第四十五話【二度目のはじめまして】
——変わり行くもの、変わらないもの。
変わってしまったもの、変えようのないもの。
功罪は無く、ただ等しくそこにあるもの————
——オックス——フリードさん——っ!
名前を呼んで駆け付けたい気持ちを抑え込み、僕はふたりの姿を——変わらぬ頼もしい姿を目に焼き付けた。
大蜘蛛はたった一撃で真っ二つに割られ、残っていた小型の魔獣もすぐさま蹴散らされた。
「…………知り合いか?」
「——っ。いえ……でも、話はマーリンさんから……」
そうか。と、ベルベットさんは何かを悟ったように、僕のこの偽物の答えの先を追求しなかった。
多分……いいや、間違いなく。僕が隠したその感情を、この人は簡単に察したことだろう。
歓喜に打ち震える体と、それとは対極に歯を食い縛らなければならない心。
せっかく……せっかくまた会えたのに…………っ。
「——誰だ——。まだ付近の拠点に騎士が配属される予定は無かった筈だが、所属を答えろ。さもなくば————」
「————ひぇっ⁉︎ お、おおおおお俺は決して怪しいものでは——っ⁉︎」
待って——っ! それはアカン、ガチで泣きそう!
仕方がないことなんだけど、フリードさんは一瞥くれることもなく僕の存在を感知して、そして切っ先を向けて警告を発した。
あ、あんなに仲良くしてくれたのに……っ。あんなに親友って呼んでくれたフリードさんに剣を向けられて…………あっ、やばい。本気でこれ……泣く…………
「…………なんか様子が変っスね。フリード様、もしかしてこの人達迷子じゃ……」
「迷子…………っ。迷子などではない、そんな童子の様な扱いをするな。俺はベルベット、ベルベット=ジューリクトン。マーリンの命でこの男を…………おそらく、お前達に引き合わせに来た……のだと…………」
ベルベットさんのあやふやな返答に、ふたりは揃って訝しげな目を向けた。それも僕に。
うわぁん! なんなんだあのポンコツ! こっちのふたりにも連絡入れてないのかよ! 全然ダメじゃないか! 何してたんだ!
オックスは頑張って半泣きで踏み止まってる僕を不思議そうな顔で見てて、フリードさんは僕と違って妙に尊大な態度のベルベットさんを困った顔で見ていた。
ふたりともごめんね! 困るよね、こんな登場の仕方したら。
でも…………うわぁん! あのバカ! バカ巫女! ミラの時みたく、せめて好意的な第一印象を植え付けておいてくれよ!
「………………ベルベット…………ジューリクトン! 術師五家のジューリクトン家っスか⁉︎ となったら……」
「術師五家……話には聞いている。ミラ=ハークスと同じく、このユーザントリアの誇る五つの術師の大家。そうであるなら、魔女の関係者という話も信じ難いものではない……か」
おっ、なんか良い方に傾きそうだぞ? そうそう、そのジューリクトン家だ。
うぐぐ……この話をマーリンさんにして貰った時、もうオックスとは別れた後だったからなぁ。
でも、ちゃんとベルベットさんがマーリンさんとの関係を説明してくれれば、ふたりもちゃんと話を聞いて————
「————ハークスなどと言うチンケな家と同じにするな——っ! 術師五家という括りがそもそも気に食わぬ!
この国で最も優れた術師家系はジューリクトン、そしてその全てを凌駕するのがこの私、ベルベットだ!
あんなチビが跡取りに座るしかない落ち目の下家を、よりにもよって私の理解の為に当てはめるな——っ!」
「だぁああ! すぐこれだ——っ! なんで術師はみんなそう負けず嫌いなんだ——っ!」
つい叫んでしまった。
フリードさんは随分と呆れた顔をしているし、オックスも苦笑いを浮かべている。
うう……ダメだ、第一印象が悪過ぎる。
かつては、かの勇者の後を継ぐもの……を、紹介している時に、何故か紛れ込んでいた一般人という認識を持たれていた。あれ? スタート地点、前よりはずっと良くね……?
