第十六話【孔】
村とは反対側に下りて行く道…………斜面は、いつも通る道よりもずっと急になっている。
相変わらず地面は緩いし、ゆっくり下りていても危険を感じる場面が多々あるくらいだ。
けれど、それでも急がなくちゃいけない。
どこかに建物……せめて洞窟なんかが見つかれば話は別だけど、小屋まで戻る時間を考慮に入れなくちゃいけないんだ。
野宿になって、雨が強くなって……なんて、そんなことになればふたりして凍えてしまう。
「っとと……これ……キッツイな」
「大丈夫ですか、アギトさん。一度どこかで……」
ううん、大丈夫。と、僕は心配してくれているミラを急かして、どんどん先へ……何かがあるかもしれない場所へと突き進んだ。
出発前に抱いた懸念通り、動物の……獣の姿はほとんど見当たらない。
僕の歩みに合わせてくれている都合手持ちぶたさなのもあって、ミラが注意深く足下を観察している。
それでも足跡や糞すら見つかってないってんだから……
「……この山、やっぱり変なのかな……? どうしてこんな違和感に今まで気付かなかったんだろ……」
「通常、獣は臆病ですから。私達人間の気配を感じれば姿を隠してしまう、意識して探さない限りは居ないものとして過ごせてしまう。
この山の生態に気を向けていなかった時点で、気付く道理は無かったのかもしれませんね」
通常……か。
僕達は散々魔獣というものと戦って来た。
それがいない……危険の存在しない山というものに、どこか気を抜いてしまっていたんだろう。
ミラの言う通り、殆どの動物は人間の訪れを敏感に察知して姿を隠す。
魔獣でない獣を意識して来なかった僕達にとって、その異変は気付きにくいものだったのかもしれない。でも……
「……なんだか、マーリンさんみたいな言い回しするね。道理は無かった……とか。なんとなくだけど」
「へ? そ、そうでしょうか」
真似っこはお前の根っこ、レヴが編み出した人々に溶け込む為の手段だからな。
お姉さんの真似の次はマーリンさんっぽい振る舞いを……って。これは多分、純粋な憧れから無意識にやってるだけだろうけど。
さて……それは良い。問題なのは、ミラがこの異変に気付けていなかったという点。
いつもあれだけ周囲に気を配っていたミラが、今の今まで……僕に言われるまでそのことに気付かないなんてあるだろうか。
視力も、嗅覚も、聴覚も。どれも桁外れた感度で情報を拾い集めている。
そして、そのどれもが健在であるように見えるのだから……
「……? アギトさん……?」
「あ、いや……やっぱり変だなー……って」
そうですね……? と、首を傾げられてしまった。
同じことしか言ってない……僕もちょっと浮き足立ってるな。
この異変は多分、ミラの意識の問題なのだろう。
勇者らしい振る舞いを……というのもひとつ。
もっと大きそうなのは、僕という何に変えても守らなければならない存在がいなくなった……ってことだろうか。
ミラのあの異常なまでの過保護は、そもそもはレアさんとの約束を守る為にやってたものだ。
そして段々と、自分の居場所を守る為に……って変化していった。
色んな理由があって、アイツはどうあっても僕を守らないといけなかった……んだろうな。自分でこう言うの…………なんか嫌だけど。
その記憶が無くなって、必要が無くなって。ミラの中での僕の価値が以前とは変わってしまったから、あの旅の時ほどピリピリしていないのかも。
「…………あ、アギトさん……? 私、もしかしてどこか変ですか……? さっきから……その、凄く見られてる感じが……」
「え……? あー、あっ……いや、その…………今日も可愛いなぁ、って」
もう! と、ミラは顔を赤くしてちょっとだけ怒った。
真面目にやってください! って…………でへへ、可愛いなぁ。
けどミラの言う通り、真面目にやらないとな。
急ぎながらも安全に気を配って、僕達はそれなりに時間を掛けて山を下りきった。
とは言っても……その先も木と背の高い草に覆われていて、まるっきり未開の地って感じで……
「これは骨が折れるなぁ……足元に何があるかなんて分かりゃしないよ……」
「一度どこか、ひらけた場所へ出ましょう。そこからもう一度山の方を見て、向こう側からは見えなかった異常が無いかを確認して。それから……」
一度スイッチが入りさえすれば、以前同様テキパキとこなすミラちゃんだ。頼もしいもんだよ。
ところで、ひらけた場所なんてアテはあるの? と、尋ねると、上から見ていた感じでは、浜の方まで行かないと……というつらい返事が返ってきた。
それは……今日中に戻れないやつでは……っ。
「……アテはありませんが…………方法はあります。その為にもまず、本当にこちら側に人がいないのかを確認しないと」
「方法は……か。分かった、じゃあ…………声出しながら進もうか」
不審者丸出しだけど仕方ない。僕達は大声でマーリンさんの話をしながら草を踏み分けて進んだ。
こういうところが凄いと思う、こういうところは直して欲しいと思う。こういうところは可愛らしいと思うなんて話をしたら、ミラは凄く興奮気味に色々語り出してくれた。
鬱憤、溜まってたんだな。
そりゃそうだよな……お前からしたら大好きな……もうずっと憧れていたスターなんだ。
でも周りの人とその話をしようと思ったら、どうやったって伝承の中の魔導士としての話しか出来ない。
個人として付き合いがあって、かつミラが対等に接せられるのなんて……それこそオックスくらいしかいないだろうし。
