第二話【新たな旅路】
まだ鼻をずびずびさせながら、マーリンさんは僕から離れてゆっくりと立ち上がった。
そして僕に手を差し伸べて、また…………笑った。
「さあ、行こうか。積もる話も、こんなとこですることじゃないだろう?」
「積もるって…………積もり積もってもう山ですけどね」
とりあえず僕の仕事場に行こう。と、マーリンさんは僕を引っ張り起こしてそう言った。
仕事場…………あれ、マーリンさんここで働いてんの? 王都じゃなくて? 絶対待遇悪くなってるよね、それ。
「魔王を倒して、王都を過剰に守る必要が無くなったからさ。僕やフリードも含め、王都で働いていた大勢が、こうして地方にやって来てる。
ま、僕達みたいに好んで故郷に帰った奴もいれば、辞令で行きたくもない田舎に飛ばされた奴もいる。
あれほど王都の人口集中を嘆いておいてなんだけど、これもこれで良し悪しだよね」
「あはは……そっか、そりゃそうですよね。みんな居心地が良いから……便利で働きやすいから王都に集まってたわけですからね」
左遷ってやつか……これが……っ。
成る程、そう言えばそんな問題もあったなぁと、かつての歩みを思い出してみる。
若者……特に働き盛りな男手の殆どを王都に取られて弱っていた街が、旅の間にどれだけあったことか。
魔獣に対する備え、対抗手段にも乏しいって街も少なくなかったし、きっとこの決定自体は良いこと。
良いことだけど……良いことの後ろには、いつだって誰かの涙があるというわけか。
「今はオックスとフリードもガラガダに拠点を構えてる。と言っても、あちこち飛び回って魔獣を蹴っ飛ばしたり、それに魔人を捕まえたり忙しくしてるからさ。いつでも会えるってわけじゃないけど、会えないって嘆く程でもない」
「へー、フリードさんもガラガダに……………………魔人? 魔人っ!」
いかん、つい大きな声が。
どうしたんだよぅ。と、びっくりして肩がすぼんだままのマーリンさんに睨まれてしまった。
なんだそのリアクション、かわいいな。
相変わらずアレだな、この人は………………こう…………実年齢が全く想像出来な——殺気っ⁈
「そう、魔人。あの旅で散々ぶつかった魔人の集いだ。連中と魔王とはどうやら繋がっていなかった…………のかな。
少なくとも、魔王の命令で動いていたとか、魔王の死後勢力を弱めたなんて事実は無い。
厄介極まりないことに、むしろ以前よりも面倒ごとを増やしてる始末だ」
「そんな…………そっか。はあ…………まだあんなのが残ってるのか……」
まだあの白衣のゴートマンも捕まってないしね。と、マーリンさんは嫌な顔で嫌な名前を口にした。
ゴートマン…………はあぁ。そうだよなぁ……いるよなぁ、そりゃ。いきなり気が滅入るよ……うぅ。
「そういうわけだからさ。僕とミラちゃんはこのアーヴィンを拠点に、魔人の集いへの対策を練ってるわけだ。
勿論、魔獣の数もまだまだ多い、この街も結界が無くなってしまった以上、放っておける状態じゃなかったしね」
「ああ……そっか、もう結界は……っ。じゃあ……その、これから俺は……」
そうだね。と、マーリンさんはちょっとだけ寂しそうに頷いた。
これからまた、僕はあの連中と戦うことになるのか。
まあ……ミラが戦うんだろうから、そしたら僕も行かないわけにはいかない。
アイツが覚えていないとしても、僕はアイツの半身なんだから。
「……さて、それとは別に……って、話をしたいからさ。とりあえずあがりなよ」
「あ、はい。お邪魔しま…………あれ、こんな建物ありましたっけ?」
案内されたのは、随分立派で、そして新しい二階建ての役所だった。
こんなのあったっけ……と言うか、ここまでの道に凄く覚えが…………と言うか……この場所に見覚えが………………って。
「————役所——っっ! 新しくなってる! めっっっっっちゃ! 綺麗になってるぅぅうっ⁉︎」
「あはは…………出来ればそのリアクションを汽車の時にして欲しかったんだよね……」
うぐっ……そ、その節は申し訳ない。じゃなくて!
