第二十八話【取り残された秋人】
マーリンさんによる健康診断が終わってミラと交代した僕は、久しぶりに帰ってきた実家……みたいなこの役所の中を歩き回っていた。
特別何かが変わったって感じは無い。大きくなったし、綺麗になったし、便利にもなったけど……
「……懐かしいって感じるのは……うーむ」
ここは僕とミラの思い出の場所だから。って、マーリンさんは言ってた。
だから、出来るだけ手を加えずに、以前の面影を残したんだって。
それは……きっと、アイツの記憶が戻りやすいように……あの旅を、あの日々を思い出すきっかけになれば……って、そういう願掛けみたいなとこもあったのかな。
「…………ふー」
やっぱりあの人は弱い。
脆くて、儚くて。
頼りになるのは——頼りにしてきたのは間違いないんだけど、どうしてもその心の弱さは放っておけない。
以前のあの人の弱さは、先代の勇者との冒険に——その終わりに起因するものだった。
今のあの人には、それに加えて僕達の……いいや。僕の最期も、ボロボロな心の中で毒を吐き続けている。
一番に考えるべきは、ミラの記憶を取り戻すこと……これから行く先々の世界を確実に救うこと。
けれど……こうして僕のことを唯一覚えていてくれているあの人のことも、なんとかして楽にしてあげたいと思ってしまう。
「はあ……アレかな、バイトから社員になって……」
ちょっとばかし責任感が強くなったかな? まあ、いつまでも子供のままじゃいけないからね。
そう……もう肉体的にも社会的にも大人なわけなのだから…………って。
「…………? あれ……そういえば切り替わり……」
二日置きに切り替わるというかつての召喚システムは、レアさんが組み上げた僕の為の魔術式だった。
僕にとっての当たり前だったそれは、マーリンさんにとっては普通じゃなくて。
だから……今朝目が醒めるまでずっとあの世界にいたわけで…………?
「……あ、いや。それは……えっと……?」
そこら辺、聞きそびれてた。
一度引き返しちゃうと再召喚が難しいとか、そういう話なのかも。
えっと……召喚には縁がないといけない……んだよな?
この世界に僕が……不完全な召喚ながらもアギトがちゃんと来られてたのは、レアさんがいたから……レアさんとの縁で、道に迷うことなく辿り着けていたから。
でも……そう、今回は行き先にアンカーが刺さってない。
マーリンさんもいないし、それに僕らと縁の深いものもロクに無い。
魔術的な儀式で作れたりするのかな……? もし出来るなら、慣れ親しんだ切り替わり式で………………⁇
「………………あっ————ああぁーーーッッッ⁉︎」
つい大きな声が出ちゃって、バタバタドタドタと二階からふたりの足音が降りてきてしまった。
いかん……今この建物の中には過保護な奴しかいねえんだった。
「アギトさん——っ!」
「アギト——っ! 何ごとだい!」
ほら……もう。
ちょっと変なこと思い出しただけです。と、誤魔化せてない言い訳で誤魔化して、とりあえずマーリンさんに何かを察して貰ってことなきを得る。
いや。得てはない、問題は残ってる。
ただ、後でもう一回部屋に来て。と、マーリンさんはそれだけ言ってミラをさっさと二階に連れて行ってくれた。
いやはや……相変わらずなんでもお見通しだ。今回は助かったけど……さて。
「…………えっと……? アイリーンのところにまず……」
残ってる問題。それは今の僕の…………ええっと……めんどくせえな、言葉にするのも。
僕の——秋人の状態が大問題なんだ。
えっと、まずアイリーンのところに…………十日弱。
それからこっちに来てから……今何日目なんだ。
そもそもとして、ミラと一緒に向こうに行ってた間に、こっちでは何日経過したんだ。
ひと晩の間に丸々圧縮されているのか。それともかつてのように、大体二日でひと晩くらい経過してるのか。
もし以前と同じ圧縮具合だったら……ええとええと……丸二日か三日は経過してる……のか?
そうなると……ああ、いや。その場合はアイリーンのところにいた時間も、ここで換算するとさらに圧縮が効いてて…………?
「…………ど、どう足掻いても…………っ! マズイ……マズ過ぎる……っ」
怪事件! こんこんと眠り続ける三十路男! なんて…………現代じゃシャレになんない!
ひとり暮らしだったらマジでやばかった……実家暮らしでもヤバイわ!
