第五十九話【一度目の引っ掛かり】
お金なんて本当にびた一文持ってない。だと言うのに、猫顔の店主はニコニコ笑顔で次々と料理を運んでくる。
ま、待って……あんまり食べちゃうと……いくら働いて支払うと言っても、僕達の一日の労働じゃ返しきれないレベルになってしまう……っ。
「あ、あの……っ。本当にこれっぽっちもお金なんて無くて……価値のありそうなものも何も……」
「ええ、分かってますよ。ですので、食べ終えたらお店の手伝いをして下さるのですよね?」
いや……うん、そういう約束だけどさ……そうだけど……た、足りますか……?
今はもうお昼過ぎ、お客さんのピークはとっくに過ぎてしまっているだろう。
もう働き手が欲しい時間は過ぎた筈だ。
だってのに……この料理の豪華さはどういうことだ。
ひとり数千円のお手頃宴会コースってレベルに収まってない。
フレンチでもイタリアンでも、もちろん懐石料理でもない。
何かは分からないけど……凄く盛り付けも凝ってるし、その……なんと言うか…………ひと皿あたりの量が少ない。
そう、お高いレストランってのは決まって量が少ないんだよ。テレビで見たもん。
いえ、そういうニワカも過ぎる知識だけで決めつけてるわけではないです。なんと言うか……
「……ロイドさんみたいだな……あの人……」
雰囲気と言うか……空気、店内を満たす何かが、アーヴィン一のレストランである、ポミエラ=カステールのものとよく似ているのだ。
あと、店主の雰囲気も。優しさも。
「むぐ……? アギトさん、シェフ・カステールをご存知だったんですね。むむ……まあ、マーリン様の財力なら……むむむぅ……なんてこともないのかもしれませんが……」
「ああっ、えっと……えっとだな……」
ミラはむすっとしてそっぽを向いてしまった。
摂食障害とのことだったが、それでもロイドさんの料理ともなれば別なのだろう。
マーリンさんの手料理が美味しくないなんて話は当然無い。
でも、ミラにとって——アーヴィンに暮らす人々にとって、あのレストランは凄く特別なものなんだ。
それを……僕がマーリンさんとふたりで食べに行ったと思って……自分は連れて行って貰えなかった……って……
「ちょっとだけ話をしたことがあるだけだよ、いつか行ってみたいとは思ってたけど。全部終わったら一緒に行こう? マーリンさんも連れて、三人で。ううん、もっともっと……」
オックスとも知り合ったよ。フリードさんともちょっとだけ仲良くなれた。
エルゥさんの所にお邪魔して、そこで召喚して貰ってるんだ。
アーヴィンで別れてからの道程を、なんとなくだけどミラに説明する。
うん……そうだよ。あの時お前と一緒に出会ったあの人達と、今度はひとりで出会って来た。
良くも悪くも、みんな変わってしまっていた。
お前も……随分と変わってしまった。
変わってないのは——変わりたくないと思ってたのは、僕だけだったのかな……
「……みんなで行こう。流石にその時は事前に予約取らなくちゃならないけどさ。大勢の方がきっと楽しいし、ずっと嬉しい筈だよ」
「……? はい、そうですね」
っとと、いかんいかん。このセンチメンタルはミラにとって意味不明の感情だ。余計なものを挟み込んじゃダメだ、混乱させてしまう。
でも……僕の提案は——寂しさから出た自分の為の提案は、どうやらミラにも望ましいものだったらしい。
いいや、当然だ。寂しがり屋だもんな、みんなと一緒が良いに決まってる。
これが終わったら。王都から帰ったら。そんないつになるかも分からない前提の上で、ミラはあれこれと理想を口にする。
「えへへ、その時はみんなのことを私が案内しないといけませんね。市長ですから、アーヴィンの良い所をいっぱい教えなくちゃ」
「そうだね。ええっと……結局、みんなはアーヴィンには来たことがないんだっけ? 旅の間に出会ったんだよね、話題に上がった人達って」
オックスは私を探しに一度だけ。フリード様はお仕事で立ち寄ったことくらいはあるかも知れません。と、ミラはちょっとも考えることなくスラスラとそう答えた。
オックスの“ミラを探しに”……ってのは、多分……アレだよな。ボルツで再会した時の……ゲンさんの請求書の…………っ。ふむ……
「……? ど、どうかしましたか……? さっきから手が止まって…………はっ⁉︎ も、もしかして顔に付いてますか⁉︎」
「ああ、あはは……うん、拭ってあげるからジッとしてて」
あうう。と、ミラは顔を真っ赤にして俯いてしまった。うん……口の周りが汚れてるのも事実。
でも……僕の食指が動いていないのは、別の原因に由来する。
ミラ……僕との思い出を失っているから、本人は随分忘れっぽくなってしまった……って、思ってるみたいだ。
でも実際の所、以前同様かなり記憶力は良いままだ。
本人は違和感を覚えてるのかな……? それとも……悪いところだけを見て、記憶力が乏しくなってると判断しているのだろうか。
もし……それが不自然だって思ったなら…………不安から、何か原因があるんじゃないか……って、勘付いてしまったら……
「……よし。さて、冷めないうちに食べちゃおう。もう……どれだけでも働く覚悟が出来たよ……っ。せめて一番美味しい状態で食べよう、せっかくのご馳走なんだから……っ」
「そうですよ、せっかくのご馳走なんですから。えへへー」
えへへー。と、嬉しそうに笑いながら料理を口に運ぶミラだが……やっぱり苦しいのかな。さっきからお腹をさすったり、胸を撫でたりしている。
それでも僕に気を使わせないように……そして、前回とおなじ結末を辿らない為に。美味しい料理なのに、必死になって流し込んでいるのかも。
食いしん坊だった頃を知ってるだけに、こんな状態はあまりにも可哀想に思えた。
「失礼します。デザートを準備しました、どうぞお召し上がりください」
「で、デザートまで…………っ。ありがとうございますっ! 全部めちゃめちゃ美味しいです! 全力で働かせて頂きます!」
もうこうなったらやけくそだよ! 三日でも四日でも、一週間でも働いてやるさ!
