第三十五話【魔の爪痕】
馬車に見張りを数人残して、僕達は林の中へと入った。
この先に拠点があるとは言ったが…………そこまでに魔獣がいないとは言われていないので……
「……なんてーか……随分とまあ……」
「ビビリなのは自覚ありますから! 自覚あるんで、わざわざ追撃はやめてくださいね!」
お、おう。と、へインスさんはやや引き気味に頷いた。
僕に出来るのは、全身全霊を以って周囲の警戒をすること。
別にこれで誰を守れるでもないけど、これだけが僕の唯一の取り柄なのだから。
かつてこの世界を救ったように、そしてあの世界では出来なかったことを今度こそ。
杞憂に終わって、ビビリだのチキンだのと馬鹿にされるくらいはどうってことない。
僕にとっての戦いは、戦わないで済むように、全力で気を配りつつお祈りをするもんだ。
「…………魔術も、それに武術もロクに習ってないんだっけか。感心するよ、そんだけ怖がりながらも前に進めるんだから。よっぽど引っ張り回されてんだな」
「うう……嫌な思い出ばっかですよ、本当に。いっつもいっつも魔獣魔獣で……」
いつもいつも守られてばかりで。
恥じらう乙女の構え以外にやれることなんてないんだから仕方ないが、僕はスタスタと歩いて進むみんなの中で、ひとりだけ腰を落として慎重にすり足を続けた。
ちょっ、みんな速い。待って、置いてかないで。
うぐぐ……これ、歩調が合わないのがネックだな……そういう時は……
「安心しろよ、アギト。俺達はこれでも巫女様の……そして、今はあの英雄フリードの部下なんだ。
あのふたりに認められて、そしてこんな危険地帯まで来てる。使い捨ての駒だなんて考えは持たない人だ、うちの大将達は」
「それは分かってますけど……怖いもんは……」
追い付けないならちょっと走れば良いじゃない。
マーリンさん直伝のぴょこぴょこ走りで追い付いて、追い付いたらそこでまたすり足に戻って。
あれ? 僕だけなんか挙動バグってない? 大丈夫? かなり不審者だけど……?
「……肝が座ってんのか、それとも臆病なのか。全く読めねえ男だな、お前は」
みんなへインスさんに倣って僕を笑った。
けど……それは嘲りではなくて、なんて言うのかな……ちょっとだけ温かかった。
でも、笑うなやい。こちとら真剣なんじゃい。もうね……トラウマがね……凄いもんだからね……っ。
暫く歩くと、確かに小さな砦…………柵と壕に囲まれた小屋がいくつも現れた。
知能の低い魔獣くらいは確かにこれでなんとかなるし、十分拠点と呼べるものだろう。
「おーっす、定期報告に来たぞー、っと」
返事が無い。おや、変だな? ちょっと様子を見てくる! なんて、そんなあからさまな死亡フラグイベントは発生しない。
小屋からはすぐに軽装の騎士が現れて、そしてへインスさんと和気藹々とじゃれ合っていた。
前から思ってたけど、この人達って本当に仲良いよね。
「緊急で必要なものはあるか? 無ければ補給は予定通り……」
おっと、どうやら仕事の話に切り替わったみたいだ。
それでもどこかフランクさは残したまま、騎士達はみんな真面目に顔を突き合わせて仕事話を始めた。
補給……ふむふむ、そうだよね。
こんな辺鄙な場所だ。街もちょっと遠いし、必要な物資は外から運んで貰う方が早い。
じゃあ今回はなんで持ってこなかったんだろう……って、それは聞くまでも無い。
お金にも物資にも限りがあるからね……それの確認も兼ねて、僕達はこれから拠点をいくつも巡るんだろうな。
「そうそう、先日飛行型の影を見かけたって報告が上がってたな。見たのは水汲みに行ってた新米ふたりだけだから信憑性は薄いけど……場所が場所だからな。一応、巫女様の耳に入れておいてくれ」
「あいよ。しっかし……はあ。いったいどれだけ残ってんのかね」
飛行型? 残ってる? はて、ここらに飛行型の魔獣なんていただろうか?
以前訪れた時には、狼だか猿だか分かんないような、グロテスクな二足歩行の魔獣だけだった気もするが……
「…………? 飛行型ってもしかして……クリフィア周辺に飛んでるやつですか? あ、アレがこっちの方まで来てるんですか……っ?」
だとしたら……そ、それは嫌だぞ……っ。
と言うのも、クリフィア周辺にいる飛行型の魔獣とは、オックスの家族を襲った魔獣のことなのだ。
アイツはそいつらから逃げる為に故郷のボルツを離れて、そしてガラガダで生活していた。
アイツの魔獣に対する敵対心……許せないって感情は、その魔獣に襲われた家族を守れなかったことに起因する。
「……っ」
今アイツがどこにいるのか知らないけど、少なくとも問題の飛行型魔獣がガラガダ周辺にいるとなれば、良い気分はしない筈だ。
ミラもハークス家の件でまた苦しむ羽目になってて、オックスまでそんな……って、そう考えたら頭が痛くなってくる。
ふたりとも凄く良いやつだから、余計な不安や恐怖になんて晒されずにいて欲しいのに……
「あー、そういえばいたな、あの辺にも。でも、そいつらじゃない。腰抜かすなよ、アギト。
ここ最近、この国で目撃情報が絶えない大型飛行魔獣——魔竜が目撃されたんじゃないか……って、そういう話でな」
「————魔竜——っ!」
ぞわぞわと全身に鳥肌が立つ。
ダメだ、そいつはもっとダメだ!
