第九十一話【一分の一の二択】
ミラとの合流を無事に果たして、僕達はそこでまた岐路に立った。
安全で、そして選ぶべき選択肢。
そして、非常に危険で、絶対に選んではならない選択肢。
天秤は最初から振り切れてるのに、それでもその分岐点の前で立ち往生してしまっていた。
「……もし……もしも、あの光景が……あの行為が、あの異変がこの世界を終わらせる遠因だとしたなら……っ。私達はそれを取り除かなくてはなりません。少なくとも、その内情を詳しく知る必要があります」
そうだ。僕達が調べているのは、この世界が——恐らくだが、人類が——終焉を迎えるという最悪の形。
それが何処から来るのか、いつ来るのか、どうしたら防げるのか。
その可能性になり得るもの……つまり、うまく行っている、滅ぶ気配の無い世界との明確な違いを探すことで——アーヴィンや王都との違いを探すことで、この世界の救済を目指している。
となれば……当然、共食いなんて放っておける現象じゃない。
「…………けど、それを調べるのはあまりにも危険だよ。あの街の何処まで……いいや。この国……この世界の何処まで根が張っているのか分からない。ヘタをしたら、全部を敵に回しかねない。それは……」
僕達だけじゃない以上、絶対に避けるべきだ。
勿論、そんな考えはオーバー過ぎると無視しても良い。
正直、自分でもそこまでヤバイ事態ではない……と、思ってしまってる。
あんなに隔離された場所で行われていたんだ、大っぴらに出来ないくらいにはマイノリティな筈だろう。
それでも……それでも、やはりエヴァンスさんを巻き込んだまま深入りは出来ない、すべきではない。
だって、彼は僕達と違って……
「どちらにせよ、今晩を何処で過ごすかですね。書き置きついでに荷物も多少持ち出して来ましたから、食料については数日は備えがありますが……」
「おお、流石ミラちゃん。しっかりしてるね」
ちゃっかりしてんな、やっぱり食い意地魔人だな。僕はそんな心の声を必死に飲み込んで、そしてえへんと胸を張るミラの頭を撫でた。
だが、しかしそれは本当にでかしたぞ、ミラ。
稼いだお金や買い込んだ非常食は、殆どクレッグさんの所に置いて来てしまってたから。
これならまた別の——遠くの街を目指すって選択肢に現実味が出て来た。
「な、なあ……このままここでひと晩明かすんじゃダメ……なのか? そりゃ……追って来られたらやべぇけどよ。そうは言っても、ここだってあそこから随分離れて……」
「それでも…………いいえ、そうするのがひとつの正解でしょう。
更に言えば、またひとつ前の街に戻るというのも、今取り得る選択肢の中では最善でしょうか。ですが……」
最善の選択肢と、最短の選択肢はまた別の問題なのです。と、ミラは困った顔でそう言った。
最短……ってのは、きっとこの世界を救う為の……という意味での最短だろうか。
「あんなものがあると知ってしまった以上、それなりに急がなくてはなりません。
エヴァンスさん、今からする話はなんとなく聞き流していただいても構いません。あくまでも、私とアギトさんの知っている常識の上での話です」
「…………おっ⁈ 俺⁉︎ あ、ああいや……そうだね、そういう話も……」
しなくちゃならないよね、ごめんごめん。睨まないで……ごめんって。
調べものの為には、やはり僕達の知ってる世界との照合が欠かせない。
そうなった時、それはミラひとりでも僕ひとりでも良くない。
主観ではなく、出来るだけ客観的な比較が必要なのだ。
だから、エヴァンスさんを置いてけぼりにする会話も当然しなくちゃならない。
彼にとってはあまり気持ちの良くない話も、きっとしなくちゃならないのだ。
「……哺乳類の欠落、それによる食糧危機が最有力候補として考えられてましたが…………ここへ来て、あんな形での種の滅亡の可能性を目の当たりにするなんて。
考えたくはありませんが…………或いは、獣性に飲み込まれることで————本来の食性に戻ることで、結果として種が滅んでしまう可能性を孕んでいるとは……」
「食……ええっと…………うん、成る程。確かに、もしもアレが拡大して行ったら……」
まず、草食動物の特性を持った人々が、肉食動物の特性を持った人々に食べ尽くされてしまう。
これまでに見た感じだと、その比率は正直どちらにも振れていないって感じだった。
あくまでも同じ人間という種の、個体差……個人差って感じだった。
だが……その生まれ持った特性の違いで、同じ種族の生き物に……って、そうなると……
「最悪なのは、アレがこの世界の当然からかけ離れている様子なことです。つまり、何処にも受け入れられていない。
そうなれば……食われて減った数と同数、食うことで追放される数が存在することになります。異端として虐げられ……或いは……」
最悪……か。
そうだ、その問題は根深い。
僕達がそれをおぞましいと思った理由でもある通り、アレが本来の食物連鎖のソレとは違うというのが大問題だ。
ライオンがシマウマを食べることは、僕の中では当たり前の……テレビの中の話でしかなかったけど、それでも自然の摂理と呼べるものだった。
でも……ここでは、狼が羊を食うことが罪に問われ、悪となる。
故に、生き残る為の食事によって、生きる権利を失いかねない。
結果、自滅という形でこの世界の人達は数を減らしていって……
「…………はあ。なんだろ……この話、すればする程……」
「……そうですね。なんと言うか……」
凄く烏滸がましい話をしてるって気になってくる。どうしてだろうか。
