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異世界転々  作者: 赤井天狐
第二章【スロングス】
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第六十七話【獣の勇者】


「————違うんだ——っ! 俺じゃない! 俺が盗んだんじゃない! 見逃してくれ!」

 男の声は酷く怯えた色をしていて、僕達よりもずっと大きくて逞しい身体を小さく縮こまらせていた。

 違う。盗んでない。俺じゃない。許してくれ。

 彼の発する言葉の真意は分からない。分からないが——

「——アギトさん、コイツら——」

「————ああ。マトモじゃない」

 ガシャンガシャンと鈴が数回鳴って、それっきり巨躯の化け物達は動かなくなった。

 見定めている……のだろうか。男の姿を、僕達の姿を。

 何か…………何か嫌な熱を感じる。

 獣としての本能だけじゃない、アギトとして——魔獣と戦い続けたひとりの人間としての経験が、目の前の異常から早く逃げろと叫んでいる。

「————っ。うわぁ————っ!」

「——っ! コイツ!」

————疾い——っ。全くの静止状態から、化け物はその太い腕を男に向かって振り下ろした。

 鍛え上げられた武術の類ではない、そういった鋭い速さではない。

 ただ単純に、筋肉量にモノを言わせた暴力的なまでの速さだ。

 男はそれを間一髪のところで避けて、そしてそのまま尻餅を突いて動けなくなってしまった。

「——アギトさん!」

「分かった! お願い、ミラちゃん!」

 コイツらはヤバイ。

 どういった事情があるのか、なんの為の存在なのか。ひとつとして状況は分からないが、少なくとも目の前で男がコイツらにおびやかされているのだから。

 だったら助けるしかない。そんなこと、わざわざ言葉にされなくたって伝わってくる。

 グルンと身体を捻って跳び上がったミラの姿を見て、僕も男の保護をするべく駆け出した。

「————っぁらぁあっ!」

 ボゴゥ——ッ! と、ミラの蹴りが化け物のこめかみ辺りに直撃する。

 重たい音がした、これはクリーンヒットしたぞ。

 あれが本当に人間だったなら、間違いなく立っていられない筈だ。

 いや、と言うか……本当にただの人間だったなら、今の一撃は致命傷にさえなり得る技だったのだが。

 それを躊躇無くぶちかましたってことは…………っ。

 数多の魔獣を蹴り飛ばし、そして魔王さえも討ち破ったミラから見ても、コイツらは相当ヤバイ生き物に見えたってことだ。

 そしてそれは——

「————っ。嘘だろ……っ! くそ! しっかりしてください! 逃げますよ!」

 ミラの一撃は間違いなくこめかみにヒットしていた……筈なのに……っ。

 化け物は何ごとも無かったかのように、体勢を立て直している最中のミラに拳を振り下ろした。

 ミラはそれをヒラリと躱して、そして距離を…………っ。

 ああもうバカアギト! 僕より後ろまでアイツが退がるわけないだろ!

 僕が男を連れて離脱するまで、アイツらに肉薄したままやり過ごすつもりだ。それも……

「——っ。この——っしゃぁあっ!」

「ミラ……っ」

 ミラの体に、見慣れた青白い輝きが纏われていない。

 強化魔術を使ってない、完全にニュートラルな状態で立ち向かっている。

 それがどういう理由なのかは知らないけど、コイツらをさっさと蹴散らして離脱しようって考えは無いみたいだ。

 それが使わないのか、それとも使えないのかで話は大きく変わるが…………僕がするべきことは変わんないだろ——っ!

「——しっかりして! 早く! 早く起きてください! 逃げますよ!」

「————ぅぁ——に——逃げ——っ⁈ 逃げられるわけないだろ! コイツらは……だって、コイツらは…………っ!」

 コイツらはなんなんだ! 男はひどい錯乱状態に陥っていて、とても冷静に話をする余裕なんて無さそうだ。

 こうなったら背負ってでも————

「——ひぃい——っ! やめてくれ! 俺は——っ」

「——っ。クソ——マジかよ——っ」

 一体の化け物が、逃げようとした僕に向かって大きな脚を振り下ろしてきた。

 かかと落としじゃない、分かりやすく踏み潰そうとしてきただけ。

 フリードさんよりも、ゲンさんよりも、王都にいたどの騎士よりも不恰好なそれが、足元のレンガを一撃で踏み砕く様に背筋が凍る。

 コイツらを人間と思っちゃいけない。性質は魔獣のそれだ。

 技術や駆け引きではなく、持ち前の質量だけでゴリ押してくる。

 知能なんて必要無いくらい、愚直なまでに重たい筋肉の塊なんだ。

「——すみません、アギトさん! コイツら——っ!」

「大丈夫! こっちもこっちでやり過ごすから!」

 知能なんて無いのに……いや、無いからこそ、か。

 見ればミラは既に五体の化け物に囲まれていて、逸れたみたいなこの一体は弱い方を確実に仕留めに来ているんだ。

 分かりやすく驚異的なミラのことなんて放置して、捕らえやすい獲物から確実に捕まえていく。

 成る程、どうやら魔獣よりは多少マシに思えてきた。

 この場合は、とにかく攻撃してきたものを狙う魔獣の方が——

「——ちょっと楽だっただろうけど——っ。うぐ————ぬぬ——ぉおおお——っ!」

「——っ⁉︎ おわぁ——な——何してんだお前——っ!」

 アンタが逃げないから担いで行こうとしてんだろうが!