お、おおお落ち着け! まだそうと決まったわけじゃない!
まだ……まだ秋人の身体がまるで起きて来なくて、うっかり脳死判定食らって…………なんてそんな……わけは…………
「————っぉおおっ⁈ も、ももももももしかしてヤバイのか⁉︎ 秋人、過去最大のピンチか⁉︎」
うっかり死んでたりしないだろうな⁉︎
そ、それはダメだぞ⁉︎ だ、だって約束があるんだ!
あっちでも頑張るって、秋人としての生活を蔑ろにしないって。最後にミラと約束したんだ、絶対に破っちゃいけないんだ!
ま、ままま待て! れれれ冷静に考えるんだ!
あのマーリンさんだ! 間違いなくこの世界で最高クラスの魔術師、未来を見通す眼を…………そういえば、使い物にならなくなってたんだっけ。
でも、いつだって頼りになるお姉さん。時たま見せるドジっ子属性やポンコツっぷりが愛らしい……ドジっ子…………ごくり。
「……え……? も、もしかして本気で…………」
ヤバイのでは……?
冷や汗でもう全身びしょびしょだった。
だ、大丈夫。信じろ、俺達のマーリンさんを。
いつだって大切なことは間違えなかった。
確かに! 確かに、一番重要だって言ってた第二階層突破後の、フリードさんへの強化の掛け直しを忘れてたりはした!
忘れてたりはしたけど…………忘れてたりしたし……つい先日も、召喚についてのアレコレを全然説明してくれてなかったりしたし…………そもそもユーリさんや今のミラが辟易する程いい加減な人だけど…………いい加減な人だな…………
「……っ! 降りて来た……っ」
とんとんと足音が……小さな足音がひとつだけ降りて来た。これはミラだ、健康診断が終わったんだ。
急いで二階に向かい、途中すれ違った階段で凄く心配そうな顔をミラに向けられながらも、僕は勢い良くマーリンさんの部屋へと飛び込む。
ああっ、ごめんねチビザック! ビックリさせちゃったね、怖がらせちゃったね。
じゃない! もう! このポンコツ! アイツにあんな顔させるな! 大声我慢出来なかった僕も悪いけど!
「マーリンさん! 俺の——俺の…………俺のー…………お、おおお俺の——っ!」
「落ち着きたまえ……君がどうしたんだ」
説明しづらい! ちくしょう!
お、落ち着くんだアギト……相手はマーリンさん、僕の考えなど全部見通してくれる。
一度冷静になって頭の中を整理していけば、その途中にも大体の内容を把握してくれる………………怖。マーリンさんそんなこと出来るの? こっわ。
「……なんだか失礼なこと考えてる顔だね。まったく、一度深呼吸しなよ。それから、頭の中で僕を讃える言葉を繰り返すんだ。マーリンさん美人、マーリンさん天才、マーリンさん理想のお姉さん。ってね」
「わ、分かりました。すー、はー、すー、はー。ええと……マーリンさん美人…………って、何やらせるんですか!」
もっと早くに気付こうよ。と、マーリンさんは凄く呆れた顔で僕の頭を撫でた。
いかん……このままだとこの人のペースになってしまう。
この人のペースに…………上手い具合に言いたいこと引き出してくれる理想のペースなのでは?
いやいや! 甘えるな! 僕はこれでもミラの代わりに王様に報告書をあげる係を務めてたんだ。
アイツの記憶が戻れば、また一緒に働いていくことになる。
その時にこんなことも出来ませんじゃ話にならないぞ!
「すーはーすーはー……よし。えっと……あの、俺の……俺の切り替わりってどうなったんですか…………? 二日置きに……って、前のサイクル通りなら、とっくに向こうに戻ってても良い頃なんですけど……」
「え? 戻る必要無くない? 一生ここに居なよ」
必要ありまくるんじゃいボケタレぇ!
きょとんとした顔でとんでもないことに言ってくれるマーリンさんのプニプニほっぺをつねって……とかは出来ないので、手近にあった木の枝で優しく……音も鳴らないくらいゆっくり頭を叩いた。
というかこの枝何…………ああ、チビ達の止まり木か……
「あはは、冗談冗談。そうだね……うーん、なんと説明しようか。切り替わりについては、現時点ではオフにしてある。と、そう告げる他に無いね」
「オフに…………え? あれってオンオフ切り替えられるんですか⁈」
僕に不可能は無いとも。と、マーリンさんはえへんと胸を張って、そして何やら紙とペンを取り出して絵を描き始めた。ええっとそれは……僕……アギト?
