第七話【箱】
僕達は村を後回しにして、まず木々の生い茂る山へと登っていた。
さほど大きな山ではないが、ここからならきっとこの場所の状況が把握出来るだろう……と。
やれやれ……どうしてもふんわりゆるゆるな言葉を使わざるを得ないのがね。
ここがどんな世界なのか、そしてこの村はいったいどこに存在しているのか。
島なのか、半島なのか、それとも大陸の端に過ぎないのか。
言葉は、文字は、そして食物や居住様式は。
ありとあらゆるものが不明で、全てを自分達で解き明かさないとならない。
「むむ…………むむむ……ふむ」
「おーい、ミラちゃーん。何か分かったー?」
はいっ。と、今こうして元気一杯に返事をしたミラが、かつて僕がアーヴィンへとやってきた時には、全て説明してくれた……訳ではないけど。
でも、コイツがいたから……その世界に住む召喚者がいて、その庇護の下に行動していたからこそ、かつての僕は生きていられた。
しかし今回、召喚者は元の世界に残ったまま……と言うか、これって召喚で良いのか……?
喚ばれてないんだよな……勝手に乗り込んだだけで……
「どうやらここは島……それも、そう規模の大きくない孤島のようです。と言ってもまだ半分なので、恐らくは……と言う話ですが。
元の世界の常識がそのまま当てはまるのであれば……と。やはりこのままもう少し登って、しっかり島の全貌を明らかにしておきましょう」
「うん、そうしよう。頼もしい限りだ、ありがとう」
いえいえ。と、誇らしげに胸を張ってまたずんずん先を登り始めた少女の、その人並外れ過ぎている能力を以って状況を把握する。
まずは活動の為の基盤作りだ。出来れば早めにキャンプ地を決めてしまいたい。
野宿って結局あんまりしたことないから、洞穴でひと晩……みたいなのは出来れば避けたい、怖いもん……っ。
そうなると……村にお世話にならないのなら、せめて簡易的なテントか何かを作らないと……
「…………? あれは……なんでしょう」
「どうかした……? えっと…………ダメだ、やっぱり俺には見えない……」
しばらく進むとミラは目を細めて行先を睨み始めた。
何か不審なものがあった……のかな。ま、魔獣とかだったらどうしよう……っ。
それでも怯むことなく突き進む頼もし過ぎる勇者の後ろに付いて、僕もずんずんと…………ずんずん…………な、なんでそんなにぐんぐん登っていけるんだ……っ。
「……これ、足元……もしかして雨でも降ってたのかな、ここに召喚される前に」
「雨……うーん、そういう様子は特に見られませんでしたよね。そうだったなら海はもう少し荒れていてもおかしくないし、それに砂浜もしっかり乾いていましたし。いえ、山ですので、局地的に雨が降ったというのも考えられますが……」
ぬかるんでいる……と言うよりも、なんだか…………?
土が凄く滑るのだ。
ええと……これがどういう状態なのかは僕には流石に分からないけど、少なくとも粘り気の強い粘土のような地質ではない。
しかしそうなると…………
「……この森、大丈夫かな。地滑りとか……」
「…………言われてみれば少し……いえ、私達の常識からすれば凄く不思議ですね。これだけ樹木が並んでいて、その根にしっかりと支えられていて。
それにしては……随分ボロボロと……まるで畑の土のように、何度もひっくり返したかのような柔らかさです」
これがこの世界では常識……と、そう言われてしまったらそこまでだけどさ。
でも、基本的なところってあまり大きく変わらないような…………魔術なんてトンチキなものがある時点で、既に僕の知ってる二例はガッツリ乖離してるな。
となると……あんまり気にしても仕方がないのかな?
