第四十七話【変わり果てた友】
オックスとフリードさんに連れられて辿り着いた小さな砦で、僕達は馬車に乗り込んでへインスさん達を追い掛け始めた。
思えば随分と寄り道をしてしまった気分だが、道を逸れてからはまだ半日。
みんなはひとつずつ拠点を回らなくちゃいけない。このくらいの差ならすぐに追い付けるだろう。
「——そして己達は、再び魔王討伐を目指し始めた。魔女は新たなる勇者を見出す為に、己は敵の戦力を推し量る為に。各々の目的の為に、王宮に属するというのは都合が良かったのだ」
「そ、そんな事情が……マーリン、嫌がってた割に辞めなかったのは……」
さて、馬車の中には少しだけ懐かしい空気が流れていた。
ふたりの友人との再会を懐かしんでいる……と、そういう訳ではない。
懐かしいと思わせるのは、目の前の光景と似たものをかつて見ているからだ。
そう、アレはキリエからアーヴィンへとトンボ返りしている最中のこと。
馬車の中には黄金騎士フリードがいる。そして僕と、オックスと、それから彼に憧れを抱くベルベット少年。
馭者を除くと、その四人だけがこの場にいる。
フリードさんもオックスも昔のまま、当然そこは変わらない。
それでも、あの時の光景とよく似ている。そう思わせる理由はやはり、ベルベット少年だろう。
彼が凄く、ミラに似ているのだ。
「しかし、それからが長かった。十六年だ。十六年もの間、己達は目的を達せられぬままジリジリと身を焦がし続けた。
こちらの準備が進んでいるのかどうかも曖昧な中、魔獣の侵攻は着々と進んでいく。
長い年月を経た変化で、当初予定していた作戦のいくつもが不可能なものへと変わった。
しかし、そんな折。遂に魔女からの連絡が入ったのだ」
あの時、僕達はマーリンさんに昔の話をして貰った。かつての勇者と共に歩んだ旅路の話。懐かしむように、凄く楽しそうに語るマーリンさんの言葉に耳を傾けてたんだ。
そして今、その語り部はフリードさんに代わっている。
話の内容も、かつての敗走から後——新たなる勇者との出逢いの場面に転換していきそうだ。
「…………ミラ=ハークス……っ。マーリン……俺がいたのに、どうしてあんなチビを……」
「……ミラ=ハークスは少し特別でな。勿論、能力や性格……それに、性質といった部分も勇者足り得るものだった。
しかし、目を付けた理由は別にある。彼女には、かつての勇者の力が——治癒の祝福が授けられていたのだ」
祝福……か。
その力を、マーリンさんは呪いと呼んだ。
彼女からしてみれば、自分で与えた——いいや、与えてしまった……と、そういう言い方にも聞こえた。
その力の所為で勇者は壊れてしまった、と。そう後悔を口にした。
けれど、彼にとってはそういうものではないのだろう。
分かっちゃいるけど、やっぱりこの人はマーリンさんが大切なんだ。
直接悪口を言うことは多々あるけど、その行いを貶す言葉は避けているようにも思えた。
「——ベルベット=ジューリクトン。君が魔女にとってどういう人間か、それを己は知らない。だが、推測出来ることはある。
アレは弱い女だ。或いは縁の遠い人間を使うことで、魔王の討伐という重責を、身近な人間に二度押し付けることを避けたのやもしれん。
尤も、結果としてミラ=ハークスと魔女は必要以上に打ち解けていた節がある。
どこまでいっても性根は変わらない。アレは魔王を討つ戦士の中に混じるには、あまりにも弱々し過ぎたのだ」
必要以上に……か。
戦うだけなら、仕事の上での関係としては確かに仲良しになり過ぎたかもしれない。
いやまあ……ふたりとも初対面から好感度マックスだった気もするけど。
でも……結果として、仲良くなったことには意味があった。
自己治癒の呪い、その発展。マーリンさんと僕だけに限定された治癒の譲渡。
あの力が無ければ、マーリンさんはもういなかった。
あの場所であの人が倒れれば、僕達は魔王になど勝てなかった。
うん……あのふたりが仲良しだったからこそ、この国は救われたんだ。