ぐぐ……しょうがないのだ……っ。まずは生きていく為の適応が必要なのだから……っ。
世界の終焉よりも前に肉体の終焉を迎えてたんじゃ、流石にお話にならないんだから。
店主は僕の気合の入った返事にもやはりニコニコ笑って…………やっぱりロイドさんっぽいんだよな……無銭飲食させてくれる人代表みたいな扱いで申し訳無いんだけど。
いや、今も別に無銭飲食させて貰ってるわけじゃないけどね⁈
「……デザート……と言うことは、これが最後でしょうか。うーん……やっぱり……」
「……やっぱり……? え……ど、どうかしたの……? もしかして……十日のタダ働きでも払いきれないレベルの高級店だったり…………っ⁈」
召喚の期間全部支払いに充てる羽目になったらどうしよう……っ。なんて震える僕を、ミラはちょっとだけ呆れた顔で見ていた。
ご、ごめん……でも割と死活問題だよね……?
生きて行くには、ここで働くしかなくなってしまう。そうなったら、世界を救うどころの話じゃ……
「……気付きませんでしたか? 前菜には貝と豆類、サラダには大根とレタスと柑橘。スープも野菜のお出汁に小麦や芋を使った練り物。メインも魚やエビ……魚介類と野菜ばかり。デザートも果物。
獣の肉を使ったものはおろか、乳製品すらありません。これは…………っとと」
っ! い、言われてみれば……ミラの言う通り、どの料理にも動物由来の——哺乳類由来の食物が使われていなかった。
店主がこちらの様子を窺う為にか、ちらりと厨房から顔を覗かせたのを察知して、ミラは口を噤んだ。
その判断は、或いは大正解かも知れない。
肉食は、この世界におけるひとつのタブーである可能性は高い。
冷静に考えて、肉食動物の特性を持つものと、草食動物の特性を持つものが、ごちゃ混ぜに生活しているのはおかしい。
野生の——獣のセオリーからは逸脱している。
食物連鎖がまるで存在しないかのような在り方だが……同時に……
「…………っ。そ、そうだよね……店主は猫だけど……」
「……例えば牛の特性を持つ人物がいれば、牛肉を食べることが差別のような意味合いを持つのかも知れません。
いえ、もっと根底の話————既に獣は人に取り込まれ、それ単体ではこの世界に存在しないという可能性すら……」
そ、それは気付かなかった。そっか……そういう可能性もあるのか。
まだ街の中をブラブラしただけ……それも、人の営みにばかり目を向けて歩いていただけだから全然意識に無かった。
僕達はまだ、野生動物の姿を一度も目にしていない。
「……じゃあ、ここでの労働が終わったら……」
「はい。行きましょう、山の方へ。ひとつずつ確認することが大切です」
いきなり……でもないけど、まずはこの世界の状況について知らなくては。
人がどうなっているのか……だけではなく、その周囲を覆っている自然がどうなっているのかという所まで。
これまた前回の反省をしっかり活かす時が来た。
「…………となったら……まずは……」
「そう……ですね。もぐもぐ……ごくん。ご馳走様でした」
僕達は残ったカットフルーツを平らげ、そして手を合わせてご馳走様でしたと声を揃える。
ふむ……しかし慣れないな、この手。
いや、意外とすんなり使えてると言うか、フォークやナイフにも一切苦戦しなかったと言うか…………それはきっと、これがあくまでも順応の為の変化だからなんだろうな。
でも……顔の前で合わせた手が毛むくじゃらのいかつい獣の腕なのは見慣れないよ。
「ご馳走様でした。さて……その、俺達はいったい何をすれば……」
「はい、お粗末様でした。では……そうですね。まずは……」
おっと、普通に働かされる流れ。
いえ、見逃されないかなー……なんて、そんなセコい考えは流石に持ってなかったですよ?
と言うか、理由も無くタダ飯食べさせて貰うのは気が引け過ぎる。
ロイドさんの時だって、僕は関係無かったけど、ちゃんと理由があったわけだし。
変わらないニコニコ顔の店主に言われるままに、僕達は店内の掃除や皿洗い、そして……
「すみません。それと……山菜を採りに行っていただけますか?」
「山菜ですね。任せてください!」
思ったよりしっかり働かせて貰って、なんとなく罪悪感のようなものが薄れて行く気がした。
しかし、山菜採りとは都合が良い。僕達のこの後の予定だった野生動物の確認も、それなら一緒にこなせるだろう。
暗くなる前に帰って来てくださいね。と、初めてちょっとだけ不安そうな顔をした店主に手を振って、僕達は急ぎ足で街から飛び出し山を目指した。
あれ……なんかちょっと充実してる感じに…………?




