第三十八話【影】
翌日、朝食後すぐに僕達は砦を出発した。
東へ東へ、どんどん危険な方へと馬車は走る。
それでも少しだけ気が楽だったのは、昨日までとは馬車の中の装備が圧倒的に違ったからだろうか。
昔の僕ならこれが原因で……うわぁ、これってつまり、もっとヤバい奴を相手するってことじゃん……ふぐぅ……とかなんとか、とりあえずテンションを落としていたことだろう。
いえ、今もテンションだだ下がりなんですが。
だけど……へインスさん達の表情とか、空気感とか。
うーん……悪い言い方になってしまうけど、戦うのがミラじゃなくて屈強な騎士だから……
何かあってもアイツが傷付くわけじゃない。って、内心思ってしまってるんだろうな。
「……はあ。なんとまあ小さい男だろう……」
「どうした、まだビビってんのか?」
ビビってはいます、ええ。
けど……凹んでる理由は、ミラとそれ以外の人とで無意識に差別してしまっていることに気付いたからだ。
この人達なら傷付いたって構わない、最悪死んでも良い。なんて、そんな冷酷な考えは持ってない、あり得ない。
でも……傷付くのがミラじゃなくて良かった、ミラがつらい目に遭うわけじゃなくて良かった……って……
「…………恩知らずのクズだったんだな……って、ちょっと自分が嫌になりまして……」
「よく分かんねえけど、とりあえずお前はお前の身の心配だけしてろな。
俺達は一緒に戦う訓練を積んでない奴と肩を並べて戦うってのは出来ねえ。
けど、馬車の中で震えてる要救助者を守り抜くことは出来る。
冷たい言い方になるが、出紗張らなきゃ守ってやるからよ」
とっても冷静で、客観的なお言葉を頂いた。
うん、それはよく知ってる。彼ら騎士団の持つ結束の力は、確かに強力無比だ。
蛇の魔女を倒したその帰りに、僕達はそれを目に焼き付けている。
出所のあやふやな絆パワーとかではなく、統率の取れた集団としての強さというものを。
「…………そろそろ着くな。次の拠点で馬車を降りるぞ。そこからは歩いて進む、荷物纏めとけ」
ちょっと⁉︎ 馬車の中で震えてりゃ良いんじゃなかったのかよ⁉︎
理由は分かってるけど、なんとなくあげ足取りみたいなツッコミを胸の中でかましてしまう。
馬車はこれ以上進めない。道が悪いとか、狭いとか、馬が嫌がるとか。色々理由はあるだろうけど、一番は魔獣を呼び寄せない為。
馬の臭いが、車輪の音が。普通の獣なら逃げ出すようなあらゆる条件が、魔獣に対しては真逆に作用してしまう。
それと、馬車じゃ小回りが利かないってのもあるのかな?
最悪乗り捨てて……ってのも、出来ればやりたくないだろうし。
「悪いなアギト、前後ろはしっかり守ってやるから。あんまり青い顔しなさんな」
「こ、これは生まれつきですから……ははは……」
マーフォークか僕は。そんなに青ざめて見えるのか……うう、ぶるぶる。指摘されると尚更緊張してきた。
どんな魔獣が現れるのだろう……と言うか、どんな危険が迫るのだろうか。
さっき色々考えてたけど、やっぱりへインスさん達にも危ない目には遭って欲しくない。
緊張感が高まって、そんな保守的な思考回路が活発になる。
ガサガサ、ザワザワ。と、木の葉や草が擦れる度に身構えてしまう。
でも、それはどうやら僕だけが持つ臆病さではないみたいだ。
音がすればちゃんとそっちを向いて、目で安全を確かめる。
全員が徹底して周囲に気を配っているのを見ると、なんと言うか……この人達は、どちらかと言うと僕に近いのかな……とか、思ってしまったり。
ちげーよぅ、自惚れてるわけじゃないよぅ。
僕とミラのどっちに近いのか……って、そういう比較だから。
「……ミラちゃんやマーリンさんのありがたみがよく分かります、こういう時は」
「ああ、そうだな。あのふたり……それからフリード様もか。俺が知ってる中ではその三人…………いや、嬢ちゃんは三人の中でさえ頭抜けてたな。
桁外れの感知能力は、それだけで安全性の担保になり得る。小隊にひとりはああいうのが欲しいくらいだ」
ミラだったら、周囲のことなんてとっくに把握しきっているのだろう。
草の擦れる音がする前から、獣の足音がする前から。小さな呼吸音や鼓動からでも、魔獣の存在を感知出来る。
それに加えて嗅覚や視覚、それに経験則も込みの観察と予想からも、状況をこと細かに分析するのだ。
そういう人間離れした能力を持っていないという意味で、彼らは僕に近いのだろう……と、そういう話。
あんまり好きな表現じゃないけど、天才と凡人の差ってやつなのかな? そんな才能別にいらないけど……
道は次第に荒れて、そして視界も悪くなっていった。
木々が生い茂り、その間を蔦が覆っているのだ。
先頭を歩く騎士が鉈でバサバサと切っていくのだが…………いかんせん、通れるように切り分けるだけで、視界はロクに開けてはいない。
首に引っ掛かって、首吊りだーっ! なんて間抜けなことにはならないけど、上から垂れてる暖簾を潜ってるみたいで、それはそれで間抜けな感じがする。
でも、そういうボケた話だけじゃない! 切られた衝撃でブラブラ揺れてる細い蔦が、魔獣と言わずとも蛇に見えて怖いんだ! うう……蛇に対して強いトラウマが……
「な、なんか……本当に同じ国なのかってくらい景色が変わってきましたね……生えてる植物とか……」
「ん、ああ。そうだな……俺達も最初は驚いたもんだ」
驚いたよね、やっぱり。
そりゃ地域によって植生が違うのは当たり前っちゃ当たり前なんだけど、ここら辺はまるで熱帯雨林みたいなんだ。
実物を見たことがあるわけじゃないけど、ほら、映画とかで見るよね。
濃い緑の葉っぱの木が鬱蒼と茂ってて、それに蔦が絡まってて。
そこをナイフ一本だけ持った屈強な男が駆け抜けてくような……
「…………こんな植物、記録には無かったんだ。魔王が現れる前を含めて、この国で確認されてる植物とはまるで違う。
もしかしたら、これも魔王の影響…………魔獣と同じように、魔力によって変質した植物なのかもな」
「……………………えっ⁈」
え? と、へインスさんは随分目を丸くして僕を見ていた。
凄く驚いたような、全く想定外のリアクションが返ってきたけど、これはどういうことだ…………みたいな、そんな顔を…………いやいや、想定外はこっちのセリフ…………
「…………こ、ここここここの林……いや、もういつの間にか森レベルだけど。これって昔は無かった……んですか……? その……聞いてたけど初めて見た……とかじゃなくて……」
「あ、ああ……なんだ、意外と何も知らされてねえのな。巫女様とうちの研究者連中は、揃いも揃って首を傾げてたよ。
もしもこれがマナによる変質の一環だとしたら、ここまで如実に影響が出ている植物群は初めてだ……って」
何も知らされてないよ!
