第五十八話【まずは……】
僕達は、過ぎる程にあっさりと街に入れてしまった。
色んな意味であっさり過ぎると思ってしまうのは、これまでの旅と、戦いと……そして、今の自分の姿形故に。
街には基本的に砦があって、外敵の侵入を阻む為の門番が立っている。それが僕の常識。
そういった物のひとつも存在しないこの街は、その基準からすると凄く無防備にも思える。だが、同時に……
「……この世界は相当平和なんだな。砦も騎士も必要とされない、安全で長閑な世界だ」
「そうですね。普通は野生動物を避ける為の工夫くらいはするものですが……それもこの世界では……」
武装や警戒の薄さは、それだけ安全が確保されているという裏付けでもある。
この世界には、魔獣なんて厄介なものは存在しない。そして……ミラの言う通り、本来なら必要な害獣避けも必要とされていないみたいだ。
それもこれも、住民の全てが——文字通り、この街に住む全ての“人”が、獣の特性を持ち合わせているからなのだろう。
そう大きな街ではないが、数時間程歩き回って、“僕達の知っている”人間の姿をした人を探し回った。
探し回って、出した結論がそれだ。
「…………どうやら私達のこの姿は、術式の失敗や特殊な能力の付与ではなくて……」
「……衣服や言語と同じ、この世界に順応する為の調整の一環だった……ってわけか。しかし……それにしたって……」
差が酷過ぎないか……?
ミラは殆ど人の姿を保っているってのに、僕はどちらかと言うと人っぽい犬だぞ。
主体が犬、複合された特性が人間って感じ。うーん……どうしてこんなにも差が……
「……これが適応の為の変化だってことなら…………アレか……? 俺は能力がヘッポコだから……いっぱい変える必要があって……?」
「…………成る程、それなら納得ですね。私は元々、目や耳、鼻といった身体の機能が高くなってますから。擬態の為だけの変化なのかもしれません」
犬みたいなもんだと思ってたけど、まさかこんな形で裏付けが取られるとはな。
この世界の住人は、人間としての生活を送りながらも、野生の獣と同じ機能を備えている。
僕にはそれがまるで無いから、なんとか足りないものを補おうとして…………こんな人狼のような姿になってしまった、と。
「うん、なんとなく状況は掴めてきたね。いやはや……開幕から混乱させてくれるよ……ほんと……」
「あはは……では、聞き込みを…………」
ぐぅとお腹が鳴った。やだもう、ミラちゃん可愛い。と、そういうイベントではない。
鳴ったのは僕のお腹。太い手脚に鋭い爪、大きな口に尖った牙を持っておいて…………なんとまあしょぼい音が鳴ったものだろうか。
と言うか、ミラだったらこんな音で済んでない。
大きな音で空腹をアピールするかつての妹の寝ぼけた姿が、ふと脳裏に浮かんだ。
「……その前にご飯を食べに行きましょうか。幸い、豊かな街のようです。事情を話して恵んで貰いましょう。勿論、それなりの労働でお返ししないといけませんが」
「うん……そうだね……ごめん。はあ……どうしてお金の類は準備して貰えないんだろうな……」
経済介入は危険が伴いますから。と、ミラは少し残念そうにそう言った。
経済介入……? なんだか難しい言い方をされたが、要するに出所不明のお金を持ち込んじゃうと、その世界の経済に迷惑を掛けかねないってことかな?
まあ、そうだよね。ミラが突然五千兆円持って秋人の世界に乗り込んできたら、一瞬で日本経済が破綻してしまうもの。
経済規模が読めない以上、仕方がありません。と、ミラはそう続けて、そしてなんだか楽しそうにぴょこぴょこと跳ねるように僕の前を歩く。
「随分上機嫌だね。もしかして……王宮で仕事ばっかりしてた、とか?」
「…………えへへ、そんなところです。こうして羽を伸ばすのも久し振りですし、それに何より……」
見たことのないものがいっぱいですから。と、ミラは前を——今からレストランを探す為に進む道を見つめてそう言った。
ミラもマーリンさんに同じ話をされたのかな……?
かつての旅と同じように、まずは何よりもこの世界を楽しみながら理解していこう……と。
そういうことなら、僕達ふたりにとっては得意分野なんだ。
一緒に見て回ろう。目をキラキラさせ、待ち遠しいって顔で僕を待ってたミラの横に並んで歩き始める。
「…………? アギトさん……?」
「……うん、本当に楽しそうで良かった」
えへへ? と、ミラはなんだか分かってなさそうな顔で笑う。
ああ、本当に分かってない。お前が嘘をついたことくらい、僕には簡単に分かるのに。そのことも全部忘れてしまっているのだから。
どうして……どうして嘘をつく必要があった……?
いったい王宮では何が起きている。
ミラは……勇者は、あの場所で何をさせられているんだ……?
