第十四話【水音】
小屋の周りを散々歩き回って、見つかったのはあの石版一枚でおしまいだった。
文字を彫った鉤や石を割ったノミも見つからなければ、他の石版もそれらしいカケラすら出てこない。
或いは土の中に埋めてあるのかな……なんて考えたけど、もしそうならお手上げだ。
何せ探し回った結果、目印らしいものも見つかってないんだ。
完全に手がかりは途絶えてしまっている……ように思える。
「……アギトさん、明日……」
「うん、多分同じこと考えてた。日が昇り次第、行ってみようか」
こくんとふたりして頷いて、そしてまだ日が沈み切る前にも関わらず小屋に入った。
もしもこれが失われた文明の……滅んだ過去の遺産であるとするのならば、この島のどこかには痕跡が残されている筈だ。
村の残骸でも、遺跡でも、墓でも。
この一枚だけじゃあまりにも弱過ぎる、照らし合わせて解読するなんてとても叶いっこない。だったら……
「おやすみ、ミラちゃん。寒かったらまたくっ付いてきても良いからね」
「ちが——っ⁉︎ あ、あれはつい寝ボケてただけで……っ」
くっ付いておいでよ……ぼかぁさみしいよ……ぐすん。
ミラはお休みなさいとそっぽを向いて、そして小さく丸まってしまった。
多分……また、あんまり眠れないんだろうな。
僕達は明日、村とは反対の——あまり踏み入れていない、山を越えた向こう側へと下りる。
その先に人の気配はしない、これがミラの出した結論だ。
人里は見当たらない、匂いがしない。生活の気配……火を起こせば煙が上がる、道を拓けば木々に隙間が空く。そういった形跡が、少なくとも多少近づいた程度では見つからなかった、と。
そうだ、多少。僕達はこの拠点からその日の内に行って帰って来られる距離でしか活動していない。活動出来ていない。
未知の島である以上、慎重に……というのも当然。
けれど、やっぱり僕が足を引っ張っているのが大きい。
ミラひとりなら、この島の半分くらいはさっさと行って帰って来られる。
見つかって騒ぎになってもことだからと強化魔術を封印したとしても、人がいなければ帰りには解禁出来るわけだし。
移動出来る範囲、最低限確保すべき休憩、持ち運べる食料の問題。あらゆる部分で僕が足手纏いだ。
でも、ミラはそれを口にしない。多分、考えてすらいない。
ただ、もうひとつ……こっちの方がネック。
ミラの様子がおかしい……と、この世界に来てから何度も思わされている。
食欲だとか、不眠だとか、そういうのよりももっと根本的な違和感。
ミラは…………この未知の世界を前に、未開の地を前にしても飛び出さなかった。
僕がいるから、勇者として振る舞わなければならないから。そんなチンケな理由で済むもんか。
かつてのコイツなら、間違いなく飛び出していた。
僕の手を引っ張って、どこで夜を越そうかなんて考えもせずに突っ走った筈だ。
でも……楽しそうにしている、キラキラと目を輝かせて周りを見ている。それも間違いないんだけど……どこか遠慮がちと言うか、その好奇心にあまり踏み入ろうとしてないように見えて……
「…………早く寝なよ、大きくなれないぞ」
「っ⁈ ま、まだ大きくなりますっ! 多分……」
噛み付かれないのはまだ心を開いてないから……だとしても、どうにもミラという人間の性質が変わってしまったように感じる。
勇者としての自覚……成長。悪い言い方をするのならば、感動への麻痺。
大人になって、色んな出来事を体験して。きっとこうだろう、きっとアレと同じだろう。どうせこうだ、所詮今までと変わらない。と、先入観が感動を曇らせてしまっているのかもしれない。
はあ……いつもワクワクウキウキしてたコイツが……なぁ……
夜明けと同時に目が覚めたのは、雨音がうるさかったからだった。
当然、雨も降る。抑えようのない自然現象だし、山の上だから余計に気候も安定しない。しかし……だよ。
「…………うるさ……これ、なんとかならないかな……」
「ちょっとだけ気が滅入りますね。こうも響くとなると……うーん」
小屋の屋根……まあ、瓦なんて無いけどさ。
タンタンッ……と、雨粒がぶつかる度に天井が小気味良く音を鳴らすのだ。
それがどうにも響くと言うか……音の逃げ場が、窓が無いから、ぼわぼわと反響してて……
「……断熱の為……でしょうか。この壁……それに天井には、それぞれ空洞が設けられているようですね。その所為で余計に音が響いているんですけど……」
「成る程……ってなると…………はあ。このうるさいのが無かったら、今以上に寒かったってことなのね……」
本当に断熱目的なのか、そしてそれに効果が本当にあるのかは分かりませんけどね。と、ミラは肩を落とした。
閉め切っていては外の様子も分からないからとドアを少しだけ開けているが、それにしたってあんまりにも寒い。
雨が降っているから……標高がそれなりに高いから。理由は色々ありそうだけど…………はあ、とかく寒い。凍えるよぅ。
「しかし、こうなってしまうと不便ですね。この天気の中で山を下るのは危険ですし、そもそも濡れて冷えた体を温める手段もありませんから。強行で探索に出向いたとしても……あまり良い結果は望めないかと」
