第四十三話【ベルベット=ジューリクトン】
へインスさんをはじめ、みんな僕がひとりで…………いや、ええっと……ベルベットさんとふたりだけで、当初とは別の目的地へ向かうことに、当然良い顔をしなかった。
みんなもみんなでマーリンさんに頼まれてるんだから、そりゃ当然のことだけど。
でも……金鋼稜という大きな名前と、見せ付けられた奇跡みたいな錬金術を前に、閉口するしかないって感じだった。
それは勿論僕も同じで、目の前の男の凄さに、ただ黙って言うことを聞くしかないと………………?
「…………? あ……れ…………? あの、ベルベットさん……」
なんだ。と、素っ気ない態度で振り返った彼の顔を見て…………ああ、良かった。と、ひと安心した。
いえ、なんでもないです。なんて使い古された返しでその場を乗り切って————そして——あれ…………っ⁈
「——何————何したんですか——っ! なんだ——なんなんだそれは————っ!」
「——気付く、か。理由無くマーリンに認められたわけではなさそうだ」
顔が————思い出せない——っ。なんだ……なんなんだそれは……っ!
こちらを振り返った時、確かにその表情や顔の造り…………肌の色、目の色、髪の色。鼻がどれくらい高くて、瞼が何重で、唇はどういう形で……と、そういった情報を得ている…………筈だった。
なのに——彼が顔を背けた瞬間、僕はベルベット=ジューリクトンという男の顔が————いや——嘘だろ————っ。
背丈や服装……背中側からでも分かる情報まで————全部————
「——一度思考を止めろ、それ以上は後に響くぞ。私のことは幻か何かだと思っておけ。目を合わせるな。たとえそれが背中でも、だ」
「——っ。それ……魔術翁のやってる…………っ」
あの、顔が認識出来なくなる魔術……っ。
獣人であるマグルさんが、自らの正体を隠す為に使っている結界魔術のひとつ。その存在に対しての認識をズラしてしまう、異常な能力だ。
自然の再現だなんて言っておいて、魔術も錬金術もデタラメな力ばかりじゃないか。
そう言えば、あの時も注意されたっけ。あんまり覗き込み過ぎると気が狂うぞ……って。
「…………魔術翁とも面識があるのか。いや、あの女に認められている時点でそれは……」
「そ、それって解いて貰うわけにはいかないですか……? 一応……聞いてないかもしれないですけど、俺には戦う力が一切無いので。逸れようもんなら、一巻の終わりというか……」
情けないことを言うようだが、しかし死ぬわけにはいかないのだ。
絶対に生きて王都まで辿り着かないと、ミラの記憶を取り戻せなくなってしまう。
世界の救済が僕にしか出来ないことだなんて驕った考えは無い、あるわけない。
でも……僕に何かあったんじゃ、記憶が戻ったミラは結局また絶望の底に叩き落とされてしまうだけだ。
それじゃ意味が無い、ちゃんと僕が隣にいなくちゃ。
もう……どこにも行かないって、泣いてたアイツを慰めてやらなくちゃいけないんだ……っ。
「…………悪いがそれは出来ない。俺もあまり顔を晒したくないのでな。安心しろ、幾らでも守ってやる。マーリンからキツく言われている、必ず無事に送り届けろ……と」
マーリンさんに……? むう。他の大事なことは忘れる癖に、しっかりしてるのか抜けてるのか分かんないな。でも……顔を晒したくない……って……
「…………その……それは…………マグルさんと同じように……あの……」
容姿に問題があるんですか? などという大馬鹿も大概な失礼過ぎるセリフはなんとか飲み込めた。
ええと……な、なんて聞けば良いんだろう。
僕はあんまり気にしなかったけど、マグルさんは自分が獣人であることを凄く気にしていた。
それは後になってから分かったことで、僕は初対面の時に、もしかしたら気を悪くさせてしまっているかもしれない。
キリエで再開した時……周囲を警戒するマグルさんの姿を見た時、僕はちょっとだけそんな不安に駆られた。
だから……今はもう無神経に踏み込めない。
それが危ないことだって、人を傷付けるかねないことだって知ったから……
「……お、俺は…………どんな理由であっても、差別したりはしません。どちらかと言うと、俺の方が差別される側なので……じゃなかった。事情があるなら無理にとは言いません。忘れてください」
ベルベットさんは終始無言で歩き続けた。
どこへ向かっているのかはイマイチ分からない……大嘘。イマイチどころか、何もかも分からない。
あまり見るな……の、そのさじ加減も分からないからね……もう踵しか見てない。
ここなら良いだろみたいな境界線も分かんないから、左右の踵をぼーっと焦点を合わせずに…………ちょうど足跡だけを見る感じで…………?
「……あれ、足跡はある……? あの、昨晩宿舎の側にいたのはベルベットさんだったんですよね……? その……その時は足跡が残ってなくて……」
返事も説明も愛想笑いも無かった。
うぐぐ……マーリンさんの言っていた寡黙という彼の性格は、説明のその通りだったというわけか。
しかし……寡黙だけどうるさいとも言っていたっけ。
これはアレかな……あんまり喋らないけど、マーリンさんがポカするとグチグチ言うタイプってことかな。
アイツは口煩いんだ! みたいな、自分が悪い癖に人に文句を言うタイプの上司だったのか……マーリンさん…………っ。
「——魔獣か。お前、まるで力が無いと言ったな。それは、小型の魔獣を退ける程度も、か?」
ひえっ、魔獣。
凄く冷静な口調に、僕もちょっとだけ驚きが小さくなってしまった。
彼の問いに僕は必死に頷いて…………情けないとか言うな、しょうがないだろ。
「……そうか。では……下を行こう————」
「下……って——っ⁉︎」
付いて来い。と、ベルベットさんは地面に————まるで地表が蜃気楼で出来ていたとでも言わんばかりに、すんなりと地面の中に潜って行った。
土を掘り進めるのでも、何らかの儀式を用いるでもなく。プールの水の中に潜って行くよりも更に抵抗を感じさせない歩みで、彼は当たり前のように土の下へ————
「————っ! 今の音——」
すぐそこで遠吠えが聞こえた。犬のものにしては低く重い、掘削機械のバイブレーションみたいな音だった。
ぐっ……付いて来いって……これ、僕も入れるんかよ…………?
