第七十二話【手を取って】
宿の部屋に荷物を下ろし、僕達はこれからの予定について話し合う……んだけど。なんだかミラが物申したげと言うか……
「ミラちゃん? どうかしたの?」
「……いえ。やはり、私達の目的をエヴァンスさんにも話しておく必要があるかと……」
またそれか。話しても良いけど、結局信じようのない話だからなぁ。
僕達は異世界からやって来た。その目的は、その世界に訪れる終焉を回避する為……そして、本来その為に消費される筈だったミラの記憶を取り戻す為。
こんな話、いったいどうしたら信じられるってんだ。
「……気持ちも分かるけどね。うん、じゃあそうしよう。気の済むまで説明して、その後は……エヴァンスさん次第ってことでさ」
「あん? なんかまだあんのか。その……海の向こうから来たっての以外にも、信じられないような話が」
いっぱいあるとも。なんだったら僕についてはミラの倍はある、文字通り世界もう一個分の話もあるんだから。
でも……これを彼に話して、果たしてどれだけ信じて貰えるものか。
いいや、不信感を買わずに済むだろうか。
与太話にしても正気を疑う、気の狂った危険人物だと思われかねない。
「……エヴァンスさん。飲み込み難い話が続きますが、ひとまず全て飲み込んでください。
私達がやって来たのは海の向こうではなく、更に遠く……まるで別の世界、その中のユーザントリアという国からやって来ました」
ミラは真剣な眼差しをエヴァンスさんに向けて語り出す。その姿は、かつて王様に身の上話を聞かせていた時とそっくりだった。
魔術の存在、召喚術式というキー。まるで別の世界からこの世界にやって来た方法。
そして、本来いるべき世界の様子、文化、文明。それに……
「……この世界において、人間は多種多様な特性を併せ持っている……というのが、私達からの見解です。
エヴァンスさんやアギトさんのように毛に覆われ、そして大きな口を持つ人。
私のように体毛が薄い人。
同じ種族の中でこれだけの差異が生まれることは、私達の知る世界の中では殆どあり得ませんでした」
そして、それらの特性は別の動物として世界に存在しています。ミラはそう続けて……そして、苦い顔で奥歯を噛んだ。
「エヴァンスさん。私達から見て、貴方は普通の人間には見えませんでした。いえ、貴方に限りません。
街に住む全ての人々が……そして、この世界にやって来たばかりの私達自身も含めて。
この世界で人間と呼ばれる生き物は、外見的特徴の殆どを、私達の知る人間と隔てています」
最初は与太話として聞いていたエヴァンスさんも、少しだけ渋い顔になった。
当然だ。ミラは今、私にはお前が人間に見えない……と、乱暴な捉え方をすれば、そう言ったのだ。
だから躊躇もしたし、僕もそれはやめた方が良いと思った。
でも……それが必要なことだって、ミラはそう考えたんだ。
「……しかし、触れ合ってみればその内側は変わりません。私達の知る人々と、この世界の人々の間には差なんてありませんでした。
ですが……そうなると、ふたつの世界には大きな隔たりが生まれてしまいます。
エヴァンスさんのように大きな口を持つ生き物や、街にいた人のように長いツノを持つ生き物。
狼や山羊といった動物が——それに相当する生物が、この世界には欠けています」
「……それが前に言ってた、イヌヤネコってやつか。お前らはそれを探してる……って、そういう話だったか」
はい。と、ミラは小さく頷いた。
エヴァンスさんはどうにも話に付いていけないって顔で首を掻いていたが、それでも視線を真っ直ぐに向け続けるミラを前にしては、投げ出すことも出来ない。
仕方ない……って、そういう顔をしながら、ミラに続きを話すように促した。
「それらがいないのであれば、それはそれで構わないのです。ふたつの世界が同じ様なものでなければならない理由もありませんから。
ですが、もし本当にいないのならば……私達は、そういう前提の下に動かなければなりません。
そして、今から語ることこそが、私達の本当の目的です」
「本当の……って、イヌヤネコを探すのは、その目的とは違うのか? そいつらを探せば……? いや、そいつらがいるかどうかを確かめてからじゃないと、その目的を達せられない……って、そういう話か?」
こくんと頷いて、ミラはちらりと僕に視線を送る。全てを打ち明けます。と、その確認の為の合図だったのだろうか。
僕としては……気は進まないけど、ミラがそうしたいのならそうするべきだろう。
