第八十七話【そう決めたから】
街に着いて窯場隣の仮住まいに帰って来たのは、もうみんなが寝静まった後だった。後だと……思ってたんだけど。
「……エヴァンスさん。どうしたんですか、こんな遅くまで……」
「…………どうしたはこっちのセリフだよ。ったく、いつまでほっつき歩いてんだ」
心配……掛けちゃったな。
僕達が帰ると、そこには暗がりの中でも分かる程不安そうな顔をしたエヴァンスさんが待っていた。
ツンデレツンデレとからかうことも出来ない。うん、反省しよう。
「ごめんなさい。どうしても必要な調べものがあったんです。でも、エヴァンスさんにもそれを伝えて行くべきでした。心配掛けて、ごめんなさい」
「……別に、心配なんてしてねえよ」
からかうつもりは無いのに、どうしてそうも行動と矛盾した発言をするんだ。まったく、ツンデレめ。ツンデレ狼男…………需要、ありますかね?
さっさと寝るぞ、明日も早えんだ。と、そう言ってエヴァンスさんは自分の部屋に戻ってしまった。
夜中はまだ怖いんだろう、ずっと肩をすぼめたまま、緊張したままの背中は随分と小さく見えた。
「……明日はちゃんと、エヴァンスさんにも話をしてから行こうか。もし付いて来るって言うなら、その時は一緒にクレッグさんにお願いしてさ。流石に三人ともさっさと帰っちゃ、あの人も大変だろうし」
「そうですね。折角仲良くなれたんですから、こんなことで離れ離れになるのは嫌ですよね」
もうすっかり友達なんだから。
オックスともマーリンさんとも、誰とも違う世界の住人だけど。
少なくとも、この瞬間にここにいるアギトとミラにとっては、誰にも劣らない大切な仲間。置いてけぼりはもうやめよう。
「……でも、出発する時は……どうだろう。エヴァンスさん、ここに残る方がきっと……」
「いえ、それを考え、決めるのは本人ですから。私達は私達の目的の為に。
ほら、エヴァンスさんの言う通り朝早いんですから。もう寝ましょう、アギトさん」
もう寝ましょう……ね。さっさと寝て、布団を準備しろ……と。
まったく…………また、前みたいに遠慮無く僕のことを布団にしてくれても良いのに。
ううん、そう出来るだけの信頼を早く僕が得なくちゃ。
記憶が戻るのはいつになるか分からない。それまでの間にコイツが苦しむんだったら、それを出来るだけ取り除いてやらないとな。
「……うん、おやすみ。ごめん、明日も起こして貰って良い? 今日は疲れたし、寝過ごしちゃいそうだ」
「お任せください。でも、起こしたらちゃんと起きてくださいね?」
おまっ……お前がそんなこと言うのか。
うん、お願い。と、とりあえず話を合わせて、僕はいつでもミラが乗っかって来られるように、シーツを浅く被って目を瞑った。
ミラも疲れてるのか、そして眠たいのか、ごそごそとこちらの様子を窺っているのが音だけで分かる。
はあ……しょうがない奴だなぁ、もう。
「……むにゃ……ぐぉー……ぐー……」
流石にわざとらしすぎるかな? でも、取り敢えずやるだけやってみよう。
ミラの得意技だった狸寝入りで、僕は布団がここにあるんだよとアピールをする。
すると……なんとも間抜けなチビ助は、あっさり引っかかって僕の上に恐る恐る乗っかって来た。
うん……相変わらずぬくぬくだな、お前は。うん…………あったかくて……眠た…………
ぐるぐるぐる……と、やっぱりお腹の辺りよりちょっと上からそんな音がする。
起こしてねと言ってあっても、まるで容赦無く寝坊するのはもうおなじみだ。
時間は…………うん、完全に寝坊。
外はすっかり明るくなってて、窯場の方からはガラガラと台車を引く音がする。って……
「…………むにゃ…………ごろごろごろ……すぴぃ……」
「……起こしてくれなかった…………いや」
起こさないでおいてくれた……のかな。寝坊助ミラの話ではなく、エヴァンスさんの話。
僕達が遅くに帰って来たことを知ってて、起こさずに休ませてくれたのかな。
自分だって夜遅くまで待ってたくせに。ホント、ツンデレだなぁ。
「…………やっぱり、ここに残るべきだよな」
あの人はここに残るべきだ。残った方が絶対に良い、幸せになれる。
元々あの街でだって、ただの勘違いとすれ違いで出て行く羽目になっただけ。
あっちこっちに旅をするのが楽しいのは、それが新鮮なものだから。
本来、あの人はこんな不安定な生活を送らなくても良い、根っから真面目な人なんだ。
だから、この街にもすぐに馴染んだし、仕事もこなしてる。クレッグさんだって信頼してる。
ここで生きて行けば、僕達に振り回されて危ない目に遭う可能性だって無い。だから……
「…………むにゃ…………ふがっ。んむむ……ごろろ……」
っと、ミラがそろそろ起きるな。
ごろごろと狭い布団の上で寝返りをうつもんだから、顔から床に落ちそうになってしまった。
咄嗟に手で抑えたけど、間違って起きちゃったら危なかったな。
僕の狸寝入りがバレたらもう寝なくなる、またボロボロになるまで無理し続ける。それは流石に見過ごせないもんな。
「ふわぁ…………むにゃむにゃ。朝…………はっ⁉︎」
起きて下さい! アギトさん! 寝坊ですよ! と、遂に覚醒した意識で窓の外を視認すると、ミラは大慌てで僕のことを揺さぶり出した。
うん、寝坊ですよ。僕も全然間に合わなかったからあんまり言えないけど、お前はここんところ毎日だからな?