くっそう……あのポンコツ、王都に着いたらどうしてやろうか……っ。
だが、今考えるべきはそんな先の話じゃない。
もしこれが自然に起きた変質ならば問題無い。
魔王の影響でこうなってしまったのならば…………困る。しかし……もっともっと困るのは……
「…………魔人の集い……っ。まさかとは思うけど……まさかまさか、こんな規模のデカイ魔術だか錬金術なんて使える奴がいるんじゃないだろうな…………?」
僕は知っている。
あらゆる街で、術師が重宝される理由のひとつ。錬金術によって、彼らは作物の収穫量や品質を向上させることが出来るのだ。
その延長で……延長にしたって遠過ぎる気もするけど。
まさか、植物を異常に繁殖させたり——外から持ってきた、本来その土壌では根付き難い植物を爆発的に繁殖させたり——なんて馬鹿げたことが出来る術師が、この近くにいるんじゃないのか……って。
或いは魔法に辿り着いているかもしれない、ゴートマンの後ろに気配を感じていた高位術師の存在を疑ってしまう。
「魔人の集い……か。嫌な名前だけは知ってんだな。
もうちょっと北上したとこでは、連中との接触も報告されてる。
今回はそういうとこは避けて行くが、だからって必ずしも現れないとは限らない。怪しい奴を見かけたらすぐに報告してくれ」
「っ……わ、分かりました」
せ、接触…………そっか、連中の動きも活発化してるんだっけ。
漠然と、また暴れ回ってるのかな……くらいにしか考えてなかったけど、こうして身近になった人の口からそういう情報が出てくると…………本当に僕って危機感無いんだな。
現実が見えてないと言うか、現実を見ようとしてないと言うか。
「…………ふーっ。やばいやばい……心臓飛び出る……っ。落ち着け……落ち着け…………アイツならどうする……」
もちろん、最短距離を行ってぶっ飛ばす! とはならない。
アイツは必要な時には冷静になれる、クレバーな勇者だ。
アイツの半身に相応しい、落ち着いた勇者にならなくちゃ。
アイツだったら…………まず、しっかり情報を集めるだろう。
ただアイツと僕とじゃ、その集められる情報の精度に差があり過ぎる。
アイツはそこらに残された痕跡からも正確な情報を得られるが、僕は人伝に聞いた情報をなんとなく飲み込むことしか出来ない。
その差を埋めるにはどうしたら良いか。
答えは簡単、いっぱい聞くしかないんだ。
「……へインスさん。魔人の集いについて、安全なとこに戻ったらで良いんで教えてください。アイツらとは……その、俺も少なからず因縁がありまして……」
「…………お前もか。分かった、俺が知ってる範囲で全部教えてやる。他の奴にも声掛けとくから、ちゃんと無事に戻れよ?」
うぐっ……なんでそうやって最後の最後に怖いことを……っ。
僕達はその後も森の中を進んだ。そして辿り着いたのは、まだ小さい発展途上な拠点だった。
魔獣との激しい交戦の跡だろうか。まだ狭い範囲を守る新しい柵には、既に大きな爪痕が残されていた。
「おーい、補給に来たぞー。全員無事かー」
へインスさんの言葉に、がっちりと武装した騎士達がぞろぞろと現れた。
そして全員がキビキビと整列し、点呼を取って無事を報告する。
成る程、危険地帯だから、規律は他以上にキチッとしてるのね。
そうして集まったこの場所を守る騎士達から現状の報告を受け、補給用の物資を引き渡すと、へインスさんはすぐに撤収の指示を出した。
急いで戻ってまた次の地点へ…………ここよりも更に北へと向かう、と。
今晩はまたあの二重構造の砦でひと晩明かすことになるみたいだけど、明日にはまた別の似た拠点へと向かうのだろう。
またしてもあの熱帯雨林みたいな樹海を抜けて、僕達は堅牢な門を再び潜った。