「かつてその切り替わりというのを繰り返していた君なら直感的に理解しやすいと思うけど、基本的に同じ精神は複数同時には存在出来ない。
ここでアギトとして何かをしている間は、元の世界で目を覚まさなかったのと同じだね。
これは、召喚があくまでも精神のみを呼びつけていることに起因するわけだ」
「……あっ、話が長そう。出来れば短めというか……簡単な説明でお願いします」
こいつ! と、マーリンさんは鬼の形相で僕にヘッドロックを…………もう、死んでも良いや……はふぅん。
しかしマーリンさんもなんとなく察してくれたようで、出来るだけ簡潔に説明するよ。と、不機嫌そうにそう言った。
いやはや助かる。僕はミラと違って賢さが足りてないからね……
「結論だけを言うのならば、様々な世界に君を派遣するにあたって、切り替わりという機構が凄く邪魔だったんだ。
分かりやすい言葉で説明するなら、精神も移動する度に疲弊していくんだ。
実感しやすいところで言えば、日にちや時間の感覚が狂ってしまったりだとか。
常識や認識が混濁してしまう……本来ならばある筈のない魔獣という脅威に、ここ以外の世界で怯えてしまったりとかだね。
そういうことが無いように、かつてのレア=ハークスは君の精神に保護術式を施していたけど……残念ながら、それにも限度がある」
「保護術式。レアさん……本当に色んなことしてくれてたんだ……」
君の存在は、魔術界における奇跡みたいなものだったんだよ? と、マーリンさんは僕の頰をつついてそう言った。
レアさん……ちゃんとお礼言いたかった、それにミラのこと謝りたかった。ちゃんと無事でいてくれてるだろうか……
「お陰で僕も君の異質さに気付くのが遅れたけどね。さて、レア=ハークスの凄さについては一度横に退かして、だ。
切り替わりをオフにしなくても、召喚自体には差し支えない。
けれど、そうして送り届けた君の精神がいったいどうなってしまうか……という問題が付き纏う。
僕の知らない間に磨り減ってしまって、うっかり召喚の途中に消失なんて……色んな意味でシャレにならない」
「消失……ごくり。じゃ、じゃあ……アイツの記憶が戻るまでは……」
当分はそのつもりだよ。と、マーリンさんはそう言って、深々と頭を下げた。
ごめんね。と、僕の手を握りながら。
「勿論、元の世界での生活もあるからね。長く掛かり過ぎるようなら、一度切り替わりをオンにすることも考えてる。
でも……そんなに時間が掛かったのなら、召喚に使った君についての記憶はとっくに消費されてしまっている可能性が高い。
ある意味では、切り替わりを戻す時が、この戦いのタイムリミットと言えるだろう」
「……分かりました」
ごめんね。と、マーリンさんはまたそう言って俯いてしまった。
そうするしかない……んだよね、多分。
マーリンさんのことだから、きっと僕達にとって一番良い方法を選んでくれている筈だ。
だったら……僕がすべきことは、早く世界を救ってミラの記憶を……
「……あんまり慰めにもならないけど、時間の進行具合にかなりギャップを付けてるからさ。君の元いた世界での一日は、こちらでの十日程に換算される……と、思う。
そういう風に術式は組んだけど、それを確かめる手段が無いから……ごめん」
「いえいえ……そっか、じゃあまだ一日も経ってないんだな…………」
んぐぉぁぁあ……それでもダメだぁ……店長に連絡してねぇぇえ…………ごめんなさい……っ。
無断欠勤のペナルティも怖いけど、精神が擦り切れて消失なんてもっとおっかない言葉を聞いてるので……受け入れよう。
秋人の肉体については……腐ったりするわけじゃないらしい。
ただ、やっぱり寝たきりになるので……心配掛けるだろうなぁ。
店長には全力で謝る、兄さんにも全力で謝る。母さんにも……謝って謝って謝り倒す。
うぐっ……花渕さんが一番怒りそうだな……これまた謝り倒す。
結局解決はしてないけど、急がなくちゃならない理由も増えた。
ごめんねと何度も頭を下げるマーリンさんにこっちも頭を下げて、僕はまた彼女の部屋を後にした。




