第九十四話【訪問】
翌日、僕とミラは日の高いうちに例の集落を訪れていた。
エヴァンスさんには、あまり下手なことは言わないでおいた。
もしかしたら街に危険人物が潜んでいるかも……と、そう言って怯えさせては、なんの為にあの街に戻ったのか分からなくなってしまう。
それに、不安でビクビクしながら生活していたら、かえって目立ってしまって奴らに見つかった……なんて、笑えないオチが付いてもいけない。
「なんにしても、時間との勝負だね。行こう、今度こそ」
「はい!」
また昨日と同じ柵の切れ目を前にして、僕達は気合を入れなおす。
昨晩同様……いいや、昨晩以上にお香の匂いは薄まっていて、やはりアレが特別な事情のもとに焚かれていたのだと確信させる。
「少なくとも、昨晩は被害が出なかったと見て良いでしょう。勿論、安全だなんて保証はひとつもありませんから、明るい中でも細心の注意を払ってください」
周囲を窺いながら柵を潜り、今日も見張りがいないことを確認してミラはそう言った。
安全、保証。成る程、ちょっとだけ考えが読めた。
より正確には、僕の考えが読まれていることが分かった。
以心伝心、仲良し兄妹だからね。
「……でも、可能性は高いと思う。もしそうなら……時間たっぷり使って、徹底的に調べられるね」
「決め付けは良くありませんが……期待は持てますね」
この場所が、特別な時にのみ使われる祭壇のようなものである可能性。
勿論、今僕が初めて気付いたなんてわけじゃない、前からその話は出てる。
ただ、そうであって欲しいというのが半分。
もう半分は、やはりそうでなければ色々立ち行かなくなりそうだという、半ば惰性にも似た推理の結論だ。
「……やはり、ここで生活を送るのは難しそうですね。都度、街へ買い出しに向かっている……或いは、昼は街で働き、夜眠る為に此処へ戻ってくるという形でしたら可能でしょうか」
「ベッドタウン……ってやつだね」
え? ちょっと違う? 似たようなもんだよ。
やはり、この場所は集落として——人が生活する場所としては、幾らか機能が足りていなさ過ぎる。
畑も漁場も無く、当然お店らしいものも無い。
本当に住むだけの場所、小屋が立ち並んでいるだけって感じ。
「——っ。嫌な臭い……こびりついてますね、すっかり。アギトさん、行きましょう」
「うっ……確かに、酷い臭いだ。調べないわけには……うん、いかないよね」
お香の匂いが薄まったのだから、当然……血の臭いがあの場所から漂ってくる。
あまりにも濃い、不快感の強い臭いに、ミラの眉間には深くシワが刻まれていた。
多分、元のアギトのままだったとしてもこれはキツいだろう。
あまりにも濃くて、そして多い。
やはり……アレが最初、唯一の事件だったわけじゃなさそうだ。
「……さん……に……いち——」
色んな臭いがキツ過ぎて中の様子が分からない以上、いつもみたいに外から様子を窺って侵入という選択肢は取れない。
身を屈め、そしてカウントをすると、ミラは小屋のドアを勢いよく開けて拳を構えた。
だが、その中にあったのは——
「————っ。最低ですね、本当に。最低の気分です」
「……ミラちゃん。あんまり、見ない方が……」
そこには獅子頭の姿は無く、転がっていたのは……っ。
どうやら、やはりこの場所には他に誰もいないみたいだ。
となれば、今から集落の外に“彼”を運び出して、埋葬することも可能だろう。
いいや、しなくちゃならない。人として、こんな結末を放置して良いわけがない。
それに何より、そうしたい筈だ。
ミラがこんな惨劇を——尊厳の踏みにじられた終わりを認める筈が無い。けれど……
「——調べましょう。出来るだけ痕跡は残さないように、手短に。アギトさん、戸棚の中をお願いします」
「……うん、分かった」
そんなことをすれば、此処の連中に僕達の存在を気付かせてしまう。
見られた、逃げられた。それに加えて、嗅ぎ回られている……となれば、間違いなく本腰をあげて警戒されてしまうだろう。
そうなれば、やはり他の街への被害が怖い。
昨晩危惧した最悪の展開が、本当になってしまう可能性もある。
でも……でも、以前のミラだったなら…………
「……バカアギト。そうじゃない……そうじゃないだろ」
前のアイツなら、そんなのお構いなしに彼を弔っただろう。
逆襲なんて意に介さず、むしろそのまま叩き潰して一網打尽にしているところだ。
でも……今はそれが出来ない。
弱くなったからじゃない、強くなったからだ。
勇者として認められた今だからこそ——あの頃よりも多くのものを背負っているからこそ、もう無茶は出来ない。
悪く言うなら、しがらみが増えた。
良く言うのならば、やっと分別が付いて大人になってくれた、ってところかな。
「……目ぼしいものは何もありませんね。強いて言えば……他にも古い血の跡がありますから、かなり昔から此処が使われていたということだけは……」
「棚の中も……何も無いね。やっぱり、ここは住む場所じゃなくて……」
