第七十九話【閉じこもり】
この街には温泉がある……と、嗅覚はそう教えてくれた。
しかし、街をしっかり散策してみてから気付いたことがいくつかある。
温泉と言うのならば、それはもう観光産業に力を入れていて然るべきだろう……と、とても主観的で、かつ僕の持ってる知識からの話がまずひとつ。
そしてそれに関係してもうひとつ……と言うか、こっちが本命と言うか……
「温泉を目当てにこの街に来る人がいてもおかしくない。そして、それを受け入れる為の施設は当然しっかり整備されているものだと思った……思ったんだけど……」
「はい……なかなか見つかりませんね、宿」
ご飯は食べた。そうなれば、次は寝泊まりするところだ。
衣食住の充実は欠かせない。欠かせないと言うか……本当に欠かしてはならない、最重要事項のひとつなのだが……その住に相当する宿屋さんが見つからない。歩き回ってもそれらしいものが無いなんてぬるい話じゃない。
ご飯食べて、街の中を歩き回って。そうしてる間に行き合った人達に聞き込んでもなお、その存在を未だに確認出来ていないのだ。
「外から人が来ることを全く想定していない……ということでしょうか?
いえ、それにしたってこれだけ大きな街です。仕事で街の中を移動するだけでも、それなりに時間を要します。
馬車や汽車もありませんから、ひと晩体を休める場所か、或いは仕事中に使う仮住まいのようなものは必要になると思うのですが……」
「無い……ね、全然。いやはや……困った困った……」
今晩泊まれる場所はどこかにありませんか? そんな僕達の質問に、道行く人は皆不思議そうな顔をして、うちで良かったら泊まってくかい? と、親切心からそう答えてくれた。
人情味に溢れる街……と呼ぶにも、少々不自然だ。
「エヴァンスさん。あの街の宿って、元々はどんな人が泊まる為に作られたんですか? あんまり外から人が来ることって無かったんですよね?」
「ん、ああ。事情は色々あるだろうけどよ、家にいられなくなったやつが逃げ込むところだったな。
特に多かったのは、家の中で悪さをした子供を外に放り出して、ひと晩そこで反省しなさい……なんて、躾に使う家もあったよ」
あの化け物がいるって前提だと、その躾は割とシャレにならんくらいトラウマ植え付けてそうだな……っ。
だが……そうか、そうなるとエヴァンスさんはそうやってイタズラをする度に家から締め出されて……じゃなかった。
「宿ってものの概念がそもそも違う……のか。そうだよな……街同士の交流が無いなら……そうなるよな……」
そこは獣のソレに近いのだろうか?
縄張りがあって、群れがあって。
街があって、そこに住む市民という集合があって。
基本的にはその中から出ない、その中に異物を入り込ませない。
まあ……本当は成長したら自分の群れを作りに出かけるんだろうけど……うーん、わからん。
「すると、ひとつ前の街に宿があった理由がはっきりしませんね。同じような目的で建てられたのか……或いは、源流が同じである為に、宿というもの自体はどちらにも存在した、と。
文化の違いで特殊な用途で用いられているだけ……ということでしょうか?」
「特殊……やっぱ、変なんだな。外に出てみると、みんな当たり前って顔で夜も歩いてて……」
俺の故郷はちょっとだけ狂ってたんだな。と、エヴァンスさんは寂しげな顔でそう言った。
うん、それは全く否定出来ない。出来ないけど……本人としてはちょっと認めたくないんだろうな。
生まれ故郷がおかしかった、異端だった……って、なんだか自分までおかしいって言われてる気になっちゃうもんね……
「……俺の知る限りだと、温泉は宿とセットなんだ。だから…………そこにあってくれたら……」
「うげっ……この変な臭いの近くで寝泊まりすんのか……? それは……」
ほら、そこ。嫌そうな顔しない、往来ですよ。
温泉宿という響きだけを知ってるだけで、その実どういったものかは全く分かってない。
そんな……泊まりの旅行なんて修学旅行の一回きりだし……っ。
エヴァンスさんもミラも、鼻をちょっとだけ押さえて嫌そうな顔で僕をじっと見つめてくる。
なんだよ……なんで僕を見るんだよ。
発言を取り消せ、他のアイデアを出せ……ってか。うるせえ、じゃあ自分で出しなさいよ。
「……どちらにせよ、一回は調べなくちゃなんねえんだろ? しょうがねえ……はあ、行くか……」
「そ、そんなに嫌がらなくても……あっ、別にエヴァンスさんは無理に来なくても良いんじゃ……? だって、調べ物は僕達の都合なわけだから……」
エヴァンスさんは無言で僕の肩をちょっと強めに叩いた。いった……肩パン……っ。
どうやら除け者はやめろと言いたいらしいが……いってぇ……なんなんだよ、温泉は微妙に伝わんねえのに肩パンは共通してんのなんなんだよ……っ。
「エヴァンスさんにも事情は明かしているわけですから、変に隠す必要は無いと思いますよ? むしろ協力を仰ぐべきかと」
「む……そういう話だったけどさ、イマイチ…………なんと言うのか……」
あんまり巻き込みたくない……んだよな。
危ないことに首を突っ込もうとしている、世界終焉の原因を突き止めようとしている。
正直、人手はどれだけでも欲しい反面、誰にも迷惑は掛けたくないと思ってしまう。
いえ、彼についてはもう今更すぎる気もするのですが。
それでも、本能的に苦手な臭いの近くに連れて行くのは……なんか、違くない?