僕達の家が! クソボロ市役所が! あの隙間風とカビと異臭とあとなんか切なくなる程の床の軋みと壁の薄さが自慢だったあの役所が‼︎
まるでアーヴィンに似つかわしくないくらい立派な建物に…………っ!
「ってことは、ここにミラも……」
「あ、いや。あの子は神殿で暮らしてるよ。君との思い出が無い以上、ここはあの子にとって嫌な場所だからね」
あっ、はい。
そっか、アイツ今神殿に……そっか。
そうだよな。だってここって、昔の……僕が来る前のアイツからしたら、押し付けられた物でしかなかったんだもんな。
市長という肩書きも、レアさんの代わりという扱いも、虚しいばかりの努力も。
じゃあ……ここに住むのはつらいよな。
「ミラちゃんは今、市長兼地母神として神殿で働いてる。立派なもんだよ、本当に。本当に……頭が痛くなるばかりだ」
「市長兼…………地母神……? なん…………え? なんでアイツが……」
とりあえず入ろう。と、マーリンさんは僕を引っ張って役所へと踏み入った。
かつて何度もミラと一緒に帰って来た場所、その名残はどことなく感じさせてくれる。
でも、今はそんな懐かしさよりも……
「…………あの子のお姉さんとお祖父さんの行方は分かっていない。第一階層の魔獣に飲み込まれたのか、それとも何処かへ逃げ延びて姿を隠しているのか。少なくとも、誰もその行方を知る人間はいない」
「神官さんとレアさんが……っ。なんで……あんなに強かったのに……」
奇跡にはいつだって代償がついて回るものだ。と、マーリンさんは苦い顔でそう吐き捨てた。
時間の遡行自体は完璧だった。魔術翁の実力通りの結果と言えるだろう。と、そう続けて……
「……けれど、戻った時間がいつまでもそのままという訳にはいかない。当然、前に進み続ける。
進み続けて……そして、元の時間軸に戻ろうとする。
無理に捻じ曲げてるからね、それが今流れている時間と同じ筈も無い。
そして……君を召喚する直前のレア=ハークスに戻りはしたものの、その後の事実が覆ったりはしない。
再び記憶も言葉も失った……筈だよ。これはあくまで僕の推論でしかないんだけどさ」
「…………じゃあ……記憶も言霊も失って、レアさんは……」
無事逃げられていると良いんだけどね。と、マーリンさんは目を伏せた。
そんな…………そんな……っ。じゃあアイツは……
「それじゃあ神殿だって……っ。アイツにとってはあの場所も苦しいだけじゃないか…………っ」
「……それでもあの子はあの場所を選んだ。ハークスという名前を、矜持を。そして、市長という責務を取った。褒めてあげて、あの子の変わらない勇気を」
っ。家族の名残だけが残る場所……アイツの記憶が僕と旅をする以前のものだって言うのなら、そんなの苦しいばっかりだ。
でも……それでもアイツは、それを求めずにはいられなかったんだろう。
数少ない自分を証明するもの、ハークスという名前を。
勇者として大勢に認められ、それにマーリンさんという頼もし過ぎる支えを得てもなお。
いいや……得てしまったからこそ、か。
「さてと……それじゃあ本題に入ろうか。アギト、君は言ったよね。もうアギトとして……ただの知り合いとして近付いたんじゃ、あの子の家族には戻れない、と。
それについては……正直な話、僕も同意見だ。
あの子は優し過ぎる。優し過ぎるから、きっと君をまた護るべき対象としてしか認知しない。以前のように護り合う関係にはなれないだろう。
肩書きも増えた以上、甘えたがりも押さえ込まれてしまってるからね」
「っ……それをなんとかする方法が……あるんですか……」
確実な方法ではないけど。と、そう前置きをして、マーリンさんは僕を二階へ……かつて僕達が暮らしていた宿直室のある場所へと案内した。
階段を上がって……そうそう、部屋は四つあったんだ。シャワーとは名ばかりの雨水の溜まった部屋、僕の部屋、ミラの部屋。
そして……マーリンさんが僕を連れて入ったのは、荷物だらけで誰も使っていなかったであろう部屋……が、あった場所。
「……ここ、前とあんまり変わんない…………いや、大違いなんだけど……」
「あはは、そうだよ。ここは君達の思い出の場所だからさ、僕の一存で好き勝手するのも申し訳ない。だから、出来るだけ以前の面影は残してるよ。
まあ…………使用に耐えない状態だったから、ある程度手は入れてるけど…………」
二階の間取りは……間取りは違うな、全然。そもそも建物の大きさから違う訳だし。
でも、階段を上った先の景色はとても似ていた。
ドアが四つあって、ひとつはシャワールームで。ふたつは……僕とミラが住んでいた部屋は、まだ誰のものにもなっていなくて。
そして荷物部屋だった場所に、マーリンさんの仕事部屋が作られていた。
「……じゃあ、早速説明に入ろう。これから君には、いくつか世界を救って来て貰う。もう二回もやったんだ、慣れたもんだろう?
