第二十七話【いつだって頼りになるもの】
はい、あーんして。なんて、小児科の先生みたいなことをマーリンさんは繰り返した。
違うやい、大人のお医者さんごっこじゃないやい。むしろそっちが良かったんじゃい——っ! ごほん。
隅々までチェックするからね。との言葉通り、マーリンさんは僕の体を——アギトという器を徹底的に調べ始めた。
心臓の音を確認して、脈を測って。体温や発汗も同じように。それから……
「うん、のども腫れてないね。でも君、あんまり噛まずに食べただろう。ケーキの食べカスが、それもデッカいのがくっ付いてるぞ」
「うげっ、ほんとですか? うう……なんか恥ずかしい……」
まあ……うん。学校で健康診断をしてる小学生みたいなもんだ。
ミラは脈だけ一緒に測って、今は別室で待機してる。流石に年頃の男女を一緒に診るわけにはいかない……と。
うーむ……今更な気もするんだけど、記憶が無いのだから仕方がない。
「……さてと、じゃあ次は心の方を見ていこう。さっきも不安について軽く吐き出して貰ったけど、他にも苦しかったことやつらかったことがあったら言って。こっちで対策出来ることならやってしまいたいし」
「つらかったこと……ですか。うーん…………」
一番は…………やっぱり、役に立てなかったこと。
あの世界が救済を求めていたと言うのなら、僕達はきっと藁にも縋る思いで引き寄せられたんだろう。
なのに、結局やったことと言ったら……
「……戦う力が…………生きていく力がもっとあったら……って。ミラ程とは言わないけど、魔術や錬金術が使えたら……生活を便利にする力が使えたら……って」
「…………君らしいね。先に突っ込んでおくけど、あんまりミラちゃんに憧れ過ぎるのは良くない癖だよ。
君は君、ミラちゃんはミラちゃん。あの子もあの子で特別だからね。惹かれるのはよく分かるけど」
憧れ……そうだ、憧れ。僕はずっとミラに憧れていた。
見ず知らずの僕の手を取ってくれた——たとえそれが打算や計算に満ちたものであったとしても、あの時の僕は間違いなく嬉しかったし、救われた。
そういう人間になりたいと思った、秋人としてもアイツの背中を追っ掛けて生きていくことに躊躇は無かった。
アイツを守るべき存在として、家族として見るようになってからも同じ。
アイツはいつも強くて、頼もしくて、かっこ良かったから。
アイツみたいになりたい……って、それが僕の……僕が死を乗り越えられた理由。
「さてと……うーん、でもそれは確かに厄介だ。魔具でも一緒に送れたら良いんだけどね、残念ながら簡単な話ではない。
向かう世界に同じようなものがあるのなら……そして、それが持っていて当たり前の、服や靴と同じ程度の必需品として浸透しているなら。或いは勝手に装備されているなんて話もあるかもしれないけど……」
「そんな世界じゃ、むしろ生きていける可能性が低過ぎますよ……はあ」
それってつまり、世界中の人間がミラやマーリンさんクラスの魔術……ないし、相当の特別な力を有しているということだろうから。
そんなとこに僕が放り込まれでもしてみろ。ライオンの群れの中に投げ出されたウサギだ。食べごろサイズのおやつだ。
「……そうだ。だったら、せめてこの…………魔術が使えないって特性、消せないですか……って。聞こうと思ったところで……思ったんですけど……」
「ああー……うん。当然、今の君は以前となんら変わらないよ。文字通り生き返ったものとして、あの時死ななかったものとして扱って差し支えないくらい、何も変わってない筈だ」
ぐっ……やっぱりそうなるか……っ。
これが新しく召喚し直したって話なら、もっとムキムキで力も強くて、そしてミラと変わらないくらいの魔術の素養を持たせておいてくれても……とか、そんな贅沢を望むんだが。
