第三話【アイムホーム】
「世界を救う…………か」
それはとても急な話で、あまりにも大き過ぎる話で。しかし、確かにかつて憧れた話で。
ハッキリ言って、まだ僕はその話を——ミラの記憶を取り戻す、その為に世界を救うって話を受け入れられていなかった……と、思う。
僕にはそんな大それたこと出来ない、出来るわけがない。そういう前提があるから。
身の程を弁えているとも、臆病にも尻込みしているとも。
けれど……それでも、マーリンさんの言葉はつい頷いてしまうだけの力があった。
やはりこれがカリスマ性というやつか。それとも口八丁というやつか?
「……帰って来たんだな……本当に」
そんな彼女の言葉に想いを馳せるこの瞬間こそ、ある意味では一番アギトらしさを実感するのかもしれない。
さて、そんなマーリンさんだが、今は席を外している。
いや、今更危機感をどうこうとか言うつもりは微塵も無いけど…………星見の巫女様よ、仕事部屋に男ひとり残してどっか行くのはどういう了見だ。
いえ、分かってます。ここがどう見てもプライベートルームも兼ねているというのも、その上で安全だろうと認識されているのも。
じゃなくって、お仕事の見られちゃいけないものとかあるでしょうに。
まあ……そういうことしないって、信頼されてるってことなら……まあ。
「ただいまー、良い子にしてたかい?」
「…………おかえりなさい」
開口一番子供扱いしよって。
さて、ただいまなんて言葉を使った彼女は、今からおよそ十数分前、先にやっちゃわなきゃいけないことがあるから。と、急いでどこかへ行っていたのだ。
自室に年頃の男の子をひとり残してでも優先しなくちゃいけないことなんだろうな、それ。
まあ……僕に対する危機意識は本当に薄そうなので、意外と大したことじゃないのかも……
「じゃあちょっといろいろ見ていくね。それといくつか質問もするから、素直に答えるように。えーっと……まずは身体の具合だね」
「身体の……えっと?」
前みたいなことがあったら大変だろう? と、優しく笑う彼女の言葉に思い出されたのは、後に僕の所為だったと判明した、召喚の縁の不完全さが引き起こした切り替わりの不具合だった。
そ、それは本当に困るやつ! そうか……今回はマーリンさんが召喚し直してくれてるから………………
「そうだ! 召喚術式! ってか……えっと蘇生……っ⁉︎ い、いったい何やったんですか……マジで……」
「あはは……まあ、それも追い追いね。今は昨日の話より今日の話、明日の話だよ。それで、身体に違和感は無い? 以前のように馴染んでる? それとも、痺れがあったり、不自由があったりする?」
追い追いって…………ごほん。
大丈夫ですと答えても良かったのだが、こうして真剣に問診してくれてるのだ。
僕はその場に立ち上がって軽く体を動かして、そうしてから確実な実感として身体に問題は無さそうですと答えた。
うん、本当に無問題。以前となんら変わらない、やや軽くて力強いアギトの肉体だ。こっちの世界基準だとへっぽこだけど。
「ふむ……どうやら肉体の再構成は上手くいってるみたいだね。それに伴っての精神の拒絶反応も無さそうだ……と」
「…………あの、真面目に何をされたのかだけ教えて貰って良いですか……? 今はあれこれツッコミませんから……」
それもそうだね。と、ちょっとだけ間をおいて、マーリンさんはため息をついた。
それは僕に対する呆れ……ではないらしく、ごほんと咳払いをして目を泳がせる姿に、これはあんまり言いやすい話じゃないから、覚悟を決めないとなあ……みたいなため息だったんだと理解した。
「……簡潔に述べれば、僕は君を生き返らせた。当然、外法にも手を出した。アギトという肉体を再構築して、そして生物として再使用出来る状態に戻した。
