第六十八話【はぐれ者の群れ】
「——ハッ——ハッ——ハァ……ああもう、なんだったんだ……っ」
僕達は無事に謎の化け物から逃げ延びることが出来た。
出来たものの……とても良かったと安堵する出来る状況にはない。
アイツらが何者なのかは結局分からずじまいで、それでも街の外までは追ってこなかった……つまり、街に戻ればまた追い掛けられるハメになることだけは分かってる。
いくら強化魔術無しとはいえ、ミラの蹴りを何発も食らって平気な連中の相手なんて……
「……とりあえず、状況の整理から。はじめまして、私はミラ=ハークス。ええと……少なくとも、あの街では新顔でした」
「新顔……そうか、それじゃあ知らなくても無理は無い……ってことか。俺はエヴァンス。助かったぜ、ありがとな」
あ、僕はアギトです。
僕よりもひと回り大きな狼男のエヴァンスさんは、やっと落ち着いた表情を浮かべて僕達の匂いを嗅ぎはじめた。やっぱりそれが標準なのね……
「エヴァンスさん。あの連中はなんだったんですか? それに……なんだか揉めてましたけど……」
「なんだ……って聞かれると、俺にも何かは分かんねえ。ただ、ガキの頃からずっとああだったんだ。
罪を犯したものは街から追放される。毎晩アイツらが街を見回ってて、罪人はどの家にも入れて貰えずに連れ去られるのを待つだけなんだ」
罪人を連れ去る……か。その割には随分荒っぽいと言うか……連行するってよりも、その場で仕留めてしまおうってくらいの迫力があったんだけど……?
しかし……ふむ、そうなると……
「…………俺達は完全に巻き添え……いや、そういうことか……」
「そうですね。山菜採りに向かった時、暗くなる前に帰ってくるように……と、店主さんは仰ってました。今思えば、その時点で推察すべきでしたね」
夜になって暗くなっても、今の僕達には——この世界の住人には危険なんて無いのだから。
暗くても視界は良好で、それに夜行性の危険な獣もいない。
あの注意は——あの不安そうな顔は、全てあのよく分からない化け物に対する恐怖心だったんだろう。
「……ずっとああだった……って、それは……ええと……」
「そのままの意味だよ。ガキの頃からそう教えられて、それを守って生きてきた。いいや、生きてこさせられた。
誰にでも親切にしなさい、勉学に励みなさい、街の為に毎日勤しみなさい、って。そうしないと、この街では生きていけないから……って」
なんてディストピアだ。優しい街、暖かい街だって感じてたその裏には、半ば脅迫じみた教えが根付いていたなんて。
これは、あの街だけの風習なのだろうか。
世界を揺るがしかねない異常を、一刻も早く突き止めなければならない。
だから、もうこれが答えであって欲しい——これを解決すれば終わりという形になって欲しい。と、そう考えてしまいそうにもなる。
なるが……しかし、どうにも……
「……考えられる答えはふたつ。これがこの世界の異常である可能性。そして、この世界に起こっている異常の所為で、街の——人々の在り方が歪んでいる可能性」
「世界……? ちびっ子、お前何言って……」
ちょわっ⁈ ミラちゃん! そういうのは現地の人がいないところでっ!
エヴァンスさんは、難しい顔で突飛なことを言い始めたミラに、酷く怪訝な視線を送って首を傾げた。
この子は頭がおかしいらしい。ああ、そうか。だからあんな化け物にも飛び掛かっていったのか。なんて、そんなことを考えてる顔だ。
「いえ、この際隠す必要も無いでしょう。この世界に詳しい協力者が必要です。
となれば、この状況——街にはとても戻れそうにないという状況に置かれたこの方は、引き入れるには都合が良いでしょうから」
だ、だからそれを面と向かって……いや、まあ……そうか。
エヴァンスさんはまだ事情が飲み込めてなさそうだが、この際もうちょっとだけ置いてけぼりを食って貰おう。
僕達はこの世界を救わなければならない。
その為には、この世界をよく知らなければならない。前回はそこを見誤った。
僕達だけで頑張っても、その程度で対処出来る問題ではないのだ。
となれば……現地の人間との交流は必須。これは、マーリンさんとも話をした。
「エヴァンスさん。信じ難い話とは思いますが、どうか信用……いえ、信用も信頼も必要ありません。住処と仕事を失い、何かに縋り付きたいという気持ちだけで構いません。
私達は貴方の身の安全を、生活を保障します。引き換えに、どうかこの世界のことを教えてください。
異なる世界からやってきたばかりの、見ず知らずの私達に。どうか力を貸してください」
「異なる…………な、何を言って……」
おまっ…………ああ、ダメだ。そこら辺は昔のミラと何も変わってない。
説明が下手と言うか、結論を急ぎ過ぎている。
だけど……言いたいことは、事情が分かってる僕には伝わった。
エヴァンスさんもエヴァンスさんで、頼るアテが欲しい筈なのだ。
だから……悪い言い方をすると、そこにつけ込んで手を組んで貰おう……と。
その為に、ミラは自分達の目的を明かしてしまおうとしたんだ。
内緒話や企みごとが透けて見えたんじゃ、どっちみち信頼なんてして貰えない。だったらいっそ……と。
「……はあ。エヴァンスさん、俺からちゃんと説明します。
ええと……まず前提として。俺達はこことは別の世界からやってきました。
信じられないでしょうから……うーん。草原のずっとずっと向こう……海を越えて、別の大陸からやってきた……くらいのイメージでも構いません」
「海を越えて…………し、信じられるかよ、そんなの。海って……海なんて、ここからどれだけ離れてると思ってんだ。