世界を救って、救って救って救いまくって……そしてあの子の記憶を取り戻すんだ!」
「世界を…………救………………はい? な、なんて⁈」
雰囲気ぶち壊すなぁ、君は。と、どうやらちょっと怒ってらっしゃ…………いでででででっ⁈ 耳を引っ張るな! 痛い痛い、千切れる!
いてて……い、いやいや! どう考えても今のは説明が下手! なんだよ! 世界救って来いって!
「アギト。君は召喚術式に必要なものが何か分かるかい? と言うか……覚えているかい?」
「そりゃ勿論……………………………ちょ、ちょっと待ってくださいマーリンさん……? お、俺がこうしてまたここに来たってことは、また術式を……」
その話も後でしてあげるから! と、また今度は頰を…………待っ————いだだだだ痛い痛い!
違う! 違うよ! ほっぺじゃないよ! 痛いのは! 座ってるから! 座ったまんまだから!
座ったまんまだから…………あんまりぎゅってくっ付くな——いでで!
待って本当にやばいって! ポジションがッ! それと尊厳が!
「まったくもう、話を戻すよ。相変わらずすぐに脱線するんだから。術式に必要なのは、大量の魔力と情報……知識、記憶とも言うね。魔力は当然、適合する精神を見つけ出す、引き上げる、繋ぎ止める。と、用途が分かりやすい。けれど……」
いや、全然分かりやすくないけど。とは突っ込まないでおいた。
今はこう……………………まだ、その……途上だから。途上だからセーフだけど……完全にこう、なると…………今のポジショニングは危険だ。いろんな意味で。
はっ⁉︎ 睨まないで! ちゃんと聞いてますって!
「ごほん。しかし、情報というのはなんなんだろうね。術式内で世界を仮想展開し、それに近しい世界を因果によって誘引する。用途自体は分かっているけれど…………これ、その後は果たしてどこに行くのだろうか」
「どこにって……どこかに行くようなもんなんですか?」
そこだよ。と、マーリンさんは、珍しく鋭いじゃないかってな顔で僕の頭を撫で…………でへへ、もっと褒めて。
じゃなかった、気安いボディタッチは今はやめ…………え? 何? 今更隠せてると本気で思ってるのかい……? 良いから一回立ちなよ……? 今回は見なかったことにしてあげるから…………っ⁈
気付いてたとしても言わないのが優しさなんだよ……知ってる……?
「ぐすん……本当にいつか襲いますからね…………っ」
「はいはい、いつでもおいで。じゃあ続きだ。情報……とは、目で見て測ることが出来ない。召喚術式には、コップ何杯分の……と、そういう風にはね。
けれど、失われているからには必ずそれは計測出来るもの……観測出来る形である筈だ。でなければ話が合わない」
えっと…………?