「崩落の様子もありませんし、あまり考え過ぎないようにしましょう。これがアーヴィンのすぐ側であったなら、その時は災害を防止する為にも全力で調査しますけど」
「まあ……そうだね。地質調査に来てるわけでも、森林保護に来てるわけでもないし」
ただ……もし、この世界の滅びというのがこの地質に関するものだとしたら………………いやいや、無い無い。
よしんばここの地滑りで村が全滅して……と、そういう話だったとしても、別にそれは世界の滅びと呼ぶには小規模過ぎる。
ついこの間、怪物が現れたのをきっかけに生態系が破壊されて滅ぶところだった世界……ってのを見てるからさ。楽観視してばかりはいられないけど……
「…………あれ……いや、もしかしてこういうのって軽視しない方が良いのか……? で、でも…………うん、そうだよな。こういう些細な違いから……」
「アギトさん……? 分かりました、ではこうしましょう。拠点を決めて、それから村へと向かって事情を聞く。それが終わったらこの山を……いいえ、この島を調べましょう。
滅び……なんて、そんな規模の大きな話ですから。あって当たり前の世界を守る機能が欠けている……とか、足元から根本的になんとかしないといけない問題なのかもしれませんしね」
あ、そうそう。そういうこと。
さっすがミラ、僕の言いたいことは全部分かってくれるんだな。ごほん、さておき。
僕達は、滅びかけの世界を救済するという目的で召喚されている。
だったらそれは“既に異変が起き始めている世界”にやって来ているということでもある筈だ。
だからこんな、あり得ない……と言うか、なんだか変だなぁと感じる部分も徹底的に調べるべきだろう。
世界を救うなんて大役なんだ。慎重に、そして丁寧に。
「っと、ところでさっきは何を見つけたの? 俺にもそろそろ……って思うんだけど。流石に視界が悪くて全然見えてこないって言うか……」
「ええと……なんと言うんでしょう。明らかに人工物……ではあるんですが……」
人工物とな。
それってどんな形? 何で出来てそう? と、ついつい捲し立ててしまった。
いかんいかん、ステイステイ。
やっとひとつ目の手掛かりを手に入れられそうだって思ったら気が逸ってしまった。
しかしミラもそんな僕に尻込みしたり怖気付いたりせず、恐らくは……と、見えたものについて説明を始めてくれた。
優秀な妹だ、相変わらず。
「私も木の隙間から覗く部分しか見えないので、正確な形は分かりません。ですが……おそらく、木材で出来ているものかと。
切り出しただけの丸木を組み上げたものではなく、きちんと形を整えられていて……」
ってなると……間違いなく人工物だな。いや、さっきからそう言ってるんだけど。
しかし…………うーん? こんな山奥に人工の……それも…………木造建築…………?
「山小屋……なのかな? でもなんの為に……? 山仕事の拠点に使うなら、もっと適した場所があっただろうし。それこそ麓とか、中腹とか。
一番上まで登ってこないと使えない小屋なんて、使いづらいばっかりだよなぁ」
「そうですね……これもまた不自然と言うか、奇妙です。それに、木を切って運んだ形跡も、ここまで登ると殆どありません。土を掘っても粘土は出て来そうにありませんし、山菜も見かけなければ、そもそもとして人が立ち入った形跡すら希薄で……」
少なくとも、目的があってここまで登ってくる人間は殆どいないのだろう。と、ミラはそう結論付けた。
これは推論や別世界の知らない常識を無視した発言ではなく、状況証拠から推理されたほぼ間違いない解だ。
山菜が生えてない、切り株が残っていない、土を掘り返した様子もそれらの道具も見当たらないし、そもそも足跡や踏み固められた形跡が無い。
ここまで来れば、流石にその答えは間違いないものだろう。この山の頂には、人は殆ど来ないのだ。
「……ちょっとだけ、警戒しておいてください。匂いはしませんし、音もありません。気配も感じませんが……何が潜んでいるのかも分かりませんから」
「…………うん、分かってる。何かあったら逃げること優先でいこう。変に問題を起こすと……この足元だし、どうなるか分かったもんじゃない」
こくりと頷いて、ミラは更にペースを上げて登り始める。
僕は付いていくので精一杯だけど……置いて行かれる程じゃない。マーリンさんに習ったぴょこぴょこ走りが活きてる。
本当にもっとかっこいい必殺技をくれても良かったのにと今でもやや恨んでるけど。
まあ……これにはちゃんと理由と事情と狙いがあったってのは聞いてるんだけどさ……じゃなくて。
更に登れば、流石に僕の目にもその人工物とやらが見えてきた。
木々の間に、綺麗に表面を整えられた、丸みを帯びた小屋のような…………ドームのような……何か……が……?
