第九十二話【二分の一の一択】
数時間の仮眠を摂ると、僕達は射し込んできた朝日に目を覚まさせられた。
ミラは……元気いっぱいって顔で、洞窟の入り口辺りを見張ってた。
エヴァンスさんは……
「……眠れなかった……ですよね。俺も……ふわぁ……寝てるのか起きてるのか……って感じで」
重苦しい表情で苦しそうにしていた。
体が重い、目がパサつく。そんな心の声が漏れ出てるかのように、彼の取る仕草はどれもつらそうなものだった。
無理も無い。あんなものを見たその晩に、のうのうと快眠なんてあり得るわけがないんだ。
普通に生活していて、それも夜中は出歩かないものとして育った彼に、このひと晩は随分堪えた筈だ。
「ミラちゃん。街に戻って、少し心を休めた方が良いと思う。エヴァンスさんも、俺もそうだけど……」
「……ありがとうございます。そうですね、一度……数日、働いて、ご飯を食べて、眠って。健全な生活を送って、体も心もリフレッシュしてから、ですね」
でないと、またお前は倒れてしまう。思い詰めてしまったら、またお前は眠れなくなってしまう。
エヴァンスさんの心を落ち着かせる為にも、ミラの体を無理矢理にでも回復させる為にも。
勿論、僕の心と体を労る為にも休息は必要不可欠だ。もうマジでキツい、吐いちゃう。
「…………そんな時間、あんのか」
「……? エヴァンスさん……?」
僕の提案に否定的な態度を取ったのは、意外なことにエヴァンスさんだった。
彼は三人の中で一番参ってると言うか……あの光景に対して、強いショックを受けている。
立ち直るのにはかなりの時間を要するだろうと思っていたのだが……
「なんとなく……なんとなく、お前らの話を聞いてたら分かるよ。なんか……最近、焦ってるよな。
それって……その、時間が無えんじゃねえのか……?
仕事早抜けして街の外行ったり、来た道を戻るのに躊躇したり。
お前らが言う、その……終焉……ってのが……」
僕もミラも驚いて目を丸くした。
その話はまるで信じて貰えてない腹でいたつもりだったが……そっか、僕達ってそんなに余裕無いように見えてたんだ。
「だったら……っ。だったらよ、あの集落はさっさと調べちまいたいんじゃないのか……? さっさと調べて、終わりにして。それがなんであれ、一段落ってしちまいたいんじゃないのか……? それを……俺の所為で……」
「それは違います! エヴァンスさんが苦しそうだから……ってのも勿論あります。でも、ミラちゃんも俺も平気じゃない。だから、一回休んで……」
休むよりもすぐに解決した方が、お前らは楽なんじゃないのか? と、エヴァンスさんは僕の言葉を遮ってそう言った。
それは……っ。それは、そうだ。
街で一度心を落ち着けよう……なんて言っても、ミラはその間寝ずに見張りを……いいや、或いは単独で調査に飛び出してしまいかねない。
どっちにしても、あんな爆弾を放置したままでは休まらない。
でも……今エヴァンスさんをひとりにするのは……
「俺は大丈夫だ、アギト。そりゃ……やべえって思った。この世の終わりかとさえも。
でも、それは何もアレが初めてじゃない。お前達と会った時、同じ怖さを覚えて……それでも、こうして連れ出して貰った」
だから、なんとか大丈夫だ。と、エヴァンスさんはため息混じりに頭を抱えてそう言った。
言葉と行動が……と、成る程、そのため息は……
「…………っ。ちびは昼間しっかり寝てろ。アギトもだ。俺は……寝てらんねえから、働いてくる。そんで……日が暮れる前には……」
「……分かりました。アギトさん、エヴァンスさんの言う通りです。
もうここへ来て十九日目、時間がどれだけ残されているのか分かりません。
こんな言い方は不謹慎ですが……ようやく見つけた糸口です。下手に時間を置いて姿を隠される前に動くべきかと」
くっ、ミラまで。
ふたりの言い分は、客観的に見たら正解なんだろう。
だけど、その為には精神的に大きな負担を強いてしまう。
僕はまだ良い、鈍感な方だから。
でも、なんでもかんでも背負ってしまうミラや、この世界の当事者であるエヴァンスさんには、危険度の高いストレスだ。
エヴァンスさんはこれからもこの世界で生きていくのだし、ミラだって……心に受けた傷はしっかり持ち帰ることになるんだ……っ。
「…………そう……だね。その方が、色んなことが良い方に向いてくれる。だけど……その為に……」
「一刻も早い解決は、エヴァンスさんの為にもなります。
アギトさんの不安も理解出来ます。時間を掛けて心を癒してから、それからまたじっくりと解決する。私もそれには賛成です。
ですが……本人の意向がそうでないのならば、私達が選ぶべき道はひとつ」
最速で全てを解決出来る、負担の大きな道です。ミラはそう言って、そしてふんすと鼻を鳴らした。
気合入ってるのは良いけど……それで心配なのはお前もなんだよ……?
