第九十七話【今までに無い街のかたち】
役所に着くと、僕達は驚く程あっさりと目的を達成することが出来た。
目的とは、これからどう暮らしていくかという目処を立てること。
つまり、お仕事と、住むところと、取り急ぎ明日食べるご飯とそれを買うお金のことだ。
それらが丸々全部、あっさりと達成されてしまった。というのも……
「……社会主義……ってやつなのかな……?」
いえ、詳しくは知りませんけど。
外の街からやって来た。食べるものも泊まる場所も無い。お金も殆ど失った。すぐに働ける仕事を探している。
そんな無理難題にも思えた僕達の要望を、受付の若い男性は笑いながら許諾してくれたのだ。
この街では衣食住は最低限の権利として保障されている。
当然、料金の発生しない一時的な保護のようなものも。
仕事の殆どはいつでも誰でも受けられて、この街の福祉の為に従事して貰う。
これが、難民のような状態になっていた僕達の前に現れた、まるで嘘みたいな街のシステムだった。
「働いた賃金の、その殆どが税金で持っていかれてしまう。けれど、その分社会保障が手厚くなっている。うーん……なんて言うか、違和感……イメージが掴みにくい……」
今までの街とはまるで違う——それこそ、別の国に来てしまったみたいだった。
あるいは、みたいではなく、本当に別の国なのかも。
まあ、国って概念があるのかもまだ分かってないけどさ。
そんなわけだから、やはりと言うか……残念、ポケットの中の小銭達は、ただの古びたコインになってしまった。
「ここまで大きく隔たりがあると、かえって安心しますね。となればつまり、ここと今までの街とはまるで縁が無かった……と、そうも考えられますから」
「ふむ……確かに。ミラちゃんの言う通り、そこについては……もう、ほんっとうに安心と言うか……」
やっと……やっと解放される……っ。
野宿しながらのこの二日、正直ずーっと気が気じゃなかった。
アイツらがいつどこでまた現れるかも分からない、どれだけの数が追い掛けて来ているのか知れたものじゃない……と、ひたすら警戒し続けていたからね。
やっとミラもエヴァンスさんも眠れるようになる。それが今は何よりもありがたいよ。
「……しかし、弊害もあります。今までのように、まず数日生活出来るだけのお金を稼いでから調査に打ち込むというやり方は、この街では難しいでしょう。
単に賃金が低いこともそうですが、それに伴って保障に依存する部分が大きいですから。あまり働きもせずに恩恵ばかりを受けていては……」
「あはは……そうだね、白い目で見られそうだ。となると……街の外で出来る仕事を受けたいところだね」
もちろん、街の中を徹底的に調べてから……だけど。
国が変わったのならば、或いは野生動物が……と、その期待は流石に殆どしていない。
地続きである以上、そこまで大きな変化は無いだろう。
哺乳類は全て人類に統合された……で、良いのかな。
とにかく、もれなく人の中に取り込まれてしまった、と。
諦めてその仮定を受け入れないと、本題は全然進んでないんだから。
「……それと、やっと安心出来る場所に来て早々ですが……また、あの出来事が起こらないとも限りません。
アレがこの世界を終わらせる異常なのだとしたら、当然別の場所でも発生し得ることですから。
或いは、伝染病のようなものなのかもしれませんし」
「ひっ……ち、ちび……お前、たまにおっかないこと言うよな。はあ……その内、顔までおっかなくなっちまうぞ」
小さくないです。と、未だ律儀にツッコミを入れるミラの頭をぼすぼすと撫でて、エヴァンスさんは体をブルブル震わせてため息をついた。
うん、気持ちは分かる。僕も……はあ……ぞぞぞっ。
「考えたくない話だね、ほんっとーに。もしそうだとしたら……アレを放置して来たこと、相当な痛手になりかねないね」
「……はい。いざとなったら……いえ、あまり私達のゴリ押しだけで解決してはいけないかもしれませんね。
それが無法であると。罰せられるべき、避けるべき悪であるとみんなが認知してくれれば……」
あの行為を、公の場で違法であると禁止してしまうことが、或いは正解なのかもしれません。ミラはそう言って、けれどそれは難しいでしょう。と、続けた。
エヴァンスさんは凄く嫌そうな顔をしているが、ミラの言葉の真意には辿り着けない。
そうだ、それは難しいことなのかもしれない。
獣の——混ざり込んだ動物の本能を、果たしてどれだけ抑え込めるものなのだろうか。
「なんにしたって、とりあえず今日はやっと休めるんだ。シャワー浴びて、飯食って。ゆっくり寝てから考えようぜ」
「そうですね……こんな状態じゃ、ロクに頭も回んないですし」
なんて言うのか、ヤケクソだな。エヴァンスさん、開き直りつつある。
ストレスを相当抱え込んでるだろうから、いつかどこかでぷっつり切れてしまわないと良いけど。
けれど、そんな彼の言葉は紛れもなく真理だろう。
やっと心も体も落ち着くところに来たのだから、少しの間だけでもゆっくりダラけよう。
死んじゃう。これ以上ビクビクしながら生きてたら、心臓破裂して死んじゃうもん。
「では、案内された宿へ行ってみましょう。食事もシャワーも、生活に必要なものは大体用意して貰えるという話でした。なんだか……優遇……ではないのでしょう、みんなが受けられるということでしたから。でも……」
「そうだね……こんなの、アーヴィンはおろか、王都ですらあり得ないよね」
王宮にいた頃は、ちょっとだけ似たような状態だったかな?