 ちくしょう! 重い! 力が強くなったって言っても、そもそも力仕事なんてロクに出来ない元ヒキニートのアラサーだ!

 慣れないことは、やっぱり上手く出来ないんだよ! だけど……

「目が覚めたなら走って! 事情は知らないけど、とにかくアイツらから逃げましょう! ミラが足止めしてくれてる間に!」

「足止め——バカな! あのチビで足止めになんてなるわけないだろ! おしまいだよ、みんな! くそ! くそっ!」

 だぁあ! なんだそのネガティブさは! ミラを信じやがれ! 僕だってネガティブさについては負けねえぞ⁉︎ なんせ星見の巫女様のお墨付きだ! だけど!

「——大丈夫だ! アイツはアレで世界一個救ってんだ! このくらいの窮地、何回だって乗り越えてきてるんだよ!」

「世界——っ? くそ……こんな時にイかれ野郎と一緒になるなんて……っ!」

 誰がイかれてるってんだよ!︎

 男はどうやら腹を括ったみたいで、バンバンと自分の太ももを叩いてサッと起き上がった。

 化け物の一体はまだこちらを睨んでいる。コイツが動いた時——僕達は全力で街の外へと逃げる——っ。

「——これがなんなのか知らないけど……森に入っちゃえばあの巨体は邪魔でしかないだろ……っ」

「街の外…………ああ、くそ! そうだよな……逃げるって言ったって、そこしか無いよな……っ」

 僕も男もゴクリと唾を飲んで、そしてゆっくりと腕を振り上げる化け物から————振り下ろされる丸太みたいな巨腕から、一目散に逃げ出した。

「————ミラぁ————ッッ‼︎」

「——っ! はい!」

 何も言わなくったって伝わる……もうそういう関係じゃないけど。

 でも、この状況でアイツが察してくれないわけもない。

 全力で退散だ、お前も急いで付いて来い。

 僕の叫びの真意を汲み取ってくれて、ミラは化け物の腕を、肩を、顔面を踏み付けて、軽やかに宙返りして建物の上に降り立った。

 お、おお……相変わらず身軽だな、お前は……

「山の方に——森に入ってアイツらをやり過ごす! とにかく街を出よう!」

 僕の作戦に、ミラはニッと笑って頷いた。

 そう、お前が魔術を使わなかった理由なんてそれしかないもんな。

 僕のことを多少信じてくれた……ってのも、あったら嬉しいけど。

 でも、一番分かりやすくて、一番ミラらしい理由はそれしかない。

 強化魔術を使えば、或いはその姿を街の人に見られるかもしれない。

 広範囲を攻撃する魔術なんて、周りに被害が出てしまいかねない。

 とにかく、この街は重要な活動拠点だ。居られなくなる理由を作るのは、可能な限り避けたいものな。

「——すみません、アギトさん。でも……」

「うん、分かってる。信じてくれてありがとう。ミラちゃんの読み通り、ちゃんと逃げられそうだよ」

 前の……王都で召喚のことを打ち明ける前のミラだったら、きっと有無を言わさず魔術使ってボコボコにしてたかもな。

 でも、今はそうじゃない。

 関係が変わったのもあるだろうけど、勇者としての成功と責任が——救世主としての一度の失敗が、ミラに自覚を芽生えさせたのだろう。

 大きな目的の為に、目の前の一事を我慢することも大切だ……って。

 うん……大人になったなぁ、お兄ちゃん嬉しいよ。

「っ。もうすぐ街から出ます! 足元に気を付けてください!」

 しゅたっと僕達の前に着地して、ミラはそう注意を促した。

 このレンガで舗装された走りやすい道ともおさらば、そこからは草木の茂る獣道だ。

 そうなった時、果たしてどちらが有利になるのかは分からないが……とにかく、転んだら一発アウトだと思って走るしか————

「——っ!」

——がしゃん——っ! と、また鈴の音が鳴った。

 背後は振り返るまでもない、さっきの化け物が全部こっちに向かって走って来てることだろう。

 でも——それとは別の、今の鈴の音は————

「——っ——コイツらいったい——」

「——何体いんのよ————っ! やぁああ——ッ!」

 街の外が見えたってのに、その前には道を塞ぐようにあの化け物がもう三体並んでいるではないか。

 これは…………っ。

 街はずれだ、強化魔術で蹴散らすか……?