他も調べましょう。と、ミラはそう言って小屋を出た。
そして、弔うことも出来ない彼に深く頭を下げ、出来るだけ静かにドアを閉めた。
泣き出さなくなったのは、それも大人になったからだろうか。
いいや、多分違う。悲しみや悔しさに対して、ある種リミットが設けられてしまったんだろう。
僕がそうであるように、ミラの心にもあの最期が強く作用しているんだ。
たとえ、覚えていなくたって。
集落には両手で数えられる程度の、それも小さくて造りの簡素な小屋があるだけだった。
しかし、その全てから同じ痕跡が見つかって…………同時に、なんの手掛かりも残されていなかった。
「この場所は、やはり集落……住む為の場所ではありませんね。布団のひとつも無いとなれば、ここへやって来る理由はひとつでしょう」
「……はぁ。ごめん、流石に頭痛いや。ミラちゃんは大丈夫? 正直……ふー。ちょーっと……」
全身の毛が逆立ってる気がする。
いいや、今に限ってはそれも比喩じゃない。
あまりにも惨たらしい痕跡の数々に、アギトのこの肉体は戦慄を覚えていた。
気分が優れないとか、嫌な気持ちになったとかじゃなくて。
臭いに、光景に、身体が拒否反応を起こしている。
「……手短に終わらせたつもりでしたが、もう夕方ですね。お腹も空かないものですから、時間の感覚が麻痺してしまってました」
「あはは……こんな所でお腹空いたなんて言われた日には、俺はマーリンさんをどついてるとこだったよ。どんな教育してきたんだ、って」
ミラの言う通り、日は既に沈み始めていた。
気付かなかったのは、ここが林の真ん中にあって、日の高さに関係無く暗いからだろうか。
それとも、似たような光景を見続けていて、感覚が狂っていたからだろうか。
なんだって構わないけど、とりあえずさっさと退散しよう。
もう、一秒だって長くこの場所に留まりたくない。
本当に気分が悪い。最低も最低、最低最悪だ。
「……今晩、ここが使われることが無ければ良いですね」
「…………そうだね。それを祈るばかりだ」
ここを見張って、もしもまた誰かが誰かを連れ込んでいるところを発見したなら……っ。
けれど、それをする余裕は無い。
きっと大丈夫って言い聞かせてここに来てはいるけど、やっぱりエヴァンスさんのことが心配だ。
夜になれば、またあの人は僕達の帰りを待っててくれるだろう。
そこへうっかり奴らが現れでもしたら——彼はこの短い間に植え付けられた幾つもの恐怖心に、果たして竦まずに逃げ出すことが出来るだろうか。
それは……やはり、難しいと思うから。
「戻りましょうか。けれど、慎重に。まだ、警戒されている可能性は高いです。時間に余裕がありますから、追われていないかをしっかり確かめながら、少し遠回りして行きましょう」
「分かった。もしかしたら、あっさり何かの手掛かりを見つけられるかもしれないしね」
そうだと良いですね。と、ミラは笑った。
ああ、本当に。そうだったらどれだけ良いか。
ここへ来て、そのありさまにハラワタが煮えくりかえりそうな程の怒りを覚えた。
しかし、こうして無事に帰還出来ることに、心の底から安堵した。
だが、そのどちらも“最終解”への鍵とは程遠い。
まだ——まだ僕達は、この世界に訪れる終焉の、その影すらも見つけていないのだから。
しっかりと安全を確保してから街へ戻ると、既に空には月が出ていた。
昨日よりも更に少しだけ削れた、それでも大きな月だ。
まだ日は沈み切ってないけど、うっすらと空に光っている。
そんな月の下で、僕達はやっぱり不安そうな顔のエヴァンスさんを見つけた。
「——っ。おう、戻ったか。で、どうだった?」
「エヴァンスさん……まったく、不安なら宿に入っててくれれば良いのに」
怖かねえよ! と、エヴァンスさんは語気を荒げて、けれどどこかホッとした様子で笑みを溢した。
そんな彼に、僕達は今日の収穫を話す。
あの場所はやはり、どうやっても覆せない程の罪を重ねた場所である、と。
そして、それを前にして僕達には何も出来なかった、と。
アレがなんであるのかをおおよそ把握しただけで、なんの解決も出来なかったのだと、そう打ち明ける他に無かった。
「……そっか。いや、お前らはなんも悪くねえだろ。だって、今まで誰も気付かなかったんだ。
それにやっとお前らが気付いた。これからちょっとずつ解決してけば良いさ」
「……そうですね。少しずつ……少しずつでも……」
少しずつなんてやっている猶予は、果たして僕達に——この世界に残されているのだろうか。
そんな焦りも湧いて来るが、それでも一歩ずつやるしか無いのも事実。
ぱちんと顔を叩いて気合を入れ直し、明日に備えてとりあえず晩ご飯…………は、ちょっと食べられそうに無いかな……っ。
でも、何も食べないと流石に倒れそうだ。
せめて果物とか、野菜だけでも食べておこう。そんな話を和気藹々としている時のことだった。
————ガシャン————と、鈴の音が耳に届いてしまった——




