第六十一話【仮定の仮定】
借りてきたカゴいっぱいに山菜を集め、それとは別に……薬草? らしい変な雑草や、木の根や果実を集める終わると、空が少しオレンジ色に変わり始めていることに気付いた。
「……しかし……うーん……」
探し物は結局見つからなかった。
お使いは完遂した、ポーションの材料もまあ不足ないだろう。
問題なのは、どこにもネズミの一匹すら——その糞や足跡すら見つけられなかったことだ。
「前回の世界……アレは、何度も海に沈んでは浮上してを繰り返していたのでしょう。
故に、なんらかの意図があって配置された人々以外の陸生動物は存在しなかった。
そう考えることで……こじつけも甚だしい、ありえない規模の実験場なのだと思うことで、なんとか筋を通すことも出来ます。しかし今回は……」
「……そうだね。ここからは海なんて見えないし、それにあの島と違って文明もしっかり根付いてる。
となると……まあ、ある意味当然だけど。別の理由で、この世界には獣が……人間以外の哺乳類が存在しない……ってわけか」
より正確には、あらゆる哺乳類の特性が人間に複合されてしまっている…………ように見える、だが。
何を論じても断定出来る状況に無いけど、ひとつの仮説にはなるだろうか。
この世界では獣が全て統合され、今は人間として——同じ種族として纏まって生活している、と。だとすると……
「……この世界に訪れる終焉は……食糧危機……? 食物連鎖もクソもあったもんじゃないよね、これじゃあ。魚介類や昆虫、爬虫類。それに植物を食べて生きて行くとして…………」
「……足りませんね、どう考えても。魚の養殖や田畑の開発をどれだけ効率よく行ったとしても、それだけでまかないきれる程規模の小さな消費ではありませんし」
もしもこの世界が、“人類が既に最小化された後の世界”であるのならば——限界ギリギリまで数を減らした後の世界であるのならば、或いは食物連鎖も保たれるのかもしれない。
しかし……それはつまり、これ以上の発展が望めないことを意味する。
文明が発達する、生存能力が向上する、種の数が増える。終焉というのが直接的な終ではなく、停滞を意味するのだとしたら……
「ってなると……僕達がするべきことって……?」
「いえ、まだ……もう少しだけ様子を見ましょう。足りないというのも、私達の持っている常識での話です。
或いはこの世界の自然は、私達の見知ったものよりも強靭で、植物も哺乳類以外の動物の数も桁違いなのかもしれませんから」
そんなの…………いや、ありえなくもないのか。
バランスが取れている——僕達から見ると破綻しているように思える現状が、この世界ではちょうど良い均衡の上にある——と。そういう可能性も無いとは言えない。
とはいえ……うーん、やっぱりこの問題にぶち当たるよなぁ。
「常識をどこまで信じて持ち込んで良いのやら、相変わらず足元がフラフラなままだよね。
何を信じて、何を疑って。自分が真っ直ぐ立ってるのかどうかを確かめる定規が欲しいよ」
「……難しいですよね、相変わらず。でも、挫けるわけにはいきませんから。」
常識が全く通用しない。そう考え始めると、何もかもがまかり通ってしまう。
秋人からしたら、魔術というのはありえない出来事だった。
でも、アギトとして経験を積んだから、それがあくまでも科学の延長上にあるものだ……と、不服ながら納得も出来てる。
でも、秋人の常識を押し通すと、やっぱりあんなのを科学とはとても認められない。
認められないが、でも異世界だから仕方が無い……と、そう諦めてしまったら、それがあくまでも科学であるという解に辿り着けない。
落とし所を上手く見定める必要があるのだ。
「ここまでで確認出来たのは、虫、トカゲ、カエル、それに鳥ですね。うーん……」
「哺乳類に限定されてるのかな、人間と一緒になってるのは。だとしたら……まだマシ……なのかな?」
鳥まで一緒じゃ鶏肉も食べらんないもんね。
いえ、まだどこでも見かけてないので……或いは鶏肉なんて無いのかもしれないですけど……っ。唐揚げ……フライドチキン……っ。
「或いは、この街では哺乳類の特性を併せ持つ人しか住んでいないのかもしれません。自然界に存在するナワバリのように、別の街に訪れると他の特性を含んだ人々が生活しているのかも」
考え出すとキリがありませんね。と、ミラは大きなため息をついてカゴを背負った。
帰りましょう、日が暮れちゃいます。だなんて言って……こらこら、荷物は僕が持つよ。
折角体力がついたんだ、きっと力持ちにもなってる筈さ。
なんだか不服そうなミラからカゴを預かって、僕はしなやかな毛に覆われた腕をその肩紐に通した。うん、軽い軽い。
「こういう力仕事は俺がやるよ。強化無しの筋力自体は俺より弱いだろうし、それに男としての立場ってものがある。女の子に重たいもの持たせるわけにはいかないよ」
「むぅ……子供扱いしてませんか……? 良いですけど、別に……」
不服そうね、随分。
頼って貰えないことが嫌なんだろう、そこは相変わらずだな。