「…………まあ、今の僕には……」
勇者として、あまり外に漏らせない話もいっぱいあるのだろう。
僕がいなくなったとしても、王様はきっとミラに旅の話を聞きたがっただろうし。
そうしたら……王様が実はこんな人で……みたいな。
うん、そういうことなら他言無用だし、仕方無い。
今の僕はもう無関係の人間なんだから、隠さなくちゃいけない話もある……って、そういうことなのかな。
それだったら……寂しいけど、まだマシだ。
「……っと、良い匂いがする。くんくん……この先……いや、こっちの……」
「良い匂い……ですか? すんすん…………本当ですね、あっちの方から……この路地を抜ければ辿り着けるでしょうか?」
っ⁈ ぼ、僕がミラより先にご飯の匂いを嗅ぎ付けたぞ⁉︎
そ、そうか……今の僕は、見た目通り犬並みの嗅覚を持ってるんだ。
今まで全部ミラに任せてきたことも、いくつか代わりにやってやれそうな感じじゃないか!
ふふふ……これは中々良い世界にやって来たなあ。
「行ってみよう。もし着かなかったら、それはそれで道を覚えられた……ってことで」
「そうですね。この際です、街の全貌を覚えるくらいの気持ちで歩き回りましょう」
それは流石にやり過ぎかも。僕はアーヴィンにすらまだ知らない道があるってのに。
ミラは……流石にあの街のことなら知り尽くしてそうだな。
この世界ではじめに訪れたこの街……名前も知らないし、なんて国に属してるのかも知らないけど。
でも……なんとなく、故郷を思わせる暖かさを感じる。
それはきっと、人の顔がよく見えるからなんだろうな。
露店がいっぱい並んでたり、窓を開け放して店主が呼び掛けをしてたり、子供が走り回ってたり。
そこに住む人の姿は随分違って見えるけど、その本質は殆ど変わりないみたいだ。
「……すん……あそこかな。ミラちゃん、どう?」
「ふんふん…………どうやらそうみたいですね。むむむ……今まで嗅覚で出遅れたことは無かったんですが……むむぅ」
何に不機嫌になってんだよ。
まあ……そうね。貴女より鼻の利く人間は、あの世界にはまずいないでしょうよ。
僕達は街中にある小さな建物に——他の建物と違ってドアも窓もちゃんと締めてるところを見るに、やっぱりここが飲食店なんじゃないかな……なんて予想を立てながら飛び込んだ。
そして……その予想は見事に的中した。
ドアをくぐった瞬間から、美味しそうな匂いが鼻から入って胸のあたりを満たして行く。
「いらっしゃい。おや、見かけない顔ですね。くんくん……」
「わっ……え、えっと……俺達は……」
この街に来るのは初めてで……と、そういえば設定の打ち合わせをしていなかったことを思い出しながら、当たり障りのない返答で、猫の頭をした店主の不思議そうな顔をやり過ごした。
しかし……やはり動物っぽいと言うかなんと言うか。初対面で匂いを嗅がれるとは……
「おっ、メニュー結構豊富……外にはあんまり看板って無かったけど、ちゃんと文字はあるみたいだね。いかん……マジでこの……なんて言うのかな……」
「あはは……そうですね、うっかりスルーしそうになります。不思議ですね、見たことなんてない記号なのに……」
世界への適応……召喚に伴って付与されるギフトのひとつ。
僕もかつてアギトとして、知らない筈なのに読める文字というのを、いつの間にやら受け入れて生活を送っていた。
無論、疑問は尽きなかったし、それに書けるわけではなかったから、そこについてはそれなりに努力もした。
でも……そう、日常生活の中で意識しては来なかった。
看板を見て当たり前にそこが何屋さんなのか判断したし、クエストだって特に意識もせずに募集要項を読んで選んでいた。
そういう“日常への順応”に、どれだけ疑問を持ち続けられるか。
この間の世界ではそこに落とし穴があったからな……ちゃんと気を配っていかないと……
「とりあえず……よし、これにしよう。ミラちゃんは?」
「えっと……私は…………」
まさか、またお腹空いてないからなんて言わないよな……?
僕の不安もなんのその、ミラは期待に鼻息を荒げながらメニューを片っ端から睨み付けて行く。どれにしようかな…………何が良いかな……って……
「……ちがうっ⁉︎ なんかすんなり席に座っちゃったけどそうじゃない!」
「へ? あっ…………そ、そうでした! すいませーんっ!」
お決まりですか? と、店主さんがニコニコとやって来てくれたのだが…………うぐっ、なんて心苦しい……っ。
でも……こうでもしなくちゃ生きていけないから……っ。
申し訳無さを必死に飲み込んで、僕達は旅の途中でお金を全て失ってしまったのだ、と。
そこで、今の自分達に払える対価でご飯を食べさせて欲しい。叶うなら、仕事を受けられる場所を教えて欲しい。と、図々し話ではあるが、猫顔の店主に頭を下げてお願いする。
すると、最初は驚いた顔をしたが、店主はすぐにまたニコニコと笑って僕達のお願いを快諾してくれた。
か、神や……神がここにいる……ネコと和解せよ……っ。
お言葉に甘えて……と、ホッとひと息ついて席で待っていると、店主は次々とご馳走を運んで来てくれた。
あ、あれ……? 多い、多いよ⁈ シェフ⁈ 猫シェフ⁈ フルコースなんて出さなくても良いのよ⁉︎ ちょっと⁉︎ シェフーっ⁉︎