僕の屁理屈だから、理解もなんとなくで良いよ。と、マーリンさんは…………いやいや、だったらなんで話をしたの。
前置き? それともいつものもったいつけ? なんて、そんな訝しみを込めた視線を送っていると…………いつものからかう感じじゃない、本気のツッコミが僕の脇腹を襲った。
地味痛っ……グーじゃないだけミラよりは優しいけど……
「……そう、必ず情報もどこかで消費されている。しかし、消費とはあくまで変性だ。必ず保存される。
必ず……別の形で、必要とされる形に変えられてどこかに届けられる。食べたご飯が筋肉や骨に変わるようにね」
「えっと……じゃあ、使われた情報は今もどこかで……」
形を変えて……っ。アギトに関する記憶が、形を変えてまだどこかにあるって言うのか……⁈ じゃ、じゃあそれを取り戻せば…………っ!
「さて、ここからが僕の推論。情報……知識、記憶。それらがもたらすもの、変質し得るものはなんだ。
当然、それもまた情報だ。
水ばかり飲んでいても身体は大きくならないし、パンばかり食べていても喉は乾くばかりなように。
必ず適した形…………限られた形にしか変わりようがない。
では、情報が求められる状況とは何か。それは、変革を——改革をもたらす時だ」
マーリンさんはぎゅっと拳を握って熱く語っていた。
その話に僕が付いていけるかどうかなんてのは御構いなしに見えたが……それは、この可能性に賭けてみようと思えるだけの根拠が、この人の中にあるからだろう。
ミラがここにいたら、きっと喜んだだろうに。
でも今は……この話は、代わりに僕が聞いといてやるからな。
「召喚術式によって世界と一時的に繋がった時、きっと情報は別の情報として……危機に瀕している世界に、希望として受け取られている筈だ。
抗力とでも呼ぼうか。世界の滅びを前に、世界そのものが救いを求めるんだ。
故に……その情報が消費される前に世界を救済すれば、きっとその情報は縁によって元の場所に引き戻される。
当然、そこが一番収まりが良い筈だからね」
「……じゃあ……世界を救って来いってのは…………」
文字通り、今にも滅びかけている世界を君が代わりに救うんだ。と、マーリンさんは大真面目な顔でそう言い切った。
世界を……救うって……そんなこと言っても、僕にはやっぱりなんの力も……
「君は二度世界を救っている。一度目はこの世界を、二度目はあのアイリーンという女の子がいた世界だ。
あの世界はアレで終わる筈だった。世界の滅びは、何も凶悪な魔王によってのみ引き起こされるものではない。
均衡の崩壊。不可解な生物の登場、繁殖によって、生態系が狂ってしまうという、そういう滅びの形もある。
それを君は、確かに防いでみせた」
えっ……あ、あの怪物が世界を…………っ⁈ そ、そんなに大ごとだったの⁈
い、いかん……今になってお腹が痛くなって…………ふぐぅ。
「お腹痛くなってる場合じゃないよ! これから君は、同じように絶望と相対している世界をいくつも救うんだ! ミラちゃんの記憶が戻るまで、延々と!」
「ひぃぇえっ⁉︎ そ、それ本気で——」
当たり前だ——っ! と、マーリンさんは真っ直ぐな目でそう言った。
当たり前って……でも、そんなこと……本当に僕なんかに……
「君なら出来る……いいや、君だからこそ出来る。僕が見込んだ勇者を馬鹿にするなよ。
君はね、まず間違いなくあらゆる世界においても稀有な存在なんだ。ふたつも世界を救った勇者が、果たしてどんな世界にいるって言うんだよ!」
「っ! で、でもそれは……誰かの助けがあったから…………」
だから僕がいる! そう言って僕の手をぎゅうと握ったマーリンさんの小さな手は、子供みたいに暖かかった。
暖かくて……すごく、頼もしくて……
「言ったろ、迎えに来たって。一緒に起こすんだ、奇跡を。何回だって、何十回だって! 大事な家族の為だ! 世界くらい、幾らでも救ってみせろ!」
「——っ。は——はいっ!」
正直、勢いに押されて返事をした可能性も否めなかった。
けれど……家族の為に、ミラの為に。その響きは……なんだかむず痒くて、嬉しくて。
ああ……そうだった。
僕がずっと求めていたもの。
僕がずっと憧れた——アイツの為に戦う勇者の姿に思えたんだ。




