第四十二話【使者】
「おはようございます……」
「お、おう……ひっでえ顔してんな」
開口一番なんて挨拶だ。
結局その後、僕はロクに寝付けないまま朝を迎えた。
ぐぐぐ……相変わらずと言うかなんと言うか、アギトの体は徹夜にまるで耐性が無い。
ふわぁ……眠たくてフラフラするけど、迷惑だけは掛けないようにしなくちゃ……
「結局なんだったんでしょう……あの後、何かが近付いてくる気配も無かったですし……」
なんだったんだろうな。と、へインスさんも首を傾げていた。
やっぱり幽霊…………ぶるぶる。
いや、よしんば幽霊だったとしても、悪い幽霊じゃないかもしれない。ユノちゃんみたいに無害な子かもしれないじゃないか。
うん、そうだ。やっぱりあの結界に効力が戻って……みたいな。そういう話かもしれない。それもそれで困る……
「さて、幽霊騒ぎはもう忘れて……とっとと顔洗ってこい。もう出るぞ、支度しろ」
「はーい。ふわぁ……いかんいかん……」
しっかりしろよ。と、みんなに笑われてしまった。うう、申し訳ない。
別にあんまり寝てないのは僕だけじゃないのに、どうしてみんなそんなに平気な顔してるんだ。
鍛え方が違う……と言っても、別に寝ずに生きていけるわけじゃない。
質の良い睡眠を……って、それも昨夜のへインスさんを思えば怪しいところだ。
うーん……みんな、長生きしてよ……?
「…………幽霊じゃなかったとしたら……」
部屋から出てひとりになると、不意に嫌なイメージが頭の中を埋め尽くした。
あれは……本当に無害なものだったのか……?
ゴートマンの置き土産、見えない魔獣。アイツなら、僕とへインスさんが追っ掛けても見つからなかったことに筋が通る。
けれど、それだけでは足跡すら残っていなかったことの理由が分からない。
それに……アレは確かに高い知能を持っていたが、だからと言ってドアを開けるなんて能力は無かった筈だ。
人間を観察して成長した……となると……
「……飛べるようになった……とか。いや……でも…………っ」
あの魔獣が生まれたキッカケ。生まれられなかった子供の成れの果てという悲しい過去。
それを知って、そしてアレらに対して涙を流したマーリンさんを知っているから……やっぱりアレであって欲しくないという願いが湧いてしまう。単に脅威だからというのもあるけど。
「…………転移……転送……」
僕の知ってる単語の中には、まだあの怪奇現象に結び付けられそうな厄介ごとがある。
魔人の集いに属していると思しき、魔法にほど近い高位の魔術師の存在。
鉄の馬車を音も無く僕達の目の前に現れさせたり、亡骸の入った騎士甲冑を使役してみせたり。
こっちのは悪逆非道でまず間違いない。疑う余地など一切無い危険人物だ。
ただ……もしそうだとしたら、あの場で僕達に害を成さなかった理由が分からない。
出来た筈だ。それこそ、姿を見られても皆殺しにして解決するなんてゴリ押しも。
「…………分かんないよ……」
こういう時、いつもミラとマーリンさんの答えに乗っかるだけだったから……っ。
自分で考えるフリをして、結局何も考えられてなかったんだな。
いやいや、考えてはいる。考えられてる、必死にやれてる。
足りないのは……自分の考え、結論を信じるだけの根拠。
つまるところ…………自信だよなぁ。
はあ……小心者で自信が無いのが取り柄と言われても、やっぱりそれはデメリットでしかないよ。
「おーい、アギトー。行くぞー、支度出来たかー」
「うぇっ⁈ い、今行きまーす! やっぱみんなテキパキしてんな……」
顔洗ってる内にみんな支度全部終わらせたの……? 早えよ、まだ着替えてもないよ。
あの時とは違う、もう服の中に着込む革鎧は無い。
よれたシャツを新しいのに着替えて、僕は既に馬車に荷物を積んでいるみんなと合流した。
「うっし、全員揃ったな。じゃあ行くぞ」
行くぞー、おー。なんてテンションではない。
今から向かうのは死地…………とまでは言わないにしても、非常に危険で気の抜けない場所。
魔人の集いが出現する可能性は低いと言われてるけど、だからって本当に出ないとは言い切れない。
なにせ、そもそもの出会いからして唐突だったわけだし。
いつだって連中とは出会いたくない時に出会ったもんだ。
早いとここの不要な因縁にもケリを付けないとな。その為にも……
「……一刻も早く……だよな」
早くミラの記憶を取り戻さないと。
このままだと、アイツの体も心も壊れてしまう。
だから早く記憶を取り戻して、レヴとの和解の思い出を……と、それは僕の個人的な願い、目的。
けれど……僕達は勇者だったのだから。それだけではいけない。僕達がアイツらをなんとかしないと。
あんな危険な連中、出来れば関わりたくないけど……っ。
ミラは力が無くなっていても、使えなくなっていても、連中の前に立ちはだかるだろう。
それは止められないし、変えられないアイツの性分だ。
だったらせめて、以前の最強のミラに戻してやらないと。
「…………? どうした? おい、おーい! 何があった!」
声を荒げたのはへインスさんだった。
何かあったのだろうか……? なんてボケた疑問を抱いたのは、余計な考えごとをしていた僕だけだったらしい。
いつの間にやら出発していた馬車は、どういうわけか何も無い場所で停車してしまっている。
それで馭者に何ごとかと問い掛けているんだ。って、そんなことは良くて……止まらざるを得ない理由なんて…………っ!
