第四十四話【ふたりの騎士】
ベルベットさんと行動を共にし始めて、小一時間程が経過しただろうか。僕達は未だ土の中を歩いていた。
相変わらず目の前の男の姿は認識出来ず、かと言って景色などという風情が存在するわけもない。
なんて気の滅入る道のりだろう、ひとっつも楽しいことが無い。
いえ……魔獣に襲われない為には仕方のないことなんですけど……
「……ベルベットさんって、他の術師五家の人とも交流があるんですか? ハークス以外の術師ってあんまり知らないから、良かったら聞かせて欲しいなー…………って、思ったり……思わなかったり……」
ベルベットさんはレアさんの話題以降、ひと言も聞いてくれなくなってしまった。
うう……全魔術師の地雷、レア=ハークス。覚えた、もう二度とこの話題振らない。
しかし……うーん。
術師は好奇心に素直に生きている。だと言うのならば、レアさんの存在はむしろ面白おかしいものじゃないのだろうか。
だって、クリフィアの術師は、揃ってマーリンさんを解剖したがってた、研究したがってた、実験したがっていたんだ。
自分よりも凄い魔術師を見れば、基本的にはその構造を把握したいと願う。術師ってのはそういう頭のおかしい連中なんだ。
いや……クリフィアが特殊なだけかもしれない…………あそこが特殊超えて異常なだけな気がしてきた……っ。
「…………そ、それにしても凄い錬金術…………? ですよねー……いやー……ほんと…………凄過ぎて……凄い……」
ボキャブラリーなんてあるわけもなく。
錬金術ってのを、僕はこれまでイマイチ目にしたことが無い。
実はコレとアレとソレは錬金術だったんだよ、ってケースは十分考えられるけど。
でも、これこそが錬金術というものを、ポーションや幾つかの魔具でしか見たことが無い。
なんと言うか……えっと、五属性あって……火水風土金の……火と……ええと、触れられないものが魔術……だっけか。
空気……は、触れないって判定なんだっけ。だから……風か。このふたつの特性が強いものは魔術。
残る三つ……水土金が強ければ錬金術。そう教えて貰ってはいるものの…………あの、雷ってどっちなんですか。
いや、雷魔術って言ってんだから魔術なんだろうけどさあ。
「…………こ、この術は分かりやすくていいですよね! ほら、雷魔術とか……五属性に雷なんて無いし……なんか、全部ごちゃまぜにして上手いことやって発電してる……とか言われても……ピンとこないし……」
うぐぐ……ミラには効果覿面なのに……っ。魔術や錬金術の話題を振ってもピクリともしない。
アイツだったら、今頃尻尾振って目をキラキラさせてはしゃいでる頃なのに。同じ術師五家の術師でこうも違うのか。
いやはやしかし、適当に話題を振ってみてはいるものの……この術は本当に分かりやすい。
いえ、原理とかはまるで分かんないですよ。
ただ、雷魔術だとかポーションだとかに比べたら、土属性をモリモリ働かせてるんだな……って。
教科書の最初の方に乗ってるやつ……みたいな、そういう初心者用の情報だけ持ってる僕でも、なんとなーく目の前の現象が何によって引き起こされているのかを理解出来る。
意味は分かんないし、納得も出来ないけど。
「…………うぐぐぅ……沈黙……っ。ベルベットさん……そろそろ機嫌直してくださいよ……こうも景色が変わらないと…………メンタルが…………」
メンタルがやられる……っ。
それでもベルベットさんは無言を貫いて、しかし…………おや、ふむふむ。
どうやらそろそろ目的地が近いらしい。一向に振り返らなかった背中が、ようやく立ち止まって何かを探し始めた。
これはきっと、浮上する先を確認しているんだろう。出た先が魔獣の群れのど真ん中じゃ困るからね。
「……上がるぞ」
「っと、はい。うおっ……ほ、本当にどうなってんだこれ……」
土の中……なのは分かる。けれど、光が届かなくて真っ暗……ってわけじゃない。
でも、なんとなく……なんとなーく、深く潜ると暗くなる気がする。
言うなれば、透明度の低い海の中に潜っているような、そんな景色。
そんな景色なのだから……当然、足元という概念が朧で、ベルベットさんが階段を登るようにゆっくり上に進んでいくのが…………ハッキリ言って凄く気持ち悪い。なんだこの光景……
「アクリル板でも仕込んでんのかな………………うわぁ、なんか勝手に上に……うわぁあ……」
あまりにも理解し難い現象なので、脳が現時点の自分の座標を上手く認識出来てない。
上がってる……感覚はある。けど視界は変わらない。
それが気持ち悪くて気持ち悪くて……早く脱したくて急いでいると、突然涼やかなものが頬を撫でた。
風……と呼ぶにも弱々しい、土に満たされていないという当たり前が——空気が肌に触れるだけのことが、凄く新鮮に思えた。
「……着いたぞ」
「ありがとうございます。ここが…………? あの、ここってなんの……」
そう言えば目的を聞かされてない。
マーリンさんが何か画策してる、それもベルベットさんを遣いにやってまで…………あっ!