「……なんだ……これ……? いったいこれをどうやって……ってか、これ……」
「…………基礎がありませんね。これはここに建てられたのではなくて、ただこの場所に置いて保管されている……ということでしょうか。
少なくとも……これを運び込める広い道もありませんから、この場所で造った……というのは揺るがないでしょうけれど」
それは小屋に近いもので、しかし小屋と呼ぶにはそれに必要な機能をいくつか失っているようにも思えた。
まず、玄関……入り口と思しきドアが、少し高いところに付いている。
けれど、そのドアから中に入る為に、ドアノブに手を掛けようにも手が届かない。
そこまで行く為の階段やスロープが存在しないんだ。
木造の建築物……なのだろうけれど、ただこの場所に置いてあるだけで、何も固定されていない。
こんなにも足元が緩いってのに、土砂崩れから守る為の備えも何も無いみたいだし。
「……不思議過ぎるな、これ。まさかとは思うけど……」
UFOじゃないだろうな……? いや、木造のUFOて。
どうなん、ロマンあんまり無い感じするけど、そういうのどうなん。
いくらなんでも庶民的過ぎると言うか…………宇宙人は出来れば未知の金属とか使ってて欲しいけどなぁ。
まあ……未知の木材を使ってると言われたら、それはそれでかなりSFチックでワクワクするけどさ。
「とりあえず入ってみましょう。幸い、これに何かが出入りしている形跡もありません。
私が先に入って様子を見てきますので、アギトさんは周囲を警戒しておいてください」
「うん、分かった。何かあったら呼んでね」
はい。と、ミラは小さく頷いて、そして真面目な顔でするするとその箱をドアのところまで登っていった。
箱……うん、箱。この表現が一番しっくりくるのかもしれない。
あまりにも質素で、ただ中に何かを詰め込む能力だけを持たせた、固定すらしていない倉庫のようなもの。
もしこれが安全で、そして敵…………が、いるのかも分からないけど。エイリアンとかの巣窟じゃないなら、出来ればここで寝泊まりしたい。
ちょっと気味が悪いけど、最初に求めた条件と合致する部分も多い。
ひとまずの最優先事項、いざこざの時に村に被害が出なさそうだという条件は完璧に満たしているだろうしさ。
「アギトさーん、どうやら大丈夫みたいです。人の気配どころか、この中には何もありませんでした」
「了解、俺もすぐ行くよ。ふむ……何も……って……? 何も無いってことないだろうに…………」
こんなものがあるなら、せめてこう……目的があった筈で。
そう、物事には必ず目的があるもんなんだ。
少なくとも、こうして箱を作ったのならば、それにしまいたかった何かがある……とか。
「よっと…………うぎぎ……か、階段作んないと…………っ。これ……」
「……これ……アギトさんはどう思いますか?」
必死に登って入ったその箱の中は、ミラの言う通り何も入っていない空っぽの状態だった。
これが小屋ではなく箱であると、少なくとも居住を目的にはされていないのだと。そこそこ広いこの箱の中に、仕切りも柱も部屋も何も無いところからなんとなく窺えた。
となると……
「…………何かをしまおうとして、けどしまおうとしたその何かが……」
「無くなってしまったか……或いは、まだ……」
も、もしかして僕達がやってくるのを知ってて…………っ。
そ、そんなホイホイ的な罠ある⁈ まあ……無いとも言い切れないのがな……
「好意的に解釈するなら、これはマーリンさんが用意してくれた拠点用の資材……とか。この違和感に答えを出すなら、こんなところかなぁ」
「マーリン様が…………成る程」
ごめん、すっごい適当に言ってるだけだからあんまり本気にしないで。
でも、そういうのはあってもおかしくないよね。
おい、聞いてるかポンコツ魔導師。
褒めてねえからな? いっつも説明が足りてねえよなって愚痴を言ってるんだからな? ったくもう。
「…………とりあえず、寝床は確保ですね。それじゃあ村に向かいましょうか」
ミラはそう言って、箱をさっさと出て僕を急かした。
早く行きましょう、日が暮れちゃいますよ。って、そうだった……っ。
こんなとこに拠点構えたってことは、毎日毎日下って登ってを計算に入れて生活しなくちゃいけないってことじゃん……っ。め、めんどくせぇ…………っ。
やや雲行きの怪しい滑り出しながら、僕達はひとまず寝床と集合場所を手に入れて次のステップへと進む。