「————アギトという男がいる筈だ。出せ——」
「——んだと……ナニモンだお前」
聞こえてきたのは、聞き覚えなど一切無い男の声だった。
しかし……馬車から飛び出した騎士達は、誰ひとりとしてその姿を見つけられなかった。
へインスさんに庇われるように馬車の中で待機して、僕は小さな窓からの少ない情報で外の様子を窺う。
「まずは姿を現せよ。対話が目的じゃないってんなら、当然アギトはやれねえ。出てこいインチキ野郎」
挑発紛いなセリフを吐いて、へインスさんは全員に馬車を取り囲むように指示を出した。
狙いが僕であるのなら、当然僕を守ろうとする。
別に彼らにとって優先事項でもなんでも無いのだが、それでも守ろうとしてくれる。
なんとまあありがたい話か。しかし……
「…………っ。お前……魔人の集いか……っ」
へインスさんや騎士達の挑発には一切の返事が無い。
この男は僕に用がある、だったら僕の言葉には返事をする筈だ。
最優先で確認しなくちゃいけないこと——斬り掛かって良いことを証明すること。
それが僕にしか出来ないなら、相変わらず震える声だけど……尋問じみたことでもなんでも、やってみるしかない。
「————ノーと答えても信じまい。いいや、ノーと言われただけで信じるなど話にならない。故に、その問いに意味は無い」
「っ……屁理屈を……」
屁理屈も立派な理屈だ。と、男の声は…………下…………っ⁉︎ すぐ下、馬車の下から聞こえて————
「————なん——だそりゃ————」
「——嘘——だろ————」
馬車の出入り口を固めていた騎士達が、一斉に体勢を崩した。
まるで波に足を攫われたように、全員が一斉に膝を突い————いや、違う——っ!
馬車の周りがまるで沼にでもなってしまったかのように、みんな一斉に沈み始めてるんだ——っ!
「——殺しはしない。もう一度要求する、アギトという男を出せ」
「っ……へインスさん……俺……」
このままだと危ない。
殺しはしないなんて言葉、いったいどうして信じられる。
僕が出ていけば解決するなら……と、身を乗り出すと、すぐに肩を掴まれて後ろに引き倒された。
逸るな。と、へインスさんは僕を怒鳴り付ける。
そして剣を抜き、僕の前で膝立ちのまま構えをとった。
「ナニモンだお前——っ。要求してるって自覚があんなら、せめて名乗るくらいはしやがれってんだ。テメェが魔人の集いかどうかはこっちが決める、姿を現しやがれ」
男は相変わらずへインスさんの言葉には返事を…………?
あ……れ……? ちょっと待て、なんか変だぞ……?
なんで…………なんでこいつ……
「…………お前……魔人の集いじゃないのか…………? だって……」
魔人の集いの連中からも、僕についての記憶は失われている筈だろ……?
じゃあ——こっちに戻って来てから、アーヴィンで遊んでただけの僕を奴らが知ってるわけがない。
いいや、そうじゃない! 僕のことを覚えてるやつなんて、この世界にはひとりしかいなかったじゃないか——っ!
