第九十八話【嫌な残像】
この街にやって来て二日が経った。
心身ともに健康、トラウマじみた憂いは、完全にとは言い難くもそれなりに解消されてくれた。
働いて、食べて、笑って、寝て。そんな当たり前の生活が、僕達の心を優しくほぐしてくれた……って感じ。
だけど……同時に僕の中で、ヒリ付くような焦燥感が強くなっていた。
「……二十五日……っ」
前回の殆ど倍の時間を掛けて尚、手掛かりらしい手掛かりは見つかっていない。
いや、それっぽいのとか候補はある程度あるけど……絞り切れない、決め手となるものが無い。
この焦りは、きっとミラの中にもある。
それでもなんの手立ても無いのが、今はひたすらに苦しい。
「…………アギトさん」
「……っ。ご、ごめん……集中集中」
おっといけない。不安も焦りも、それはそれ。
僕達は街の畑で収穫を手伝っていた……と言うか真っ最中だった。
はあ……昔、花渕さんに怒られたなぁ。考えるのと手を動かすのが同時に出来ない、経験不足が酷い、って。
うう……まだ…………まだ克服出来てないかよ……っ。
「おいおい、揃いも揃って腑抜けてんなぁ。まあ……あんま言えねえけどよ、俺も」
「エヴァンスさん…………? あ、ああっ! ミラちゃん、下! 足下!」
へ? と、なんとも間抜けな顔で目を丸くするミラだが、収穫したばかりの野菜を踏んづけてしまっている。
わぁっ⁉︎ と、驚いた様子で飛び退いた先で、今度は畝に足を引っ掛けて転んでしまった。
ドジっ娘ねえ、うふふ。なんて笑ってられない! ナイフ持ったまま転んだぞ⁉︎ 怪我してないか⁉︎
「いたたた……いっ……うう、切っちゃいました。はあ……今更この程度のことはなんでもないですけど……」
全然集中出来てないです。と、ミラはがっくり肩を落としてうなだれた。
なんでもない……か。まあ、自己治癒の前には、切り傷のひとつやふたつは大した問題じゃない。
むしろ問題なのは、足を引っ掛けた程度で転ぶくらい気が抜けてることだ。
いつものミラなら、たとえ寝起きのふらふらしてる時だって怪我せずにやり過ごしただろうに。
「…………なあ。ちびの……その、怪我……前にも……」
「怪我……? ああ、ええっと……」
おっと、困った。なんて説明しよう。
まあ……無難なのは、これも魔術の一種なんです、だろうか。
付け加えて、自分にしか使えない特殊なものなんだ、とか言っておけば……なんだか騙してるみたいになるけど、実際これ以上の説明はしようもないし。
そもそも、自己治癒の呪い自体イマイチなんなのか理解出来てないし。
マーリンさんが先代の勇者様を召喚する時に付与した力……が、どういうわけかミラの中に引き継がれていた、と。
まあ、その力が無かったらマーリンさんとの縁も無かったんだけど。
「……前にも……初めて会った時、見間違いじゃなければ…………」
「……はい。私はあの時、腕を折られてます。魔術……のようなものですが、どちらかと言えば体質と呼ぶ方が語弊が少ないかと。
どんな大怪我もその場で完治する、非常に高い治癒力を持っている……と、そう思っていただければ」
火の玉より意味分かんねえもんが出てきたな。と、エヴァンスさんは青ざめた顔でため息をついた。それは……はい、同意します。
自然現象の延長という魔術や錬金術とは、根っこの部分が違う気がする。
いえ、その自然現象の延長ってのも、正直未だに納得いってないですけど。なんなんだよ、火の玉のラジコンって。
「……そういうのも、お前らの育った場所では……」
「ああ、いえ。これはミラちゃんだけの特別な能力です。本当に特別というか……一応、もうひとり使えた人がいたらしいんですけど……」
その説明はしなくても良かったと思いますよ……と、ミラは僕のお腹を突っついた。
余計なことを言って混乱を加速させるな、ですか。うん、ごもっとも。
だけど……知ってることってさ……ついつい説明したくなっちゃうよね……
「はあ……ますます意味分かんねえな。いた……てことは、いなくなったんだろ? そんな力があって、どうして……」
「ええっと……それは……ちょっとだけ込み入った事情があって……」
アギトさん。と、ミラは優しい目を向けて、それでも容赦無く僕のお腹を突っついた。ご、ごめんなさい……ちょっと黙りますね……っ。
怪我が治るだけで、病気は取り除けなかったんです。と、ミラはそれだけ言って話を打ち切った。
珍しく淡白と言うか……おしゃべり好きのミラにしてはサクッと切り上げたな、なんて……バカだな、僕は。
ふと目を周りに向ければ、早く働けと言わんばかりの視線が集まっていた。
新参者がサボるな。と、皆さんそう仰りたいらしい。ご、ごめんなさい……
「……これにはまだ慣れないなぁ」
この街では、働いたら働いた分だけ——成果に見合った報酬が得られるわけではない。
どれだけ頑張っても報酬は殆ど変わらない、街が税金で持って行ってしまうから。
裏を返すと、どれだけサボっても頑張った人と変わらないだけの報酬を、そして福祉を受けられる。
だから、サボってる人にみんな手厳しい。
べーし……べーしっく…………? とにかく、なんか昔ネットで見た失敗政治集みたいなのにあったのとよく似てる。
でも……街単位の狭い社会だからだろうか、みんな勤勉でその仕組みが崩壊する気配は見られない。
限定的な範囲なら平気ってことなのかな?