もっとも、組織自体はミラちゃんのおかげでほぼ完璧に近い状態で残ってたからね。そういう前提もあっての話だけど」
「外法…………いや、今は突っ込まないって。そうしてまた使えるようになったこの身体に……」
そう。と、マーリンさんは小さく頷く。
また、召喚術式で僕を……僕の精神を、この身体に紐付けたのか。はて、そうなると……
「それじゃあ、どうしていきなりここじゃなかったんですか? 一回あの世界へ……アイリーンの所へ召喚したのは……」
「世界が崩壊したり、逆に君についての記憶の力で先に救われたりしてしまったら手遅れになりかねないからね。時間の節約も兼ねて、ってことさ。
それと……正直、君を試す意図があったのも事実だ。それについては謝罪する。
死の疑似体験……いいや、実体験。そんなものが与える精神への影響なんて測りようもない。
君が壊れてしまっていたら……と、そう考えて一度クッションを挟んだんだよ」
いきなりここに戻って来ていたら、或いはあの時の忌々しい記憶が君をまた破壊してしまいかねなかったから。と、マーリンさんはそう言って深く頭を下げた。
信頼していると言い続けながら、君を信じてあげられなかった。君の強さを疑ってしまった。どうか、許して欲しい、と。
「……それは構いませんよ、むしろお礼を言わないと。ありがとうございます。また……また、いっぱい気を使わせてしまって……」
「……そう言って貰えると、僕も気が楽になるよ。さて、説明はこのくらいにして……」
その後もいくつか質問は続いた。肉体のこと、精神のこと、それに……あの最期のこと。
死を克服するのは難しい。けれど、それを全て無視していては、窮地に立った時それがフラッシュバックして心を破壊しかねない。
向き合って、その上でゆっくりと対処していかないと。と、そんな話をしている時だけ、マーリンさんは僕の手をぎゅっと握っていてくれた。
そのおかげもあって、今のところは……怖くないって言い切るのは無理でも、なんとか立ち向かえそうだと思えた。
「よし、じゃあ……うん。これで最後……僕からの最終確認だ。君は……アギトは、かつての冒険の日々を取り戻したいかい?
僕は必然、そうに決まっていると思っている。君だって漠然と、当たり前であると確信していた。
でも、それを冷静に判断する必要がある。
大きな絶望を何度も目の当たりにするんだ、漫然とした決意では有事の際に心がブレかねない。だから……しっかりと考えて答えるんだ。
君は、滅びゆく数多の世界を救い続けてでも、あの子の隣に戻りたいのかい?」
「…………」
当たり前だ。と、そうは答えない。そういうのではないのだ。
ゆっくりと目を瞑って、そして最期の瞬間を思い浮かべる。
今度はマーリンさんに手を握って貰わずに、あの最悪の光景をイメージする。
これから繰り返すのは、あの惨劇なのかもしれないのだ。
それらをいくつもいくつも潜り抜けてまで、本当に僕はこの世界での生活を取り戻したいのか。
そうする為に、またあの恐怖に立ち向かうことが出来るのか。
ゆっくりと目を開けて、真剣な眼差しをこちらに向けるマーリンさんに、僕はゆっくりと答えを告げる。
「…………俺は、やっぱりアイツと一緒にいたい。諦めたくなんてなかった、絶対に。諦めるしかないって思ってたけど……やっぱり諦めたくなんてなかったんだ。
それが今こうして、手を伸ばし続ければ届くかもしれないって可能性をマーリンさんに見せて貰えた。じゃあ…………俺は戦う。取り戻す為に、なんだってする」
「……ちょっと危なっかしい決意だけど、君にしては上出来だろう」
あ、なんで今ちょっとディスったの。
褒めてるんだよ。と、マーリンさんは抗議する僕の頭を撫でて、そしてすぐに僕の体をあちこち触り始め…………あふっ、やめ……好きになっちゃうからやめ…………はぅうん。
