第五話【Dawn】
——ミラだ——っ。
ミラだ、ミラがいる。
ミラが……僕の大切な家族が目の前で笑っている。
ニコニコ笑ってよろしくと手を差し伸べるその姿が、たとえ僕を家族と認識していなくても構わない。
こうしてまた会えただけでも、僕は凄く満足感を覚えていた。
「さて、君もよく知るこのミラちゃんだが……当然、世界を救う勇者としての資質を十分に備えている。人選としては最上のものと言えるだろう。そうでなくても、今この国で一番人々に信頼され憧れられる時の英雄だ。僕の心遣いをありがたく思いたまえ」
「もう、マーリン様ってば。私はもう勇者なんかじゃないですし、それに英雄なんて呼ばれてるの聞いたことありませんよ」
ちょっとくらい良いじゃないか。って、マーリンさんは笑って……ミラは……? なんだか呆れた様子でマーリンさんに対してため息をついているな。
はて……こりゃどうしたことか。
ミラと言ったら、マーリンさんにぞっこんで、何やっても何言っても肯定的な態度を示してきたのだが……
「アギト。ちょい、ちょい」
「……? なんですか?」
おや、不思議そうな顔でぼけーっと突っ立っていたら、マーリンさんに呼び出しを食らった。
え、何よ。こいつを前にひそひそ話なんて無駄…………聞き耳立てるような失礼な子じゃないやい! うちの妹はすっごく良い子なんだ! ではなく。
「ちょっ……近い…………ふぐぅ……」
「今はそういうの良いから。君のことは僕の弟子……ミラちゃんにとっての兄弟子だって説明してある。それと、面識は無いけど一方的にあの子のことを知っているとも。だから、以前のように振舞ってもそう差し支えない筈だよ。あんまり気を使わずにね」
あふぅ……ひ、ひそひそ話やばい、耳から溶かされるぅ。っとと、えっと……?
僕がマーリンさんの弟子……魔術なんて一切使えない魔術師の弟子ってなんなんだよ……っ。
きっとマーリンさんが考えた、以前に近い関係……やりとりが出来る設定をミラに説明しておいてくれたんだな。
それはありがたいと言うか……そうしなきゃいけない現実が寂しいと言うか……
「ほら、行っといで。大丈夫、根本的なところは変わってない。そうだね……まだずっと背伸びをしていて、大人っぽく振る舞いたがるお年頃って感じなだけ。今は背中に乗っかってるものも大きいからね」
「……それでマーリンさんにも冷たい態度を……」
そうなんだよぉ! と、まあ情けないことこの上無い嘆きを背に、僕は目をキラキラ輝かせるミラの前に戻って……ぶわぁっ‼︎ ミラだ……うわぁん! 世界一の美少女、僕の最愛の妹が……ミラがいるんだぁっ!
「えっと……あ、会うのは初めてだよね。よろしく」
「はいっ、よろしくお願いします!」
あれ……聞いてた話と違うと言うか、思ってたより態度が柔らかいぞ?
マーリンさんにあんなにつっけんどんなんだから…………ああ、いやいや。落ち着けバカアギト。
僕はもう知り合いじゃない、初対面でいきなり噛み付くような失礼な子じゃ………………初対面で水ぶっかけられたし、何回も殴られてるな。
「——っ! お会い出来て光栄です! マーリン様から話は窺っていました!
凄いです! 魔術を一切扱えない特異体質にも関わらず、マーリン様がお弟子に取られる程魔術に対する熱意と探究心が強い方だって!
