第十一話【後悔の楔】
村の人達とも仲良くなったが、それはそれとしてもさっさと拠点に戻らなければならない理由もあった。
と言うのも、僕達はまだこの世界に訪れるらしい驚異について何も知らないのだ。
気付けていないのか、それともまだ予兆すら無いのか。
それが分からない以上、優先すべきはあらゆる事象に対処する為の備え。
その一歩目は……どうしても、自分達の生活の基盤を安定させるというものになる。
まあ……とどのつまりよ。
「はあ……はあ……ひぃ。ま、待って……腿が……腿が張り裂ける……っ」
「あはは……が、頑張ってください」
ひぃん、脚がもげるぅ。
この身体が以前の身体能力をそのまま引き継いでいるのか…………ええっと…………なんで自分で自分をこんな…………いや、やむなし。
結局の所、アーヴィンで目を覚ました僕は……僕の身体は、以前のアギトのもので間違いないのだ……と、思う。
なんとなくだけど、凄く馴染んでいたと言うか……治癒でほとんど消されたっぽいけど、見覚えがある傷がちゃんとあって。どこにも違和感というものが無い。
マーリンさんが新しく身体を準備してくれて……って、そういう話ではない……っぽい。再構成がどうとか言ってたしね。
でもこれは……この世界にやって来た僕達は、そうであって——そうでない。
「…………どうせなら……身体能力も……って、そういうわけにはいかなかったのかな……?」
「……? どうかなさいましたか?」
この身体もまた——違和感なんてどこにも無いのだ。
この異変……あ、いや。不変について、ミラは疑問なんて抱いていない。
僕と違ってこれが初めての召喚だし、そもそもとして……僕だけなのかもしれない、これに気付くのは。
僕はアギトと秋人というふたつの肉体を行き来していた。だから、なんとなくだけど…………こうして活動している間にも、アーヴィンでアギトの肉体は眠っているのだと理解出来る。
でも、きっとこの切り替わりってメカニズムが無ければ、元の肉体がどうなってるかなんて分かるわけがない。
それは理解出来ないとかじゃなくて……ええっと、なんて言うのかな。
「えっと……さ。ミラちゃんは……今、アーヴィンで自分がどうなってるか、分かる?」
「へ? アーヴィンで…………? 言われてみれば……こうしてここに来てる間は、市長不在で仕事が滞ってます……よね……………………ひいぃっ!」
いやっ、ちが…………ごめん、変な不安を煽っちゃった。
普通は……元の身体とまるで変わらないものがここにあるのだから、そのままやって来たのだと考えてしまう。
直感的に、もうひとつの自分の体があるとは考え難いと言うか……気持ち悪いよね、それだと。
だけど、実際はアギトもミラもアーヴィンで眠ったままなんだ。
「…………この身体は、アーヴィンにいた俺達の身体じゃない。凄く気持ち悪いと言うか……変な言い方になるけど、これはマーリンさんが準備した別人の身体に入っているようなものなんだ。
ほら、服とか全部ここに合わせた感じになってたでしょ?
だから…………どうせなら、身体能力も上手いこと向上させておいてくれれば良かったのに……って」
「…………っ! 成る程……言われてみれば。肉体ごとこちらに来ているとすれば、それはもう転移か転送か……いえ、それ以上の。魔法の領域に…………召喚術式も魔術と呼ぶには異質なものですが、物理的な肉体の転送よりはマシに思えます。ふむふむ……やっぱりそこは普通の召喚術式と変わらなくて……」
召喚術式では、肉体を準備してそれに呼び出した精神を定着させると言っていた。
でも……それをまさか、主観的に捉えられる変態はそういないだろう、と。まあそういう話。
いやだって…………相当気持ち悪いよ⁇ アギトと秋人の時はまるで違ったから、まだなんとなく……あれ、なんで違ったんだろ。
アレかな……レアさんが太ったおっさんは嫌だって……ぐすん。
いや待て、ミラと同じくらいの歳にしようとした……という可能性は無いか……?