丸投げじゃなくて、約束だから。僕はお前の帰りを待つだけなんだから。
「……私達はこの世界に訪れる終焉を阻止しに来ました。その為にはまず、この世界がどのようなものであるのかを知る必要があります。
私達の常識からすれば、先程説明した動物達の消失は、人類の存続には……いえ、自然の存続には致命的に過ぎる欠落です。
しかし、もしもこの世界がそれらを抜きに均衡を保っているとしたら……」
私達が良かれと思って行った介入によって、バランスは崩壊し、そして生物には滅びが訪れるでしょう。故に、今はこの世界について少しでも詳しく知りたいのです。と、ミラのそんな言葉に、エヴァンスさんは少しだけ緊張した顔で耳を立てていた。
「なので……エヴァンスさんにはお願いがあります。私達の突飛な行動や、不審な点があれば、余さず指摘してください。
貴方から見た私達の不自然は、私達の知る世界とこの世界との差異です。
私達も貴方の行動に疑問を持てば、小さなことでも尋ねます。
どうか……どうか私達に力を貸してください。この世界を守る為に」
とてもじゃないけど受け入れられる話じゃない……よな。
きゅっと唇を噛んで手を差し出したミラを前に、エヴァンスさんは困り果てた顔で目を泳がせる。
ミラを見たり、窓の外を見たり、僕を見たり、床を見たり。
指摘してくれ……と、そう言われた突飛な行動の中の、考えられる中でも飛び抜けておかしな行動を前にしているのだから仕方がない。
「……エヴァンスさん。どうかお願いします、俺達に手を貸してください。絶対に危害は加えませんし、加えさせません。終着点の無い旅ですが、どうか」
僕からも頭を下げて、エヴァンスさんに助力をお願いする。
ただ側にいてくれれば良い、側で変わらず生活を送ってくれればそれで良いんだ。
その中で違和感があれば——僕達が変なことをしたら、その時に突っ込んでくれれば良い。
難しい話ではない。が……不審なふたり組と行動を共にするのは高いハードルだ。良い返事は貰えないかもしれない。
そして、彼とここで別れれば、次は無いかもしれない。
それでも、ミラは黙ったまま一緒に進むことを良しとはしなかった。
なら、半身である僕もそれに従うまでだ。
「…………分かんねえよ、やっぱり。ひとつも理解出来ねえし、お前らがなんか……もしかしたらやべえ奴なのかな……って、怖くもなる。だけど……」
だけど……? エヴァンスさんはやっぱり困った顔のまま……それでも、恐る恐るミラの手を取ってくれた。
「……面白そうだって思ったし、事実今もワクワクしてる。お前らの言う……その……終焉ってのは分かんねえし、なんにも手伝いはしてやれねえかもしれないけど。一緒に旅するくらいなら、こっちからも頼む。
どこ行くのか知らねえけど、俺も面白いところに連れてってくれ」
「……はい! 約束します!」
嬉しそうに両手で握り返したミラの笑顔を、エヴァンスさんはさっきまでと同じ心中では見れないのだろう。
けど、無邪気で人懐っこい少女の姿に、少しでも気を楽にしてくれたら幸いだ。
嬉しい嬉しいって顔ではしゃぐミラに……ちょっ、はしゃぎ過ぎだ! パタパタと部屋の中を走り回って、そしてカーテンレールの上によじ登ってブルブルと身体を震わせる。
いや……その喜び方は知らねえぞ……? 猫に侵食されてねえか……お前……?
「……そういうわけなんで、結構変な行動も多いかと思います。その……周囲の目とか……すみません……」
「お、おおう。まあ……そうだな。俺に危害が及ばねえならなんだって良いよ。その変な行動のおかげで一度は助けられてるしな」
感謝……っ! 圧倒的感謝……っ!
話の半分も信じて貰えてないにしても、彼の目を気にすることなく調査出来るってのは非常に楽だ。
上がりきったテンションのまま降りて来られないのか、ミラはまだバタバタ暴れ回ってベッドの下に潜り込んだ。
いや……本当に何してんだお前……
「ちょっ……ミラちゃん、買い物行くよ。出ておいでって、ほら。ご飯、ご飯だよー」
「…………たった今目の前で起こってることが理解出来ねえんだけど、コレも突っ込むべきか……?」
ご、ごめんなさい……僕も色々突っ込みたいこといっぱいあるけど、コレには我慢してください。
もしかして……僕が高い身体能力を得たように、ミラも仕草において猫っぽい要素を獲得してるのかな?
いや……でも、このくらいは前のミラでもやりかねないしな……判断が難しい。
結局興奮したままのミラを力尽くで引っ張り出して、僕達は街に夕食の買い出しに出掛けた。




