の生活を推測出来ないかな?
だが……受け取った紙束は本当に劣化が凄くって、挨拶といくつかの単語の残骸だけを読み取るので精一杯だった。うぐぐ、次。
「……っとにガラクタばっかりしまい込みやがって…………って言うかよ。お前、もしかしてゴミ箱押し付けられてねえか?」
「ゴミば…………いやいや、押入れの最上段にしまってあったんですよ? ただのゴミをそんな、わざわざ大切に取っておかないでしょう」
じゃあ、このゴミは大切にされてたものなのか……? と、一面に広がっているゴミと虫の死骸と埃を指差して、エヴァンスさんはまた頭を抱えた。
でも、そう言いながらも次の箱をひっくり返してくれるジェントルマンである。ええ人やな……ほんまに……
「で、こっちは…………袋が…………袋か…………はあ……」
「考えられるとしたら…………保存用に分けておいた作物とか……ですかね。種もみとか、株とか…………だったもの……と言うか…………」
つまり……袋の中は、箱の中以上の惨事に見舞われている可能性が…………っ。
大丈夫、信じろ。こっちはきっとお宝をしまってたんだよ。信じろ、おじいさんを。
でも……出したくねえぇ…………と言うか触りたくねえ……っ。
「やんぞ……アギト…………っ。せーの……で、出すからな。せーの……で……うん、せーのでいこうな…………せー…………せー…………の、で……」
「い、いきましょう…………せーの…………で……せー…………っ。せ、せーの……で、いきますからね」
フリじゃねえんだ。これはさ、ガチなんだ。
マジで汚過ぎるし、中見たくなさ過ぎてこうなっちゃうんだ。
ジップ□ックじゃないんだ。決して、密閉出来る袋じゃない、かなり簡素な巾着なんだ。
そしたら……中でいったい何匹の虫が死んで…………ぞわわわわっっ。
だ、だけどやらないといけないから…………せーの……で、いくんだ……うん……せーので…………
「お兄ちゃん達、何してるのー?」
「————どっしぇぁあああ——っっ⁈」
どっしぇぁあああっ⁈ なんだその声⁈
不意に背後から掛けられた声に、驚いて袋を落としてしまった。
落として…………ばすん。と、間抜けな音を立てると、それは少々の埃と一緒に空気を吐き出した。
あれ、この様子だと……中は綺麗そう?
「——じゃなかったぁっ⁈ び、びっくりさせないでよ、もう! って……あれ?」
「えーっと……ごめんね……? もうご飯の時間になるのに、こんなとこで何してるの?」
背後に立っていたのは、ミラくらいの背の猫顔の少年だった。
と言うことは、大体十歳かそこらだろうか。でも、割とみんな体大きいからな。
喋り方的にも……七歳くらいかも。そんな小さな男の子が…………ふむ?
「あー……えっと、俺達はちょっと部屋の片付けをしててね。その……ご飯の時間……ってことなら、君はどうして……?」
「んー……怪我した。だから、ちょっと先生のとこに行ってくるの」
あー、はいはい。先生ってのは、お医者さんのことかな。
見れば、確かに少年は右手の人差し指をすっぱり切って血を流して…………ちょっ、垂れてる垂れてる。
結構ざっくり切ったな、せめてなんか止血してから行きなさいよ。見た目通りワイルドだな、もう。
「…………? お兄ちゃん、大丈夫? どっか悪いの?」
「へ……? どっかって…………っ!」
少年が気に掛けていたのは、エヴァンスさんの方だった。
それに気付いたのは、少年の視線を辿ったからではなく、荒い息遣いが聞こえたから。
急いで振り返れば、傷口を見つめたまま小さく縮こまっているエヴァンスさんの姿があった。
「っ……ごめんごめん、このお兄ちゃんは血が苦手でさ。ほら、行くなら早く行かないと。ご飯の時間に間に合わなくなるよ」
「えーっ! やだーっ! じゃあ、お兄ちゃんも早く行こうよ! どこか痛かったら、先生に診て貰うんだよ?」
これが終わったら飯の前に行ってみるよ。と、エヴァンスさんは、埃だらけなのも気にせず両手で目を覆ってそう言った。
絶対だよ。と、少年は僕達に念押しをして、そしてすぐに先生とやらの所へと走って行った。
これは…………こればかりは、医者の先生に診て貰ったとしても…………?
「…………? エヴァンスさん……?」
「——フーッ————ッ——フーッ——大丈夫————大丈夫だ——っ」
随分……息が荒いと言うか……この前よりもずっと苦しそうだ。
さっさと終わらせよう。終わらせねえと寝ることも出来ねえんだぞ。と、エヴァンスさんは手を叩いて気合を入れ直した。
相当気負って見えるし…………? なんだろうか。
キツそうだし……うん、苦しいとか、気持ち悪いって感情が見えるんだけど……?
なんだか、それだけじゃない気がした。気の所為……かな……?
早くやるぞ。と、急かされて、僕達はまたゴミ漁りを再開する。気の所為……だよな…………