とにかく急ごう、帰りはあんまり飛び跳ねたり出来ないからね。
僕達はカゴの中身をひっくり返さないように、静かに走って街を目指した。
街に戻れば既に街灯には火が灯っていて、道行く人々のアニマルな顔が……こう……あんまり言いたかないけどさ……
「……慣れるまでは夜出歩けないな、これ。ちょっと……不気味と言うか……」
「そうですか? みんなモフモフで……えへへ。それに、アギトさんだって同じなんですよ?」
うぐっ……そ、それはそうだけどさ。
なんと言うか、みんなして獣の頭をしてるから、それが薄明かりに照らされてるのを見ると…………儀式感があって怖い。
僕と同じ、完全な獣顔が三割。獣の特徴が強く出ている、人間ベースの顔が五割。残りの二割は、ミラと同様ほぼ人と変わらない姿をしている。
この街でのなんとなくの統計だけど、こういうのはどこに行ってもそう変わらないと思う。思いたい。
「……これさ、動物っぽさの深度で……」
「無い話ではないですね。でも……少なくとも、この街ではそういう差別はあまり無さそうに思えます」
人は自分と違うものを受け入れられない時がある。
そういうのは時に集団心理としても作用しがちだから、案外遠い街では、今の僕みたいな獣感強い人は迫害されてたりするのかもしれない。
勿論、逆の可能性だってある。
そういう差別や迫害を、僕はよく知ってるから。
「ただいま戻りました、遅くなってすみません」
「ああ、良かった。お帰りなさい。ありがとうございます、お怪我はありませんか?」
お店に戻ると、猫顔の店主さんは胸をホッと撫で下ろし、そしてまたニコニコ笑って僕達を迎えてくれた。
この人は僕と同じ……いや、僕よりは少し人間っぽさを残した顔だろうか?
こういう暖かい人を見ると、差別なんてものはどこにも存在しないんじゃないか……って、そんな暖かい気分になるよ。
「はい……ええと、これと……はい、ありがとうございます。しっかり確認しました。では、約束よりも多く採って来て頂いたので、その分は買い取らせて頂きましょう。こちらが代金です」
「えっ、良いんですか? ご飯食べさせて貰った代わりって話だったのに……」
超過した分はお釣りが出るでしょう? と、店主さんは小銭を僕の手のひらに置き、そしてぎゅっと僕の手を握った。
そりゃ……お釣り……うん、そう言われると納得しちゃうけど……
「それから、お仕事を探していらっしゃいましたね。でしたら、昼間に街役場に行かれれば、案内を受けられるかもしれません。
もし見つかるまで時間が掛かるようでしたら、またうちにいらしてください。少しだけお手伝いをお願いしますね」
「っ! あ、ありがとうございます! 何から何まで親切にして頂いて……」
いえいえ。と、店主は笑って、そして山菜の詰まったカゴを背負って厨房へと入って行った。ええ人や……本当にええ人やなぁ……
「…………この街は本当に豊かですね。どこにも諍いの気配が無く、貧困や差別も見当たらない。そう“見えるだけ”でないことを祈るばかりですが……」
「……? ミラちゃん……それって……」
なんだか嫌な予感がします。と、ミラはちょっとだけ表情を曇らせていた。
うん……ミラの言う通り、この街に来てから誰かが喧嘩をしてるところや、飢えて倒れているところを見かけていない。
それは凄く良いことだし、理想的なことだ。
そして、それが可能なことも知ってる。
可能でありながら……凄く難しいことも。
「……早めに宿を決めましょう。なんだか……ぞわぞわします……」
宿……か。そう言えば宿賃は足りるだろうか。と言うか……宿屋というものはあるのだろうか。
無ければ最悪野宿でも良いんだけどさ、前回はそうやって生活してたし。
でも……出来れば街に馴染みたい。
それを遠ざけたから、守れた筈の世界を守り損ねてしまった。
傷付けずに済んだのに、ミラにつらい思いをさせてしまった。じゃあ……うん、やっぱり早めに……
「すみません。えっと……近くに泊まれる場所はありませんか……? その……さっきの代金で……ですけど……」
最後にもう一度お願いをしていこう。
もしお金を稼げるようになったらいっぱいお礼に来るから。と、勝手な覚悟を決めて、僕は厨房にいる店主に声を掛けた。
すると、お店の裏に小さな宿屋がありますよ。と、やっぱりニコニコ笑って親切に答えてくれた。
「ありがとうございます。うん……ミラの考え過ぎだよ、やっぱり」
この世界は……この街は、凄く優しい街なんだ。上っ面だけじゃなく、きっと根っこのところから。
僕は店を出る時にも店主にお礼を言って、そしてお金を握り締めて教えて貰った宿屋へと向かった。
確かに小さな建物だったが、それでも清潔で内装も綺麗な、感じの良い宿だった。
そうだよ、疑っても仕方が無い。
お金が少ないことを受付で説明して、それでも怪訝な顔などされずに、僕達は二階の少しだけ小さな部屋を貸して貰えた。
ベッドが小さいけど…………うーん、前までなら問題無かったんだよな、これで。
モフモフだけど……やっぱりくっ付いて寝るのは嫌かな……?