その答えは単純明快、僕達の知ってる常識が正解だという前提で進んでいるからだ。
この世界は間違ってる……なんて、そういう話をしてるのだから、それはまあ気持ち良い話なわけないよね。
「ですが、それでもやらないといけませんから。少なくとも私達は、この世界がこのままではいけないという最終解だけは知っているのですから」
「……そうだね……うん。はあ……それさえ知らなければ、ただの不思議な世界への旅行で済むのに……」
それを知らなかったら、そもそもここに来てませんよ。と、ミラに呆れられてしまった。それは……そうだけど。
でも、考えちゃうじゃないか。これがただの旅行だったら……余計なことに首を突っ込まずに旅が出来たら……って。
エヴァンスさんと一緒に旅をして、そして…………ゴールが無いや。
なんとなく時間切れで帰る羽目になるのかな。それは……し、締まらないなあ。
「……アギト、ちび。お前らは……本当にこことは全然違う場所から来た……んだよな。その……海の向こうの……とか、なんとか。だったら……そこへ帰るってのはダメ……なのか?」
「……そうですね。それが叶うならどれだけ話が早いか……」
そうだよな、遠過ぎるよな。と、エヴァンスさんはミラの答えに納得してくれた。
なんとなく僕達の話は信じてくれてるんだけど、別の世界というのはそもそもとしてイメージが持ててないみたいだ。
だから、僕が例えで出した海の向こうの別の大陸って言葉でだけ、ふんわりとだけそれを思い描いているっぽい。
別に、今はエヴァンスさんのイメージするアーヴィンなんてどうでも良くて。
問題はやはり、この後何処へ向かうかだ。
ふたつ目の街に戻れば、取り敢えずは生活出来そうだけど……
「…………ミラちゃん。やっぱり……その……」
「……っ。はい……私は、あの集落を——あそこに住む人々を調べたいです。それが危険だと分かっていても、見て見ぬフリでは進めません」
やっぱり、お前はそうだよな。
僕からしたら当然のミラの発言に、エヴァンスさんはどんどん顔色を悪くしていった。
それもまた当然、頭おかしいのかコイツと思われても仕方ない言動だ。
世界の秘密を探る為、滅びを回避する為。勿論それもあるけど…………根本的な話として、勇者がそれを見過ごせるわけがない。
だから、この天秤にも掛けられないような二択を前に悩んでいるのだ。
「……アギトさん。一度ふたつ目の街に戻って、おふたりにはそこで……」
「ダメです、それだけは絶対にダメ。いや……エヴァンスさんの無事を考えるなら、あの街に戻ること自体は大賛成だけど」
まだ何も……と、言いかけたミラの頬をぶにぃっと両手だ挟み込んだ。
すると、肉球が気持ち良かったのか、目を細めてぐるぐると喉を鳴らし始めてしまった。緊張感ブレイカーめ。
「何もも何も、全部言ったようなものだったよ。もしあれを調べるなら、俺も一緒に行く。流石にひとりには出来ない。
まあ……その、足手纏いだとは思うけど、それでもひとりはダメだよ」
「ぐるる……むう。足手纏いだなんて思ってませんけど…………でも、危険な場所ですから。荒ごとに慣れた私の方が……」
ダメです。単独行動は良くない、絶対にダメ。
絶対、九分九厘、十中八九、大体、おおよそ、多分、きっと大丈夫だと信じてたさっきまででさえ、ミラと別れたら死ぬ程不安になったんだ。
自分の身の安全じゃなくて、ミラのことが心配で堪らなかった。
強い、賢い、頼もしいやつではあるものの、どこまで行ってもお兄ちゃん的には可愛い妹なのだから。
それがひとりで、今度は逃げるんじゃなくて調べる為に危険地帯に潜入だなんて……
「どちらにせよ……だね。エヴァンスさん、明日になったらまた前の街へ戻ります。
そこで……エヴァンスさんには、俺達がいつでも帰って来られるようにしておいて欲しいんです」
「……なんだよ、俺だけお留守番かよ……って、無理もねえわな。あんだけビビってるとこ見せちまったらな」
いえ、怖がらずに立ち向かってたとしてもお留守番です。どっちみち帰るアテは必要になるからね。
エヴァンスさんには、夜になっても無事に帰って来られる場所を確保して欲しい。
深入りする以上、そう簡単には帰れないだろうから。
解決するにしてもしないにしても、しっかり追っ手を撒いてから……夜遅くの暗さに紛れての帰還になるだろうからね。
「……分かった。俺はあの街で働きながら、お前らの帰りを待つ。三人が飯食うだけの金も稼ぎ続けなくちゃならねえしな。
ったく……俺の生活を保障するって話はどこ行ったんだよ」
「あはは…………み、耳が痛いです……」
それはミラが勝手に……とは言えませんよね。ええ、一心同体ですから。
けれど、当面の方向性は定まった。
本来なら選んじゃいけない選択肢——もう一度、あの危険な集落を調べに向かうという愚を犯す。
その為に——憂いを消す為に、エヴァンスさんには避難ついでに、街で僕達の帰る場所を確保しておいて貰う。
はあ……なんか、いっつもこうだな。
魔人の集いの時と言い、どうして突っ込まなくてもいい首を突っ込んでしまうのか。
正直気乗りしないと言うか……やっぱりあんなの放っておいて、もっと広い世界に目を向けよう、旅を続けようって言いたいけど……っ。
勇者の片割れとして、ミラの兄貴として。こうなってしまった以上は腹を括ろう。
僕達はそんな覚悟と、それと不安と恐怖と夜風の中、硬くて冷たい床で眠りに就いた。
あったか湯たんぽちゃんは…………流石に今晩は寝ずの見張りをしてしまうのだろうな。