「————マーリンさん——っ! アンタ、マーリンさんの関係者なのか⁉︎」
「——ほう。話に聞くよりもずっと頭が回るらしいな」
あの野郎、僕のことなんて説明したんだ!
間違いない、この人は魔人の集いなんかじゃない!
僕の名前を知ってる人なんて——覚えてる人なんてそう多くない。
少なくともアーヴィン以外には、こうして一緒にいるへインスさん達と、各拠点の騎士の数人しか知らない筈だ。
そう——あの人から聞いてない限りは。
「————ならば名を聞いても疑うまい。私の名はベルベット——ベルベット=ジューリクトン。マーリンの言い付けでお前を迎えに来た」
「——ベルベット…………っ! ベルベット=ジューリクトンって……マーリンさんとこの副所長!」
然り。と、男は答え、そして………………えっ、ええ……えええええっ⁈
ずるずると地面の中から……浮かび上がってきて…………どえええっ⁉︎
ば、馬車が通れる程しっかり固い地面だったんだけど……まるで沼から釣り上げられたかのように、ベルベット=ジューリクトンと名乗る奇妙な男は姿を現し…………ひぇええ…………
「…………も、もしかして昨晩の……」
「昨晩……? ああ、やはりアレがお前か。チッ、あのまま攫っておく方が手っ取り早かったな」
怖っ。なんてこと言うの貴方!
ベルベット=ジューリクトンという名前に、騎士達はイマイチピンと来てないみたいだった。
まあ……そうだよね、知らないよね。
ただ、流石にへインスさんはある程度認知してるみたいで、剣を納めて警戒心を少しだけ……ほんの少しだけ緩めた。
「……ジューリクトンって言やぁアレだろ……? 嬢ちゃんと同じ、五家の……」
相変わらずベルベットさんは、へインスさんの言葉には何も反応を示さなかった。
あまりに一方的な態度に、へインスさんの顔がどんどん険しくなって……ああっ、せっかく納めた剣にまた手を掛けてしまって……
「べっ、ベルベットさんがどうしてここ…………あ、っとと。マーリンさんの言い付けで…………? って……言ってましたけど…………聞かされてないと言うか……」
「当然だ、アレはそういう大切なことを忘れるように出来ている。私にお前の特徴も顔も教えないままだったことも、お前に私のことを伝えていなかったことも」
あっ、本物だ。本物のマーリンさんの被害者……もとい、関係者だ。
上っ面は星見の巫女やら勇者の仲間やら救世の天使やらと呼ばれている。だから! 本当に関係が深い人間しかその事実を知らないんだ!
あのクソポンコツ! いつもいつも事前報告ってものが足りてねえんだよ!
「どうやら信用は得られたようだな。ならば話は早い、お前を連れて行く。お前ひとりを……と。そういう話になっている」
「俺ひとりを…………?」
いやいや、この人も大概だな。
なんと言うか…………術師ですね、ええ。
どこをどう見たら信用されてるふうに見えるんだ、この状況で。
騎士達はぬかるんだ足下に身動きを封じられつつも、しっかり剣を構えて彼を警戒している。
へインスさんに関しては、もういつ斬り掛かってもおかしくないくらいピリピリしてる。
別に僕だって……同情から割とすんなり心を許しかけてるけど……一応、まだ信じてるわけじゃ……
「……付いて来い」
「あっ…………うぐぐ、術師…………すっごく術師……っ!」
本当にどうしてお前ら術師はそう身勝手なんだ!
付いて来いと言われては付いて行くしかない。怪しい人にホイホイ付いて行かない……とかそういう話じゃなくて。
僕が行かなきゃ、この馬車はこのまま動けないんだ。
どっちにせよ目的を達するには、この男を信じるも信じないも無い。言う通りにするしか無いのだ。
それに……一応、ベルベットさんであることは確かなわけだし。
荒ぶるへインスさんを宥めて馬車を降りると、男はパチンと指を鳴らした。
そしてすぐに……沈没していた馬車の周りの土はグングンと盛り上がって、そして元の真っ平らで乾いた地面が現れる。
土属性……錬金術の分野……なのかな?
金鋼稜、ジューリクトン家。
かつて名前を聞いただけのその存在を、僕はその奇跡ひとつで言い訳出来ない程に見せ付けられた。




