第十二話【ミラ】
布団も無し、暖房も無し。断熱材なんて使われてなければ、日光を取り込むことも出来ない。
故に、寒いというのは本当のことだった。
方便として使ったものの、それに信憑性を持たせるだけの環境は整っていたのだ。
しかし……
「……? あったかい……」
今朝は随分と暖かかった。
全身を羽毛布団で包まれたような……と、そこまではいかないけれど。
十分快適に感じるくらい、背中だけは凄く暖かくて……背中?
「——っ」
首だけゆっくり振り返れば、そこにはミラの姿があった。
穏やかな顔で、健やかな姿で。僕の背中に控えめにくっ付いて、身体を丸めた小さな妹がいた。
小さな手で僕の服をギュッと掴んで、すうすうと静かに寝息を立てている。
「————ミラ——っ」
——どうして————っ。
どうしてこんなにも——遠い——っ。
すぐそこ、手の届く所にいるのに。
抱き締めてやれる所にいるのに……っ。
抱き締めようにも、手を触れようにも、今の僕とミラとの距離はあまりにも——遠過ぎる————っ。
「——おねえ————ちゃん——」
「——ミ————っ」
もう寂しくないと、僕は帰ってきたんだと。そう言って抱き締めたい、震える小さな身体を暖めてやりたい。
なのに……っ。
もう、コイツの中に僕はいない。
求める家族の中に、僕の姿は無い。
あの旅の中で失った三人の家族。ダリアさん、神官さん、地母神様。コイツにとっての家族は、ハークスのその三人だけ。
決して……決して僕じゃない。
ただそれだけが苦しくて……つらくて……
「——んん——ふわ……ん…………んん……? マーリン様————ッッッ⁉︎ ぴゃぁああっ⁉︎」
「っ⁈ お、おはよう、ミラちゃん……?」
寝ぼけ眼をぱちぱちさせながら、ミラはゆっくりと状況を把握した。
把握して……顔を真っ赤にして飛び退いてしまった。
ああ……そう、今の僕達は……こうなんだ。
ごめんなさいとかどうしてとか、色々とパニックになってるミラの姿にそんな諦念も湧いてくる。けれど……
「……うん、おはよう。よく眠れた?」
「あぅう……お、おはようございます。おかげさまで……」
けれど、決して寂しいとは思わなかった。
このミラも、間違いなくミラなんだ。どうして寂しいなんて思えるだろうか。
かつてのように愛らしい姿で、無邪気に振る舞うミラなんだ。
ただちょっと記憶に障害があるだけ、ただ思い出を共有出来ていないだけ。
これからいくらでも取り戻せば良い……って。かつてと変わらぬその笑顔に、そんなことを思えるのだから。
だから……寂しいとは思わない。
「さ、さあ! 今日も張り切っていきましょう! なんだか身体も軽いですし、どんな脅威も追い払ってみせますよ!」
「頼もしいね、流石ミラちゃん」
ほらほら。と、ミラは慌ててドアから飛び出して、そして外から僕の名前を呼んだ。
バカアギト……ではなく、アギトさん、と。
力強いその声に引っ張られるように、僕もそのドアを潜って——
「——? あれ————」
——何かを——忘れているような——?
小屋から出てミラに引っ張られるように山を下り始めて、不意に僕は違和感を思い出した。
そう……思い出した……のだ。
何かを忘れている、それも大切なことだ。
ふとした時に思いついたことじゃなくて、大切なことだとずっと意識していた————
「————なんで————なんでまだ————」
「? アギトさん……?」
——なんでまだここにいる——?
せり上がってくるのは、違和感から変質した不安、恐怖。
ちょっと待て、ここはどこだ。
山の中にいて、ヘンテコな小屋があって。
今から向かう場所には村があって、人々の生活があって。
けれどどこにも——故郷が存在しない——っ。
「切り替わってない……っ。二日経っても……まだここのまま……っ!」
まさか——まさかマーリンさんとの縁が——っ!
思い浮かんだのは、かつて僕自身に訪れる筈だった最期……予言された末路だった。
召喚の縁が切れ、そしてあの世界に居られなくなる……と。
あの時とは逆だけど……もしかして僕達は、マーリンさんとの紐付けが外れてこの世界に————っ。
「どうかなさいましたか? 顔色が悪いですよ……?」
「えっ……と、うん。大丈夫……弱気になってるだけ……だから……」
お、落ち着け。落ち着くんだアギト。
マーリンさんだ。星見の巫女、大魔導士、片翼の天使……は、僕が勝手に呼んでるだけ。ともかく、あのマーリンさんなんだ。
問題が起きていると分かれば、きっとすぐに対処に当たってくれている。
あの時レアさんは言った。縁が切れかけている、と。すぐに分かったと言っていた。
だったらあの人にも分かる筈。本当に凄い人なんだ。
「……ふーっ。落ち着け……落ち着け……っ。マーリンさんだぞ……あのマーリンさんだ……っ」
いつも優しくて、僕達のことを考えてくれていた人。
チートじみた能力を持っていて、魔術については他の追随を許さない規格外の自称魔女。魔性の女という意味では……間違ってないけど。
そうだ、信じられる筈だ。あのマーリンさんだ。
いつも助けてくれた、いつも笑顔にしてくれた。
いつも抱き締めてくれた、いつもその……ふにょんふにょんで……でへ、柔らかくて……ごほん。
いつもからかってばかりで……いつも良い匂いがして……でへへ。
いつもポンコツで可愛らしくて……いっつも説明が足んなくて……?