旅の間にも、影で私達を支えてくれていたとお聞きしました。本当に……本当にお会い出来て嬉しいですっ!」
「ふぐぅーっ⁈ ま、眩しいぃーっ⁉︎」
大丈夫ですかっ⁉︎ と、ボケたリアクションを取った僕にも優しく気を使ってくれるうちの妹マジ天使。
いや、しっかし……眩しすぎるな、これは。
幾らなんでも説明盛り過ぎだろ、ほどほどって言葉を知らんのかあのポンコツは。
キラキラ目を輝かせてるのは、これは尊敬だとか羨望だとか……そういうありもしない幻想で、僕を凄い人だって思い込んでるからなのか。
ちくしょう……そんなの秒でボロが出る自信あるぞ…………っ。
「ええと……それから、今回の目的についても話は窺っています。
別世界への召喚……いえ、呼ばれているわけではないのに召喚術式という名前も変ですが。
危機に瀕している世界を救い渡るのだ、と。そうしないとこの世界にも危機が迫ってしまう。そんな未来を見た……と」
「うん、その通り。その通りだよ、ミラちゃん。アギト、ちょいちょい」
おい。そんなの全然聞いてないぞ。
打ち合わせは一回で済ませろこのポンコ…………あっ、こら! 近いってば! 良い匂いがするって言ってんだろうが! くそぅ、いっつもいっつもからかいやがって………………この距離感が心地好い……っ。じゃなくて。
「あの子には記憶については伏せてある。当然だけどね。回り回ってこの世界を救う戦いが別世界に延長したと、適当に話を合わせておいて」
「こんのクソポンコツ……設定がグダグダ過ぎるでしょうが……」
誰がポンコツだ! と、そこには反応するんだなって……やめろってばッ! ぎゅーってするな! 後にして! ミラがいないとこでやって! ふたりっきりの時にいっぱいいっぱいやってぇっ! ごほん。
さて、なんとなく話は分かってきた。
「えっと……? 私で力になれるか分かりませんが、精一杯頑張りますので! よろしくお願いしますね、アギトさんっ!」
「——っ。うん、頼もしいよ。こちらこそよろしく、ミラちゃん」
きゅうと胸が締め付けられ……なんでアンタが一番嫌そうな顔してるんだ。
おい、こら。ポンコツ。そういうとこから察せられるくらい優秀な子だって分かってんだろうが。まったくもう……
どうやらミラの中で、僕は割と頼もしい……尊敬出来る兄弟子、いつも助けてくれていた恩人という扱いらしい。
そして、これから起きる戦いは勇者として——大勢を守る為の、世界を守る為の戦いの、その延長であると。
まだ、あの旅の続きをしているんだと認識しているみたいだ。
成る程、まとめて振り返れば上手いところに落としているじゃないか。
ポンコツとは言え流石は星見の……えっと、いや、もう星見の巫女じゃないってさっき……?
「それでは失礼します。色々お話も聞きたいんですが……これでも市長なもので、仕事は多いんですよ。今晩……いいえ、召喚された先で、きっといっぱいお話を聞かせてくださいね」
「うん、また。頑張っ…………今晩?」
アギト。ちょい。と…………だからさぁ。
もうひそひそ話はしなくていいから、ミラ帰っちゃうから。
またねと手を振って、ぴょこぴょこ跳ねながら嬉しそうに去っていくミラを見送ると、マーリンさんはなんともバツの悪そうな顔で僕を手招いた。
本当にさあ……ちゃんとしてくれよ、このポンコツ魔導師。
「さて……ごめん、そこも話してなかったね。いや……本当にごめん、色々やること多くって……言い訳してる場合じゃないね。
召喚は今晩、この場所で行う。
なーに、君にとっては慣れたものだよ。僕が儀式を行い、ふたりはただ眠りに就けば良い。
目を覚ました時には別世界。君の言葉を使うのならば、それで“切り替わる”筈だ。
いきなりで申し訳ないけど、でも勝手はもう分かってるだろう?
アイリーンという少女を救ったように、君は君のやり方で多くの世界を救ってくれれば良い」
「救ってくれれば……って。カジュアルに世界の救済なんて大ごとを要求しないで下さいよ……うう、お腹痛い……」
気楽に気楽に。と、マーリンさんは笑って……そして、凄く寂しそうな顔で僕のことを抱き締めた。
ちょっ……ほ、本気にしちゃうってば。ああもう! 分かってるけど!
