第二十一話【雷鳴】
突然の轟音に目が覚めた。
自分が今の今まで眠っていたことを思い出すより前に、すぐ近くで雷が落ちたのだと理解する。
バタバタと天井からこだまする水音は、ドアの向こう側からもばしゃばしゃと泥を撥ねながら部屋の中に響いてくる。
「……完全に嵐だよ……だ、大丈夫かなこの小屋……」
こんなことなら、お言葉に甘えて村に泊めて貰えば良かったかも……って、そういうわけにはいかないんだってば。
とりあえず外の様子を見よう。
今の雷で山火事が……なんてことになってたらシャレにならない。
せめてどこら辺に落ちたのかだけでも…………
「…………? なん…………?」
起き上がろうとすると、体がいつもより重たかった。
何かにぐいっと引っ張られるような感覚に、なんとも情けない話だがバランスを崩して尻餅を付いてしまった。
トゲに服でも引っ掛かったのかな、一応木造だし。なんてことを思って振り返ると、真っ暗な中でも分かる明るい髪色の少女が、僕の服を掴んで眠っていた。
「…………お前が起きてないなら大丈夫なんだろうな。もうちょっとゆっくり休め、ありがとな」
すうすうと寝息を立てている姿を見るのは、この世界にやってきてからこれで二度目。
それは、こいつがまともな睡眠をとるのがまだ二回だけという意味だ。
こんな小さい癖に寝ずの番なんてしやがって、成長止まっても知らないからな。
「……でも気になるもんは気になるんだよな……よし」
じゃあ、いつも通りおぶっていこう。
大丈夫、外に出るわけじゃない。ちょっとドア開けて外の様子を見るだけだ。
ゆっくり……ゆっくり……うん。いつもよりずっと慎重に背負えば、ミラは起きる気配も無く僕の背中に収まってくれた。
相変わらず体温高えな。暫く寝ててくれないかな……ぬくぬく。
「そーっとそーっと……よしよし。さて、天気はどうですかー……っと……」
ドアからゆっくり外を覗くと、空なんて見えないくらいの土砂降りになっていた。
あ、あぶねー……川沿いにこの小屋無くて良かったー……
絶対氾濫してるもんなぁ、一昨日なんて比にならないくらい降ってるもんなぁ……
「…………村のみんな……大丈夫かな……」
山の上が安全なんて、そんなバカなこと流石にこれっぽっちも思わないけどさ。でも……水害は当然低い所の方がおこりやすい。
ここもここで地滑りとかあるけど、川が氾濫して危ないのは村の方だ。
貯水池が溢れて……って、それはそう大きな被害にならないかもしれないけど、コンクリート舗装も無ければ家だってとても頑丈とは言えない。
地面が水浸しになって、家の基礎が緩くなって。横殴りの突風に煽られて、その拍子に崩れる可能性は否定出来ない。
色々と良くして貰ってるわけだし、出来ればちゃんと無事を確認したい…………あの人達のことも守ってあげたいんだけど……
「何か出来ないかな……出来るわけないか…………くそぉ……」
でも、この場所は村から離れ過ぎている。
或いはもう、僕達が何度も往復して踏み固めた山道だって…………っ。
いや、道なんてまた拓けば良い。最悪の場合、ミラにおぶって貰って駆け下りれば良い。
非常事態になれば、魔術を見られないようにとか素性がバレないようになんて言ってられない。
やれることは全部やって、乗り越えた後に考えれば良い。ただ、今は……
「よいしょ……っと。ごめんな、うるさかったかもな。おやすみ、ミラ。もうちょっとだけゆっくりしてて良いからな」
今はまだ動けない。
幸いなのは、雷が落ちたであろう場所が僕にも特定出来たこと。
音の方向はなんとなく分かってたから、その方角をじっと睨めば良い。
それが今回はたまたまドアから覗ける方角だったことと、それが直撃したのであろう焼けた細い木が見えたこと。
つまりは…………割とすぐ近くに落ちてて間一髪だったことを、紛れもなくこの目で確かめられたのだから。
うん……怖い、泣きそう。
雷が直撃したらこの小屋ってどうなるんだろう……というか人ってどうなるんだろう……っ。
その答えは…………ごくり。すぐ後ろですやすやしてる妹の魔術のおかげでよーく知っていた。
「…………最悪火事になっても臭いとか音で分かるし、やっぱりここは待機安定。そもそも、それ以外に選択肢が無いしな」
うんうん。と、ひとり勝手に頷いて納得する。チキンではない。
この嵐の中僕ひとりでほっつき歩いて、いったいいくつ残機持って行けば帰って来られるんだ。
今時無限残機なんて裏技出来るゲームはほとんど無いんだぞ。
そう……結局、僕ひとりではどこにも行けやしない。
こいつとの約束もあるけど、物理的に不可能って話だよ。
言い訳じゃないですぅー、ガチのやつですぅー。いや……本当にこれは無理だよ……
「…………ん…………んん……ふわぁ。あれ……おはようござ………………ぴゃぁあっ⁈」
「のゎぅっ⁈ お、おはよう……元気だね、今朝も」
どうやらミラが起きたらしいということを、悲鳴と共にやってきたとてつもない衝撃に教え込まれる。
具体的には、背中をおもくそ蹴っ飛ばされた。
こいつ……自分でくっ付いておいて…………っ。
「わぁっ⁉︎ ご、ごめんなさいアギトさんっ! って……この音……」
「うう……いでで。うん、外はひどい天気だ。この調子だと……今日もこのまま引き篭もり生活になるのかな」
まさか異世界に行って、そこから更に別の世界に飛んだ上で、またしても引き篭もりライフに逆戻りとは。
小屋の中は相変わらず音が響きやすくて雨音に気が滅入るけど、それでも雷の音があれ以降しないから……ちょっとだけ心が穏やかだ。
「……アギトさん、大丈夫ですか? その……ご飯……」
「平気平気、ミラちゃんこそ大丈夫? 俺はまあまあ食べてるけど、ミラちゃんこっちに来てから殆ど食べてないよね」
私は大丈夫です。と、ミラはふんすと鼻を鳴らして元気をアピールした。
まあ……食の細い子に見えるのかな、普通なら。
普通に初対面で、普通にこの十日余りを一緒に過ごしたくらいなら。
だけど……僕はお前の胃袋の異常さを知っている。
もしかしてだけど、あんまりご飯食べてないから魔力温存してたのかな……?