「…………はっ⁉︎ し、しし失礼しました! 俺はアギト、この人は今言ってた通りベルベットさん。
マーリンさんの…………ええっと、クソ! 俺も何も説明して貰ってねえ! ええっとええっと…………と、とにかくここで誰かにあって来いって言われてて……」
「ああ……いや、もう大丈夫だ。どうやら敵ではないらしい、これも魔女に振り回される哀れな男のひとりのようだ。
ベルベット=ジューリクトン、それにアギト、か。関わる相手は選ぶべきだ。魔王亡き今も、魔獣の侵攻は続いている。身を寄せる場所を考え直せ」
うわぁ……ベルベットさんの時と同じだ。マーリンさんのポンコツ具合を話すだけで、いとも簡単に心を許して貰える。
あのポンコツ……マジで…………いや、考え方を変えよう。
あのマーリンさんが、だらしない、緩んだ姿を見せられる相手。ならば信用しても良いだろう。そういうロジックが今、フリードさんの中で組み上げられていたのかもしれない。
全然嬉しくないし、誇らしくないし、やっぱり説明はちゃんとしておいて欲しかったけど……結果として、マーリンさんのおかげでことなきを得そうだ。
マーリンさんの所為でことが起きかけてんだけど……それは内緒の方向で……
「……ごほん。魔女の使いならば、それなりに敬意を払おう。アレにはカケラ程も敬う点は無いが、アレに仕える気苦労者であるならば、同情の余地は多分にある。
己はフリード。今は王都に属し、騎士団の指揮を執っている」
「オレはオックス、オックス=ジュードっス。元々は騎士でもなんでもないんスが、縁あってフリード様と一緒に戦地を転々として戦ってるっス。ベルベットさんにアギトさんっスね、よろしくっス!」
わあ、オックスだぁ。あの時と何も変わらない、人懐っこい笑顔のオックスがここにいるよぅ。
あかん、おっちゃん泣いてまう。オックス……お前、随分と出世した筈なのに……っ。
何も変わってない、偉そうに踏ん反り返ったりお高くとまったりしていない、等身大のオックスがちゃんとここにはいる……っ。
フリードさんが何か変わるわけもない。だってこの人は、とっくに強過ぎる自己を持っていたんだもの。
負けられないから負けない、そんな無茶苦茶を通してしまえる桁外れの超人。
ふたりとも……僕が知ってる時のままの姿で……
「————フリード——だと——」
異変は凄く近くで起きていた。
ベルベットさんの様子がおかしい。それは……ふたりが自己紹介を終えた直後のことだった。
ど、どうしたんだろう……? 相変わらずその姿をしっかりと目で認識出来ないにも関わらず、動揺していることだけが嫌という程分かった。
フリードさんが……どうしたんだ……? まさか……まさか、ベルベットさんと——マーリンさんの部下、研究所の副所長とフリードさんとは何か因縁が————
「————お——黄金騎士フリード殿——っ⁉︎ こ、これは失礼致しました! よ、よもや貴方のような御仁が、こんな場所にいらすなどとは考えもしなかったので……っ!」
「ああ、いや。いい。己は己の名声に興味は無い。全て過去のものだ。魔王を討った今、どう扱われようと構わない。
顔を上げろ、無貌の男よ。己はその“在り方”を不敬だと問うつもりもない」
無貌……? と、オックスはフリードさんの言葉でハッとしたように、意識をベルベットさんへと向けた。そして凄く険しい顔で警戒心を強めていく。
そうだ……そうだった。このよく分かんない変な結界、初対面で、それも立場が上の人と会うシチュエーションにおいて、破茶滅茶に失礼この上無い術だった。
いかん……フリードさんって割とラフと言うか、僕は最初からすっごく気に入って貰えたから……えへへ。うっかり忘れてたけど、この人めっちゃ偉いわ。
「————何者っスか——。んな結界魔術使って、ジューリクトン家なんてデカイ名前出した割には、随分やましい隠しごとがあるみたいっスね。まさか——魔人の集い——っ」
「っ⁉︎ どええぇえっ⁉︎ 誤解だオックス…………さん! この人は正真正銘ベルベット=ジューリクトンさんで…………だと……思う…………いや! ちゃんとマーリンさんの被害者仲間なのは確認してるから! だから怪しいものじゃ……」
オックスの懐疑の目は僕にも向けられた、向けられてしまった。
嘘ぉ⁉︎ 僕はちゃんと本物だよ! 本物のポンコツ巫女の被害者だよ! ってかお前の友達なんだけど⁉︎
でも……冷静に考えたら一番怪しいの、僕だわ。
マーリンさんって呼び方からして、きっと縁の深い相手なんだろうな……と、そう思うかもしれない。
しかし、このふたり——いや、特にフリードさん。この人は、他の誰よりもマーリンさんとの付き合いが長くて深い。
そんな彼が知らないマーリンさんの知人なんて…………あ、あかん……っ。
フリードさんがさっき言った、その在り方を問うつもりもない……って言葉は、どんな外敵であれフリードさんにとってはさしたる問題にならないから、気にするつもりもないぞ、ってことなんだろう。
「えっと……ええっと……ベルベットさん! 取り敢えずその結界……? 解いて! そんでちゃんと説明して!
俺は…………俺の方は……ちょっと証明が難しいと言うか……へインスさん達と合流でもしないと無理だけど、ベルベットさんなら……」
「っ⁈ ば——馬鹿を言うな! 俺も無理だ! 顔を……姿を晒すわけには……」
相手はフリードさんですよ——っ! と、物凄い勢いで虎の意を借りまくってベルベットさんを追い込む。
そうだ、フリードさんなんだ。僕は知っている。この国の男の子の九十九割が、かの黄金騎士に憧れて育ったことを。
そして——ベルベットさんもその例外ではなく、さっきの動揺はミラが初めてマーリンさんに会った時のものと同じものなのだと————っ!
「何ごちゃごちゃ言ってんスか。名乗れないって言うなら……正体を明かせないなら、今この場で取っ捕まえて——」
「————わ——分かった——っ! 分かった……結界を解く…………解くから……」
つ、遂に謎のベールに物理的に…………あ、いや。魔術的に包まれていたベルベットさんの素顔が明らかに…………ごくり。
オックスはまだ警戒を解く気はないらしいが、フリードさんは随分穏やかな表情だった。
結末が分かっている……訳ではないのだろう。
ただ……少なくとも、僕が大した悪党じゃないのだけは分かってて楽観視してる、的な……?
そんな彼の姿に、ベルベットさんは覚悟を決めたみたいで…………いや、どこにも腹を括る要素は無かったけど、まあ……そこは本人だけが知る琴線があったってことで……
「…………て——敵じゃない……っ! 敵じゃないから……ど、どうか嫌いにならないで欲しい……です…………」
「…………ベルベット…………ええっと…………くん……?」
結界はあっさりと解かれた。
何も大仰な術式や陣も無く、ただふぅっと息を吐くみたいに簡単に解かれた。
そして……認識をズラす結界の中から、僕よりも更に小柄な少年が——オックスよりも幼い少年が、オドオドとフリードさんの様子を窺いながら現れた。