「——ごめん——っ。全部——全部僕の所為だ————っ。あの子が君を忘れているのも、君達がよそよそしく振る舞わなくちゃいけないのも……全部…………っ」
「…………感謝してますよ、こんなの言葉にするまでもないですけど。
夢……見たんです。多分、現実に起きたことを。アギトが死んで、それから埋葬されるまでの夢。
アイツを守る為にやってくれたんだ。そうしなくちゃ、アイツは俺の再召喚を待たずに壊れてた……いいや、既にあの時…………っ」
それでも……っ。と、マーリンさんは肩を震わせて、何度も何度も懺悔を口にした。
その姿は凄く凄く小さくて、かつて僕達の前を歩いていた背中とは随分違う、弱々しいものに見えた。
僕がいなくなった後……この人もきっと、多くの苦しみを味わっていたんだろう。
「……ありがとうございます、マーリンさん。ミラのこと、守ってくれて。俺をまた呼び出してくれて。俺達がまた……一緒に居られるようにって願ってくれて。それだけで俺は……」
「…………アギト……っ」
——ばたんっ! どたどた! と、なんだか元気な音がして——————そして、それはすぐに悲鳴に変わった。
あれ……? ちょ、ちょっと待って⁈ 今そういう流れじゃなかったよね⁈ なんで突然——
「————ぴぃ——っ⁈ し——失礼しました————っ!」
「——ミラちゃん——っ⁉︎ 違うんだ——違うんだよこれは————っ! ミラちゃぁーんッ‼︎」
マーリンさんの叫びも虚しく、何か忘れ物をしたらしくて慌ただしく戻ってきたミラは、顔を真っ赤にしてその勢いのまま逃げ帰ってしまった。
お、おおふ……今そういうギャグ展開フラグ立ってた……?
全然気付かなかったって言うか……いや。僕とマーリンさんではそういう良い雰囲気になる展開すら許されない……と、そういうわけか。ふふ……ぐすん。
しかし貴女、めちゃめちゃ弁明しようとしたね。そんなに僕との間を誤解されたくないの……?
ふふふ……泣く。めっちゃ泣く。ぐす……
今晩。と、あの人がそう言った通りに、僕達は夕食後にまた役所の一階に集められた。
朝あんなことがあったからミラはよそよそしいし、そうでなくても以前のようにじゃれあったり出来ないもんだから……しょぼん、お兄ちゃん寂しいよ。でも……
「さて、準備は良いかな。
これから君達を終わりかけの世界へと召喚する。
目的は世界終焉の阻止、そして因子の回収。
何も難しいことは無い。かつてこの世界を救ったように——大切なものを守る為に。
戦って、勝って、全部を手に入れるだけだ」
「っ。はい! 頑張りましょう、アギトさん」
うっ……頑張りましょうって言いながらも目を合わせてくれない……っ。
くそう……どこからどう見ても色気なんて全くありませーん、食い気優先でーすって振る舞いをしておきながら、その実歳相応に色恋事情や男女の事情に目敏い耳年増系ぶりっ子妹がよぉ……っ。
だけど……うん、大丈夫。こいつはそんなちょっとした事情で…………ちょっとじゃないよな、どう考えても。
憧れのマーリンさんだからな。憧れの相手の熱愛報道(?)なんて、そりゃ動揺するよな。
よし、後で誤魔化しとこ。ええと……な、なんて誤魔化そう。
なんて誤魔化したら…………僕は一番傷付かないのかな……っ。
「じゃ、そういうわけで。もう召喚は終わったから、各自自室でさっさと寝るように。解散」
「…………はい? えっ⁈ 終わったって…………まだ俺達……」
話を聞かない子だなぁ、本当に。と、マーリンさんは僕の顔を両手で……あっ、あふっ……おててスベスベ……はふぅん。じゃなくて!
は、話は聞いてたよ! 寝てから切り替わるんだろ⁈ じゃなくて! 何もしてないじゃん!