「……うん、オールオーケーだね。じゃあ、今日の所はゆっくりしててね。君の部屋は分かるだろう? そこでジッとしてるんだ。軽い運動も一切禁止、今日だけはしっかり様子を見よう。
明日、問題が無ければひとつ目の…………いいや。君にとっては四つ目の世界へと召喚を行うからね」
「はい。明日…………うおお…………お腹痛くなってきた……」
君って子は……と、マーリンさんは呆れたように僕の背中を撫でて、そして嬉しそうに…………ほにゃぁあんっ⁉︎ 待って! なんで抱き着いたの⁉︎
なんで…………なんでマーリンさんはこんなにも柔らかくて良い匂いがするの……? はふぅん。
「……なんでまた泣いてるんですか。だから……っ。そんな顔されると……俺まで……」
「ぐす……嬉しくて仕方がないんだよ。こうしてまた君と居られる、あの日々を取り戻せる。僕だけが覚えていた君の存在を、こうしてみんなにまた思い出して貰える。嬉しくて嬉しくて……ずび」
ああもう、そんなに泣かないでよ。
そっか……マーリンさん、本当に僕のこと………………でもこれ、そういう感情じゃないんだよな……っ。
フラグは立ってないんだよな……これで……っ。
どうなってんだ……なんで攻略対象じゃないんだよ…………っ。
「……はあ。流石に……ううむ。先代の勇者様にユーリさんだもんな…………うぐぐ……」
「……? なんだかよく分かんないけど、君は相変わらずだね」
え、めっちゃこっちのセリフ。
よし、満足した。と、マーリンさんは最後にぎゅーっと……ああっ、離れないでぇっ。こっちをその気にさせておいて、自分だけ満足したらポイは悪い女だよ!
はい? 本物の魔女だぞ? この翼が見えないのか? それは、まあ……
「じゃ、何かあったら声を掛けてくれ。少なくとも、この部屋には僕かフィーネがいる。君が部屋に来たら僕に知らせてくれるように頼んでおくからさ、ちょっとでも異変を感じたら、変な気遣いなんてせずに頼るんだよ?」
「……はい。相変わらず子供扱いですね……良いですけど」
拗ねるなよぅ。と、マーリンさんはあやすように僕に抱き着…………あ、もうそれは効かないぞ。
なんたって………………ね。もう…………もうね。手遅れなんだよ…………っ。
いや、とっくの昔に手遅れにはなってた。マーリンさん大好き! って、これをミラと一緒に言いたいってのも、またモチベーションのひとつになるのかな?
「それじゃあ失礼します。ありがとうございました、色々と」
その……本当に色々と。むふふ。
また後でねとか、ご飯は持っていくからねとか。そんなことを言いながら、マーリンさんは僕を見送ってくれた。
まったくもう…………相変わらずなんて可愛らしいのだろう。
あれで僕より歳上って……やっぱり無理あるよなぁ。
本当に歳が上だとしたら…………それはそれで無理あるもんな。
流石にキッツい——はっ⁉︎ 扉越しなのに殺気が⁉︎
「…………おお……あの時のまま……ではないけど」
かつてのアギトの部屋……宿直室のひとつに足を踏み入れると、そこにはなんとも懐かしいと感じさせる空間が広がっていた。
どこからどう見てもあのオンボロ部屋とは違うのだが、どうしてかかつての面影を感じさせる。
窓は大きくなったけど、光はいっぱい入ってくるようになってるけど。
それでも、あの狭くて汚い部屋にそっくりだと思わせるのは……あの時の形のまま部屋があるからなんだろうか。
「…………ただいま。僕は帰って来たよ。あとは……お前を迎えに行くだけだ」
ぎゅっと手を握る。すると、じっとりと汗をかいているのがすぐに分かった。
歓喜に震える体が熱い。僕はまた帰ってきた。
アイツを待ってやれる、アイツを迎えてやれる。
そんな喜びに、今日は安静にって忠告も忘れて布団の上で転げ回った。