「…………? あれ……今なんか……悪寒が……」
「だ、大丈夫ですか⁈ あわわ……く、薬……薬草を採ってきます! ポーションなんかもよく作りますから、こう見えて薬剤についての知識も持っていますので! 寒気以外にも症状はありますか⁉︎」
ああ、えっと……お前は甲斐甲斐しくて可愛いなぁ。胸がきゅぅんってなって苦しいよ……って、下手なこと言うと鵜呑みにするな、今のコイツは。
体調は平気、すこぶる元気だよ。と、答えると、ミラはそれ以上は追求してこなかったけど……うろうろと僕の周りを心配そうな顔でうろつき始めた。
相変わらずだなぁ、可愛いなぁお前は。さて……
「……まさかとは思うけど……いや、うん。そうだよな……あの人にとっては……これが普通なのか……」
「あの人……マーリン様がどうかなさいましたか?」
あ、通じるのね。そっか……問題があった時に、まず真っ先に名前が浮かぶと思われてるんだな、あのポンコツ。
さて、状況の整理だ。
この世界へ来て今日は三日目。本来ならば、切り替わって元の世界へ……この場合はアーヴィンへ戻っている筈……というのは、僕の視点からの話。
そうだ。あの切り替わりを繰り返す召喚は、あくまでレアさんによるもの。
「……そんなの知らないって言ってたもんな……うん。大丈夫、帰ったらちょっとあのポンコツシメるけど。何も問題は起きてないよ」
「えっと……あ、あんまり酷いことはしちゃダメですよ……?」
そう言いながらも強くは止めない辺り、普段もポンコツ発揮しまくってるんだな?
マーリンさんにとっての召喚は、何度も何度も行ったり来たりするようなものではない。
これはかつて勇者を呼び出した時に、そういう風にはしなかったからだ。
切り替わる召喚の方がおかしい……そもそも召喚自体おかしい話なんだけど、それは良くて。
「これ、期限はあるのかな……って。世界を救ったら、或いは救えなかったら。その結末を見届けるまでは戻れない……なんて、そんな話なのかな? ってのを……」
「あっ…………そ、そうですね……召喚が何日継続するのか……教えて貰ってませんね……」
あのポンコツ——っ! どうしてもどこかでポカしなくちゃいけない呪いでも受けてるのか!
帰ったらとっちめてやる! ごめんね……って肩を落としてしょんぼりする姿が目に浮かぶわ!
かっわ——っ! ちくしょう! 可愛いなぁ! イメージの中のマーリンさんも可愛いなぁ!
ロリババアって良いよね! ロリ要素もババア要素もちょっと中途半端だけど!
「……途中で帰らされる可能性があるなら、急いだ方が良いのかもね。それこそ……」
「……こちらから動いて、終末を招き入れてでも……ですか」
まあ……そうなっちゃうよね。
僕達にどれだけの時間が残されているのか分からない。その事実は、昨日のピクニックみたいな緩い気分を一瞬で吹き飛ばす。
そうだ、僕達から動かなくちゃいけない可能性もある。
なんらかの方法で訪れるその不明の滅びを、そのきっかけを。見つけ出して引っ張り出して、そして対処しなくちゃいけない可能性が。
「そうとなったら……アギトさん、作業を早く終わらせましょう。拠点を安定させて、早くこの島全体の探索を」
「うん、そうだね。どうなってるのか分かんない以上、急いで損は無いもんね」
はい! と、ミラは元気に返事をして、そしてもの凄いスピードで山道を駆け下りて行った。
はっや……相変わらず運動神経どうなってんだ……いつか本当に野生に帰りそうだな。って、ボーッとしてる場合じゃない。
アイツは多分、昨日の僕の様子を見て、先に漁に出ようとしてるんだろう。
役に立たないからほかっていこう……とかではなくて、ぐすん。
苦手な分野なんだ、なら私がフォローしなくちゃ! みたいな……え? 一緒? ち、違うわい!
僕が追い付く頃には、予想通りと言うかなんと言うか……既に漁は終わっていた。
みんなに褒められて嬉しそうにしてるミラの姿は誇らしくて、それで……
「えへへ、いっぱい獲ってきました! ご飯にしましょう、アギトさんっ!」
「……うん、でへへ」
褒めて褒めてー……と、昔と同じ顔で笑うもんだから……えへへぇ、可愛いなぁ。やっぱりうちの妹が一番可愛いわ。
何? なんなの? 天使なの? 人々を幸せにする為に生まれてきたの?
お前が生まれた時点で世界は既に幸福だよ! でへへぇ。
「でへ、ミラちゃんは凄いねえ。よしよし」
「ひゃぁうっ⁉︎ こ、子供扱いはやめてくださいっ! もうっ!」
よしよし、いい子いい子。と、頭を撫でてやると、顔を真っ赤にして抵抗するのだが……残念ながら撫でられたい欲はまだまだ残ってるらしくて、逃げ出さずにその場でされるがままになっていた。
村のみんなもそんな僕達のやりとりを見て、こぞって可愛らしい少女を撫でては褒めちぎる。
いい子いい子、ほんっとうに可愛いねえ。
「……変わらないなぁ、お前は」
「あぅ……あうう……ふにゃ。えへへ……」
みんなにいい子いい子され続け、流石に堪え切れなくなってミラはふにゃふにゃになってしまった。
さっきあんなに意気込んでいたのに、もうすっかり子供の顔だ。ま、ミラはこうじゃないとね。
良いんだよ、張り詰め続けなくったって。僕達の旅はいつだって緩んでたんだから。