けど、アレは……うーん、なんとなくだけどちょっと違う気がする。
完全に管理されていたと言うか、選択権を与えられてなかった。
マーリンさんを取り上げられた僕達じゃ、自由にして良いよって言われても困っちゃっただろうけどさ。
って……そんな話をミラと出来ないのが地味に寂しい。ぐすん。
話の通り、向かった先には大きな集合住宅みたいなものがあった。
大きなと言っても、ビルや王宮みたいに聳え立つって程じゃないけど。
アパートをちょっとだけ簡素にしたような感じ。
そこそこ立派だけど、立派過ぎないみたいな。
受付で事情を話せば、すぐに部屋を準備して貰えた。
三人一部屋でちょっとだけ手狭だけど、全然文句なんて無いとも。と言うか……
「……良かった……ほっ」
「……? アギトさん? どうかしましたか?」
なんでもないよ。と、適当に誤魔化した僕をジロジロ見てくるこのちびっ子。下手にひとり一部屋割り当てられて、コイツとバラバラになるのが怖かった。
ひとりだと眠れないかもしれないし、僕にくっ付く隙を与えてやらないとね。
部屋にはシャワーも備え付けられていて、泥と汗を落としてすぐに食堂へと向かった。
おかわりは自由だって言われたけど……さ、流石に来て早々暴飲暴食は出来ないよ、そんな神経太くないよ。
まだ働いてないからね、しっかり貢献してから堂々とお腹いっぱい食べてやろう。
綺麗になって、お腹もまあそこそこ膨れて、そしたら……
「むにゃ……ふわぁ。ミラちゃん、エヴァンスさん。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい。お疲れ様でした」
俺ももう寝るわ。と、流石は空気の読める男。
エヴァンスさんは、僕がわざとらしい欠伸をして寝っ転がるのを見ると、部屋の隅に布団を敷いてシーツを頭から被った。
そしてすぐにイビキ……っぽい音が聞こえ始める。
ほんっとうに良い人だなぁ、もう。なんて気の利く紳士だ、本当に狼フェイス似合わないな。
「…………アギトさーん。すんすん……エヴァンスさーん……? すんすんすん……えへへ」
返事は無い、みんな寝静まっているようだ。
僕とエヴァンスさんの簡単過ぎる罠に引っ掛かって、ミラはいつも通り僕のお腹の上——にぃぃ……えぼふっ……みっ、みぞおち……どうしてお前はそう人体の急所に容赦無いんだ……っ。
まっ……まじで死ぬから……そこを退————
「すぅ……すぅ……ぐるるるる……」
「……ん……んん……ったく……」
必死に寝返りを打ったおかげだろうか、今朝のミラは僕の背中にくっ付いていた。
おお、懐かしい感じ。これこれ、これだよ。やっぱりお前の定位置はそこ、お腹の上は本当に痛いからやめてね。
背中の肉越しに響いてくるミラのごろごろが、やっぱり昨晩は物足りなかったと主張するお腹に響いて……は、腹減ったぁ……
「…………おい……おーい……アギトー……」
「…………」
遠く遠くから小さな声で僕を呼んだのは、やはり気の利くエヴァンスさんだった。
しかし、僕はそれに小さく頷くことでしか返事が出来ない。起きちゃったらめんどくさいからね。
だけど……気が利き過ぎる男エヴァンスは、ちょっとだけ呆れた顔をしてすぐにシーツの中に潜ってくれた。ありがとう……そして申し訳無い……っ。
「むにゃむにゃ……ごろろろ……すぴぃ……」
まったく、なんて無防備で間抜けな寝息だろう。
でもまあ、久しぶりの快眠だし、自然なことだって言ったらそれまでだけどさ。
今朝は寝返り打つフリで起こすのはやめておこう。ちょっとでも長く、ちょっとでも多く休ませてあげよう。
あんな出来事が続いて、コイツだって精神的に参ってる筈なんだし。
そんなお兄ちゃんの優しさにどっぷり甘えて、我が愛しの妹が目を覚ましたのはお昼過ぎのことであった。ね、寝過ぎだよ……流石に……っ。