ってことはアレか、今更だけど……見つかって良かった、副所長。
あの旅の時には行方不明になってましたもんね、みんな随分慣れた様子だったけど。
何かにつけていなくなるとかなんとか言ってたけど、成る程この術があれば好き勝手に何処へでも行けるわけだ。
はい、ひとつ安心したので話を元に戻しまして……
「俺も目的までは知らん。ただ……ここへ連れて行け、そしてその場所で誰かと会うのを見届けろ……と。その誰かというのも、伝え忘れなのか意図的に伏せているのかは知らないが……」
「聞いてない……と。相変わらずあの人は……はあ。大変ですね、ベルベットさんも……」
ベルベットさんの背中には…………ロクに認識出来ない筈のその背中には、お前もアレに苦労させられているのか……と、そんな哀愁が漂っていた。
どうしたことだろう、意気投合した気がする。今の一瞬ですっごく打ち解けた気がするぞ。
どうしてあの人はあちこちで迷惑を……
「……比較的最近に出来た拠点だと聞かされている。魔獣と戦う力も無いお前を連れて来るには、正直相応しい場所ではないと思うのだが……」
「げっ……新しいってことは、まだ危ないってことだよな……なんだってそんな場所に……」
相応しいわけない、あまりにも場違い過ぎる。
しかしマーリンさんのことだ、流石になんらかの意図がある。
ポンコツわがままクソ上司。と、今のところ株を下げに下げてるマーリンさんだが、意味の無いことはさせない人だ。優秀であることは疑う余地も無い。
つまり……この場所には必ず何かがある。何か…………僕の為になるものが……
「——チッ、また……いや、だが……」
「ひっ⁈ も、もしかしてまた魔獣……」
ベルベットさんは何かを感知したみたいで、キョロキョロと周囲を見回しながら身構えた。
また地下へ隠れて……と、そう思ったのだが、しかし彼はそうしようとはしない。
何か制約があって出来ないのか、それともやらないのか。分からないけど……ぜ、前者だったら…………っ。
「…………? この音……なんだ……?」
「……魔術……だな。随分荒削りで汚らしい音色だが……」
汚らしい……音色?
アレかな……絶対音感的な……なんてボケたことをそのセリフに考えていると、ベルベットさんはスタスタと音のする方へ——林の方へと向かって歩き出した。
ああっ、待って! 置いてかないで!
「…………血の匂い……っ。戦ってる……んだよな……っ。誰か……魔獣と……」
ぎゅっと拳を握って、震える腿を殴る。
大丈夫、怖くない。怖い、怖くて仕方がない。
けど……死なない。
死ねないから死なない、だから怖くても怖くない。
お前は一度その背中を見ている、その人に認めて貰っている。
大丈夫、出来る、やり遂げられる。生きて帰って、そして必ずミラの記憶を取り戻す。
黄金騎士の姿を思い浮かべ、そしてその人の強さの根元を————理屈もクソも無い精神論を、何度も何度も頭の中で復唱する。
「————っ。今の音——っ!」
ヒィ——ン——。と、甲高い風切り音が聞こえた。
魔術の音……と、ベルベットさんが言ってた。なら間違いなく魔術を使っている誰かだこの先にいるんだろう。
魔術、錬金術という分野において、この人は凄く信頼出来る。信用せざるを得ない程の術を見せられている。
だから、まず間違いなく今の音が魔術師によるものだと————
「————追い立てる突風——」
——ィン——ジジジ————。と、また甲高い風切り音と……そして、空気が焼ける音がした。
それに今の言霊…………いや、今の声————まさか————っ!
「——扇刃一線————ッ!」
「————っ! オックス————」
太い木々をなぎ倒さんばかりに吹き荒ぶ突風が、何頭もの魔獣を吹き飛ばした。
それが僕の目に映った時、同時に見覚えのあるシルエットが飛び込んできた。
直剣を振り被って跳び上がった彼の——いいや、彼らの名は————
「——オックス=ジュード——一撃で終わらせるぞ——ッ!」
「はい——っ! フリード様——っ‼︎」
蹴散らされた魔獣の群れと薙ぎ倒された木々の間からは、とてつもなく大きい、蜘蛛のような魔獣が現れた。
そしてそれを——その強大な生き物を、たったふたりの戦士は一撃で斬り倒してみせる。
風に靡く黄金の長い髪と、短く刈り上げられた金の髪。
全身を包む重たい装備をものともしない、大きく強い肉体。
優美と表せる優男の顔と、無邪気に笑う少年の顔。
フリードリッヒ=ヴァン=ユゼウス。オックス=ジュード。かつて旅を共にしたふたりの友が、そこに並んで立っていた。




