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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第六十四話


 ふう、いいお湯でした。色んな意味……いえ、別に。ヤマシイコトトカアリマセンヨ? 数十分、お湯がすっかり冷めるくらいの長湯から上がると、ミラは既にベッドで横になっていた。本当に……もう少し警戒心ってものをだなぁ。僕はその小さな背中に、次第に芽生え始める親心にも似た感情で叱ってやりたくなった。

「……おやすみ、それからお疲れ。いつもありがとう」

 今朝の魔獣の事だけじゃない。初めて出会ったあの日からの積もり積もった感謝を、眠ってしまった背中を相手にしてようやく吐き出せた気がした。独り言の筈なのになんだか気恥ずかしくなって、意味も無く咳払いなんてして空いたベッドに潜り込んだ。今日はもう眠ろう。動けなくなるまで徹底的に戦う少女の姿は容易に想像出来る。そしたらまた、僕がおぶってやらないとな。シーツを被り、一人で笑いながら噂の少女の寝顔でも拝んでやろうと何気なく寝返りをうった。うったら……

「………………まだ起きてらっしゃったの……?」

 ただでさえ大きい目を見開いて、彼女はこっちを見ていた。やめて! 分かってるんです! 恥ずかしいやつだって分かってるんです! お願いしますから見なかったフリ聞かなかったフリをしてください‼︎

「……こちらこそ。付き合ってくれてありがとう。おやすみなさい」

「…………おやすみ」

 微笑んで彼女はそう答えてくれた。嬉しいけど、それはそれでもっと恥ずかしいんです! はい! おやすみなさい! 僕は両手で顔を覆って、消え入る様な声で返事をしてすぐにシーツを頭から被った。どゔじでごんな目に‼︎

 目を瞑ってからかれこれ二十分は経過しただろうか。全く寝付ける気がしない。不安や緊張感からでは無い。恥ずかしさからでも無い。ただ、この旅の楽しさに高揚しているからかもしれない。楽しみどころはよく分からないし、新天地ってのも今更な事なのに。ワクワクして眠れやしない。安全な寝床に、ようやく得た旅の実感に浮かれているのだろうか。

「………………ッッッ⁉︎」

 どうやら浮かれているのは僕だけでは無かったみたいだ。そういえば、ナチュラルに同部屋な事をスルーしてしまっていた。僕の背中に押しのけられたシーツの隙間から入り込んでくる冷えた空気と、少し遅れてもっと熱っぽい生き物の体温が触れる。

「ちょっ、ちょちょちょちょっとミラさん⁉︎ 今日はお布団柔らかいでしょ⁉︎ 広々快適安眠空間でしょ⁉︎ 抱き枕なら必要無いでしょう⁉︎」

「…………落ち着かない」

 はい? 落ち着かないって……抱き枕生活そんなに長く無かったと思うんですけど⁉︎ それとも…………えっ⁉︎ もしかして、フラグ立っちゃってる⁉︎ 回収のチャンス⁉︎

「………………こんな柔らかい布団知らない……カビ臭くない……今晩だけでいいから……お願い……」

「ハイパー無礼者だな君は。まるで俺の背中にあのオンボロ実家の煎餅布団の面影を感じるかのような言い草」

 フラグとかあるわけもなかった。ねえ…………ねえ! 黙んないで! 否定して⁉︎ せめて何か言って⁉︎ お風呂入ったよ⁉︎ ねえ⁉︎ 僕そんなに臭いの⁉︎

「……何か言っていただけると…………ミラ?」

「……すう……むにゃ…………」

 よし、こうしよう。僕の背中が大きくて、温かくて。慣れ親しんだ匂い……いえ、あの煎餅布団では無く。頼りになる男のカホリがして、とても安心出来る空間がここにある、と。だからハイパー寝付きが良くなるのだと。こう解釈しよう。よし、問題ないな! 結局抱き枕じゃないですかヤダーーーっ‼︎

「……起きたら文句言ってやる……」

 僕も目を瞑って眠ることにした。未知の高揚に比べたらこのドキドキにはもう慣れた。慣れなきゃ夜が越せないから仕方無いよね。ため息もそこそこに目を瞑って、僕は知らぬ間に眠りに落ちていった。


 なんの前触れもなく僕の瞼はパチリと開いた。背中はまだ温かい。と言うかそこは寝汗いっぱいかくんで……臭いが心配なんですけど……っ。時間は……そういえばこの部屋には時計が無い。良い宿屋っぽいのに意外なことだ。なら外を見れば……って、もうとっくに陽が高くなってる⁉︎ チェックアウトとか大丈夫です⁉︎

「ミラ! ミラ起きて! もう朝……ミラ? ミラ⁈」

 いつも僕より早起きな少女は、まだ夢の中の様だった。不意に彼女が昨日飲んだ霊薬のことが頭をよぎり背筋が凍る。まさかまた身体に異常が……っ⁉︎ それに彼女は街から出たことがないと言っていた。慣れない環境に体調を崩して……まさか大病を患ったり……魔獣が遅効性の毒を持っていたとか……っ⁉︎