「……そしてこれまた当然、別の世界に召喚し直したとしても、魔術は使えない。
精神だけを新たな肉体に付与して生活させるわけじゃない。あくまでもこの世界にいるアギトとして、救済の為に派遣してるんだ。
あんまり今ここにいる君と乖離した存在にしてしまうと、帰って来られなくなる可能性が高いからね」
「えっ、怖。そっか……そっかぁ……うぐぐ。強化魔術があれば……って、そんなシーンが多かったから……」
ミラちゃんに掛けて貰えば良いのに。と、マーリンさんはあっさり言うが…………違うじゃん、そうじゃないじゃん。
もっとミラにさ、アギトさんすごーい! かっこいーっ! お兄ちゃんって呼んでも良いですか? とか……ぐすん。して貰いたいわけで……
「……僕も行けたら良いんだけどね。残念ながら、引っ張り上げる係が必要になる。
この間のように僕が先行して、縁として君達を呼んでも良いんだけど…………アレは中々リスキーな賭けだったからさ。
出来ればもうあんまりやりたくないと言うか……星見が不安定になってしまった今、やりたくても出来ないと言うか」
「うう……苦しいこと、つらいこと、ありました。現状、全く希望が見えてこないことが凄くキツイです……」
ごめんね。と、マーリンさんは苦笑いして、そしてチビザックを僕にさし向ける。
バタバタと小ささの割に力強い羽ばたき音を聞かせながら、チビ達は椅子に座っている僕の膝とか肩とかそこら中に止まって僕の顔をジッと見た。でへ、可愛いなこいつら。癒し……
「他には無かったかい。もっと局所的なものでも良い、困ったことや苦労したこと。向こうで感じた僕の不手際なんかは全部言ってくれ。
この件に関して、君達は存分にわがままになる必要がある。コレがあれば、アレが無ければ。どんな些細なものでも良いよ、教えて」
「わがままに……ですか。うーん……」
やっぱりまず一番に欲しいのは、行動指針を決める基準だろうか。
と言うか……かつての旅にあって、今回に無いもの。あまりにもその有無が大き過ぎるもの。
しかし……もう望めないその祝福。
未来視——星見の巫女の力。
その世界において、経験ってものはまるで機能しない。一秒先の出来事が予測出来ない事実は、あまりに重た過ぎる。
「……情けない話、一番欲しいと思ったのはマーリンさんでしたね。
ミラは頼もしいけど、結局アイツもアイツで世間知らずの子供ですから。初めてアーヴィンを飛び出した頃にそっくりです。
何が良くて何が悪いのか、自分達の選択が何を引き起こすのかまるで分からない。
少なくとも、ボルツでオックスに出会うまでの旅路と同じ……いつ死んでてもおかしくない、振り返った時にただ運が良かっただけだって思い知る……そういう日々を向こうでも過ごしてました」
安心して道を任せられる誰かが欲しい。
甘えるなって言われたらそこまでかもしれないけど、世界ひとつ救うって話なんだから、ガイドのひとりくらいは欲しいもんじゃないか。
マーリンさんは僕のそんな発言に目を丸くして……そして……
「……ふふ……あははっ。君は本当にバカアギトだなぁ」
「んなぁっ⁈ お、俺は本気で……真剣に考えた結果ですね……」
分かってるとも。と、マーリンさんはぽんぽんと僕の頭を撫でて、そして……やっぱり我慢出来ないとお腹を抱えて笑い始めた。な、なんなんだよぅ……
「ふふ……君さ、本当にちゃんと振り返ったのかい? あの旅を、僕に出会うまでの旅路を。
ちゃーんと、目を逸らさずに。ひとつひとつ思い返してごらんよ。
本当に僕がいなくちゃダメだったかい? ううん、僕じゃなきゃダメだったかい?