「そ、それで……ハークスと一緒に旅をして、魔王を倒した……んだよね……? でも……」
「……言わんとすることは分かる。だが……許して欲しい。己も、オックス=ジュードも。どうにもその活躍を思い出せないのだ。
確かにミラ=ハークスは世界を救う一撃を放った。だが————」
どうにもかつての記憶に綻びが生じてしまっている。フリードさんは神妙な顔でそう言った。
それは…………っ。
僕ひとり分の欠落……いいや、ふたりはよく知っていたから。アイツがどういう奴で、何の為に頑張っていたのか。
別に僕の為だなんていう気はさらさら無い。そういうのもあっただろうけど。
アイツは目に見えるものを全部守ろうとした。
大切なものになった何かを、誰かを。寂しがりなアイツは、それら全部を欲しがったんだ。
でも……あの戦いの中で、アイツは守られる側だったから。
そういう意味で、フリードさんには僕を守るって決意で戦ってるように見えたのかもしれない。
まさかあんな小さいのがフリードさん自身のことも守りたいって考えてるとは、流石の黄金騎士でも想像出来なかったのだろう。
「……オレも、思い出せる筈のことが抜けちゃってるんスよね。ガラガダで助けて貰った時のこと、ボルツから一緒に旅をしたこと、アーヴィンで別れた時のこと。いっぱい思い出があった筈なのに……」
「っ⁉︎ お、お前もフリード様と一緒に戦ったのか……っ⁈ なんで! なんでマーリンはこんな田舎もんの三流術師を選んで、一流の俺は選ばなかったんだ! 俺だって……俺だって…………っ!」
おっと、ベルベット少年がなんだか凄く悔しそうに駄々をこね始めてしまった。
ううむ、ミラっぽいと言ったが……ミラとは少しだけ違うところもあるな。
子供っぽいところ、アイツの場合それは人に取り入る為に作り上げたものだった。
けど、彼にとっては真逆。
人に取り入る為…………人に認めさせる為に、仮面を被って隠していた要素だった。
愛されたいが故に幼さを演じた。認められたいが為に幼さを隠した。
似ているようで、根っこの部分がちょっとだけ違う。
まあ、それでも似てるって思うのは……ふたりとも全力でそれを叶えようとしてるからなのかな。
「そういうわけだから……すまない。この旅の詳細は魔女に尋ねると良い。大方アレが何かしたのだろう。
己の記憶は簡単には消えない、忘却というのは起こり得ない。であれば、何か小賢しい細工が施されたのは間違いない。
己にそんなことが可能なのは、この国広しと言えどあの女くらいなものだ」
「——っ! マーリン……アイツ…………」
っとと、流石に鋭い……やっぱりマーリンさんのことよく分かってるんだな。
でも……まさか目の前でボケっとしてる男の所為でそれを忘れてるなんて……思わないよなぁ。
「……? アギトさん、どうかしたんスか……?」
「え——? えっ、ああ…………いや、思いの外うちの師匠がボロクソに言われてて……自業自得とはいえ可哀想になってきちゃって……」
オックスの指摘があるまで気付かなかったけど、どうやら僕は泣いていたらしい。と言っても、涙が溜まってるくらいだけどさ。
うん……そりゃ泣きたくもなるよ。
僕の精神は、秋人と共通の心は、この再会を何よりも喜んでいた。
けど……アギトの肉体は、かつての旅の主役は。その全てが失われていることに寂しさや苦しさを覚えてしまう。
当然なんだけど……やっぱり、忘れられてるのって……
「……ああ、そうだ。実は俺、先代の勇者様によく似てる……って、マーリンさんに言われるんですよ。フリードさんから見ても、どこか似てたりとか……」
「————あり得ぬ妄言だな。彼に似ている人物など、この国に——この世界に居はしない。
その力を継いだミラ=ハークスでさえ、かの気高い精神を持ち合わせない。
魔女め、とうとうそこまで耄碌したか。性別が同じ同種の生物というだけで、君と彼が似ているなどという事実はどこにも無い——」
——あ——れ——? どうしてだろ……あー、やばい。思ったより……キツイ。