過剰火力ってのは建前で、本当は回復出来ない状態にあるから消費しないように……って。そんなことも思ってしまう。
「まだ流石に眠れませんね。ううん……外、ちょっと見ても良いですか? 今が朝なのか夜なのかさえ……」
「まあ……この暗さじゃね。でも……オススメはしないよ」
そんなに酷いんですか。と、ミラは苦い顔でドアに近寄って、そしてそこから見える景色に絶句してこちらに戻って来た。
一応は日は昇っている……昇っているけど……
「…………一応、朝ですね」
すぐそこに雷が落ちた形跡もありましたし、出歩くのは危険過ぎますね。と、ミラはほんの僅かな時間ドアから覗かせただけでびしょびしょになった顔を僕に向けてそう言った。
げんなり……って言葉以上にピッタリはまる表現が無いくらい、ふたりしてげんなりとした顔を突き合わせた。
「村は大丈夫でしょうか……ここからでは流石に様子も窺えませんし……」
「かと言って見に行ける状況でも……ううむ。無事を祈る他に無いよ」
はあ。と、ミラはため息をついて、そしてごろんと床に寝そべった。
おや、珍しい。いや、以前のこいつなら珍しくもなんともないんだけど。
今のミラは、どちらかと言うとお行儀の悪いことはあまりしないから…………?
「……? ミラちゃん、何してるの?」
「しっ。ちょっとだけ静かにしててください」
おっと失敬。
ミラはごろごろと転がって……そして、部屋の真ん中辺りに陣取ると、床に耳を当てて…………
「…………周囲に異常は無さそうですね。雨の音がうるさい小屋ですけど、それは周りの音を拾ってくれているとも言えますから。周囲に異音は無し、火事も崩落もまだ心配はいらないみたいです」
「相変わらず……いや、何も言うまい。頼もしい限りだよ」
えへん。と、胸を張るミラの、その人間の領域とはとても思えない聴力に、この時に限らずいっつもありがたいもんだと思わされてきた。
なんなんだお前は、ソナーなのか。この小屋はアンテナか? 拡張アンテナを付けたから、探査範囲と精度上がってんのか? 便利なやっちゃ。
「さて……じゃあ、俺はもうちょっと眠るよ。いや……眠れるかは分かんないけど。横になって目を瞑って、いざという時の為に体力温存………………これ、あんまり働いてない俺が言うと……」
「いえいえ、アギトさんは凄く頑張ってますよ。お互い慣れない環境ですし、休める時にどちらかだけでも休んでおかないといけません。何かあれば起こしますから、安心して眠って下さい」
ぐすん……お前、ちょっとだけ……本当にちょっとだけフォロー上手くなったな……っ。でも……それ、全然フォローになってないんだよ……?
自分ばっかり働いてるけど、まあ役に立たないから寝かせておくくらいしか使い道ないか……って。そう言われてしまってる気がした。
あ、明日から…………晴れたら頑張る。
「じゃあおやすみ。ミラちゃんも出来るだけ休みなよ。その……何も無くても、起こしてくれれば見張りとかやるからさ」
「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」
起こさねえんだろうなあ。まあ……僕も僕で起こされても起きれるかは分かんないんだけどね。
寝る分には……まあ、どれだけでも眠れる気がする。
意外と疲れてるからね……さして役には立ってないけど、水汲みに歩き回ったりしてるし。
だから……今はゆっくりと…………
——おやすみ、ミラ————
夢……だったのかな。
凄く懐かしい声が聞こえた気がした。
けれど……その声が誰のものかが思い出せない。
ううん、知ってはいるんだ。
マーリン様の一番弟子、アギトさんの声。
私を優しく呼ぶ、あの人の声。
けれど…………それはどこか懐かしくて、寂しくて、苦しくて。
分からない。
分からないのに…………
「…………アギトさん……?」
返事は無かった。
もう眠りに就いたのだろうか。
その背中には凄く懐かしさを感じてしまう。
その声には凄く暖かさを感じてしまう。
マーリン様の話では、旅の間にも私達を護ってくれていた……とのことだった。
それが理由で…………? ううん、違う。そんなのじゃない。
「……貴方はいったい…………」
ああ、まただ。
また——またあの夢を思い出してしまう。
優しい笑顔で、優しい声で、優しい匂いで。
私を見て、私を呼んで、私を抱き締めてくれる誰かの夢が————都合の良い妄想みたいな夢が、私の頭の中でぐるぐると渦を巻き始める。
そんなわけはない、いる筈がない。
私を家族と呼んでくれた人はもう、誰も残ってなどいないのだから。