結局、どっちを選んでも裏目はある。
ゆっくり解決しようとしたなら、そのストレスは軽減されながらもじわじわと僕達を追い込んで来る。
さっさと解決するにしても、思いもよらぬアクシデントに心を完全に砕かれてしまう危険がある。
なら……最大値の小さい方を選びたいと思うのが、僕みたいな小心者の一般人の考え方なんだ。一か八かで破滅する選択肢は選びたくない。
それでも進むって言われたら……
「……やっぱり、俺は反対だよ。ふたりにとって、その選択肢は最悪の結果を招きかねない。
だけど……俺がそれを拒む理由は、ふたりの為……だけだから。ふたりが……そうしたいって言うのなら……」
拒むわけにはいかない。
止めなきゃいけないし、説得しなきゃいけないのだけど……聞いてくれる相手でもない。
だったら……うぐぅ……僕も手伝って、全速力で駆け抜けられるようにしてやろう。
ああそうだよ、そういう関係だった。僕はいつだって、無茶しがちなミラが倒れてから背負ってやる係だった。
「でも! もしも本当にやばい……もう、マジでヤバ過ぎて色々ダメだ! って、なったら。今の俺なら、ミラちゃん相手でも力尽くでいけるからね」
「はい、その時はお願いします。そうと決まれば、街へ向かいましょう」
昼間から泊めてくれる宿を探しに。
はあ……今晩……かぁ。いきなり今晩……いやいや、泣き言はやめなさい。
いつだってそうだったでしょ、諦め……じゃなかった。腹を括り……でもない。
観念……じゃなくて…………いい加減慣れなさい。うん、これは一番あかんやつ。
はあ……もっと前向きな言葉で割り切りたいんだけどなぁ……
僕達はそのまま宿に部屋を借り、まだ浮かない顔のエヴァンスさんを見送って床に就いた。
わざとらしいあくびといびきでさっさと寝たことをアピールすると、ミラもふがふが鼻を鳴らしながら僕のお腹の上に……ぐえっ、だからみぞおち……っ。
安全な街だってのは分かってるから、夜に向けて体力と魔力を回復させることを優先させてくれたみたいだな。
今は見張りよりもそっちが優先…………って、ミラがそう考えたってことは…………っ⁈
も、もしかして、本能的に相当ヤバいと感じ取って……っ⁉︎
夕方になると、僕はミラに起こされて目を覚ました。
う、嘘だろ……まさかお前に起こされるなんて……っ。
まさか、僕の上で丸くなっても眠れなかったんじゃ……という心配はどうやら無用そうだ。
今朝よりも元気で、そして血色の良い顔を見れば快眠だったことは明白だろう。
となると……むにゃむにゃタイムも、強い義務感の前には無力、か。
「行きましょう、アギトさん。出来るだけ急いで、早くエヴァンスさんを安心させてあげないと」
「……そうだね。そういう子だったよ、ミラちゃんは」
ああ、うん。納得。納得と同時に……ちょっとだけジェラシー。
かつて、ミラにとっての守るべきものは僕——お姉さんとの約束だけだった。
けれど、今の勇者にとっては、エヴァンスさんや他の大勢の人達もその対象だ。
つまり、ミラはエヴァンスさんの為に早起きしたのだ。僕の為にそうしてくれていたみたいに。
「……? アギトさん、ええっと……?」
「いや、なんでもないよ。本当に立派な勇者様だなぁ……とね」
はあ。と、ミラは首を傾げて僕を訝しんだ。
ふふん、良いのさ、別に。エヴァンスさんは、所詮早起きして貰った程度。僕なんて、まるで眠らずに見張っててくれたぞ。
それも、お腹の上で目をくりっくりにかっ開いて、警戒レベルマックスって感じで。
だから、僕の方が大事にされてたもんね。僕の方が信頼されてなかったとも……
「それじゃあ、行きましょう。距離がありますから、強化魔術を掛けます。飛ばしますよ」
「うん、お願い」
そんなに急がなくても……とは言ってられない。
もう荷車が無いとはいえ、真っ直ぐ進んだってそこそこな距離になる。
歩いてたんじゃ日が変わっちゃうくらいだ。
荷物は……お金は置いて行く、食料も最低限に留める、魔具は……一応持って行こう。
「っ。もう行くのか……いや、寧ろ遅いくらいだよな。悪い、ふたり共。俺だけこんな……」
「……エヴァンスさん。絶対、戻りますから。お金のことはお任せしました」
では、行ってきます。と、宿の前で鉢合わせたエヴァンスさんに、ミラはからかうように笑った。
ふむ……うん。なんとなーく、セーフかなという印象。
いえ、別に。無いですよ、そんな……あの、不安とか。
「……? アギトさん?」
「あ、いや……早くこの世界救って、マーリンさんのところに帰らないとな」
戻るべき場所——帰る場所を守っておいてくださいとは言わなかったこと、ちょっとだけ安心した自分がいる。
いやその……ね? それは……僕との約束だからさ。
僕とミラとの、ふたりだけの……的な。うん……
「……はあ。ダメだ、小物。あまりにも考えが小物だ……」
それだけは譲りたくない。僕とだけする約束であって欲しい。
なんだろ、独占欲みたいなのが湧いてしまった。
はあ……本当小物だなあ、僕って。何も、記憶の無いミラにそんなことを求めなくても……
「……なんだか分かりませんが……そうですね。帰ったらきっと、マーリン様に良い報告が出来るように。全力を尽くしましょう」
「……ちょっと違うけど……うん、頑張ろう」
揺蕩う雷霆・改——と、馴染んだ言霊が響いたのは、街から離れて人気なんて無くなった後のことだった。
それからすぐに駆け出して、またあの街を——そして、あの集落の灯りを見下ろす丘の上までやってきた。
ちょっともう帰りたくなるくらいお腹痛いけど……っ。やってやる、絶対なんとかしてやる。
世界を救う為、ミラの記憶を取り戻す為。
そして、エヴァンスさんとまた楽しく旅をする為に。