 いや、ここで使ったら結局元の木阿弥……この街に戻れなくなるかもしれない。

 そうなったら……っ。

「————クソッ! クソッタレがぁ——っ!」

「——っ! うわあぁっ!」

——脚を止める他に無かった——っ。

 脚を止めて、目の前で振り下ろされる杖を躱すしかなかった。

 そのほんの僅かな時間にも、背後から迫る奴らは物凄い勢いで間合いを詰めてくる。

 ダメだ、追い付かれる。

 この瞬間に追い付かれなかったとして、しかし目の前の三体を潜り抜けて逃げ出す方法が無い。

 じゃあ——これで————

「————揺蕩う雷霆(ドラーフ・ヴォルテガ)————エクスス————っ!」

 バチバチィ——ッ! と、聞き慣れた言霊と見慣れた青白い雷光が僕の視界の端を駆け抜ける。

 しん——と、一瞬静まり返ったように感じたのは、その甲高い風切り音が今までよりも鋭く感じたからなのか。

 それとも————

「————ヤバイ——のか————」

——音が遠いのは、緊張によって酸素がキチンと脳に届いてないから……だけなのか……?

 痺れるような痛みが指先や足先——身体の末端を襲う。

 なんだ、なんなんだこの感覚は——この————嫌な感じ——獣の生存本能が訴える何かは————

「——————っ⁉︎ この————っ」

「——ミラ——嘘だろ————」

——バチィ——ッン——と、ミラの回し蹴りが化け物の脇腹を抉る。

 抉り——そして、蹴り飛ばす筈だった。

 自分よりもずっとずっと大きな相手を——それこそ、数メートルという単位の大きさの大蛇をも蹴り飛ばした、強化魔術込みのミラの一撃が————

「——っ⁉︎ アギトさん——っ!」

 ミラを覆っていた雷光はすっかり消え去り、そして残ったのは、少しだけ怯んだが、それでも躊躇無く僕達に向かって突進してくる化け物達という構図だけだった。

 なんだ——なんなんだコイツらは————っ!

「————もしかして……お前——」

 魔術が弱まってる……いや、発電が上手く出来なかった、本来なら存在しない頭上の耳がミラの魔術を狂わせた……?

 たったそれだけのことでそんなに変わってしまうのか……なんて、今更疑問に思うまでもない。

 髪を切っただけで使えなくなったこともある。精神的な動揺で機能しなくなったこともある。ミラの魔術はそれだけ繊細で————

「——っ! ミラちゃん——っ!」

 考えごとなんてしてる場合じゃなかった——っ。

 強化を失い、相対的に遅くなったミラはそのギャップに対応しきれず、化け物にその細い腕を掴まれてしまった。

 ベキ——と、木の枝を折るのと変わらないくらいあっさりと、そして容赦無く細腕を折られ、ミラは声も上げられず苦痛に顔を歪めた。

「——ヤバイ——ヤバイヤバイ——っ。だから言ったんだ! 逃げられないって——無駄だったんだって——っ!」

「————っぅ——ッぁあっ! アギトさん! 逃げてください!」

 腕を掴まれ、宙に吊るされ、ミラの攻撃はその威力の殆どを無効化されてしまっている。

 それでも化け物に必死に抵抗して、僕が逃げられるように気を引こうと————

「————何やってんだ——俺は——っ」

——その感情には——熱には覚えがあった。

 最悪も最悪——いつか暴走した時の熱さだ。

 兄さんが倒れ、ミラが危機に晒されたあの時と同じ————けれど——

「————もう——必要無い——今のお前には要らないだろ————」

————さっさと気付けよ——この大馬鹿アギト————ッ‼︎

 腰を落とし、半身に構え、そして相手の出方を窺ってそれをいなす。

 ああ——最高の師だろう、弱っちいアギトでもあれだけ生き残ることが出来たんだから。

 だけど——今の僕は————

「——っだぁああ————ッ!」

——両腕を胸の前で合わせ、首に力を入れて。上半身をひとつの塊にしたみたいに固くして、僕は肩から化け物に突っ込んで行った。

 そうだ、とっとと気付けよ——っ。

 この化け物がそうしたように——今の僕には無理矢理相手を突き飛ばすだけの体重がある。

 自分よりもずっと大きなこの狼男を担ぎ上げるだけの筋肉がある。

 だったら——っ。

「——逃げるよ! ふたりとも!」

 勢いを付けた僕の突進は、ミラを掴んでいた化け物一体をよろめかせるくらいなんてことなかった。

 身構えていた他の奴なら……ダメだったかもしれないけど。

 でも、今一番必要なことは達成出来たのだ。

 グラついた化け物の顔面に、ミラは追い討ちのように何発も蹴りを叩き込み、そして拘束の緩んだ隙を見つけて折れた腕を引っこ抜いた。

 そしてそのままその化け物を乗り越えると、連なる菫ヴァイオラ・コンクツィードエクススと言霊を唱え、そして生成された火球によって他の化け物の注意を逸らす。

 そうやって生まれた混乱に乗じて、僕達は無事三人で街から脱出した。

 山に——森に向かって走る最中、そいつらが街の外までは追い掛けて来ていないと気付いたのは、すっかり街が遠くなってからのことだった。


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