実際アギトとミラは大体同じくらいの…………同年代のぉ…………うん、六年前ともなれば、このアギトの身体もまだ小さな少年になる予定だった筈だし。
元々はそれをイメージして作って、でも思ったより成長して召喚されて…………脱線が酷い。
「…………これをさ、ミラちゃんが変な時に気付いたら嫌だったから先に気付かせておこうと思って。そんで……釘を刺しておこうと思ってね」
「ぶつぶつ…………へ? 釘……ですか?」
そう、釘。と、答えると、鉄釘なんてどこで見つけたんですか。と、珍しく可愛らしいボケをかましてくれた。
違うよ、そうじゃないよ。てかなんで物理的に刺されると思ったんだ。僕をいったいどんな男だと認識してるんだ。
「……多分、この身体で死んでも、アーヴィンの元々の肉体には影響が無い。精神的な話は別としてね。
だから…………窮地にこのことに気付いたなら、ミラちゃんは自分の命を投げ捨てかねない。そういう子だってのは知ってるから。
だから先に釘を刺しておくよ。もしそんな馬鹿な真似したら……俺は君を許さない」
「——っ。肝に命じます」
って……まあ、それは僕がやったことなんだけどさ。
そう、僕は……アギトは死んでも、秋人は生きていた。
当然、その後の生活に支障が出る程に精神面はズタズタになったけど。あの時は、ミラのおかげでギリギリ踏み止まれた。
そうだ……この戦いにおいて、僕達の命はとても————とても軽くて、そして儚い。
ともすれば一度は投げ捨てても構わないと、凄く危険な思考を引き起こしかねない。
ミラの自己犠牲の精神……いいや、幼い頃から繰り返して来た強迫観念は、いつどこでそういった過ちに至るか分からない。
こいつが忘れてるのを良いことに、ちょっとお兄さんぶって注意しておこう。
あの時の絶望感を、わざわざこいつに二度味合わせるなんて…………っ。
「じゃあ……何かあったら、絶対に生きたまま助けますね。こう見えて私、勇者だったんですから。って……それもご存知でしたね」
「……そうだね。頼もしい限りだ、本当に」
えへへ。と、笑って、ミラはぐんぐんと山道を…………あっ、ちょっ、待って! だから! 腿が! 腿が張り裂けそうなの! マーリンさんが元のへっぽこな僕のまま召喚したから!
拠点に戻り、そして僕達はまた小屋の改造に着手した。
机と明かりを……ランタンを確保しようという話になったんだ。
その日の出来事を纏めておきたい……日課にしている日記を、ここでもつけたいのだとミラは言う。
紙とペンはどうするの? と尋ねると、皮を剥いだ木材に彫って書き込みますと笑顔で答えてくれた。
不便だと嘆かず、有るものでなんとかする。こんな状況をも楽しむこの姿を、今の若い子にも見習って欲し…………え? お前がまずは見習うべきだ…………? な、なんてこと言うの……っ。
「その……えへへ。お恥ずかしながら、物忘れが激しくって。旅の間の出来事も、イマイチ覚えてない部分が多いんですよね。
記憶力は良い方だと思うんですけど……術式なんかは殆ど覚えてますし。
マーリン様がおっしゃるには、魔力の過剰消費の副作用……らしいんですけど……」
「っ……そ、そうなんだ。でも、あの人が言うことはあまりアテにしない方が良い。
ただ……如何にも誤魔化してるな……って時は、多分詮索もしない方が良い。それが最善手として、未来を見た上で判断してくれてる筈だから」
そうですよね。と、ミラはなんとなく嬉しそうにそう言った。
同じ考えだ、やっぱりみんなそう感じるんだなぁ、みたいな。シンパシーに喜んでるのかな。
そりゃ同じ考えに至るよ。だって僕達はふたりで何回もあの人について話をしたんだ。
この結論だって……ふたりで出したんだ。
僕についての記憶が抜け落ちて、自信がある筈の記憶力を疑って日記をつける程不安になってたのか。そんなにも……
「…………俺も無茶はしないようにするから。お互い無事に世界を救ってみせようね」
「はいっ! 任せてください!」
もう……もう二度と、死ぬわけにはいかない……っ。
もう二度とコイツにあんな顔させるわけにはいかない、あんな思いをさせるわけにはいかない。
そして……このままミラを放っておくわけにもいかない。
なんとしても世界を救って、そして僕が帰って来たんだって……家族がちゃんとここにいるんだって、思い出させてやるんだ。
「……そうなったら、ちょっとだけ戦う準備もしっかりしておきたいですね。出来れば金属があると良いんですが……ちょっと、今から鉱山を掘る訳にもいきませんしね」
「あはは、魔具でも作るの? そうだね……本当に謙遜とか一切無しに、俺はイノシシにも勝てないくらい弱っちいから。うん……イノシシは……無理かな。野犬も……うん。うさぎくらいなら……多分、なんとか」