いったいどうなってんだ…………と、恐る恐る彼が沈んで行った地点に足を踏み入れると——
「————なん——うおぉ…………お、思ったより……」
————すんなりと地面の中に沈み込めた。
息苦しいとか、泥だらけで身動きが取れないなんてことも無い。
いや……これ、何がどうなって……
「これも錬金術……なんですか……? こんな便利な術、マーリンさんもマグルさんも、ミラちゃんも使ってませんでしたよ……」
へインスさんは無言だった。
無言だったが……僕の発言の何かが気に食わなかったらしく、ギロリとこちらを睨み付けてすぐにまた前を向いてしまった。
ああっ、一瞬だけ顔が分かったのに!
くそう……絶対見てるのに覚えられないの、なんだかすっごく悔しいな。
意地でも覚えたい……フラッシュ暗算的なゲーム感覚で、妙に挑戦意欲を唆られる。
「…………ハークスのチビになど扱えてたまるか。これはジューリクトン家の——私の奥義だ。凡百の術師程度と比較すること自体が無意味だと知れ」
「うおお…………ここへ来てめちゃめちゃ負けず嫌い発揮し始めた…………やっぱ術師はみんなこういうもんなんだな……」
キッとまた睨まれてしまった。ああっ、やっぱり顔を覚えられない。
しかし……同じ術師五家のハークスを——延いてはマーリンさんやマグルさんをも凡百呼ばわりとは……なんとまあ自信家なのだ。
「……ごほん。良いか、肝に命じておけ。俺はハークスのチビよりも優秀だ。魔術翁などという先時代の遺物とも比べるまでもない。
マーリン——魔女と言えど、俺を測る物差しには足らない。
しっかりと——二度と馬鹿な疑問を抱かぬようにしっかりと覚えろ。
俺は——ベルベットは、ジューリクトン家を含めた、凡ゆる術師よりも上だ」
「ああ……はいはい……はあ。一気に接しやすくなった気がします。今まで出会った術師の九分九厘は同じこと言うでしょうよ。みんな自分がナンバーワンだ……って…………あれ、意外とそうでもないかもしれない……」
あれ、クリフィアの術師はみんな魔術翁に平伏して……とまではいかなかったけど、ルーヴィモンド少年が誰よりも優れていると認めていたよな……?
マーリンさんは……むしろ一番ヤベー奴のクセに、ミラや少年翁の方が凄いとか妙なことを言っていたっけ。
ミラは……ミラはほら、自信過剰で…………あ、いや。
エンエズさんと初めて出会った時、その腕前を認めて悔しがってたっけ。
あれ……流石にここまでのは、未だかつてない感じなのでは……?
「当然だ。術師五家とは、優れた五つの魔術の大家を指す総称に過ぎない。決して、それらの力関係が対等という意味ではないのだ。
ジューリクトン家は、五家の他の家を遥かに凌駕する。この時点で、その名を背負わぬネズミどもは、這いつくばる他に無い。
そして……そのジューリクトンさえも、俺にとっては踏み台に過ぎない」
ぐっ……ヤベー奴過ぎる発言なのに、たった今自分の目の前で起きてる現象が異次元過ぎて否定出来ねえ……っ。
或いはこの人は、既に魔法に達しているのではなかろうか。
て言うか……これ、本当に魔術や錬金術……自然現象の再現版なんですか……? こんな現象知らないんですけど……
「…………でも……レアさんとマーリンさん程じゃない気も————」
「——レア——レア=ハークスだと——っ! お前も私達をあの無神経な女と比較するのか——っ! 全ての術師を踏みにじったあの異端を——自然の冒涜者を——っ‼︎」
あ……っべー……地雷踏み抜いたクサイな、これ。
しかし……ふむ、無神経な女…………?
あっ……ああー…………思い出した。あの本……アーヴィンで一度、そしてキリエのマーリンさんの別荘で一度目にしたあの本。
ええっと、タイトルは……五大元素と非属性反応について……だったかな。
最初はハークスの名前だけだったから、ミラの著書だと勘違いしたんだっけ。懐かしいなぁ。ああ……もしかして……
「…………あれが禁書になった本当の理由って……もしかして術師達のやっかみ…………?」
「違う——っ! 断じて違う! アレは術師全てを滅ぼしかねない真なる闇だった、禁忌だったのだ! あんなものを涼しい顔で考えつくあの女が悪いのだ!
ああ……今思い返しても寒気がする……っ。童女のような形で、悪鬼羅刹をも思わせることを口走っていたあの女を…………っ」
ちょっ……お、思ったよりレアさんの評価って凄いことになってるのね。
相変わらず顔は見えないままだけど、なんだかずっと親しみやすくなったベルベットさんと共にひたすら進む。
魔獣の姿など見当たらない安全な地下を…………あれ、これって地中に潜んでる魔獣とは鉢合わせたりするのかな……? だとしたら…………ごくり。
絶対安全という勝手な安心感を取り上げられ、僕はやや急ぎ足になった彼の後ろを必死に付いて行った。