いっぱいいっぱいあの人の話をしたかったんだ。本当に本当に大好きだもんな。
「あの方の作るアップルパイは凄く美味しくって、みんなに人気なんです。
実はそれも、街の子供達にもっと喜んで貰おうと日々試行錯誤を繰り返しているんですよ。仕事もせずに。
子どもに喜んで欲しいから、今でも十分喜ばれてるレシピに手を加え続けてる所とか、しかもそれを秘密でやってる所とか。
えへへ。失礼かもしれないですけど、可愛らしいですよね。仕事はちゃんとして欲しいですけど」
「お、おう……愛と恨みがハーフアンドハーフ……」
マーリンさん……こんな小さい子にまで苦労掛けないで……っ。ほんっとうに自由奔放なんだなぁ、あの人。
そもそも僕達と一緒に旅なんてしてたことが、色んな人に迷惑掛けまくってたんだけど。
はあ……帰ったらミラの代わりに怒っとくか。こいつからは言いにくいこともあるだろうし。
「……そろそろ良さそうですね。こちら側には人の気配はおろか、人が住んでいた形跡すらありませんね。一度住んでみて、土壌が悪いから諦めた……ということなら分かるのですが……」
「それなら多少は痕跡が残るもんね。いくらコンクリートなんて使ってないとはいえ、組み上げた木なんかは簡単に土に還るわけでもないし。
全部無くなるくらい昔に試しただけだってんなら、今の人達がこっちに来てない理由としては弱いよね」
そうなんですよね。と、ミラは首を傾げながら僕に近付くようにと促した。
え、何。良い子良い子して欲しいの? とはボケない。良い子良い子したいけど……ぐすん。
僕が側に来たのを確認して、ミラはまたぴょんぴょこ飛び跳ねて周りを見回し始めた。
なんだよ……抱っこくらいしてやるのに。って言うか、方法ってそれ————
「————爆ぜ散る春蘭——改——っ!」
「——ぶぇ————」
————ぇえええいい——っ⁉︎
久し振りに聞いた魔術の言霊は、なんの躊躇も容赦も無く僕達の目の前を焼き払った。
成る程、確かにこれならひらけた場所を確保出来るね! じゃなくて!
「——このおばかっ! そんなとこまでマーリンさんに似なくて良いの! もっとスマートに…………あれ?」
「あいたっ! いたた……た、叩かなくても…………はい?」
どうかしましたか? と、涙目で僕を見上げるミラの姿に…………違う、そこじゃない。
なんだこの違和感。
今、確かに魔術が発動した。
アーヴィンとは勝手が違うから……って、不発になることもなく、しっかりと火炎球は草木を焼き払った。
じゃあ……この違和感の正体は…………?
「…………改…………改ぅ——っ⁈」
「うひゃぁうっ⁈ は、はい……あっ、マーリン様から聞いてませんか?
私が! えへへ。私が開発した、可変術式の言霊です。私だけの! とっておきの魔術なんです。
えへへー。珍しいですよね、こういうのって」
でへへ……可愛い……じゃないやい。
そもそもお前の魔術が僕の中ではベーシックだから、珍しいかどうかは知らな……でもなくって!
改っ! 違和感の正体はこれだ!
「——っ。そう……だね、一応は聞いてたけど……」
「えっへん。コレの良い点はですね、既存の術式をそのまま流用出来ることです。感覚や設定環境なんかを弄り直さなくても良いというのがポイントで……」
既存の術式を、威力調節ツマミ付きの魔術に変えるというものだ。
それを習得したのは、レヴの頃に培った魔術そのままでは、ミラの魔力量に見合っていないから……だった。
あまりにも大き過ぎる魔力消費に体が悲鳴を上げてしまうから、マーリンさん主導で全体的に出力を弱めていったのだ。
その中でミラが辿り着いたひとつの答え、それが可変術式。
だけど……だけど今のミラには……
「マーリン様には感謝しかありません。この術式を習得していなければ、今だってここら一帯を消し炭にするしか方法がありませんでしたし。
いえ……その時は別に低出力の魔術くらい新しく組み上げても良いんですが……」
「そっか…………ここら一帯を………………そっちかぁ……っ」
何がですか? と、キョトンとするおっかない妹の姿に、自分の抱いた場違いな不安を胸の奥底に急いで隠した。
そうだよな……あの火炎魔術、元々のは相当な威力だったもんな。こんなとこでやったら大惨事だもんな。
そうだよ……いや、そりゃそうだわ。威力調節に重きを置いた術式だもの。
今はもう魔力消費を気にしなくても良い筈! やっぱりどこかおかしいんだ! って……僕の思考回路が一番おかしかったよ……
「……アギトさん、見えますか。どうやら……こちら側に下りて来た意味はありそうです」
「え……? 見えますか……って…………っ! あれ……」
ごくり。と、ふたりして生唾を飲む。
障害物を焼き払って確保した視界の真ん中に、僕達がさっきまでいた山の姿がくっきりと映り込む。
最初は何がおかしいのか分からなかった。
けれど……少しして、さっき通った獣道を思い返してその違和感に気が付いた。
あれだけ鬱蒼としていた山の一部に、木の生えていない場所がある。
僕達が手を加えたわけでもない場所に、なんらかの空間がある。
ただ岩場になっているのか、それとも……かつて人間が石を切り出す為に拓いた場所なのか。
或いは…………キャトられているのか…………っ!
そこに何かがあると決まったわけではないが、少なくとも違和感はある。
ミラはその場所をしっかりと頭に叩き込んで、そしてすぐに僕の手を引っ張って突っ走り始めた。
ちょっ……腿が! 相変わらずへっぽこなのは変わってないから! 腿が‼︎