かつて僕達を襲った最悪級の脅威、ゴートマンの魔竜。
オックスにとっても僕達にとっても、運良く命が繋がっていただけの最悪の思い出のひとつ。
そんなのがガラガダに————っ。
「お……? なんだ、巫女様に聞かされてたな? その反応を見るに。
その魔竜を作ったやつの故郷がここら辺だって話だからさ、もしかしたらその研究が残されてたんじゃないか……とかなんとか。
確率は薄いけど、一応警戒しとけって。研究所の連中からの報告にあったんだよ」
「…………薄い確率って……どのくらいの…………」
巫女様が真面目に仕事するくらいの確率だ。って、へインスさんのその言葉にみんな一斉に笑った。
そ、それは…………成る程、薄い確率だ。
そうか、ゴートマン……マーリンさん曰く、レイガスという男。
そう言えば、アイツとは十六年前の旅の折、ガラガダで出会ってるって言ってたっけ。
しかし…………うぐぐ、また魔竜なんて名前を聞く羽目になるとは。
魔人の集いに生き残りの個体が使役されてたりとか……うう、ぶるぶる。最悪の組み合わせだよ……
「……ミラの嬢ちゃんにとっては、嫌な思い出があるらしいな。巫女様に口止めされてんだ、あの子の前では絶対にその名前を出すな……って。
王都に着いたら一緒に仕事すんだろ? そういうのも知っといた方が良いんじゃねえかな」
「そう……ですね。俺もちょっとだけ聞いてます、アーヴィンでのこと……」
僕にとっても地雷ワードだけど、今のアイツにとってはもっともっとキツイ単語だろうな。
寄る辺のひとりだったダリアさんを…………っ。
魔竜、ゴートマン、魔人の集い。はあ……嫌になってきた。
マジでなんでアイツらまだいるんだよ……魔王倒したんだから、自然消滅しておいてくれよ……っ。
「さてと、他には何かあったか? 要望も、叶えられる範囲ならやってくれる筈だ。巫女様と違って、フリード様は金もあるし器もデカイからな」
「うんと……そうだな。今の所は平穏そのものだ。強いて言えば、もうちょっと人が増えて拠点を大きく出来れば、ここらは結構押し返せそうだ。やっぱり随分弱ってるよ、魔獣も」
なんだかしれっと無礼な発言が飛び出したけど…………ごほん。僕は何も聞いてないでーす。
しかし、ふむふむ。ちゃんと魔獣は弱ってるんだ。じゃあ……頑張った甲斐もあったんだな。
アイツが頑張ったおかげで、ちゃんと世界中の人達が救われ始めてる。
その一端をここで垣間見られたのは、ついついニヤけるくらい嬉しかった。
「よーし、じゃあ撤収。今日中に次の拠点も回るぞ。出来ればオソリアまでは行きたいもんだ」
オソリア…………はて、聞き覚えがあるような……無いような……? とにかく先へ急げるのならば急いでおこう。
東の戦線沿いに進む……って話だったから、もしかしなくてもあの時歩いた道を辿ることになるのだろう。
そうなったら…………け、結構遠いぞ……?
いくら馬車とは言え、馬だって人だって休まなくちゃいけないんだから。
あ、これはマーリンさんの受け売りです、はい。
「…………魔竜……か」
「なんだよ、そんなに気になるのか? ま、そりゃそうか。おとぎ話の怪物だ、そんなもん。
それが本当にいるってんだから…………それも、人間が造ったってんだからな」
そうだ。
竜という形に作り変えられた大勢の術師、その禁断の実験。
ゴートマンは何かを目指した結果、その式に至っている筈だ。
これは…………最期の瞬間、走馬灯のように駆け巡った僕の思考回路が弾き出した解。
魔竜。九頭の龍雷。そして魔王、九つの龍頭。
この世界には、少なくとも首が九つまであるドラゴンという、幻想の生物が確かに存在した。
その力強さに近付けるように……ってことなんだろうか。ミラは……レヴは、ハークスは、最上級の雷魔術のひとつにその名前を付けた。
魔王は、マナを使役するマーリンさんと肩を並べる程に極めた魔術で、その在り様に至ろうとした。
じゃあ……ゴートマンは?
術師のする事柄には、いちいち何かしらの理由や動機が存在する。それはもう痛いほど思い知った。
別にあんな奴のバックボーンなんて知りたくもないけど、それでも……もしかしたら、魔竜に対抗する方法が見つかるかもしれないから……って。
少なくとも、魔王討伐の最後の一手には、その情報が必要だったんだからさ。
「……へインスさん。良かったら、竜が出てくる物語を教えてくれませんか。出くわすことがあったなら、ちょっとでも対抗策を知っておきたいんで」
「いや……良いけど、御伽噺の竜と実際に造られた魔竜が一緒とは限らねえぞ? 物語の竜は人に化けたり、財宝をすり替えるような小悪党として出てくる話もあるし……」
何それみみっちい。じゃなくて。
どんな話でも構いません。と、僕はへインスさんだけじゃなく、馬車に乗り込む全員にお願いした。
ゴートマンの目指したものを探せ。そうすれば、きっとアイツが魔人の集いに加わった理由も分かる筈だ。
ちょっとでも多くの情報を集めるんだ、そうすればミラの負担を減らしてやれる。
あっちの世界では神話と呼ばれるような物語を聞かせて貰いながら、僕は馬車に揺られてひたすら東へと進み始めた。




