第八十話【猫は寝る子】
温泉がある……のだと、僕はその臭いと湯気から判断した。
そしてそれ自体はそう間違ってなかったし、我ながら鋭い推理だと感心する。
え? ハードルが低い? そんなことないよ。
しかし、僕達が湯煙の立ちのぼる下で見つけたのは……
「……アギトさん、アレが温泉…………お風呂ですか?」
「いや、俺の知ってる温泉とは違……怖っ⁉︎ ミラちゃん⁉︎ 目! 目付き! 女の子のする顔じゃないよ⁉︎」
そこにあったのは、真っ白な湯気……と言うか熱湯を吐き出す、柵で囲われた間欠泉であった。
温泉は温泉でも……はい。
珍しいお風呂に入れると思ったミラは、それはもう期待を大きく裏切られてしまって……
「となると……そうか、そりゃ温泉宿なんて無いわけだ。この様子を見るに、単に危ないものとして認識されてるみたいだし」
アギトさん。と、ひとり納得しようとしている僕の手を、小さくて暖かくて…………力強い手が引っ張った。
ち、違くて……別に騙すつもりとか、悪戯でああいうこと言ったわけじゃなくて……
「ご、ごめんごめん。俺も予想外だったと言うか……あんまり詳しくないのに知った顔して、本当に申し訳ありませんでした」
「……別に、良いですよ」
むすぅっと頬を膨らませたまま、ミラは凄く寂しそうに吹き上がる間欠泉を眺めていた。
お風呂って前情報が無ければ、きっと凄い凄いと感動してくれたことだろうに。
ああ……なるほど、これは確かに罪深い。いわゆるネタバレというやつ。
ここ、大事だから覚えといて、とか。いやー、ここの伏線マジで神なんだよなー、とか。
隠してるつもり風クソネタバレとは、ここまで人から感動を奪うものなのだな、反省。猛省します、色んな意味で。
「結局、また振り出しか。どうしよう、まだ泊まる場所も仕事も……」
「この際だ、泊まりで働ける場所を探した方が良いんじゃねえか? んなもんが都合よくあるか知らねえけどよ」
それだ!
エヴァンスさんの提案は、僕の悩みの九十割を解決してくれた。え? 多い? ごほん。
泊まり込みで働ける場所…………市役所……いやいや。アレはアーヴィンが特別変なだけだから。
なんだったら泊まる場所として認識して良いのかも怪しい、野宿と変わらないレベルだっただろ。まあ、今は改修工事入って綺麗になってるけどさ。
「そうと決まれば行動ですね。ちょっと話を聞いてみましょう。すみませーん」
即断即決、相変わらず頼もしい。
ミラはさっきまでむくれてたのも忘れて、近くを通り掛かった女性に声を掛けた。
この人は……なんだろう、馬系。大体人間だけど、足音が蹄のそれだ。髪が長いのは……たてがみ?
「この先に斡旋を受け持ってる役場があるみたいです、行きましょう」
「おう。いや、ちびっ子は妙に頼りになるよな。変なバランスだな、お前ら」
そ、そういうこと言わないでよ。まるでそんな、僕が頼りにならないみたいな。事実ですけど。
あっさり機嫌を直したミラに引っ張られて、僕達はその仕事を斡旋してくれるという役場を目指して歩き出した。
十数分程歩くと、話にあった役場が——街の大きさに対して、随分小さな役場が視界に入った。
と言うか、一度はスルーしかけた。
なんでそんなに自己主張が弱いんだ、もっと前面に押し出せよ。
隣に並ぶ民家よりも小さな建物は、本当に街の仕事を束ねる機能を果たせるのかと不安が募る。
「おはようございます。ここで仕事の紹介をして貰えると聞いてやって来たのですが」
「はい、おはよう。お仕事かい、小さいのに偉いねえ」
小さくないです! と、ミラは和やかに笑う受付のおばあちゃんに飛び掛かった。
こら、暴れるな。というか初対面の人に飛び掛かるな。
しかし、どうやらミラと同じネコ科のおばあちゃんは、飛び掛かってきたミラをするりといなし、そしてなでなでゴロゴロと簡単に手懐けてしまった。
こらこら、あっさり和むな。
「働くのはそっちのふたりで良いのかい。じゃあ、掲示板に貼り出してあるから、目を通しておくれ」
「あっ、はい。すみません、いきなり飛び掛かったりして……」
良いよ良いよ。と、おばあちゃんは孫とでも遊ぶみたいに…………猫と遊ぶみたいに、ミラを膝の上に乗っけてお腹や喉を撫でていた。
それ、猫が混じったからだよな……? 前からそういうのやってた記憶あるけど、一応お前今は勇者だもんな?