「風邪引いたら元も子もないもんなぁ。薬だって手に入るかどうか分からないんだし、食べ物の確保すら安定してないってのに」
この天気では海も荒れてそうだしなぁ。
いくらミラが瞬発力に優れていると言っても、根本的にカナヅチなのは変わってない……筈。
足の付く場所で魚を獲っている今は平気だけど、もし何かの拍子に泳げないことに気付いてしまったら…………そうなったら、魚さえ食べられなくなるかもしれないんだよな。
「……村、大丈夫かな。食べ物とか……」
「保存食は各々の家庭で作っているようですし、それにこれが初めての雨だなんてこともあり得ませんから。備えも雨の日にする仕事も、きっと大丈夫でしょう」
そりゃそうか……そうだよな。
この世界が滅ぶ……なんて、そんなことを聞かされてるからだろう。ちょっとの変化……えっと、違和感とかの話じゃなくて。
昨日とここが違う、アレが足りない。みたいな、そういう些細な日常の変化がいちいち気になってしまう。
あって当たり前の変化、前に進んでいるという証が。
まるで死に近付いて行っているかのように感じられて……
「…………ナイーヴだなあ。雨だからかな……やだなぁ」
「私達は保存食も備えてませんからね……山菜で良ければ急いで採ってきます」
いやいや、可愛い妹をこんな雨の中使いっ走りになんて行かせられるか。
大丈夫だよとミラを制して、僕はゴロンと床に寝転んで暗くて見えない天井を睨んだ。
あー……そういえば水の確保もしてないんだよな。
村に行くまでの間に川があったから、いつもそこで飲んではいたけど……
「…………雨、上がったらさ。とりあえず瓶を作ろうか。それと非常食……ああ、もう。どうしてこんなこと先に気付けなかったんだろ……」
「飲み水と食料の備蓄……すっかり失念してましたね。すみません……」
どうしてミラが謝るんだ。
ダメだ、色々と。悪い意味で浮き足立ってる。
まるで未知の世界にやってきたという興奮、不安。それに、世界を救うなんて大役。
重責はきっと、ミラの判断力や思考能力すら落としてしまっている。
そして……なんとかなりそうだ。と、その日暮らしを受け入れてしまったという心の停滞。
生活基盤はこれで良い。早く救世主としての役割を果たさないと。って、そんな間違った正義感に急かされてしまってたんだな。
「………………? 何してるの?」
やることはあるのに出来ることが何も無いから、僕はただ見えない天井のシミを数え続けた。
え? 飛蚊症……? ち、違うよっ! 比喩だよ比喩! まあ……秋人の方は近視が酷いし……じゃなくって。
そんな僕の耳に、ガリガリだとかゴリゴリなんて音が聞こえてきた。
音の方に目をやれば、ミラが何やら…………?
「はい、日記を付けているんです。前にも言ったと思うんですけど、物忘れが激しくなってしまって……」
「あー…………もしかしてあの石版も、こうやって暇だったから付けたもの……だったりして」
それなら平和で良いんだけどさ。
いや、良くない。アレに世界崩壊の手掛かりが……なんてのもまた物騒で嫌だけど、なんの手掛かりにもならないオチが一番キツイ。
解読にも相当時間を掛けないといけなさそうなんだからさ、それなりの情報は詰まってて欲しいものだ。
「……日記って何を書いてるの? そういうのやったことないから……」
「へ? ええと……まずその日の出来事を順に並べて、それからそれぞれを考察して……」
いや、日記って言うか…………観察日記と言うか、経過記録って感じだな。
術師……学者の書くものだし、そんなもんなのかね。
しっかし可愛げが無いと言うか…………今日はどこそこへ行った、楽しかった。あれこれを食べてどれそれを見た。また行きたいと思った。みたいな……小さい子の書く絵日記をイメージしてたもんだから…………いえ、分かっております。
ここにいる我が愛しの妹ミラちゃんは、今年で十七歳。
立派に市長を勤め上げ、そして勇者としてもみんなから慕われる立派な大人なのである。
でも妹は永遠に妹なんだよ、ちっちゃいままなんだよ。分かるだろ。分かれ。
「……私の場合はそれに加えて、魔術的な観点からの推論も纏めたりしていますね。
例えば……雨が降って、虹が掛かったとしますよね。そうしたら……同じ現象を同じ時刻に、しかし気温はどれだけ低くて……と、環境を仮定して、再現する為に必要な術式を組み上げたりします。
これは子供の頃からの癖みたいなものですけど、案外あの石版にもそう言った面白い試みが記されてるかもしれませんね」
「魔術の…………ふーん。なんて言うか……ミラちゃんらしいね。それと……あの石版には是非分かりやすい手掛かりが刻まれてて欲しいです」
ああ……そういえば言ってたね、マーリンさんが。
ミラは環境に応じて魔術を最適化する、それが当たり前のことのようにこなしているんだ……って。
そういう訓練をダリアさんがさせていたんだ、レヴに。
まさか……いいや、順当とも言えてしまうのか。
こんな時にまでレヴの過去とミラの性格とが紐付けられるとは。
「……雨、止まないかな」
タンタンタンと次第に早くなるスタッカートに、一周回って苛立ちよりも眠気を覚え始める。
雨は止む気配も無く、僕達は何も出来ないまま小屋の中に繋ぎ止められてしまった。