「おーい、ちび。さっきの傷……うわっ、マジでもう塞がって……ってか、どこにも見当たらねえ。一緒に旅するようになってから、そこそこ荒っぽいことやってたと思ったんだけどな……」
「はい、傷跡ひとつ残らず治ってしまいました。その……それは結構嬉しいんですよね。手荒れなんかも綺麗になりますから、みんなから肌が綺麗って褒めて貰えます」
プニプニすべすべな赤ちゃん肌だものね、貴女。
でも、この世界だとそれがかえって浮いているのだけど。
ミラと同じくらいのケモ度でも、大体体毛はちょっと濃いめな人が多い。
腕から先だけ動物っぽかったり、靴が必要無いくらい立派な蹄が付いていたり。末端程、獣化が顕著な様に思える。
「肌が綺麗……ってのは、褒め言葉なんだな。周りじゃ誰も言わねえから……ふーん」
「あはは……俺達のいた所では、ですね。ミラちゃんみたいに体毛の薄い人が多くて」
結構珍しい顔だよな。と、エヴァンスさんはミラの頬をブニブニと肉球で挟みながらそう言った。
ちょっと気持ち良かったのか、小さく無いですというツッコミまでにラグあったぞ。
珍しいんだよ、本当に。耳しかないんだもんね、ケモポイント。
「っと、これ以上はやべえな。そろそろ黙って働くか。アギト、お前はヘマすんなよ? さっきの話だと、治るのはちびだけなんだろ?」
「そうですね、気を付けます。気を付け……」
いや、こんな毛むくじゃらの体で中々擦り傷とか作らなくね? まあ……気を付けるけど、念の為。
はあ……前までなら治して貰えたのになぁ。
今も治せるのかもしれないけど、治せてもミラが混乱するばかりだからやめといた方が無難だろうな。
そうしてやっと真面目に働き出した新顔を、街の人達は次第に許容してくれて、夕方には採れた野菜をみんなで笑いながら倉庫へ運び込んだ。
今日の労働は終わり、ご飯とお風呂とお布団。って……そうなる筈だったんだけど……
「……? なんだ? なんか揉めて……?」
「人だかりが出来てますね。なんでしょう?」
なんだろうね?
野次馬根性発揮して僕達もその人だかりに混ざっても良いんだけど、それで重大な事故とかだったら困るから遠巻きに状況を把握しようか。
ざわざわとみんなが地面を……いや、寝てるか蹲ってる人を見てる……のかな。
そうなると……怪我か病気か、とにかく動けなくなってる人って可能性が高いな。
可愛らしい子供の周りに……ってのだったら、もっと和気藹々とした空気になるだろうし。
と、そんな推理をひとりでしていると、ミラとエヴァンスさんがその人だかりの中に突撃して行くのが見えた。ちょっ、この野次馬!
「ふたり共、あんまり群がると色々と困…………っ」
人混みを掻き分けて突き進むミラの後ろに付いて行くと、足から血を流して蹲っている男の人の姿が見えた。
僕やエヴァンスさん程毛深く無い脚には、随分と大きな切り傷が……いや、裂傷が見られた。
どうやら、転んだ拍子に農具に足を巻き込んだらしい。
ミラと同じような怪我の仕方でも、ぶつけたものが違うとこうも違うのか…………ううっ、ぶるぶる。血を見てたら寒気が…………
「アギトさん、病院に行って水と薬と包帯を貰って来てください。派手に血が出ていますから、止血してから運びましょう。エヴァンスさんも…………っ⁉︎」
「分かっ……? ミラちゃん、どうかした…………っ!」
分かった、任せて! って飛び出そうとした時、僕はそれに気付いた。
ミラが見た先、指示を出そうと向いたその先で、エヴァンスさんが真っ青な顔をして蹲ってしまっていたのだ。
「——っ! エヴァンスさん! 大丈夫ですか⁈ 何処か怪我を……」
違う。と、エヴァンスさんは力無く答えた。違うって、でも随分苦しそうだ。
怪我じゃ無いなら……病気? けれど、それにしては急だ。
僕の見当違いな問診は別として、彼が苦しんでいる理由に見当がつくまでにはそう掛からなかった。
「……エヴァンスさん、病院で水と薬と……えーっと……包帯! 貰って来てください。ここでの手伝いは俺が」
「…………ふー……っ……悪い、アギト……」
彼はきっと、あの時の光景を思い出してしまったんだ。
血を見ることで、あの惨劇を……っ。
ゆっくり立ち上がって、出来るだけ怪我人の方を見ないようにしながら、エヴァンスさんは病院へと向かった。
苦しいな。せっかく忘れられそうだったのに、こうして逐一フラッシュバックしてしまうんだろうか。
っとと、いけない。エヴァンスさんが病院に向かってくれたんだから、ミラの手伝いは僕がしなくちゃ。
慌てて怪我人の元へ駆け付けると、僕はミラの指示に従って患部よりも根元の部分をタオルで縛った。
うぷ……ぼ、僕も別に血は平気じゃな…………ぶるぶる……