それが……その更に向こう……の……たい……りく……? ってとこから……? 別の世界って……」
うぐ……ぼ、僕も説明下手だったわ……っ。
しかし、この反応だけでも既に得られたものがいくつかある。
まず、あの街がひどく閉鎖的であること。
まあ……あんな化け物が毎晩闊歩してる様な集落じゃな……ではなく。
恐らくだが、この世界にも渡航だとか大陸って概念——発見、歴史はとっくにある筈。
めちゃめちゃ内地で、その上外に目を一切向けなかった文明……なんてこともあり得ないだろう。
川を下れば海に着く、そして文明は必ず水辺の近くで発達するのだから。
少なく見積もっても中世以降の文化に達しているこの街が、そんな生まれたての古代文明レベルなんてわけはない……と、思う。
それと、ここからは本当に海が遠いんだってこと。
潮の匂いがしなかったから、近くないとだけは分かってたんだけど。
彼の口ぶりからして、このタフな体を以ってしても簡単に行き来出来ないくらい遠いんだろう。
それがなんじゃいと言われると……まあ……うん……
「——っ! そういやさっき……ちびっ子はなんか一瞬だけ光ってたし、それに変な火の玉も飛んでた。
も、もしお前らが本当に海の向こうから来たって言うんなら……そ、そこじゃあんなのが普通なのか……っ⁈」
「あ、えっ……あー…………そうです。僕達はそれを魔術と呼んでいます。この街には無い、便利な技術ですよ」
さあ、引っ込みが付かなくなってきた。
と言うか……例え話で出した海の向こうって単語ばかり信じられてて……っ。
い、いつかコロンブスとかがやってきた時、変に勘違いされてしまったら申し訳無いな……っ。
「……俺達はこの街を……国を、どうにかしてしまう為に来たわけじゃありません。
その逆、ここの人達に襲い掛かる危険を払う為にやって来ました。
どうか力を貸してください。お礼……ではありませんけど。またあんな化け物に襲われたとしても、きっと守ってみせますから」
「…………話はひとつも信じらんねえよ。ってか理解出来ねえ。流石に馬鹿なこと言い過ぎだ。
だけど……なんとなく、悪い奴らじゃなさそうなのは分かる。
だから……とりあえず、どっかに腰を落ち着けられるまではお前らの手伝いをしても良い。助けて貰ったのは俺の方なんだからな」
ぐっ……まあ、流石に正体を信じて貰おうとは思ってないさ。
でも、どうやらミラが目論んだ通りの展開になりそうだな。
とにかく情報が欲しい、どんな些細なモノでも構わない。この世界に住む人の、その主観からの景色が知りたい。
僕達にとっての違和感が、本当にこの世界の異常なのかどうかを知りたい。
そういう意味で、エヴァンスさんがあそこで襲われてたのは…………ごめんなさい、凄く不謹慎だし可哀想だとも思うけど…………僕達にとって、都合が良かったことだろう。
「……それで、俺は何をしたら良い。街の仕事は大体なんだって手伝ったから、大抵のことはそれなりにやれる自信がある。飯だって炊けるし、テーブルだって作れる。だけど……」
「…………そう……なんですよね。街には戻れなさそう……となったら、調理器具も家具を置く場所も無いですから……」
さて……まずは当面の心配をしなくては。
最初に考えるべきは……うーん、なんだろう。次の街へはどのくらい歩けば着くのか……とか?
少なくとも、目指す方角は決まっている。山越えだ。
山と反対方向へは昼間にひたすら歩いてみて、そしてその先に何も無い可能性が高いと結論を出した。
山を越えるのに何日掛かるのか、山を越えた先に本当に他の街があるのか。
新天地への不安が多かったからこそ、ミラもギリギリまであの街に居られなくなる理由を作らないよつにしてたんだし……
「…………はあ。なんとか戻れないかな……あの化け物が夜にしか出ないってことなら……」
「いえ、それはやめておいた方が良いでしょう。あの騒ぎが罪人を裁く為のものだったのなら、私達が戻れば、街の人を無意味に怯えさせてしまうことにもなりかねませんから」
ぐぐぐ……そう……だよね……はあ。
ミラの魔術も、多分何人かには見られてるだろう。
それが信じられないものだったから、そして信じられない行為に及んだから。
自分達とはあまりにもかけ離れているから……多分、僕達はもう受け入れては貰えない。
さっきの話があるし、表面上はある程度優しく接して貰えるだろうけど。
でも……その裏で凄くストレスを抱えさせてしまう筈だ。
勇者として、救世主として。それは……あんまり、望ましい感じじゃない。
「今晩はどこかで洞穴か何かを見つけて、そこでやり過ごしましょう。火は起こせますから、暖を取るのには困りません。ご飯は……川で魚を捕まえれば、それで」
「野宿…………うう……本当に来てしまった……」
ミラはなんだか困った顔で笑っていた。
そりゃ凹みもするよぅ……と、うなだれていると、どうやら僕の様子だけを見て困ったわけではないみたいだった。
僕のすぐ隣で、エヴァンスさんも凄く落ち着きの無い様子で…………ああ、成る程。
「……エヴァンスさん、見た目の割に結構良いとこ育ちっぽいですね。いや……さっきの話を聞く限りじゃ、あの街の人はみんなそんな感じっぽいですけど」
「見た目の割にって……どんなイメージ持たれてんだ、俺は」
そりゃあ……でっかい狼男だからね、ワイルドでタフでちょっとワルなイメージですとも。
見た目以上に小心者っぽいエヴァンスさんと、それ以上に小心者の僕と、見た目一番弱っちいのに逞しいミラと。僕達は三人で手分けして、夜露を凌げそうな場所を探しに山へと登り始めた。
はあ……獣も魔獣もいないからまだマシだけどさ…………