「別に邪魔者扱いしようってんじゃなくて、その……結構嫌な臭いだし、無理なものは無理しない方が良いから……」
「別に無理じゃねえよ、嫌ではあるけど。んでも、こんなとこでひとり置いて行かれる方が嫌だし、いろんな意味でキツイ。まだ仕事だって取ってねえのに」
俺の生活は保証するんじゃなかったのかよ。と、エヴァンスさんはちょっとだけ悪態をついて、そしてすぐに笑って視線を街の中央へ——臭いのキツイ、白い湯気の立ち上る方へと向けた。
「臭えけど……その様子を見るに、なんかやべえもんってわけじゃねえんだろ? 風呂だって言ってたよな、なら文句は言わねえよ。
これであの化け物連中とまた喧嘩するってんなら、そん時はさっさとひとりで逃げるけどよ」
「そうですよ! お風呂ですよお風呂、早く行きましょう。ここの所、外で寝る機会も増えてますからね。自分では気付いてないかもしれませんが…………結構ゴワゴワしてきてますよ」
扱いが洗濯物じゃねえか。いやでも……重要か、それは。
僕の毛並みの良し悪しは、即ちミラの寝心地に直結する。
良い柔軟剤を使って、お日様に当てて干したふかふかもふもふの布団と、なんかもう……洗剤ケチってるし、三日前の残り湯だし、部屋干しだしでゴワゴワガビガビのくっさい布団とじゃ、睡眠の質が大きく違ってしまうだろう。
あれ……おかしいな、お風呂に入るって話だったよな……? いつの間に洗濯物に話題が切り替わった……?
「……まあ、温泉には猿もワンセットだし。薄い確率でもちょっとだけ期待しとくか」
「猿? へー、温泉には猿が住んでるんですね。アーヴィンの辺りでは珍しいので……もっともっと南の方へ行くと、いろんな種類がいるらしいんですが……」
へー、あったかいとこにならいるんだ。猿みたいな魔獣はいっぱい見たんだけどね……っ。
僕とミラがこことは違う世界の話をする度に、エヴァンスさんは訝しげな目で僕達を見る。
見るのだが……どうやら彼は、ちょっとずつ僕達の話を信じ出してくれてるみたいで、時に目を輝かせて真剣に聞き入ってくれる時もある。
良いだろう良いだろう、いっぱい語ってやろう。
いえ……僕の知識だと、以前のミラありきのものばかりになるので……説明は妹がさせていただきますね……?
「理由はなんでも良いよ、行くならさっさと行っちまおう。そりゃ新鮮な気分ではあったが、俺だって外で寝るよりはちゃんと部屋ん中で綺麗な布団敷いて寝てえんだ」
「あはは……そうですね、行きましょう。ミラちゃん、えーと……念の為、と言うか……」
なんでしょう? と、ミラは歯切れの悪い僕を、きょとんと目を丸くして見ていた。
うん……えーっと……一応、そのね。一度……そういう……事故がありましたので…………
「お風呂が楽しみなのは俺も同じなんだけど……一応……うん、一応。ここは人の住む街で、基本的にはアーヴィンにある常識が通用するから……本当に一応なんだけど。その……」
混浴の可能性もあるから……と、うん。
その……ここに住んでるのは人間だ。確かに見た目が僕の知ってる人間から遠かったりはするけど、それは関係無い。
いや、その……関係無いと言い切ってしまえない問題もあって。
「……無いとは思う、思いたいけど、念の為。動物の性質が濃いのなら、わざわざ男女でお風呂を分けたりしないでしょ? そうなった時……俺達にとっては……」
「…………むむぅ。薄い可能性ですが、完全に無いとも言い切れませんね」
だから、あんまりウキウキで行くと……その僅かな裏目を引いた時の絶望感が……っ。
うん……僕は良い、一向に構わない。ケモもいけますから、混浴万歳。
だけど……ミラにとっては中々難しい話だ。
だから、本当に念の為……お風呂に入れない可能性も、頭の片隅に入れておいてね、って。
そんな僕の余計なお節介に、ミラはちょっとだけ冷静な表情を取り戻して、張り切って調査しましょう! とか、何か収穫があると良いですね。とか……遊びに行くわけじゃないぞと自分に言い聞かせ始めた。なんだコイツ、可愛いなぁもう。
「…………期待が大きいと……うん」
その分、反動も大きいからね。
思い知ってる、熟知してるつもりなのに、更に思い知らされてきた。
楽しい学校生活があると思ったら、みんなから除け者にされた。
なんとなく普通の人生に戻るのだと思っていたら、何ごとも無く大人になった。
そんな状況をやり直せると思ったら、またそのつらい現実に向き合わされた。
ずっと側にいてやれると思ったら……二度と会えなくなってしまった。
積み上がってるな、こうやって思い返すと。でも……
「アギトさん、エヴァンスさん。早く行きま……ひゃうっ⁉︎ な、なんですかアギトさんっ! もう、子供扱いしないで……えへへ」
「いや、ミラちゃんは偉いなぁ……って」
もう二度と会えないって諦めて、吹っ切って、忘れて生きて行こうって投げ出した。
でも……僕はまた、こうしてお前の横にいる。
また、お前と家族に戻る為に戦う旅を始めている。
ネガティブな思考をずーっとして来た反動か、最初は受け入れられなかったけど。
でも……そのおかげで、嬉しさも三倍くらいになった気がするから。
あんまり良いやり方じゃないかもだけど、今回は心に保険を掛けていく方向で。
ミラも根っこはネガティブ思考だからね。それでも浮かれ気分で歩みの軽やかなミラの後を追って、僕達は湯煙の立ちのぼる方へと向かった。