一緒に付いて来てくれる誰かはいなくても、君達は大勢の人に力を借りる選択をしてきた筈だよ」
「大勢の……」
最初はえっと……あのゲンって老人からだよね。と、マーリンさんは僕に、目を瞑ってちゃんと思い出すようにと指示をした。
最初……うん、ゲンさんに……違う。最初はロイドさんだ。
ロイドさんに力を借りようとして、でも僕の覚悟が足りてなくて。
そんな弱さを、ロイドさんは大切なものだって言ってくれて。
そんな僕にだから……ゲンさんを紹介してくれて……
「……クリフィアで、俺達は魔術翁とノーマンさんに道を示して貰いました。その先でマグルさんと出会って……次の村では……」
初めてクエストを受けて、その時にランバさん……監督役ってものの存在を知って。
あの人には古代蛇の子供の群れからミラを救って貰った…………と言うか、運びきれなくなった荷物を代わりに運んで貰った恩があったっけ。
ああ……成る程、言われてみれば……
「ガイドなら現地で見つけられるじゃないか。君達は僕に出会うまで、そうやって旅して来た筈だよ。
まったく、頼もし過ぎるお姉さんの存在も困ったものだね。こんなにも目を曇らせてしまうとは」
「……そうですね。うん……そうだった」
ひとつ答えが出たね。と、マーリンさんはチビザックを三羽纏めて指で撫でながらそう言った。
答え……? 欲しいものに対する妥協案は確かに出されたけど……
「む、バカアギトの顔をしてるね。まったく、本当に察しが悪いなぁ。
君達が召喚されてからまず取るべき行動——頼っても良さそうな現地の人間を探す、交流を深めること。
それが分かったなら、少なくとも生活についての不安を抱えたまま戦う必要は無いだろう?」
「えっ……あ、ああ……いや、でも……っ。それも確かに考えたんですけど……」
もしも戦いになったら——かつてのゴートマンのように、僕達を狙う為に他の人に危害を加えかねない敵が現れたなら……って。
そうなった時のことを考えて、ミラと一緒に答えを出したんだ。それはやめておこう……って。
「うん? 君達は変なことを言うね。確かに、勇者として、世界を救うものとして望まれたかもしれない。
けれど、友人を作ることは、決して咎められることではないだろう?
巻き込みかねないから距離を取る。成る程それも道理だけど、側から見てみればそれは同じことだよ。
距離を取ってまで特別視するということは、守る必要があるということ。
間接的に君達を燻り出すようか狡猾な敵なら、そこに気付かないなんて間抜けも無いだろう」
「うぐっ……で、でも……」
メリットの方が大きいんだ、友達は作りなさい。と、凄く子供に聞かせたくないセリフが飛び出した。
そ、そんな打算で友達を作らないで……てかそれを推奨しないで……
「自分達がその世界から浮いているという自覚を持つのは結構。けれど、それを理由に遠回りをし過ぎてもいけない。
勇者としての自覚を持てってのは僕が教えたことだけど、その世界において君達は勇者でもなんでもないんだから。
気負い過ぎず、やるべきことをやりやすいように。それでいて、楽しめる工夫をしたまえ」
「楽しむ……ですか……」
不謹慎。とか思っていたら、不謹慎だなんて思ってたら守れるものも守れないよ。と、鋭いツッコミが入った。
だ、だからなんで考えてることそんなにピンポイントで…………っ。
「あーあ、僕が一番大切に教えて来たことなのになー。
新しい街に着いたら、そこがどういう街なのかをしっかり理解すること。
それは街の作りや文化だけでなく、人々の暮らしぶりや性格……温度、空気感なんかもそう。
好奇心を持って生きていこう。せっかく別の世界に行くんだからさ」
「ぐ……え、遠足じゃないんだから……」
でも……うぐぐ、それで良いのか……?
違和感を見つけるには、まず常識を身に付けるところからだよ。と、確かに苦しんだ問題について窘められながら、僕は更に細かな問題を掘り下げる。
今回はひどく原始的な世界だった、だから困らなかったけど……例えばまったく未知の道具、技術と出会ったらどうしよう、とか。
現実からかけ離れた夢想の会話みたいになってきちゃったけど、マーリンさんは全部に真面目な顔して答えてくれた。