猫だから、抗えなくてそうなっちゃってるだけだよな⁇ 信じるぞ⁇
「ちびっ子はやっぱりちびっ子、か。んで、どうする。条件は……流石にんなことまで書いてねえか」
「そうですね。そこはもう聞いてみるしか……すいませーん」
はいはい。と、おばあちゃんはすっかり丸くなったミラを抱えて僕の方を向いた。
ちょっ、バカミラ、邪魔。おばあちゃん動けないでしょうが。もう……こっちから行くか、しょうがない。
「すみません……うちの子が……」
「良いのよ、可愛らしくて。子供は元気じゃないとねえ」
それ、一応子供ではないんです。
同じ猫同士で好きなポイントが分かるのか、おばあちゃんはぐるぐると喉を鳴らしているミラを膝の上で撫で続けていた。
すっかり孫、溶け込むのが早い。じゃないってば、すぐ引っ張られるんだもん。
「どこか、泊まり込みで働ける場所は無いですか? その、俺達外から来たばかりで……」
「あら、見かけない顔だと思ったら。そう、外から。大変だったわねえ」
まあ、大変ではあった。
でも、僕の知ってる旅を思えば、随分と気楽な道程でもあったよ。
なんだろう、あったかい人だな。ミラが懐いたのは、何も同じ猫だからってだけじゃなさそうだ。
ぐにょーんと仰向けになって伸びているミラのお腹を撫でながら、おばあちゃんは親身になって僕の相談を聞いてくれる。
「泊まり込みってなると、そこそこ大きな仕事しかないねぇ。危ない、力の要る仕事になるよ? それでも良いかい?」
「はい、力にはちょっとだけ自信ありますから」
むふふ、なんだこの優越感。
力には自信があります……ふふふ、まさか僕がこんな言葉を使うとはね。
それに、本当に力自慢のエヴァンスさんもいる。
ふたり掛かりなら大抵なんとかなるだろう、多分。
「それじゃあ、ええっと。確かレンガを焼いてる工場で人を募集してた筈だから……」
ふむ、煉瓦を。
確かに、大抵の家で使われている赤煉瓦は、この街に限らずこの世界……国? まだそこら辺の線引きが曖昧なんだよな。
とにかく、ここの人達の生活には欠かせないものだ。
おばあちゃんの言う通り、掲示板には窯場からの募集が貼り出されていた。
ふむふむ……いや、見ても何も分かんないけど。
「ありがとうございます。ほら、ミラちゃん。行くよ、起きて。ミラちゃん。ミラちゃん!」
「うふふ、可愛らしいねえ。起きるまで待ってても大丈夫だし、もし急ぐならここでちょっと預かっておくよ。起きたらちゃんと送って行ってあげるから」
わあい、おばあちゃん優しい。でもそういうわけには……あんまり甘えるわけにもいかない、だってそれは勇者なのだ。
こら、かっこ良い勇者になるんだろ、起きろって。
なんとか起こそうと持ち上げてみても、だらんと手足を垂らして伸びてしまうばかり。
猫は液体、SNSで見た。じゃなくて。
「……すみません……じゃあ、面倒見てて貰っても良いですか……?」
「はい、構いませんよ。行ってらっしゃい、気を付けてね」
本当ならここで起きるのを待ちたいんだけど……コイツはほんとにいつ起きるか分かんないからな、待ってられないんだ。
今晩の宿も決まってないのに、ここで時間を潰すわけには。
おばあちゃんにうちの可愛い子猫を預けて、僕はエヴァンスさんと共に街のすぐ外にあるという窯場を目指して歩き出した。
ちびっこい先導がいない……寂しい。
「しかし、煉瓦造りとはな。出来た煉瓦を運んだり、建物を建てる手伝いをしたりはやったことあったけど……」
「ちょっと楽しみですよね。いや、仕事だからちゃんとやらなくちゃいけないんですけど……」
ちゃんと……ちゃんとやらなくちゃならないのだ。
こういう時、義足まで作れる手先の器用な職人ミラちゃんが頼りになる筈だったのに、なんでゴロゴロにゃんこになってんだアイツ。
というか……そういうのは僕にしかしないんじゃなかったのか、ぐすん。
猫に引っ張られてるんだろうか、引っ張られてるんだろうな。
同じ種の動物同士で、それも優しげなおばあちゃんだったから。
心を許して甘えても、まあおかしな話じゃないのかもしれないな。
いかん、判定が甘い、甘過ぎるな。
「それじゃ、ちびっ子が合流するまでにしっかり働いとくか」
「そうですね。最近、ミラちゃんに頼りっぱなしでしたし」
いえ、私は最近と言わず最初からずっとなんですけどね。
しばらく歩いて、僕達は街に入って来たのとは別の道から外に出て、そして話にあった煉瓦を焼いている窯場へと訪れた。
あっ、そもそも雇って貰えるのか問題とかあります……? そ、そそそそれは………あばばば、トラウマが……




