第七十話【積み上げたもの】
そう大きな山でもないし、今は僕にもミラに負けないだけの体力が備わっている。
けれど、それでも山道のひとつも整備されていない自然のままの山というのは、登るのに苦労するもので。
木々の間を縫って、出来るだけ傾斜のなだらかなところからゆっくりと前に進む。
そうして、僕達はようやく……
「……ここ、頂上…………ら辺だよな……? もう登り坂は無さそうだし」
「そうだな。と言っても……何も見えやしねえな、これじゃ」
この山の頂に辿り着いた。
辿り着いたが…………残念ながら、そこから見えるものは絶景ではなく、さっきまでと何も変わらない鬱蒼とした木々ばかり。
遠くから見た、中腹から麓に掛けて木々に覆われている。という僕の予想は、どうやら少し違ったらしい。
ここらの木は既に葉を落としていて、それで山肌が露出しているように見えた……が、正確なのだろう。
しかし……どうして上の方ばかり落葉してしまってるんだ……?
「……まだそこそこ暖かいと思ってたけど。もしかして、とっくに雪とか降った後なのか……? この身体だと、寒さはいつもより感じ難そうだし……」
上の方から葉は落ちるってこと? そんな大掃除みたいな感覚で葉っぱって落ちるの?
しかし……この疑問、果たして誰に聞くべきか。いや、ふたりに聞けば良いんだけどさ。その……
「…………ミラちゃん、どう思う? その……なんでここだけこんなに禿げてるのかな……とか……」
「……? そう……ですね。単に山の上の方が気温が下がりやすい……のでしょうが、それだけではないかもしれませんね」
よ、よし。いや……その……僕に教養が無いだけだったらどうしよう……と、やや不安があってね。
そうか……ふむふむ、確かに山の上は寒いね。だから寒いとこから順番に葉が落ちる……と。
分かってた。分かってましたとも、ええ。
「麓の木々はまだ葉が緑色でしたから。或いは、これも何かの異変なのかもしれませんね。
気温の変化が私達の知るものよりもずっと激しい……とか。或いは、葉を落とさない樹林と落とす樹林が隣接して存在する……とか」
「…………う、うんうん。成る程ね……成る程……うん……ジュリンがね……」
樹林です。ええ、分かってますとも。ぐすん……勉強、もっとちゃんとしておけば良かった……っ。
どうやらこの景色は、ミラからしてもあまり普通のものではないらしい。
まあ、それがそのままこの世界の異変のキーになるかは分からないけど。
二種類の林が隣接して山を覆っている……という話は、確かに変にも感じ…………感じるのか……?
松ぼっくりとどんぐりが一緒の山に落ちてるんだから、木の種類はそこそこバラバラでも変じゃないのでは……?
「……っ! アギトさん! エヴァンスさん! ここ! この隙間から、向こうがある程度見えそうです!」
「隙間……って……ああ、木の間。どれどれ……見え…………見え…………?」
見えないです。いえ、見えはしてるのかもしれないけど。
少なくとも、その先に見えるのはやっぱり木です。林、森、山の斜面を上から見てるのと変わんないです。
強いて言えば…………空、綺麗ですね。
「…………ちびっ子、お前にはなんか見えんのか? 俺には……木しか見えねえけど……」
あ、良かった、仲間いた。
ミラが指差す向こう側とやらは、どこからどう見ても…………いえ、ここからしか見えませんが。どう見ても、背後に広がる景色と大差無い大自然だ。
これを見せていったいどうしようと……
「あそこ。ちょうど色付き始めてる辺り、ちょっとだけ密度が低いです。切り拓かれているのでしょう。近くに街か村があるかもしれません」
「密度…………葉っぱの……ってこと? 言われてみれば……」
若干……若干だけど、そう見えなくもない。
葉が落ちてるんでなければ、木と木の間隔が広いんだろう。
となると……ミラの言う通り、そこは誰かの都合で拓かれたんだろうか。
もしかしたら畑になっているのかもしれないし、或いは集落が出来ているのかも。ふむ……
「……? アギトさん? どうかしましたか?」
「…………うん、いや。ミラちゃんは流石だなぁ……って」
えへへ。と、嬉しそうに笑う可愛らしい我が妹だが、その能力の高さには毎回舌を巻いてばかりだ。
視力は——見えているものは、今の僕も同じ筈なんだ。
それでも、その景色から得られる情報は違う。
文字通り、見えているものが違う。
エヴァンスさんだって気付いてなかった。この人の場合は、そもそも街の外の景色なんて殆ど知らなかったから。
僕も同じ、ミラと同じ視界なんて初めての経験だから。
習熟の度合いが違うと言うか……使い熟せてないと言うか、ミラが使い熟し過ぎというか。この差は、経験値の差だ。
「……となると……うーん」
「? 行きましょう、アギトさん。目的地は、とりあえずあそこです」
あ、うん。今行くよ。パタパタとちょっとだけ小走りで先を急ぐミラに、僕もエヴァンスさんも少し感心しながら付いていく。
凄く野生動物っぽいと思い続けていたミラの能力なんだけど、いざこうして自分も野生の力を手に入れてみると、とても人間的な要因で研ぎ澄まされているのだなと思わされる。
いや、動物だってそういうことするだろうけど。
ミラは、見えている景色から答えを推測した。
当たり前なんだけど……僕達は出来なかったから。
言われてみれば成る程納得だし、次からは同じような見方も出来るかもしれない。
でも……なんか、悔しい。
「日々の努力、勤勉さの勝利か……」
「アギトさん? 何か、異変について気付いたことがあるんですか?」
いえ、そっちの話ではなく。
なんでもないよと誤魔化して、僕はまた視線を前に向ける。
はあ……マーリンさんがいつも言ってたこと、これか。
なんだか聞いた話だね……学校の先生がうるさく言ってたことが、大人になってから身に染みる……的な。
いやでも、今回は仕方ないと思う。うん、だって初めてだったし。
こんなに遠くが見えるの、初めてだし。いきなりは難しいですよ、ええ。うぐぐ……
「それにしても、やっぱりいませんね。うーん……そう考えるのが妥当……でしょうか」
「いない……? なんだお前ら、なんか探してんのか?」
だ、だからっ!