「ミラ! しっかりしろミラ! お願いだ! 目を開けて……っ! ミラ‼︎」

 僕は急いでしがみついていた腕を解いて、ぐったりしている彼女を抱きかかえた。脈はある。早くもない。体温は……ええい! 平熱なんて知るか! いつも通りかちょっといつもよりあったかいわ! 発汗はあるけど……寝汗か? 息も普通で、苦しそうにしている様子もない……けど……

「…………ミラ……? どうして何も……」

 彼女は何も答えてくれなかった。気付けば僕は彼女をおぶって部屋を飛び出していた。誰でも良い、どこでも良い。魔術と錬金術の街クリフィア! お願いだ! その魔法みたいな力を貸してくれ! ミラを‼︎ ミラを助けてくれ‼︎

 僕が脇目も振らずに走って辿り着いたのは、あの二人の大きな屋敷だった。知っている顔がここにしか無い、と言うのが半分。特級の錬金術師にミラ以上の魔術師という信頼出来る肩書きに頼ったのが半分。おうと呼ばれる少年は僕らに対して、この街の中ではまだ友好的だった。ノーマンと言う男も、礼儀を重んじているだけで、きちんと謝れば対応してくれそうな——少なくとも、少年の方よりも常識をずっと持っていそうだった。僕はドンドンと強く屋敷の大きな扉を叩いた。そして中から二人が出てくるのも待たず、またその入り口をこじ開ける。

「すいません! 誰か! お願いします! ミラをっ‼︎ 誰か‼︎」

 言葉がうまく出てこない。とにかく僕は千切れに千切れた思考回路で浮かぶ単語全部を必死で叫ぶ。誰でも良い。罰なら僕が受けるから。誰か……

「……また貴様らか。一宿一飯の礼すら欠くとはな。翁の御殿で、騒々しいぞ」

 昨日とは違う、上ではなく奥の方から男はやってきた。僕は急いで向かいあって膝をついて頭を下げた。

「お願いします! 非礼は謝ります! 罰も俺が受けます! だから‼︎ ミラをっ‼︎」

 まだ背中の上でグッタリしている少女を——ミラを助けて欲しい。僕は精一杯それだけを乞う。平謝りする僕に、彼は一体どんな顔をしているのだろう。侮蔑だろうか、呆然だろうか。なんでもいい。どう思われてもいい。とにかく僕は……

「……顔を上げろ。アギト、と言ったか。娘とは違いお前は話が出来る男の様だ。魔力も使えない小僧だと思っていたが、見所はある。だが翁はまだお休みだ、静かにしろ」

 昨日聞いたのとは随分違う優しい声色に、僕は恐る恐る顔を上げた。見下していたあの冷たい眼差しではなく、慈悲深い優しい顔でノーマンは僕の前に膝を下ろした。

「どうしたのだ。小さな声で説明せよ。決して。決して翁の睡眠を邪魔するで無いぞ」

「〜〜〜〜っ! ありがとうございます! 実は……」

 僕は事情を事細かに説明した。と言っても昨日の出来事全部と、それから今朝の事だけだ。話をしているだけで涙がボロボロとこぼれてくる。彼はそれを笑うでもなく真剣に取り合ってくれた。

「……分かった。診てみよう」

 そう言って彼は奥の部屋……実験室か何かも分からない部屋へと僕達を案内した。そして、見るからに硬そうな、手術台みたいな長方形のベッドにミラを寝かせる様に指示をした。僕はただ頷いて言う通りにする他に無い。背中が痛いかもしれない。ごめんな、我慢してくれ。誰かをこんなに心配したのは初めてかもしれない。途切らせる事なく僕は声をかけ続ける。

「……やはり、この娘…………」

「やっぱり何処か悪いんですか⁉︎ お願いします! 俺に出来る事なら何でもします! メズにだって——この体だって差し出すから! 助けてください‼︎」

 表情が曇ったノーマンに、僕は必死で頼み込む。しかし、意外なことに彼はそんな僕を見て、ふふっと笑って嵌めかけていた手袋を外した。

「…………眠っているだけだ。過労か睡眠不足だろう。まだ幼いのだから無理もない」

「……眠って…………」

 ひ…………人騒がせな————っ‼︎ いえ、人騒がせは僕なんですけども。それを聞いて、僕は膝から崩れ落ちた。愕然、呆然、唖然と言ったところだ。全くなんて人騒がせで寝坊助な……

「……ほら、涙を拭け。まったく、大変な主人を持ったな」

「…………ええ、本当ですよ。お騒がせしました」

 これは安堵の涙なんかじゃないからな。差し出されたハンカチで止まらない涙をぬぐい続ける。ああ、良かった。全部杞憂だったんだ。全身から力が抜けて、立ち上がるのはもう少し無理そうだ。だが……うん、もう一度言う。これは、安堵の涙なんかじゃないからな‼︎ 馬鹿ミラ‼︎


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