だから、色々頼りっきりになっちゃう。ごめんね。と、情けないことを言わざるを得なかった。
頼りになる兄弟子だと思われたい気持ちもあるけど、やっぱり安全第一。下手に期待させてしまっては良くない。
本当に……ほんっとうに役に立たない雑魚なんだって、足手纏いがいつもくっ付いているんだってのを理解しておいて貰わないと。
ま……そんな状況でも今のコイツなら、何が来たって余裕でぶっ飛ばせると思うけどさ。
「……魔具にも精通してるんですか? えへへ……マーリン様の物に比べたらまだまだですけど、結構自信があるんです。もし作る機会があったら見て下さい」
「精通って言うか……うん、まあ。魔術も何も使えないからさ、護身用に持たされてた時期があったって感じかな。殆ど使うまでもなかったよ、頼もし過ぎるボディガードがついてるんだから」
本当に凄い方ですよね。と、ミラは今頃アーヴィンで何してるのか分からないマーリンさんに思いを馳せながら、うんうんと頷いていた。
あはは…………お前のことなんだけどなぁ。
凄く強くて、頭が良くて、可愛らしくて。本当に頼もし過ぎる家族に、いっつも護られてたんだから。
僕達はその日の殆どを家具作りに費やして、そしてまた星空を楽しんで眠りに就いた。
こんなに美しくて平和な世界に、果たしてどんな脅威が待ち受けているのか。
明日への期待とその次の日に対する不安を抱いて、ただゆっくりと目を瞑る。
カタカタ、カチカチ。と、背後から小さな音がした。
夜中に不意に目が覚めて、そして僕達以外誰もいない筈の小屋の中からそんな音がしたもんだから…………ゾッとして意識は一瞬で覚醒した。
背後にはミラしかいない筈。
そうだ……ミラが何かしてる音だろう、そうに違いない。
アイツが夜なべして魔具でも作ってるんだ。
驚かせてやろうって、そんな悪戯心を——————っ。
「————っ」
————この——バカアギトが————っ。
ゆっくりと振り返って、そして僕は急いで——それでも音を立てないように、元の姿勢に戻って目を瞑った。
なんでこんなことに気付かなかった、当たり前のことに気付けなかった。
バカアギトだ……本当に、大バカアギトだ……っ。
音の正体はすぐに分かった。
小さな肩を震わせて、縮こまって震えているミラの口が……歯がぶつかる音だ。
震えるほど寒い……なんて、そんなくだらない勘違いも生れようもない。胸の中で、かつての自分の行いを詰る。
ここには——今のミラには、もう心を穏やかにしてくれる相手がいない。
僕との記憶が失われている——それは、やっと出来た居場所を失っているということ。
怖くて怖くて、寂しくて、つらくて。
でも、背伸びをし続けなくちゃいけなくて。
そんな日々から抜け出したあの時のことを、今のミラは覚えていない。
僕がアーヴィンに来たばかりの時の、誰からも愛して貰えないのだと自分を否定していた頃のままで、アイツは止まってしまってるんだ。
「——ミラちゃん、まだ起きてる……?」
「とゎ——っ⁉︎ わっ……えっ…………お、起きてますっ!」
ごめっ…………ん、脅かすつもりじゃ……ごほん。
意を決して、僕はミラに背中を向けたまま声を掛けた。
このまま放っておいて何が家族だ。
僕の知ってる家族ってのは、いつだって寂しい時にはそばに居てくれたんだ。
覚えてないからなんて理由で日和って距離を取るような関係を、僕はそんな関係を家族だなんて教わったことは一度も無い。
「……ちょっとさ、寒いから。もうちょっとだけ……近くで寝ても良い? 寒くて……うん。それと……怖いからさ。
流石に知らない場所……ううん、全く知らない世界に来てるんだ。かっこ悪いとか思わないでよ? これが普通の人間の反応なの。君やマーリンさんがおかしいんだから」
「っ。近く…………ひぅう。わ、分かりました……」
え、何その可愛い鳴き声。
ゴロンと寝返りを打って距離を詰めようとすると、でもあっち向いてて下さいねっ⁉︎ と、肩を押さえられてしまった。
なんだよ……寝顔見られるのそんなに嫌かよ。
いっつもヨダレ垂らして僕に噛み付いてた癖に。でも……
「おやすみ、ミラちゃん。寒かったらもうちょっと寄ってもいいからね」
「は、はいっ! お、おやすみなさい」
目を瞑ってしばらく様子を見たけど、その後はもうガチガチいう音は聞こえなかった。
ちょっとでも気を紛らせてやれたなら……この際、どんな形でも良いかな。
今度こそゆっくりと休もう。明日もまた、いっぱいやることあるんだから。っと……その前に。
今日は二日目だったから……明日、マーリンさんに色々相談して…………