いないってのは野生動物……それも、この世界では人間と一体化している他の哺乳類のことだ。
僕達からしたらいるのが当たり前なんだけど、どうにも……
狼男と狼が一緒にいるというのは、御伽噺の中では割と普通の筈なのになぁ。
この世界には、残念ながらまだ見当たらないのだ。
「エヴァンスさん。ええと……犬や猫、或いは牛や羊といった動物をご存知ですか? 私達はそれを探しているんです」
「イヌヤネコ……ウシヤヒツジ……? それも……海の向こうとやらでは普通にいるのか?」
どゎ——っ⁈ だ、だからなんでそんなに直球を投げ込むんだ! 僕だけか⁈ 僕だけがビクビクしてるのか⁉︎
しかし…………ミラがギリギリを攻めたお陰と言うべきなのか、答えらしきものが見えてきた。
エヴァンスさんは——少なくとも、あの街の人達はそれらを知らない。てことは……
「……っ! 街……でしょうか、建物が見えます。あの赤い屋根は……」
「えっ⁈ どこどこ⁈ ええっと…………ホントだ! それに、レンガも新しそうだし…………もしかして……」
あの街と同じ——似たような建物が並んでいるのが見えた。それも随分と新しい。
もしかすると、あの化け物連中に連れて行かれた人達の街……とか。そうだったら…………そうだったら……?
「……そうだとしたら……馴染むのは楽そうだけど、新しい発見はあんまり無さそうだな……」
「街が見えたってのに、なんで変な顔してんだ、お前。やっぱりおかしな奴らだな」
うぐっ。まあ、自覚はありますとも。
いつもなら……普段のアギトなら、間違いなく喜んで喜んで、それはもう喜びまくって神に感謝するところだ。
ミラに振り回されて死ぬところだった、救ってくださってどうもありがとうございます、と。
でも……今回は——このアギトは違う。
世界を救わなくちゃならない、手掛かりを探さなくちゃならない。
つまり……どれだけ居心地が良かろうと、収穫が無さそうなら、さっさと出て行って別の場所を探さなくちゃならない。
前回の終わりが終わりだけに、時間切れが怖くて仕方無いのだ。
「…………アギトさん。念の為、また私がひとりで……」
「……? ひとりで…………なんで……………………っ! う、うん! 流石ミラちゃん、言わなくても分かってるね! よろしく!」
ああっ、苦笑いされた!
念の為……そう、念には念を入れねばならない。
このまま呑気に街に入って、その後になってからそこが獣人の街ではなかった……なんて発覚しても時既にお寿司。もとい遅し。情報収集どころではなくなってしまう。
一番ケモっ気が少ないミラに下見をして貰って、入るのはケモ度六十%の僕とエヴァンスさんも馴染めそうか確認が取れてから。何ごとも慎重に慎重に、ね。
「……お、ちびっ子帰って来たぞ。笑ってるし、行っても良さそうだ。で……結局何の確認だったんだ?」
「ああ、ええっと……ええー…………あの化け物が先回りしてないか。の、確認です!」
それはねえだろ、どんだけビビってんだ。と、あの時一番ビビってたエヴァンスさんに馬鹿にされ、僕はやや遺憾ながらも反論を飲み込んで下山した。
ミラが見つけたのは、やはり獣人が暮らす長閑な街だった。
となると……やっぱりこの世界は、獣人の世界ってことで間違いなさそうだな。