かつてこの人は僕のことを、かつての親友——先代の勇者の面影を感じさせる、と。そう言って、僕のことも親友と呼んでくれた。呼んでくれたのに……っ。
「…………バカだな、お前。先代の勇者様って言ったら、フリード様にとって無二の存在だぞ。マーリンが酔っ払って何吹き込んだか知らないけど、滅多なこと言うもんじゃないぞ」
「っ……そ、そうだね。うん……どうかしてたよ……」
少し心配そうな顔で耳打ちしてくれたベルベット少年には、どうあっても僕のこの寂しさは伝えられない。
変わらない。あの時のままだ。そう思ったのは……僕の勝手な勘違いだったらしい。
フリードさんにも僕についての思い出が無い。
それは当然、僕達の関係があの時とはまるで違うものになってしまているってこと。
そうなれば……変わってないように見えるのは、オックスと接している瞬間だけで…………っ。
「————っ。おじさん、停めて! フリード様!」
「——ああ、間違いない」
孤独感と喪失感に打ちのめされていると、突如オックスが大声をあげて馬車を止めるように指示を出していた。
間違いない……って。フリードさん、それはいったい……
「魔獣だ——。アギト、ベルベット=ジューリクトン。しばらくここから出るな、片付けてくる」
「待っ……俺も! 俺も戦える! 俺だってあのハークスと同じように————」
待っていろ。と、フリードさんは優しく微笑んで、そして自らの力を証明したいベルベット少年の訴えを突っぱねた。
この子はいったいどういった環境で育ったのだろうか。
承認欲求……と呼ぶにも度が過ぎていると思う。
相手は魔獣、危険な存在。
確かに、彼程の術師ならば取るに足らないかもしれない。
子供特有の危険への鈍さが、この行動を引き起こしているのかもしれない。
でも……でも、どう考えたってそうはならない。
自分の力を試したいだなんて理由で、あんな危険な生き物と戦いたがる。それは自然ではない。
何か別の——別のもっと大きな感情に引っ張られてないと…………
「————追い立てる突風——っ!」
馬車の外でビュウビュウと鋭い風切り音が鳴った。
そしてそれは、次第にピリピリという甲高い音に変わって、その言霊に偽りのない雷魔術が発動する。
出来るだけ馬車から身を乗り出して外を見れば、そこには全身に雷電を纏ったオックスの姿があった。
「——それ——お前、そんなのいつの間に——っ!」
揺蕩う雷帝。確かにお前が目にした中で、最強の魔術のひとつだろう。
でも、お前はそれをミラに習ったわけじゃなかったよな。
ってことは——自力でそんなとこまで辿り着いて————
「————やっぱお前——凄えよ————」
もしかしたらあの時にも既に——っ。
そっか……そっかそっか! そうだよな……そうだよ、ミラはヒロイックでかっこ良かったから。
アイツの強さにはきっと誰もが憧れる、お前もそれは例外じゃなかったんだな。
オックスの大きな背中にミラの小さな背中が重なっ————
「————旋刃一線————ッッ‼︎」
「——オックス————?」
————重なりかけた小さな背中を、アイツは置いてけぼりにするように飛び出した。
飛び出して——そして——っ。
力一杯振り抜かれた剣から風の刃が放たれて、そして眼前に並んでいた魔獣を全て斬り倒す。
あ、ああ……お前……そんなに強くなってたんだな。
あの時も凄かったけど……今はもっと……もっと…………
「——なんだよ——それ————」
オックスは笑っていた。
俺達と一緒に旅をしていた時の子供っぽい無邪気な顔じゃない、すごく邪悪な笑みを浮かべていた。
魔獣が一頭死ぬ度に、凄く嬉しそうに口角を上げるのだ。
子供だろうか、逃げようとした小さな魔獣を追い掛けて——そして、親なんてとっくに死んだそいつを、無慈悲にも叩き潰してしまった。
嬉しそうに、楽しそうに。
優しかったかつてのオックスの姿が、その少年の背中から消えていってしまう気がした。
全部の魔獣が倒されてアイツが馬車に戻って来た時、僕は果たしてどんな顔で迎えたのだろうか————