なんかこう……術式とかさ、陣とかさ。詠唱とか…………色々あるでしょ、そういうのが。召喚術式ってめちゃめちゃ難しい……
「…………はあ。君は本当におバカさんだね。忘れたのかよ、僕は魔女だぞ。術式なんて、言霊なんて。そんなの僕には必要無いんだよ。君達を召喚しようとした、それだけで十分だ」
「え、ええー…………やっぱりインチキくさいよなぁ、それ……」
インチキとはなんだ! と、マーリンさんは僕に抱き着いて…………だからっ! 今はそれやめ…………違うんだよミラっ! 顔を赤くして目を逸らさないで!
そ、そんなことされたら…………実はそういう関係なんじゃないかって僕が勘違いしちゃうっ‼︎
でへ……そうだったらどれだけ良かったことか……っ。
「ほらほら、さっさと寝なさい。ミラちゃん、君もね。薬は出しておくから」
「は、はいっ! お、お邪魔ですもんね!」
違うんだよ⁉︎ と、マーリンさんはどうやら今の今まで無自覚で……これが誤解の原因になるのだと理解せずにやっていたらしくて、大慌てで僕を突き飛ばした。
ちょっと、扱いが雑。まあ……ぐすん、良いけど…………っ。
「こらバカアギト! さっさと行け! ったくもう、緊張感の無い子だなぁ」
「どの口が…………はあ。まあ、お陰で緊張はそんなにしてないですね。内心ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、緊張しないように和ませてくれてるのかな……って、そう思った俺がバカでした。このポンコツ……」
ぐっ……と、マーリンさんは悔しそうな顔で僕を見送って、そして……ミラの部屋、かな? 隣の部屋へと入っていく音がした。
今更誤解を解きに行っても遅いだろ……ったく。さてと……
「————っ。落ち着け……落ち着け……っ。今まで散々やったことだ……全部……」
世界を救う。そんな大きな話をされたって、とてもじゃないが僕にはピンとこない。
でも……ミラを、アイリーンを。誰かを守りたいって、そういう戦いなら……っ。
ゆっくりと目を瞑って、そして深く息を吸う。
大丈夫、このルーティンは僕にとっては良いものだ。
切り替わりを待つこの瞬間を、僕はあの冒険の間にも、その後の半年の間にもずっとずっと——ずっと繰り返してきたんだ。
一番心が穏やかになる、希望に向けて一歩を踏み出す為の準備。
吸って、吐いて。時たま止めて、更に更に深く————
どぷん——と、また……ああ、成功したんだ。
ここは毎度通るのかな?
暗くて深い水の中、召喚術式の……ええと、中間点? 繋ぎ目……と、あの時アイツはそう言ったっけ。
じゃあ……この先には多分、マーリンさんがいる。
暗い暗い水底を進んで、その先で僕は光を見つけた。
——さあ——行ってこい——
ぐんぐんと世界が上に伸びていく。
光に照らされて道が拓けていく。
これが——これが本来見る筈だった景色——っ。
急浮上していく体の軽さに、僕は少し胸を躍らせて水面から差し込む光の先を睨んだ。
この先に——この先にアイツの記憶が————っ。
「————待ってろよ——ミラ————っ!」
光がどんどん強く、そして広くなっていく。
もうすぐ水面だ。もうすぐ————あと——僅か————
さらさらと細い葉が擦れ合う音がした。
風は頬を撫でて、そして日差しは体を優しく包み込む。
それに、アーヴィンよりも遥かに濃い、青の匂い。
ゆっくりと目を開ければそこは————
「——アギトさん、ここ——」
「——うん。どうやら……成功したみたいだね」
秋人の部屋とも、アーヴィンとも違う空気。
澄み渡った青い空と、それから柔らかく僕を受け止めてくれていた白い砂。
風に揺られる長い葉を持つ木々の影は、歓迎するように僕達に向かって伸びている。
そして——空を写したような広い海。
僕達はまるで知らない世界の砂浜に召喚されていた。
これが——これが僕とミラの、新たな旅の一歩目に——