さて、あんまり遅くなり過ぎるのもマズイ。寝たふりも程々で切り上げて、僕も慌てたフリをして飛び起きる。
いえ、慌ててます。そこについてはもうなんの演技も無く。
「もーっ! 何回も起こしたんですよ⁉︎ なのに、全然起きなくて!」
「…………そ、そっか……ごめんごめん……」
おい。おい、こら。なんだその嘘。何回もクソも初回だろうが、アレが。
どうやらミラは、起こしてと言われ、任せて下さいと受け持った手前、自分まで寝坊していたとは思われたくなかったらしい。
いつの間にそんな……セコい嘘つくようになったなぁ。
でも……たとえ僕が狸寝入りじゃなくて本当に寝過ごしてしまってたとしても、今の嘘は簡単に看破出来た気がする。
いつも通り、嘘が下手なやつだ。さっきから一度も目を合わせないし、ずーっと挙動不審だもの。はあ……
「……変わんないな、ホント」
「? ほ、ほら! 急いで下さい! 早くしないと怒られちゃいますよ!」
はいはい、分かってるってば。
急かされるままに身支度を整え、僕達はとっくに稼働している窯場へと飛び込んだ。
完全に寝坊だ、久し振りにこういうのやらかしたな。
「遅れてすみません。寝坊しました」
「おう、起きたか。丁度良い、手伝ってくれ」
クレッグさんは寝坊した僕達へのお咎めも無しに、普段通りにさっさと手伝えと指示を出した。
これは……アレかな。やっぱり、エヴァンスさんが色々口利きしておいてくれたのかな?
「良いご身分だな、アギト、ちびっ子。ったく、これに懲りたらもう夜中まで出歩くんじゃねえぞ」
「はい、すみません。ありがとうございます、エヴァンスさん」
なんのありがとうだよ。と、そっぽを向いてまたせかせか働き出す姿は……うん、なんとテンプレ通りのツンデレだろうか。ミラ並みに嘘が下手。
だから、僕達はその背中にもう一回ありがとうと言って…………そして……
「……ごめんなさい、エヴァンスさん。今日も……また、出掛けます」
「…………なんか、見つかったのか?」
街から離れたところに、小さな集落を見つけました。ミラはそう言って、そしてちょっとだけ寂しそうに俯いてしまった。
もしかしたら、こいつも僕と同じことを考えてるのかもしれない。
もしあそこが村だったなら、僕達は今日明日にでも出発する。
そこを経由して更に遠くの街へ、もっともっと大きな…………この世界にとって重要な街へと。
「…………もしもそこに人が住んでいたら、俺達はここを出て旅を再開します。この街は凄く良い場所ですが、目的のものは見つからなかったので……」
「……そうか。まあ……そうだとは思ってたよ」
だから……ここでお別れです。そう言おうと思って……それを僕達から告げなくちゃいけないと思ったから、この話を切り出したのに……っ。
僕は結局、それを言い出せなかった。
ミラも同じ、黙ったまま……ただ手を動かして、誤魔化すように仕事に励んでいる。
いいや、ミラに出来るわけがない。誰よりも別れが苦手なコイツに、そんなことさせるわけにはいかない。
「…………じゃあ、あの爺さんに話付けねえとな。三人もいなくなるんだ、また忙しくなる。俺達をアテにして仕事増やしてたかもしれねえしな」
「っ。エヴァンスさん……」
なんだよ、付いて来んなってか。と、エヴァンスさんは悪態をつきながら、それでも笑ってスコップをガツンと床に突いた。
そして肩を落として、ガッカリしたって仕草でそれを訴えた。
「こんな臭え街、いつまでもいられるかって。それに、約束だったろ。俺の生活はお前らが保証すんだ。気楽な条件付きで刺激的な旅が出来るんだ、行かねえ理由はねえだろ」
「…………でも、ここでなら前みたいに安定した暮らしを……」
今更いらねえよ、そんなもん。と、エヴァンスさんは吐き捨てた。
これは本心だ。僕達に気を遣わせないようについた嘘や建前じゃなくて、本当に旅の刺激を求めているんだ。
「あん時言われてたら……迷ったかもな。でも、もう故郷にも帰れねえとなったら吹っ切れるってもんだ。十日もいねえ街にそう思い入れなんてねえよ、いいから連れてけ」
「…………分かりました。でも、そこが本当に人里だったらの話ですからね? まだ、なんなのかははっきり分かってませんから」
なんだよそりゃ……と、凄く怪訝な顔をされて…………うん、それについては申し訳ない。
期待させておいて……とかじゃなくて、もっとちゃんと調べて来いよと言いたいんだろう。
そこそこ早い時間に出てってるからな、まさかあんな時間になるまで見つけられてなかったとは思ってもなかろう。
じゃあ、俺も一緒に確認しに行ってやるよ。と、そう言って、エヴァンスさんはクレッグさんのところに事情を説明しに行ってしまった。
それは僕達がやらなきゃいけないこと…………はあ。やっぱり、この街に残るべきだと思うんだよなぁ。
エヴァンスさんとクレッグさん、まるで親子みたいに見えてしまうよ。
ふたりが笑って仕事に戻ったのは、きっとあっさりと許可が下りたからだろう。
じゃあ……早ければ明日の朝にでも、僕達はこの窯場に別れを告げるのだろうな。




